壱 元服
享禄元年十月、多幸丸は父とともに周防に赴き、大内義興から偏諱を与えられて興泰と名乗ることとなった。
このとき西の大大名として名を馳せた大内義興は病の床に伏し、その病状は悪くなる一方だった。
父、久兼興盛は安芸国人であったものの、元服の頃より傘下として長年義興に仕えたこともあって、常に親大内の立場をとる人物だ。此の度の嫡子の元服にあたっても変わらぬ姿勢を見せるための祗候(御機嫌伺いに行くこと)だったようである。
床に伏した義興はこの父子を招き入れ、「顔をあげよ」と言った。
多幸丸はこの時はじめて大内義興と面会することとなったのだが、床から起き上がった顔色の悪い義興は、多幸丸の顔を見てくつくつと嬉しそうに笑う。
「興盛よ。お主が不肖の息子などと言うからどれほどの障りがあるかと思えば、なかなか良い面構えをしておるではないか」
「はっ、勿体無きお言葉恐悦至極にございまする」
恐縮した父が再び頭を垂れるのに続き、多幸丸も地に額をつける。
「これでそなたも安泰じゃな。多幸丸には偏諱を授ける。今後の安芸をしかと守り通せ」
こうして多幸丸は無事元服を終え、興泰と名を改め今後の久兼領の次期当主としての地位を固めてゆくことになるのである。
さらにこの時、大内氏に匿われていた一人の姫を安芸国に連れ帰ることとなった。
大永三年に起こった友田興藤の反乱で、一族8人が切腹させられた小幡氏の生き残り、小幡興行の末の娘である。
安芸国石道本城を本拠とする小幡氏は、久兼氏同様、親大内の立場のとる安芸国人の一族で、興泰も幼い頃に何度かこの姫に会ったことがあった。
「石道姫の兄、四郎は既に石道新城にて城番を任じておってな。姫も郷里へ帰りたかろう」
そう言ったのは大内義隆。義興の嫡男にして次期当主である。
小幡氏は先の戦で一族の大半が命を落としたが、この姫君は間一髪のところを大内家臣に保護され、しばらくこの大内領内に匿われていた。
大内領には義隆の小姓として実兄の小幡四郎がおり、こちらも難を逃れて生き延びたのだが、昨年、奪われた小幡領内の新城奪還に成功し、いち早く帰還を果たしていた。
と言っても、この姫が兄に続いて石道へ戻るという話ではない。
「父は石道姫を養女として迎え、興泰殿の元へ嫁がせたい、と申されている」
病床の義興に代わって、義隆がその旨を伝えた。義隆にとっても長く小姓として側にいた四郎の妹のこととなれば他人事でもないのだろう。
また、久兼氏との今後の関係を維持するため、婚姻によってその絆を強めていくのは大内の、いやこの時代の為政者たちの常套手段である。
小幡氏にとっても、大内が後見となって同じ安芸国の国人同士で結束を固めることができるのは決して悪い話ではない。三方にとって理のある話を、病床の義興は提案しているのである。
さて、この突然降って湧いた結婚話に慌てたのは久兼家臣たちだったのは言うまでもない。
すぐさま領地に使いを出して婚儀の支度を整えさせ、興泰夫妻の住まいとして急遽別邸を整えさせる旨の伝令が走る。
大内の館でもこれまた派手な輿入れ準備が催された。西国一を誇る大内家の財力を持って贅を尽くし、養女である姫にこれほどまで、と言わしめるほどの道具を揃えさせた。それはひとえに、久兼家への期待とも取れるものだった。
興泰もとい多幸丸に従えて周防までやってきた宗音は、折を見て一度同国の宝積寺に足を運ぶ暇をもらったのだが、再び大内の館へ戻ったときのこの騒ぎに驚いた。
「…何事でございますか」
それを共に周防入りした仁左がこそっと耳打ちする。
「若の、いや興泰さまの御婚礼の仕度だ」
そして当の興泰のところへ報告に戻ると、こちらはまた不思議な顔をしてずっと庭から垣間見える空を見ていた。
「聞いたか」
「はい。おめでとうございます」
「…」
興泰は照れているような、しかし困っているような顔をして宗音と目を合わせない。
「あの姫は…」
と言ったっきり口を閉ざし、そして深いため息をつくのだった。
偏諱の「興」が多すぎて混乱しますね…




