第98話 罪はいつだってあなたのそばにいる
キキがどこからカビオサに流れてきたのか知る者はいない。拷問した狩人たちから得た情報は、数えきれないほどの人間を笑いながら殺してきた快楽殺人者という事実のみ。
手の内すらわからず、ルゥはじっとキキを観察する。
胴体に黒い装甲が装備され、身体中に魔道具をまとっている。右手と左手のブレスレット、左手甲、ネックレス、指輪、剣と魔銃。最低でも七つ。が、隠し持ってる魔道具や魔術薬も複数あるとみるのが妥当だ。
そして、何より目につくのは半袖で露わになってる左腕。肘から手首にかけて六つの魔力を帯びた丸い宝石のようなものが埋め込まれていた。
狂人にありがちな身体に埋め込むタイプの魔道具。それらは未知で得体のしれない効果のものが多い。
ルゥの視線を察知したのか、キキは左手を掲げて笑う。
「この六つの丸い玉は戦いに関係ないよ。これはね百年近く前に埋め込んだものなんだ。とある奴らの生死確認をするためのものさ」
「あなたの見た目は二十代後半にしか見えないけれど」
ルゥは敵から目を逸らさず答えるが、キキはそれに反応しない。
何事もなかったかのように空を見上げて、つぶやく。
「死は遠い場所から迫ってくるものじゃなくて、いつだってそばにいるんだ」
日常のたわいない会話のようにつぶやき、ルゥの方を見て日常動作のように自然と暴力を行使する。
屋根の上から路地裏にいるルゥに向かって、炎魔弾。
左手から放たれるそれをルゥは魔壁で受け止める。
即座にルゥが宙に投げたのは閃光弾。
白い閃光に包まれてキキの視界が遮られる。キキが目を開いた時、ルゥの姿はなかった。
「相変わらず逃げ足が速いこと」
キキは屋根上から飛び降り、ルゥのいた場所でかがむ。メラニーとの激しい戦闘で傷ついたのだろう、わずかに地面に付着した血を見つける。
それを優しく撫でるように指でなぞり、舌で舐めた。
「血の匂い……はっきり覚えたよ」
口元に笑みをこぼし、全力で駆ける。そのスピードは獣人のメラニーにも全く劣らない。
瞬く間に匂いの元へたどり着く。
その細道は先ほどより狭い人一人通れる狭い路地裏だった。
朝日の当たらない影に満ちた世界でルゥは待ち構えていた。
拾った魔銃をルゥは両手に持ち、連射。
キキは悠々魔壁を展開しつつ、連射が止まった瞬間、右手のブレスレットで引き寄せ。
二人の距離が急接近して、キキがルゥの首を掴んだ瞬間、本体じゃないことに気づく。その影分身が服のポケットに隠し持っていたのは爆炎花。
匂いで察知し、激しい爆発が起きる寸前でキキは高く跳躍してかわす。
宙に舞うキキは、左右の建物の影から飛び出た手に両足を掴まれる。
キキは左手薬指の指輪を起動。強力な斬撃を飛ばし、影の手をちぎる。
バランスを崩し、落ちていく中、地面の影が形を変えた。
「影氷柱」
長く太い氷柱の影がキキめがけて伸び上がるが、建物の壁を両手で掴み、落ちる角度をずらして避けた。
着地してキキは目を閉じて、意識を鼻に集中させる。そして、二歩三歩とゆっくり足を運び、左手側にある薄い壁の建物に触れた。
「ここか」
左腕を壁にねじ込む。その手は建物の中にいたルゥの腕を掴み、ルゥごと引きずりだす。
「なっ!」
壁は破壊され、キキは掴んだルゥをそのまま路地裏へ投げ飛ばした。転がり地面に叩きつけられて、ルゥはすぐに起き上がれない。
が、キキは攻撃の追随をせず、暢気に起き上がるのを待っていた。
「残り魔力は少なく、援軍はなし。自力で結界も破れず、目の前には強大な敵。正に絶体絶命のピンチ! さあ、ルゥ? もう切り札を出すしかないね?」
ルゥは起き上がり、キキのぎらついた眼を見る。
「魔術覚醒。見せてみろ」
