第89話 疑うより信じる方が好きなんで!
【カウント4】
無情に進むカウントを呆けたまま聞いていた。
【カウント3】
頭部のないヨルムンガンドを見る。とぐろを巻いた本体は、体中から蒸気が溢れていた。
【カウント2】
「また脱皮する気っす! とどめを刺さないと!」
アイリスが叫ぶ。が、ディンは反射的に一歩下がっていた。
【カウント1】
アイリスは右手に剣を握り、迷いなく跳躍した。
【カウント0――縮小脱皮】
アイリスは再び胴体部分に剣を突き刺すが、反応はない。
ヨルムンガンドはあっという間に蒸気に包まれ、アイリスもそれに呑み込まれる。人体に極めて有害な白いガスだ。
「アイリス!」
即座に引き寄せして、アイリスを蒸気の中から引っ張り上げた。
「無茶しすぎだって」
「呼吸してないので大丈夫なはずっす」
会話しつつも、蒸気に包まれたそれから視線を外さない。
蒸気が晴れていき、やがてヨルムンガンドは姿を現す。
それは致命的なダメージを受けると体を縮小させる代わりに傷をすべて治す特級魔術。脱皮したヨルムンガンドは一段小さくなったが、つぶれた頭部が元に戻っていた。
「マジかよ……」
「すみません。たぶん私のせいっす。完全に頭を潰しきれてなかったみたいっす」
ディンもそれには気づいていた。
アイリスが大岩をぶつけたのはヨルムンガンドの頭の先端で、狙いとはわずかにずれていた。
普段から協力して戦う練度を高めてこなかったことや、ディンが臆してヨルムンガンドを押し込みすぎたことなど、様々な要因が絡んでいるが、それらを打ち消す。
「切り替えよう。過去に捉われるのは一番良くない」
「はいっす」
そう応じるアイリスの目をじっと見ている自分にディンは気づいた。
信じると決めたばかりなのに疑いの心が自然と沸き上がる。
(魔王ロキドスであるなら、ペットのヨルムンガンドを倒そうと思わないはず……)
仲間を信じないと倒せないとわかっているのに、心が揺れる。
ふと横にいるアイリスの呼吸がおかしいことに気づく。荒い呼吸のまま両手を地につけた。
「アイリス?」
「だ、だいじょうぶ……」
そう言いつつ必死に呼吸をしていた。
ヨルムンガンドの白い蒸気は人を動けなくする痺れの効果がある。アイリスは吸ってないと言ったが、おそらく口内にわずかに含んでしまったのだ。
ディンはアイリスを抱え、一旦ヨルムンガンドから距離を取った。ヨルムンガンドも頭を潰されたからか、警戒して追って来ず、眼でこちらを追いかけじっと様子を伺っていた。
ポーションを取り出し、アイリスに飲ませる。基本的にポーションは回復魔術の劣化版だ。効きも浅く、治るのも緩やかな時間が必要とされる。
万能薬のような一級ポーションも少数ながらあるが、消費期限も短いので保有する者はほとんどいない。
ポーションをすべて飲んだが、アイリスは痺れで苦しんでいた。アイリスに肩を貸して一旦離脱を決意する。
「仕方ない。一度立て直そう」
「だいじょうぶ……っす!」
アイリスはディンの腕を振り払い、己の力で立った。が、わずかに足が震えており、おぼつかない。
「私ならこの通り!」
胸を張って笑った。アイリスは苦しい時ほど、無理をして笑う。自分ではどうしようもない出来事を強引に消化するように。
人間らしい弱さも見せつつ、困難に対しても下を向かない強さと魔術師団としての誇りを持っている。
シーザの言うとおり、アイリスは信じられる味方だ。
だからこそ、疑いの心を消すために問わないといけない。
ディンは意を決して口を開く。
「アイリスはまだ私に隠していることがあるよね?」
唐突で脈絡のないディンの問いかけにアイリスは固まった。
「……ど、どういうことでしょう?」
「さっきヨルムンガンドを刺した剣のこと」
