第90話 守るために前に出る
作戦を説明している間、ヨルムンガンドの動きを止めるため魔銃を撃ち続けた。お互い役割を確認したところでディンは魔銃を撃つのをやめるが、ヨルムンガンドは即座に襲いかかってこない。一定の距離でこちらを睨み、じっと身構えていた。
慎重で警戒心が強く、同じ手が何度も通用するとは思えなかった。
少なくとも先ほどと同じようにディンが逃げても追いかけてこない可能性がある。
「じゃあ行こうか」
ディンはヨルムンガンドに臆さず突っ込む。
魔銃を連射しつつ、ヨルムンガンドの後ろへまわりこんだ。ヨルムンガンドは魔力吸収のため動けないが目だけはディンを追い、じっと睨む。近距離で攻撃してくる外敵に狙いを定め、ヨルムンガンドは反撃。
吸収を終えたタイミングで、口から球体の毒玉を吐き出し、ディンは跳躍してかわす。即座に尻尾を鞭のようにしならせ、宙に浮いたディンに側面攻撃。
魔壁でガードするが、その衝撃で身体が海の方へ吹き飛ばされる。
「あっ」
最もこれはディンの計算通り。そのまま荒々しい海の中に突っ込み、あえてしばらく浮き上がらない。
ヨルムンガンドは自然と肩で息をするアイリスの方に視線を移した。
アイリスはそれを見て、一歩後退。その足音にヨルムンガンドは反応する。
アイリスが後方へ駆けるのと同時にヨルムンガンドも逃げ出す獲物に襲いかかかる。アイリスはおぼつかない足取りで懸命に逃げて、ヨルムンガンドは這いながら口から球体の毒玉を連続して浴びせた。
背中を向けながら毒玉を必死でかわすアイリスをディンは遠目で見ていた。
海から上がり、アイリスを追うヨルムンガンドの後を追う。
ディンの狙い通りヨルムンガンドは弱っている獲物に食らいつく。
アイリスを追うのに夢中で、後方のディンに気づく気配はない。
アイリスはディンの指示したポイントまで走った。
目指した場所は陸地と孤島を繋ぐ浮き橋だ。
アイリスは陸地に向かって駆けていき、ヨルムンガンドもそれに続く。
海の上にかかる浮き橋は少人数で渡ることを想定した簡易橋であり、巨大な魔獣が乗ることを想定していない。
大木のようなヨルムンガンドが橋の上に乗り、めり込むような音がギシギシと響いた。
ヨルムンガンドが橋の真ん中に来たタイミングでアイリスはヨルムンガンドの方を振り返る。
「魔拳」
連続で繰り出したのは拳の形をした魔弾だ。それを受け、ヨルムンガンドは魔力吸収のため、その場で固まる。
アイリスはじりじりと後退しつつも、攻撃をやめない。
ヨルムンガンドの後方についていたディンもヨルムンガンドに向けて魔銃を連射。
橋の真ん中にいるヨルムンガンドを挟み撃ちで魔力攻撃し続け、ヨルムンガンドの動きを止め続ける。動くことはないとわかっていても巨大なる魔獣は殺意を帯びた目つきで獲物を狙っており、その迫力から自然と魔力攻撃にも力が入る。
やがてヨルムンガンドはその場でゆっくりとぐろを巻いた。受けた魔力が一定量溜まることで自動的に体が動き、特級魔術が展開される。
【カウント5】
体に刻んだ魔術印が反応し、膨張脱皮の始まり。
このカウント中、ヨルムンガンドは動きを完全に止める。
【カウント4】
「魔力廻天」
増幅魔術により魔道具の能力が一気に底上げされる。アイリスは魔道具「魔拳」に己の魔力を全開で乗せた。
【カウント3】
アイリスの右腕の拳に魔力が集まりどんどん膨れ上がる。
【カウント2】
ディンは橋に爆炎花を複数投げ込み、高く跳躍。
【カウント1】
アイリスの溜め込んだ魔力が極限まで高まる。
【カウント0 膨張脱皮】
