第93話 はじめてディンと価値観をぶつけ合えた気がするよ
シーザの部屋の扉がノックもなく開く。
ずかずかと部屋の中に入るのはディンだ。そのまま当たり前のようにシーザと対面するソファに腰を落とした。
「にしても、あの背骨にあったものには驚いたな」
アイリスを追い込み、死の危険に陥れたことを糾弾して、喧嘩別れのような出来事があったのがついさっきのこと。
ディンは何事もなかったかのように作戦会議を始めるので、シーザは戸惑う。
「ちょい! ちょい! ちょっといい?」
「何?」
「さっき口喧嘩になって重苦しい雰囲気で出ていったよな?」
「ああ。でも、もうだいぶ時間も経ったし、お互い頭も冷えた頃だと思ってさ」
「さっき出て行ったばっか! お前の冷却機能すごすぎないか! それともどこかで頭でも打ったんか!」
記憶喪失を疑ってるのか、訝し気な表情でシーザは叫ぶ。
「打ってねぇよ。さっきアイリスと和解したってだけだ。許してもらえたよ」
「それはまあ……よかったと思うけど」
「その時思った。俺も広くて美しい心を持てるようになりたいって」
「急にどうした! ってかやっぱり頭打っただろ!」
シーザは心配そうにディンの頭を色々な角度から確認する。
「打ってないって! とにかく……喧嘩してる場合でもないし、切り替えよーぜ」
「んなこと言われても……お前みたいに頭打って記憶飛ばしたかのように切り替えられねーよ。正直、まだもやもやしてるんだ……」
憮然とするシーザに対し、ディンが素直に頭を下げた。
「悪かったよ。俺が言葉足らずだった。言いたいことがうまくシーザに伝わってなかった」
めったに自分の非を認めないディンに驚きの表情を見せて、シーザは固まる。
「じいちゃんだったらアイリスを信じると思う。でも、俺はやっぱり可能性を潰すために同じことをしたよ。疑うって聞こえは悪いけど、人を知ろうとすることだろ? 俺はまだアイリスを知る必要があった」
「……」
「でも、俺はユナの友人だと確信したら、絶対に救う気でもいた。そして、俺の知ってるアイリスが嘘じゃないなら、謝れば許してくれると信じていた。考え方は少し違うかもしれないけど、俺がアイリスを信じていたことは変わらない」
シーザはディンの瞳をじっと見る。
「私としては……今でもディンのやり方は間違ってると思ってる。これまで目をつぶってきたけど、キクと共にやってきたグレーな行為は正直心のどこかで軽蔑してた自分がいる。でも、それはお前を勇者エルマーと重ねていたからだ」
それはシーザが今まで口に出さなかった本音だとディンは気づいた。
「勇者の孫にふさわしくない?」
「ああ。ただそれは私の理想や価値観を勝手に押し付けていたのかもな……お前はエルマーじゃないのに、エルマーのようにあるべきだと……そうあって欲しいって思ってた」
「……俺は勇者エルマーと比べられるのが好きじゃない。偽善的な人間や利用してくる人間にまで手を貸すような誠実さはたぶんこれからも持てない。俺は勇者エルマーのようにはなれないんだ」
「そうかもしれないけど」
「ただし!」
シーザの言葉に重ねて力強くディンは言う。
「俺は誰よりも勇者エルマーを尊敬している。考え方ややり方は多少違うかもしれないが、根本にある勇者の意志は忘れてない」
祖父のように誰にでも誠実にしたり、誰にでも手を差し伸べるようなことは簡単なことではない。嘘をつくことや、相手に猜疑心を宿すこともあるかもしれない。
でも、祖父の教えはいつだってディンの根本にある。
信念の形は多少違っても、祖父の教えは血のように流れていて、それがディンの土台を構成している。
自分にとって大事なものはいつだって心の根本にある。
「だからまあ……勇者エルマーになれないけどさ、目指すよ。どんな形か自分でもまだ見えてないんだけど……俺なりに」
勇者という言葉はぼかしてあえて使わなかった。
シーザは長い間黙り込み、ディンの言葉を咀嚼し終えた時、口元を緩ませた。
「ふん! それなら私としても文句はねぇよ」
思えばささやかな言葉の行き違いだった。でも、そんな小さなことですれ違うことはいくらでもある。
そんな時、大事なのは本音をぶつけ合うこと。
お互いの価値観を尊重しあうこと。