「……それが何か?」
「あんな武器持ってなかったよね?」
アイリスはきょとんとした表情でこちらを見る。
「それ……今重要っすか?」
感情のない言葉が返ってくる。ヨルムンガンドと戦うにあたって重要ではない。が、ディンにとっては重要だ。アイリスから魔道具を一度すべて預かったが、その中に剣は含まれていなかった。
つまり、唐突に出てきた剣はアイリスの魔術だと考えるのが妥当だ。が、アイリスは増幅魔術の使い手であり、剣を出す魔術など持っていないはず。ということは誰にも見せていない魔術ということになる。
そして、アイリスの剣には見覚えがあった。トンの魔道具店のカウンターにあった魔力のない加工前の剣と同じだ。アイリスはそれに触れていたが、買ってはいなかった。
付与魔術により千の魔術を持つと言われるロキドス。その中の一つに対象の無機物に触れることで同じものを複製する魔術がある。
無から有を生み出すそれは複製魔術と呼ばれる。
勇者エルマーとの戦いでも出てくるロキドスの主要な魔術だ。
妙な沈黙が続いたが、自然とすぐそばにいる脅威にお互い視線が向いた。
威嚇しているヨルムンガンドがじりじりと距離を詰め、こちらに狙いを定めていた。
アイリスはまだ身体が思うように動かないのか、足どりがおぼつかない。
ヨルムンガンドが白い息を吐きかけようとした瞬間、ディンは魔弾を撃ちそれがヨルムンガンドに着弾。
そこでヨルムンガンドは固まる。
「やっぱり」
観察して気づいたこと。ヨルムンガンドは魔力を吸収する時、必ず動きを止める。
そして、もう一つ。
固まっていたヨルムンガンドが動き、白い息をこちらに吹きかける。
右手側にある海面から海水を引き寄せて、ヨルムンガンドに浴びせた。
即座に嫌がる素振りを見せて、白い息が止まる。体がわずかながら震えているのをディンは見逃さない。
「なるほど。白い息は海水で溶ける。そして、それを浴びるとヨルムンガンドにも痺れが効く」
さっき引っかかっていたが、ヨルムンガンドの反応を見て確信した。
頭の中で自然と組み立てられるヨルムンガンド攻略法。
そして、アイリスの疑いを解消する方法も思いついてしまう。
勇者エルマーやユナなら絶対にやらない方法だ。
やるか、やらないか、迫られる選択。
魔力の吸収を終えたヨルムンガンドは威嚇するように独特の咆哮をあげる。
即座にディンはヨルムンガンドに向けて魔銃を撃ち、動きを再び止めた。
「ユナちゃん。そんなことをしたらどんどん魔力を吸収して大きくなるっす」
「これはヨルムンガンドを倒すための一手だよ」
ディンは先ほどの脈らくのない質問がなかったかのように、アイリスの方を見て微笑む。
「これなら確実にヨルムンガンドを倒せる。アイリス……私のこともう一度信じてくれる?」
「もちろんっす。私……疑うより信じる方が好きなんで!」
アイリスはまっすぐな目でディンを見ていた。
その瞳は先ほどと変わらず、揺るがない。
きっと勇者エルマーやユナならこの瞳を信じることができるのだろう。
が、ディンは未だわずかな引っかかりが取れず、視線を逸らす。
――人を信じようとしないのは、あなたが臆病だからよ
頭の中で再び響くガーネットの言葉。
この土壇場でも仲間を疑うのは臆病だからか?
信じることが正しい道なのか?
疑いの心を持つのは悪いことなのか?
答えの出ない問題。であるなら、自分の信念に基づいて動くべきだ。
深呼吸して色々な迷いを吐き出すようにゆっくりと息を吐いた。
そして、決断する。
手に取ったのは勇者エルマー、シーザ、ユナが選ばない選択。
ディンはアイリスに視線を向けて、先ほどと同じ無垢な笑顔を見せる。
「じゃあ……作戦を説明するね」
またまた誤字脱字報告ありがとうございます。
修正しました。




