第99話 魔人の巣があった
カビオサ遠征六日目、ルゥは未だ戻ってこない。
ヨルムンガンド討伐が最優先だったので、ただでさえ少ない人員をルゥ捜索に当てることはできず、急遽フリップ家に連絡を取り、救援依頼を出すことになった。
が、カビオサの都市郊外で行方不明となった人間の足取りを掴むのは雲を掴むような難しさであるらしく、めぼしい知らせはない。
できることの少ないもどかしさを抱きつつ、時間だけが過ぎていった。
暗くなる直前、アラン率いる別動隊が戻ってきたという知らせが入り、ディンは宿舎一階の入口に向かう。タンタン、アラン、ニコラ、ソフィの四人が立っていたが、全員疲れているのか、その表情はどこかうつろだ。身体中汚れておりわずかに生臭さが鼻をつく。
タンタンはディンに気づくと、即座に近寄ってきた。
「やい、やい! ずるいぞ! こんないい場所に泊まってのんきに過ごしてたなんて! 僕なんかずっと野宿でひどい労働環境だったんだ!」
第一声が愚痴とはこの男は相変わらずである。
「大変でしたね」
軽く流して、他の三人に身体を向けた。
「皆さん、お疲れ様でした」
「僕も疲れたぞ! これだけ労働環境が違うなんて差別的だよ! だいたいよく考えたら、ユナもアイリスもルゥも僕の後輩じゃないか! なんでお前らの扱いが賓客なんだ? おかしいぞ、おい!」
「ですね……それで調査の方は無事終わったんですか?」
「ああ。なんとか時間ぎりぎりになってしまったがな」
アランも疲れているようで、いつもより目力がない。
「ボロい魔道四輪車だったからね。途中で止まって大変だったんだ! 野盗に何度も何度も襲われた。何度襲われたと思う? 野盗ハンターのタンタンという異名がつくくらいさ!」
「……すご―い。ニコラさんはそこまで疲れてなさそうですね」
「トネリコ王国ではこれくらいのこと普通だからね。むしろ今回は楽な部類だった」
実際疲れているはずだが、ニコラはそれを一切態度に見せず、六日前と変わらぬ佇まいだ。
「トネリコ王国魔術師団の闇を見た! こんな二人と一緒にされたくないね。もうね、働きすぎて頭が馬鹿になってるんだ! 馬鹿だよ、馬鹿! 君たちは馬鹿だ!」
「ユナちゃんたちもご苦労さま。報告は聞いてる。魔人や魔獣と戦って大変だったみたいね」
ソフィはタンタンの言葉など聞こえてないように振舞い、柔和に微笑む。
というか他の三人は誰も耳を貸していない。なんとなくだが、しばらく会わない間にタンタンは空気のような存在になってしまったことだけはわかった。
「とりあえず怪我もなく無事です。ルゥが心配でありますが……ルゥが戻ってきてないので、まだ私たちの区画は終わってないんですが、今のところ魔族の巣はありませんね」
「おい、ちょっと待て! 僕、衝撃を受けたよ! まだ終わってない? 僕らの五分の一程度の区画なのにまだ終わってないって! 今すぐひとっ走りして働いてこい! このゆとりお嬢様がぁ!」
叫び散らすタンタンに誰も視線を送らず、話を続ける。
「ルゥのことは聞いてる。トラブルがあったかもしれないな。それはまた詳細を聞いた後、対応するとして……こちらも報告がある」
アランの言葉にディンは反応する。
「……もしかして」
「ああ。魔人の巣があった」
アルメニーア南部に広がる森の手前にフローティアはいた。カビオサ遠征の面子に入っていたが、北部オキリスで過去に大暴れしたことがきっかけで出禁を食らい、こちらの調査に急遽加わることになった。
納得いかなかったがこちらも重要な仕事であることに変わりないので頭を切り替えて臨む。
任務はアルメニーアを襲った三面犬の出所の調査だ。
深い森の奥まで魔術師団の捜索隊を出すが、まったく魔族の巣は見つかることがない。
アルメニーアで起きた一件は明らかに異質だ。ケルベロスの亜種である三面犬は基本、群れることはない。無論、ゴブリンなどの群れる魔獣もいるが、百匹近い三面犬が一つの意志を持って一つの街をあらゆる方角から同時に責めてくるなど前代未聞だ。
魔族の巣が一切ないのも不可解な点だった。
「魔族の巣がないということは……あれはやはり何者かが統率した結果ではないでしょうか?」
意見する団員の問いに対して、フローティアは別のことを考えていて、しばらくの間反応しなかった。
「あの?」
「あっ! はい。どちらにしろわからないことが多いので、私たちは魔族の巣がないか徹底的に調査します」
魔族の巣の調査も重要だが、フローティアの心にずっと杭のようなものが刺さっていた。任務中は意識しないように努めるが、ふとした時にそのことを思い出してしまう。
「ちなみにディン・ロマンピーチについて何か情報は?」
「今のところ何も……」
フローティアはそれに対して表情を変えなかったが、日に日にディン失踪の件は世間に広がり、もはやそれを知らない者はいない。
――お前の責任ではないし、気にすることはない
そうゼゼに言われたが、フローティアと面会後に姿を消した事実は消えない。
そして、その情報は王族やローハイ教の上層部はすでに掴んでいる。
一波動けば万波生ず。
その波紋が世間にどう影響を与えるのかわからないが、少なくとも自分の身にいずれ小さくない波がくることをフローティアは覚悟していた。