ルゥは思わず顔をしかめる。ルゥは魔術師団内の訓練にも一切参加せず、自分の手札をほとんどの人間に見せていなかった。影魔術の使い手であることや魔術覚醒を扱えることを知る者は魔術師団内にもほとんどいない。
不穏な感情が渦巻くがすぐに思考を止める。
今すべきことは現状の打破。
手の内を探るような戦いをしてルゥは気づいていた。
このまま戦えば死ぬという事実。
もはや選択の余地はない。
息を深く吐いた後、両手をゆっくりと合わせる。
「魔術覚醒」
ルゥがまとう黒い魔力の密が折り重なり、濃度を増していく。暗黒のような魔力は、切り取られたかのように輪郭を浮き立たせ、周囲の空気が揺れた。ルゥの影魔術の威力が一気に数段跳ね上がる。
「来てみ―――」
キキが言いかけた瞬間、ルゥは両手で地面を叩きつけた。
「暗澹烈震」
地面の影の濃度が増し、完全な黒に変色し、それが激しく振動する。その振動はわずかな時間だったが、キキは立てず、地面に膝をついた。
立ち上がろうと前を見ると、すでにルゥが目の前にいた。
「影突き」
喉元めがけて繰り出した右手での突き。高圧縮のそれはあらゆるものを貫通する。が、キキはそれを両手で受け止める。
「残念!」
「これが……今できる私のすべて」
そう言って、ルゥは左手をキキの顔の前で広げる。
あまりに緩慢な動きでキキは一瞬、呆けた。
広げた手には何もない……ように見える。
「影星」
気づいたときにはキキは両目の痛みで叫んでいた。
「ぎゃああああ!」
魔弾を限界まで圧縮して目で捉えられないレベルまで落とし、それをゆっくりとキキの両目に着弾させた。
キキは両目を完全につぶされ、うなだれながらも少し笑う。
「ああ、なるほど……ゼゼの劣化版魔術か」
自分の身に起きたことを理解し、さらなる追随を警戒して構えるが、足音一つしない。周囲から一切の気配が消えていることにキキは気づく。
「ははっ。本当に逃げ足が速いねぇ」
キキの目を潰した直後、ルゥはその場から即座に離脱していた。
キキはゆっくり立ち上がり、ポケットの音声転移魔道具の反応に気づく。
「例の件だ。一度話すことがあるから集まれ」
その言葉だけ告げて、魔道具の反応が消える。重要な話し合いがあったことをすっかり忘れていたキキはため息をついた。
「ああ、もう! 無視してもいいけど、後々面倒だしなぁ。でも、でも……ここからが楽しいところなのに!」
腕を組み、少しの間考え込む。そして、空を見上げ、キキは舌を出した。
「まっ! さくっと殺して終わろう!」
ルゥは魔銃のみ持ち、必死に駆けていた。
すでに魔力は完全に尽きていた。もっともこれは計算通りだ。
絶体絶命のピンチであるが、この状態なら結界の外へ出られる。
気づけば目の前には結界。ルゥは躊躇なくそれに突っ込み、結界を抜ける。
「よしっ! あとはこの場から離れるだけ」
狩り場である貧民街を脱出し、ルゥはさらに逃げる速度を上げた。都心の方へ逃げれば、犯罪者が蔓延る貧民街をいくつか通る必要があるので、あえて荒野の方へ駆けた。少し進めば、廃墟がいくつもあり、そちらで身を隠すのが最善という判断だ。
ルゥとの戦いで結界の外に逃げた狩人もおり、油断はできないが最大の脅威であるキキの無力化には成功した。何もない荒野を駆け抜ければ、逃げ切れる……はずだった。
背後から聞こえてくる地面を叩きつけるような足音に振り返り、ルゥは唖然とする。
「魔力切れの魔術師を狩る! 本当の本番はここからさ!!」
目を潰したはずのキキが全力でこちらに向かってきていた。口をあんぐりと開けて舌を出しながらも脚力はルゥよりもずっと上だ。
(意味がわからない。この女、なんで……?)
