壱 報せ
室町時代。
237年続くこの時代、その内実は重なる動乱で人心がこれでもかと荒んだ、戦国への道筋が築かれた乱世である。
権力争いに身を投じる権力者たちの欲望は、衝突する度に血を流し、怒りとなって列島を蝕んでゆく。騙し騙され、裏切り裏切られ…人の醜さが羞恥もなく曝け出された混沌とした時代だ。
翻弄され続ける民の恨み辛みはいかほどであっただろうか。彼らの流した血は怨念となり、地の底でくつくつと湧き溢れながら広がってゆく。この世はまさに地獄であり、次の怨嗟を呼び寄せる。
しかし、そんな時代を生きる若者たちは、魍魎渦巻く世界の中で光を見出そうともがく者も大勢いた。
これはそんな彼らの奇なる話。
時は享禄。足利義晴が室町幕府の第12代征夷大将軍に就任してから8年の年月が流れた頃だった。
周防の山深い地にひっそりと佇むある寺に報せが入った。
「これ、宗音」
住職に呼び出されて顔を出した若い僧侶は、差し出された文を怪訝な顔で受け取る。
それは彼の実家から宗音宛に届けられたものだった。
「兄が討死したと」
文をさらりと読んだ宗音は、少し暗い表情ながらも淡々と報告を続ける。
「それで、帰ってこい、ということですが…」
顔を上げると、住職もまったく顔色を変えずに「心のままに」と言う。
どうするかは、宗音自身で決めなさい、ということだった。
出家して既に久しい宗音は、もう実家との繋がりは絶たれたと思っていた。しかし、長男がこの度、戦に駆り出され死んだようだ。別れたときは幼くて、年の離れた兄の面影すら浮かばない。この手紙は父からだった。出家した次男である宗音を呼び出すということはつまり、還俗(僧籍を捨て俗人に還ること)し、実家を継げということだろうか。短い文脈からは読み取れないが、おそらくそう言うことだろう。
少し悩んだ宗音だったが、居住まいを正して再び住職に向き直った。
「お師匠様、兄の弔いに参ろうと思います。しかしながら、私は俗人になれぬ身の上ながら、父に断りを入れるつもりです」
住職は「うむ」と頷いた。
「おぬしの決める事じゃ。好きなようにするがいい」
すると、廊下をドタドタと駆ける大きな足音が響いてきた。
「兄者〜!文はどんな内容だったのだぁ?!」
と、元気のいい声が部屋に入ってきた。
声の主は、宗音を兄のように慕う弟分、光明だ。鮮やかな朱色の水干を身に纏った稚児である。
あまりにうるさかったので怒ろうかと思ったが、宗音より速く、住職が持っている杖でぱこんと一発頭に入れていた。
「痛え〜!」
すばしっこい光明でも避けられないほどの早技である。住職は、案外短気だった。
「やかましいバカタレ」
穏やかそうな顔のハゲ頭が若干赤くなっている。光明の有り余る元気に振り回されるのは、ここではおなじみの光景だった。宗音はため息をつき、光明と向き合う。
「光明。私は亡くなった兄を弔いに国へ帰る。すぐ戻って来るつもりだが、とりあえずお前はもう少し落ち着きを持ちなさい、いいな」
と、光明の眉間を人差し指で小突いた。ぐらんと一瞬揺らぐ光明の頭だが、負けじと人差し指を受け止め、宗音をキラキラとした瞳で見つめ返す光明。
「ウン分かった!」
その分かっていなさそうな言葉を聞き、宗音はさらに言葉を続ける。
「そうか。ならば今後はあまり食い意地をはらず、人のものを勝手に食うな。それから人の話を聞け。廊下は走るな。丁寧な言葉遣いで話せ。起こされなくても起きろ。そして早く寝ろ。それから…」
「あ〜分かった分かった!わかったってば!」
「分かりました、だ!!」
宗音は眉間に突き刺した人差し指をさらにグリグリと食い込ませた。こうでもやらないと宗音の言葉は頭に入らなそうだったからだ。指を離すと、光明の眉間はちょっとだけ赤くなっていた。
水干姿の公明は、最近背丈がぐんぐんと伸びて宗音に追いつきそうな勢いだった。だが、それに反してこの幼い言動だ。正直、ちょっと心配だった。まあ、久々にこの地を離れても、すぐ帰って来る予定なのだが。
宗音は若干の不安を背負いつつ、旅支度を始めるのだった。