アルメニーア南部に広がる森の調査をする日々が数日続いたとある晴れた朝。
ソメヤから緊急の連絡がフローティアに入る。ソメヤの方はかなり切羽詰まっている様子だった。
「なんでしょう?」
「もしかしたらそちらに向かってるかもしれない」
「誰が?」
「トネリコ王国のナナシという女性だ。なんでも君に尋ねたいことがあるということだ。ただ、話し合うという雰囲気ではなかった」
「というと?」
「……とにかく気を付けて欲しい」
「は?」
はっきりと口にしなかったが、言葉尻から剣呑としたものを感じ、思わず眉をひそめる。
ナナシという匿名希望の魔術師は当然知ってる。今回、アルメニーア周辺の調査を協力してくれるトネリコ王国の助っ人魔術師だ。
今まで一切姿を現すことなく、単独行動するという勝手極まりない態度に魔術師団の中に不満を募らせる者もいたが、与えた仕事はきっちりこなしていた。
そう、今日まで一切関わりなどないのだからその魔術師から恨みを買った覚えは一切ない。
その時まではそう思っていた。
「何かが近づいてきます!」
団員の一人が北の空を指さす。
そこには青い空を色づく大量の何かが飛来していた。よく見るとそれは蝶の大群だと気づく。
その中心には蝶の羽を背中につけた魔術師が腕を組んでこちらを見下ろしていた。赤毛を束ねた女の顔にフローティアは覚えがあった。
「……ミレイ・ネーション」
勇者一行の魔術師、ミレイヌの孫であり、ディン・ロマンピーチのフィアンセ。
それを知っているフローティアは自分の元に波が来たことを悟る。
「全員退避で」
「えっ……?」
その場にいた団員は皆、理解できないような表情になる。
「とにかく二人きりで話をしたいので、全員退避してもらいます」
フローティアはピリピリと風を起こす。
それはすでに臨戦態勢であることを示していた。
そこはアルメニーアと南部森への中継地点だ。
ところどころに木の生えた草地が広がっており、目に見える部分に人工物はない。
その空に異様で形容しがたい光景が広がっていた。
極彩色に染まる蝶の中心にいるミレイがフローティアの元へゆっくり降りてくる。
フローティアが人払いを済ませ、周囲に人の影はない。
地面に足をつけたミレイをフローティアは上から下まで物珍し気に見る。
赤を基調とした戦闘服に蝶模様のボレロを羽織り、下はショートパンツ。白いサーコートの魔防服を着るフローティアも比較的軽装だが、ミレイはそれ以上だ。
基本的にトネリコ王国魔術師の男は騎士のような装備をしており、女は白いローブを羽織っていることが多く、ミレイはどちらにも当てはまらない。
お互いの声が聞こえる距離で二人は相対する。
「はじめましてと言った方がいいかな?」
「少なくともかしこまる必要はないと思うよ」
フローティアはそう応じ、魔力が自然と唸りを上げ風がなびく。
それに呼応するようにミレイの周囲にいる大量の蝶が優雅に羽を広げて舞う。
「戦う気満々じゃん」
ミレイはほんの少し肩をすくめつつ、対面する魔術師を見る目つきは鋭い。
「私は話を聞きにきただけなんだけど」
「用件は?」
「ディンのことよ。失踪する直前にあなたと会っていたんでしょ? 知ってることを話してほしい」
予想通りの質問。固い表情のままフローティアは答える。
「……残念だけど魔術師団の機密に関わるので他国の人間には話せない」
「一刻を争うかもしれないの」
「特例はない。そういう決まりなの」
ミレイは呆れた様子でため息をつき、吐き捨てるように言う。
「この国は縛りばっかり。あなたも規律人間って感じね……面倒くさっ!」
「わかったような口を利かれたくない」
フローティアの眼が自然と鋭さを増す。
「わかるよ。だって手続きを踏めば、遅かれ早かれ、あなたは知ってることを話さないといけない」
トネリコ王国内でネーション家は大貴族の立ち位置だ。ロマンピーチ家より数倍の領地を持ち、王族ともパイプがある。ネーション家が動けば、フローティアは知ってることを話す必要に迫られる可能性は高い。
それを踏まえた上で話さないフローティアにミレイは呆れていたが、機密が関わるから手順を通せというフローティアの考えも間違いではない。
「だいたい独断行動にも程がある。このことはトネリコ王国側にも報告させてもらうわ」
「別に構わない。私は大事なもののためには自分の地位も捨てられる」
迷いのない言葉にフローティアは戸惑う。
正しさの解釈を間違えてはならない。その言葉をミレイは理解している。一方のフローティアは正しさをどこに置いてるのか、今でもたまに迷うことがある。
「悪いけど……喋ってもらうね」
ミレイがフローティアに向かって指をさした。ミレイの指の上に蝶が止まる。
蝶はあらゆる作用を及ぼす。毒、痺れ、睡眠以外にも頭を錯乱させ、相手から情報を吐かせることもできるという。
「やめた方がいい。トネリコ王国の魔術師が一対一でこの国の魔術師には勝てないから」
「煽るね。結局、あなただってわかったような口を利くじゃない?」
ミレイは構える。
やはりこうなるかと相対するフローティアは思う。ただ心のどこかでこの戦いを望んでいる自分がいたことにフローティアは気づいた。