「こんなこというのあれだけど、はじめてディンと価値観をぶつけ合えた気がするよ」
ディンもその言葉で、急に照れ臭くなりごまかすように笑みをこぼす。
二人の間にあるわだかまりが自然と消えていくのがわかった。
落ち着いたところで自然と話題に上がったのはガーネットに案内してもらった背骨についてだ。
「にしても背骨にある魔獣はただ事じゃねぇよ。ヨルムンガンド討伐後にはあれを何とか調査しねぇとな。ただドンは簡単に立ち入りさせねぇだろうな」
シーザは深刻な表情で言った。現在、ヨルムンガンド討伐に専念しており、まだ背骨に関する話は西極とできていない状況だ。
「実際、あれはどういう状況なんだ? 魔獣がまた動くことはあるのか?」
「代償魔術であの状態にしているのなら、代償魔術で元に戻すこともできるはずだ」
ロキドスは代償を払うことでカホチ山脈の中心を連なる巨大な魔石郡を作った。理由は不明だが、代償にしたのは寿命だろう。ゼゼの結界を張るのに千五百年分の寿命を使ったので、同じくらいの代償を払っていてもおかしくはない。
「っても、あれ元に戻す方法はなくないか? 魔石は使えないだろうし」
「まあ……確かに」
現在、ロキドスは人間に転生しており、魔人のように長い寿命はない。魔族の数も少なく代償にできそうなモノはぱっと浮かばない。
よって魔石をロキドスの血に戻し、大量の魔獣を復活させることはできないというのがディンの仮説だ。
が、シーザは腕を組んだまましばらく黙りこみ、「いや、なくはない」とつぶやいた。
「王宮地下の聖域にあるダーリア王国の最終兵器。天狼星ならあるいは……」
「ああ? なんだそれ?」
「ゼゼ様の魔術を兵器化させたものだ。天狼星は王都を丸ごと塵にするほどの威力を持つ」
「初耳だぞ。そもそもシーザ、ゼゼの魔術は知らないって言ってたじゃん!」
ディンは訝し気な目でシーザを見る。
「そりゃ機密だからな。特にお前やキクみたいな危険人物には情報を渡せん」
仲間に対する言い草と思えず、ディンは思わずむっとした顔になる。
「まあ、そんな顔するなよ。ただ今回の話し合いでシーザポイント……略してシザポを大量獲得したから、情報が解禁されたってわけだ。ちなみにキクは未だ0シザポだ」
「シザポとかどうでもいいから知ってること話せ」
シーザはゼゼの星魔術とダーリア王国の最終兵器の存在について簡単に説明をした。ディンも聖域に最終兵器があるという情報までは掴んでいたが、その実体をはじめて知った。
「へぇ。そんなものがあるとは……」
「まあ、天狼星は万が一でも誰かに使わせないよう徹底的にゼゼ様により守られている。だから……心配ないとは思う」
そう言って話を切る。確かに王都を塵にするほどの威力を持つなら、その管理は厳重かつ情報漏れも許されない。ゼゼの魔術すら機密とされていたのは天狼星という最終兵器の情報を隠す意味もあったのだろう。
ディンは頭の片隅に可能性として置いておき、話を本題に戻す。
「とりあえずアイリスは消えた。残り二人だな」
「そうだが、その前に話しておくことがある」
そう言ったシーザの表情がさえないことに気づく。
「なんか問題でも?」
「私もさっき聞いたんだが、ルゥが帰ってきてないらしい」
「ルゥが?」
そう言われて、ずっと見てないことにディンは気づいた。たまに後ろの背景と同化しているかと思うほど存在感が薄いせいで、気づかなかった。
「……カビオサにはついてきてた?」
「いたよ! アネモネとも戦ってたし、お前より活躍してたからな! そもそもルゥが率先して私たちの仕事をやってくれたんだよ。間違いなく私たちの数倍働いてる」
「そういやそうだな」
ルゥが都心部の中でも危険で遠い区画をすべて受け持ってくれたおかげで、ディンたちはとても楽ができたのだった
「えっ? 大丈夫なのか?」
「ジョエルが言うには……ルゥは夜行生物だから、一晩くらい帰ってこなくても問題ない、ということらしいけどな」
シーザの渋い顔で察する。
「……一晩以上経ってるよな?」
「ああ。今日で三日目になる」
話はゼゼ魔術師団がカビオサに来て三日目の夜に遡る。
舞台はとある貧民街。たった一人の魔術師と五十二人の反魔術師団による激闘が繰り広げられていた。