0になると同時に、アイリスはすぐ下の橋に拳を叩き込み、ディンもすぐ下の橋に魔弾を放った。二人による橋への二点同時攻撃。
双方が攻撃した部位は激しい衝撃音と共に木っ端みじんに壊れる。
橋の真ん中にいたヨルムンガンドの重さに耐えられず、橋は崩落しヨルムンガンドは海に沈む……はずだったが、橋を浮かせる魔道具の力が強いせいか壊れた橋が浮島のように浮き、ヨルムンガンドは沈まなかった。
「え? マジ?」
これはディンにとって完全なる誤算だった。
ヨルムンガンドは橋の残骸の上で孤立して動けない状態だが、突如両の眼が赤く光った。紅に染まるそれはまるで紅い魔石のように煌めいている。
ヨルムンガンドはゆっくりと顔を上げ、空に向かって大きく目を見開く。両目の光が交錯した空中に巨大な赤黒い魔術印が浮き上がってくる。
怒りの沸点を超えた時に発動する大魔術はディンたちが魔力攻撃を怠ったわずかな空白の時間にあっという間に展開される。
「空中に……魔術印」
ヨルムンガンドの伝記を思い出した。それは一日に一度だけ使える大魔術。
眼が紅色に光ると体にまとう魔力をすべて放出し、周囲一帯を爆発させる。
爆発後、灰と白い蒸気の混じる煙が周囲すべてを覆うことから名付けられた。
――縞化爆撃
周辺にいる人間はまず助からない。即座にヨルムンガンドに向けて魔銃を連射。
【カウント5】
案の定、カウントは止まらず、思わず嘆息する。
「この糞蛇はとことん俺を試してくるな……」
【カウント4】
全力で逃げるか臆さず突っ込むか、勇気を試す二択。
いつだって敵は待ってくれない。
【カウント3】
自分の小さな手を見て腹をくくる。
「守るために前に出る」
【カウント2】
ディンはヨルムンガンドに向かって高く跳躍。
宙に舞いつつ、ディンは両手を掲げる。狙うのはヨルムンガンド頭部すぐ上空にある魔術印。魔術印による展開であるなら、それを無力化すれば、発動は必ず止まる。
【カウント1】
巨大なる魔獣の紅の眼と合うが視線をそらさない。
臆する心を噛み殺し、ディンは両手で魔術印を叩きつけた。
自分のためだけじゃない。魔術師として誰かを守るため特訓し続けた。
最も得意とする魔術。
無詠唱でそれは展開される。
「因果解」
両手で触れた部分からさらさらと舞う雪のように魔術印は宙に散った。
大魔術の無力化成功。と同時にディンはヨルムンガンドの鼻孔に触れたまま反発魔術。ヨルムンガンドを真下へ強引に押しこんだ。
「落ちろ! 糞蛇!」
さらに荷重がかかったことで、橋の残骸が傾きヨルムンガンドはバランスを崩し落下。
「よしっ!!」
呻くような鳴き声を上げもがきながらも、ヨルムンガンドは海の底に沈んでいく。
沈みながらもヨルムンガンドは口を開き、ディンめがけて毒弾を放とうするが、その側面にアイリスの魔弾。ヨルムンガンドは口を開けたまま固まり、沈んでいく。
海中にいたアイリスと目が合い、お互いうなずく。
すぐにアイリスはヨルムンガンドに視線を戻し、魔拳を連続で浴びせた。
アイリスにはあらかじめ水中浮遊泡という水中の中でも活動を続けることが可能な魔道具を渡しており、それをすでに装備していた。
そのままアイリスは海底へ潜っていき、やがて見えなくなる。
壊れた浮遊橋の断片からディンは海面を見下ろして、それを確認する。
水中でもヨルムンガンドは魔力により呼吸できる魔獣だ。よって海底に釘付けにしても死ぬことはない。
が、ディンは釘付けにし続ければ討伐できると確信していた。
「一日……いや、最悪一週間はかかるかもしれないが、ヨルムンガンドはここで倒す」
すでにディンは討伐の絵図が見えていた。そして、同時並行で進める作戦を頭に巡らせる。
