第97話 良心があるなら、きっとやり直せる
メラニーは過剰なまでに間合いを詰めて攻めてきた。
メラニーの膂力は異常で力と力になれば弾き飛ばされるが、ルゥの影針は夜の闇を凝縮させた硬度の高いものだ。魔壁を練り込んだものに近く、ただの剣なら逆に弾く。
メラニーが左手に持つのはただのロングソード。にもかかわらず片手で軽々剣撃を繰り出し、ルゥの影針とも打ち合い、逆に押し込んでくる。身体が異常に柔らかく、動きが独特で読みにくい。左利きの剣士と戦う機会があまりないせいか、合わせるのにルゥは苦労していた。
メラニーは一歩踏み込み、上体を右に傾けたまま斜めに斬り上げる。右手に持つ影針を弾かれ、胸元ががら空きになる。そこにメラニーは斬りこむが、左手で至近距離の暗黒弾。
「くっ」
頭部を狙ったものだが、上体を捻じ曲げてメラニーはかわす。その間にルゥは後方に跳んで距離を置こうとするが、メラニーは強引に間合いを詰めて再び剣撃を繰り出す。
その表情から焦りが一瞬見えてルゥは違和感を覚える。
朝日が顔を出しつつあり、そうなれば貧民街から影が消える。影が少なくなることはルゥにとって少なくない不利であり、時間はメラニーにとって優位に働く。
にもかかわらず対面するメラニーが妙に前のめりなのはおかしい。
(何か見落としている。気づけなければ……たぶん死ぬ)
セツナとして感じた死の臭いで脳はフル回転する。
メラニーの剣をいなしながら、構え、動作、目の動きを改めて思い出す。
メラニーの構えは独特だ。半身で左手の剣をだらりと下げており、一見すると突っ立ってるだけだが、瞬きすればすでに敵を斬りこむ態勢に変わっている。
それは独特の型ではなく、何かを隠す動きだったのではないかとルゥは思い至り、確かにわずかながら違和感がずっとあったことを思い出す。
暗い夜だったので目につかなかった。だが、朧気で答えがはっきりと出ない。
答えに辿り着く前に、メラニーが振りかぶり、膂力全開で剣を叩き下ろす。
その馬力に両手で受けざるを得ず、ルゥは完全に受け身に回る。
金属音が鳴り、鍔迫り合いをしたままメラニーが唐突に右腕を動かす。
死の匂い。
メラニーの右手には何もないが、それが斜めに斬り下ろす動作に見えて、反射的に自分の左半身を守る魔壁を展開。
見えないそれはルゥの左肩をえぐり、骨に到達して止まる。防御が遅れたが、魔壁がなければ止まらなかった。
「ぐっ」
メラニーを蹴り上げ、後方に跳んで離脱。メラニーはとどめを刺すべく、突っ込もうとするが、地面の影が再び沼のようにめり込み足を取られる。
「ちっ」
メラニーは思わず舌打ちする。
ルゥの肩から流れる血は傷の深さを物語るが、メラニーにとっても痛かった。
隠匿魔術により右手に持つ剣を隠し続けて、ここぞというところで斬りつける。
一度しか使えない初見殺し。
隠匿魔術を使わずルゥの前に現れたのも右手に握り続けた剣でとどめを刺すためだった。
隠匿魔術は魔力消費が大きく、魔力量が極めて少ないメラニーは身体全体に常時かけることはできなかった。試行錯誤の末辿り着いた戦法が剣のみ隠匿するというものだ。もっとも戦闘種族として誇りを持つ獣人のメラニーは、魔術や魔道具に頼りきる戦略を好んでいない。
今回のような騙し討ちは美学に反するにもかかわらず仕留めきれなかった。
だが、ルゥの傷の肩は深く、ルゥは完全に足が止まる。
メラニーは両手に剣を持ったままルゥに突っ込む。
「影魔球」
再び出現した黒い球体にルゥはおさまる。
剣を全力で振り下ろすが、球体はそれを簡単に弾く。
「くそっ!」
剣士は魔術師と相性が極めて悪い。
特に特殊な魔術を扱う魔術師に対しては、圧倒的に苦戦を強いられることが多いことをメラニーは経験で知っていた。
よぎるのは最も抵抗のある最後の選択肢。
かつてダーリア王国で獣人討伐の指令が出た時、獣人は激しく抵抗し当時ダーリア王国の一流戦士とも互角以上に渡り合っていた。
が、それの開発によりあっという間に戦況はひっくり返された。