にわかには信じがたい事実だが、正面を向き死に物狂いで駆ける。追いつかれたら死ぬ。
が、二人の距離はどんどん縮まっていく。
その距離が十歩分ほどになった時、唐突にキキの腕が伸びて、ルゥの首を掴む。
「はっ?」
「捕まえたー」
キキの元に強引に引き寄せられ、そのまま背中を蹴り飛ばされる。ルゥは地面に転がり叩きつけられた。
すでに魔力は尽き、周囲に味方は誰もいない。
それでもルゥは立ちあがり、敵から目を背けない。
「なんで走れることができて、腕が伸びるかって? 逆になんでお前らは目が潰れた程度で走れないの? なんで腕が伸びないんだ?」
そう言って、キキは舌を出す。
舌の上には眼球がついていた。それは人間の常識を超えた身体の構造。
「まさか……魔人?」
「改めてはじめましてと言っておこう。私の本当の名前はキリだ。ハナズとの戦いも魔道具で見てたよ」
キリ。ロキドスの支配下である七大魔人の一体。
それがすぐ目の前に立っていた。
「あなたは……ずっと人間の振りを?」
「私は魔力を抑え込めるんだよ。他の奴らにはできないんだよねー」
「あなたたちの目的は……何?」
思わずルゥは尋ねる。
両目の潰れたキリはうーんと暢気に迷う素振りを見せる。
「そうだな。どうせ死ぬから意味はないが、ルゥちゃんには褒美をあげたい。だから、教えよう」
ぐっとキリは顔を近づけて続ける。
「サンソニアの湖畔。その湖の底を調べたら、そこで計画の一端が見れる。もっともそれらを見つけても意味は理解できないだろうがね」
冗談のようだが、嘘には聞こえなかった。ただルゥの耳に残っても頭に入ってこない。今どうすべきかという難題に思考を全集中させていた。
しかし、周囲の荒野には何もなく誰もいない。
打開の手は何もない。
魔術師の魔力切れは死を意味する。
敵から視線をそらさないまま、ルゥはつぶやく。
「罪はいつだってあなたのそばにいる。罰を下す者が……いつか現れる」
「十字を切りたい気分なのかな? まあ、私に罰を与える奴がどんな顔をしてるのか興味深いね」
キリはくすりと笑う。
「君でないことは確かだけど! では、さようなら。とっておきの死を君に与えよう」
キリはルゥに手を伸ばし、その両肩を掴む。
「最高の死さ」
そのセリフと共に目の前が暗転。
目の前にいるのはキリであることに変わりないが、足場がない。
強烈に叩きつけられる風圧で自分がキリと共に落ちていることに気づく。
そこは雲の上だった。
瞬間転移魔道具。
二人とも、落下していく中、キリは暢気に微笑み叫ぶ。
「美しい景色を見た後、大地と一つになって死ぬ! これが私にとって最上の死だ! ルゥにプレゼントするよ!」
このまま落ちたら100%死ぬ。
両肩を掴んだままのキリの腕を掴み、離れないようにするが、即座に蹴り飛ばされた。
キリは笑顔で手を振り、その場から瞬間転移で離脱。
ルゥのみがすさまじい速度で落下していった。
キリが戻った地点は先ほどと同じ場所。
楽しかったはずの余興を終え、急に気持ちが冷めてくるのを感じていた。
あらゆる死をキリは見てきた。最も好みな殺し方は、炙ったり、生皮を剥ぐなどじりじり死に近づける拷問殺人だが、殺され方となると話は変わる。
万物を引き寄せるこの星に追突して死ぬこと。それがキリにとっての理想だ。
「私にとって最高の死だけど。直接殺すことができないのはやっぱり寂しいものがあるな」
あれはルゥへのご褒美だと言い聞かせつつ、消化不良感は拭えない。
自分の手で殺した方が満足感は高いか低いか、考えていたのは少しの間で興味はすぐに薄れた。
「まっ。まだまだ他の魔術師もいるしね」
そう自分に言い聞かせた時、自分の手首の異変に気付く。
右手首につけていたブレスレットがなくなっていた。
その場で自分の行動を思い返す。
戦闘中や追いかけてる途中には確かに腕にあった。それが意味することを悟り、キリは笑う。
「あの女。手癖も悪いのか」
ぼやきつつ、キリはその場からゆっくりと去った。
叩きつけるような風を全面に受けながら、ルゥは雲を抜けてさらに垂直落下していく。下に広がるのは住宅などの建物が並ぶ大きな街並み。
一縷の望むをかけてどさくさに奪った魔道具をルゥは手首に装着する。
魔道具の効果は反発。
建物が並ぶ間に巨大な川が流れているのを見つけ、ルゥは体勢を変えながら、そこに落ちるよう調整する。
地面に接地する瞬間、反発させて衝撃を殺す。
おそらくわずかな誤差も許されない難しいタイミング。
だが、ルゥに迷いはない。
「まだ私は死ねない」
それは自分への覚悟の言葉。
経験したことのないスピードで落下していく。
垂直落下するよう身体を保ち、右手を地面に向かって、ルゥは突き出した。