「ここからだぜ、アイリス・フリップ」
ディンは海底の中にいるアイリスにぼそりとつぶやいた。
ヨルムンガンドを海底に沈めた直後、壊れた橋の前で兵士たちがうろたえながらも小さな少女の前で並んでいた。
「皆さん、こんにちは。私はユナ・ロマンピーチです!」
ロマンピーチという家名を聞いた瞬間、目の前の屈強な男たちは顔が引き締まり、飛び跳ねるように姿勢を正した。
ディンの目の前で列を作り並ぶのは西極の兵士たち、総勢五十人だ。ガーネットの救援要請に応じた部隊は全滅したが、橋の爆発によりすぐ南にある基地から後続部隊が駆けつけていた。
ディンは簡潔に現状を説明し、本題に入る。
「ヨルムンガンドを海底に釘付けにしている状況ですが、魔力があれば呼吸できるので死ぬことはありません。倒すには一工夫必要となります」
「一工夫とは?」
白髪の混じる壮年の隊長が問いかけ、ディンは答える。
「ヨルムンガンドは魔力を吸収する魔獣で、最大にして三十層の塔と同じほどの体長まで大きくなります。そうなると手が付けられませんが、今回はあえて魔力を吸収させて限界まで大きくさせます」
その言葉に一同、動揺する。
「それはなぜ?」
「魔力の吸収は一見、無敵に思えますが飽和限界があります。限界までくれば吐き出す必要がある。ヨルムンガンドの有名な話は知ってますか? 限界まで多くなったヨルムンガンドがある街を襲い、街を守るため魔術師たちが猛攻を仕掛けた。ヨルムンガンドはその時、街を覆うほどの白い息を吐いた」
魔力が飽和しきると必ずヨルムンガンドは生物を麻痺させ時に死に至らしめる強力な白い息を吐きだす。それは飽和した魔力を発散するための習性だ。
「あの白い息は海水に溶ける。そして、それはヨルムンガンドにも効く。つまり、飽和限界まで魔力を叩き込めば、ヨルムンガンドは白い息を吐き、己の息により麻痺して呼吸できなくなり……死に至る」
全員が少しの間、黙り込り、隊長が口を開く。
「魔力を与えるとはどれくらい与える必要があるんでしょうか?」
「それは不明です。もしかすれば一週間以上かかるかもしれない。とにかく魔力攻撃を続けて動きを止めるしかない。万が一逃げられたら……誰にも止められなくなる」
ディンの説明に全員の顔色が変わる。
「とにかくここで今最も必要なものは、動きを止め魔力を与えるための魔銃だ。皆さんが持つものだけでは足りないと読んでいる。西極の本部にすぐ要請してかき集められるだけかき集めてください」
ディンの要求はかなり無茶なものだ。それぞれ困惑の表情を浮かべていることに気づき、言葉を続ける。
「私はこう見えても魔獣討伐のエキスパート! 偉大なるゼゼ様から認められた六天花の一人だ! 先ほどあなた方のお仲間が私の命令に従わなかったため、あれほどヨルムンガンドは成長したのです! 私の要求に答えてくれますね?」
ディンは魔獣を今まで一匹たりとも狩った経験はないが、ディンの眼圧に西極の兵たちは委縮し、隊長をはじめとする屈強な男たちは全員「はい!」と腹の底から声を張り上げた。隊長が指示を出し、隊の半数が魔銃を集めるべくそれぞれ散っていく。
「今もヨルムンガンドを海底で止めるべく、魔力の攻撃を続けている状態なんですね? 代わる代わる攻撃を交代して、絶え間なく攻撃を浴びせればいいということですね?」
「そういうことです。そして、最初の交代のタイミングですが……」
ディンはその場にいる兵士全員を一瞥してから言った。
「私の一存で決めさせてもらう。いいですね?」
全員が反論の言葉を言えず、首肯した。