魔術師たちがそれを戦士たちに付与することで、全員が超戦士と化す魔術。
最も多くの魔族を討伐し、魔王ロキドスを倒したことで知られる魔術。
同胞を多く殺したその魔術薬をメラニーは苦々しい表情で口に含んで飲み込む。
それは一時的にすべての身体能力を押し上げる。
――剛力
メラニーの能力が一気に跳ね上がった。
増幅魔術はいくつか種類がある。
力を上げる。
速度を上げる。
反射神経を上げる。
その中でも最上の増幅魔術はすべての身体能力を押し上げるもの。
それが剛力。きわめて短い時間制限であるが、圧倒的力を得ることができる。
戦士にとって魔術師は天敵だが、剛力を扱う戦士は魔術師の天敵となる。
ルゥはその変化に気づいたが、黒い球体の中から動くことはなかった。
影で固めた密空間は魔術以外で容易に破ることはできない。
が、目の前に見えたのは密空間の外から伸びてくる鋭い切っ先。
反射的に身体をひねり、影となって球体から脱出。
距離を置いて影から実体となった時、メラニーはすでに目の前にいた。
(速いという次元じゃない)
だらりと両手をぶら下げたままだが、一瞬で一歩踏み込み剣を振り斬る体勢に変わる。ぎりぎりで影針を滑り込ませるも、身体が浮き上がりはるか後方に弾き飛ばされる。
「はっ?」
ルゥは地面に二度叩きつけられ、方向感を見失う。
完全なる隙。死の濃度が高まる。即座に起き上がろうとした瞬間、何かにつまずき尻もちをついてしまう。
「な、なに?」
後ろでへたりこんでいたのはみすぼらしい身なりの子供だった。貧民街に住む子供の一人で、意識のない狩人から金になるものを奪おうとしていたらしい。
ちょうどルゥとその子供が折り重なる形で、目の前に立つのは剣を持つメラニー。
振り下ろされる剣が子供を見て、ピタリと止まる。
「影水」
その隙にメラニーの眼球めがけて液体上の影を放つ。
「ッ! この!」
目の中に入り、メラニーが顔をしかめている間に、ルゥは子供を抱えて、距離をとった。
「建物に隠れておいて。すぐ終わるから」
子供はうなずき、扉のない廃屋の一つに消えていく。
影の液体は服で拭えばすぐにとれる。
視界が回復したメラニーはルゥを視界に捉える。五十歩程度の距離にいたルゥはそこで影移動。それは一つではなく、六つに分かれて四方に散らばった。
「くだらん。時間稼ぎか」
もうすでに朝日が貧民街を照らしつつあり、辺りは暗くない。はっきりと影がどこにあるのか認識できるので、時間稼ぎにしかならないのは確かだ。恐ろしい速度で移動するメラニーはあっという間に影の三つを無力化した。対するルゥはあの異常な速度の獣人への対抗策が浮かばない。
(魔術覚醒するしか……でも、ここですれば)
窮地に追い込まれ、切れるカードは少ない。
迫られる選択。ルゥが逃げたのは窓と扉のない二階建ての廃屋。ルゥにとっての幸運は逃げた建物の中に深夜倒した狩人の一人がいたこと。その狩人が偶然にもメラニーに対抗する手段を持っていたこと。
それを手に取り、窓から屋根に上がり、屋根づたいを駆ける。背中から聞こえてくるのは一歩駆けるごとに屋根材を潰すような足音。
それがすぐそばまで近づいてきた時、ルゥは止まり、半身そちらを振り返る。
メラニーの足も止まり、屋根の上で対峙する。
「追いかけっこは終わりか……?」
「終わり」
そう言ってルゥが口に含んだものを見てメラニーは目を見開いた。
それはメラニーが飲んだものと同じ増幅魔術薬。
――剛力
「てめぇ。禁止薬も使うか」
「生きるために必要なら私は使う」
ルゥの身体能力が劇的に上がる。
迷わずメラニーは突っ込み、ルゥの喉元へ突き。伸び上がる切先をルゥはかわすが、両手に剣を持つメラニーはそこから連撃を繰り出す。身体を回転させながら延々と繋がる剣撃は一つの長い技のようだが、ルゥはそれを捌く余裕があった。
「ちっ!」
剛力の効果によりルゥは特に自分の眼と反射神経が目覚ましく良くなったことに気づく。
(優れた部分がよりよく伸びるのか……)
その効果を感じ取りながらも、近距離戦ではメラニーがまだ優位だ。唐突にメラニーは右手の剣をルゥの頭部に向かって投げる。反射的に避けて、わずかに態勢が崩れ、目の前にはメラニー。
はじめて両手で剣を持ち、頭上から真下に全力で振り下ろし。が、腕が影に絡めとられて一瞬止まる。その隙にルゥが喉元に突きを繰り出すが、メラニーが強引に力で影を払い身体をねじって避ける。
そう、ルゥには影魔術があり、近接戦闘でメラニーに押されてもぎりぎりしのぐことができた。
激しい攻防の応酬が続く。拮抗する時間が続き、やがてメラニーの手が止まる。
動きが鈍ったことで、ルゥはメラニーの薬の効力が切れたことを悟る。
「くそっ!」
メラニーは背中を向け屋根づたいに走り、今度はルゥがそれを追いかける。
(他の人間から薬を取られたら厄介。ここで仕留める)
屋根を下りて、複雑な路地裏を駆ける。その一角の細道でメラニーは止まり、追っていたルゥの方を振り返る。
メラニーの後方には魔力ある者を閉じ込める結界があった。
行き止まりだ。
「来い! 魔術師。ここで決着をつけてやる」
「ここなら外すことはない」
左右に建物が立つ細道なので、避ける術はない。距離を置いて、ルゥは両手に魔力をかき集める。
思うことはあるが、ルゥは容赦しない。ここを確実に叩かないと次の相手で死ぬ確率がぐっと高まる。
凝縮した影の魔弾をルゥはメラニーに向かって撃つ。
「暗極弾」
路地の細道に沿って高速で放たれ、メラニーに迫る。
メラニーは構えることなく、唐突に結界の外側にバックステップした。
それはルゥの頭にない行動だった。
ルゥの渾身の一撃は結界にはじかれて消え、結界の外側にいるメラニーに届かない。
「なぜ?」
「私は今、魔力切れの状態だからな」
魔力が切れれば魔術師でも結界を抜けられる。
すでにメラニーは構えて踏み込んでいた。
渾身の一歩で一気にルゥとの間合いを詰める。
逆に逃げ場のない細道。
心臓を狙う渾身の突きを放とうとするメラニー。
ルゥはそこで重心を沈め、臆さず一歩前に出た。
両腕を振りかぶった一撃。
「影突き」
メラニーとルゥの身体が交錯する。
そのまま倒れ込んだのはメラニーだ。
それを確認して、ルゥは少しの間へたり込む。
「危なかった……」
一歩踏み込む判断ができたのは剛力の効果のおかげだ。その効力が続いていたのでメラニーの動きに対応することができた。
「子供と一緒に斬っていたら結果は違っていた」
子供と共に倒れ込んだ時、メラニーは動きを止めた。本当に心なき獣人なら、迷うことはない。心の中の良心に重しがある証拠だ。
憎しみや恨みなどの重しがあったとしても、天秤が揺れて、迷いを生んだ。
「良心があるなら、きっとやり直せる。次会う時は……もっといい形で会えると信じてる」
ルゥは気を失ったメラニーに言葉を投げて、すぐに立ち上がる。
殺気を感じ見上げる。三階建ての屋根の上に立っていたのはキキ。
歪んだ笑みが太陽に照らされる。こちらを見下ろすキキと目が合う。
「晴れたさわやかな朝だねぇ」
キキはうんと背伸びをする。
世の中にわずかながら存在する良心の重みがない者。子供がいようと笑いながらまとめて容赦なく斬る。そんな存在がいることをルゥは知っている。
天秤が壊れた純粋なる悪。
「絶好の死に日和だね! ルゥちゃん」
キキは正にそれだ。狂気じみた眼がそう語っていた。
キキは十字架のブレスレットを外してこちらに見せる。
「中和結界のブレスレットだ。これがあればこの結界を抜けることができる……でも、盗まれたら興ざめだよね」
そう言ってすぐキキはそのブレスレットを結界の外に投げ込んだ。
そして、ルゥに悪戯な笑みを見せる。
「これでどちらかが死ぬまで戦えるね!」
残り魔力三十五%ほど。身体はすでにボロボロ。回復する術はない。
相対する敵は、メラニーより明らかに強い。
「あと一息」
ルゥは深く息を吐いた。




