第87話 二回も死なねーよ
祖父エルマーからの教え。
戦場は稽古のようによーいドンで始まらない。
唐突に死の雨が降ってくる。
だからこそ、常に何が起きても問題ないよう心構えをしておく必要がある。
そう、魔族と対峙するにあたり重要なのは即座に戦闘モードに切り替えること。ガーネットの腹に食らいつくヨルムンガンドに向けて、ディンは一瞬で攻撃態勢に入る。
両手に魔銃を持ち、小さな魔獣に魔弾を連射。以前のものより連射性能をあげて改造されたものだ。ヨルムンガンドを弾き、地面に叩きつけられたヨルムンガンドを地面に押し潰すようにさらに追い撃ち。
「馬鹿! 撃つな!」
大量の魔弾を撃ち浴びせた後に、胸ポケットにいるシーザに言われて止める。
理由を聞く前に魔獣の異変に気付く。
先ほどまで小さかったはずのヨルムンガンドは発光し急激に大きくなっていた。
一気に先ほどの三倍近い大きさまで膨れ上がっていく。
「ヨルムンガンドはロキドスの亜種だ。魔人でも持ってない異能、魔力を吸収する性質を持ってる」
「……そういや昔読んだ伝記に書いてあったな」
ディンは一瞬、視線を奥の魔獣が固まる魔石郡の方に向けた。ヨルムンガンド以外の魔獣は固まったままで先ほどと変わりない。
「大丈夫だ。他の魔獣は復活してない」
シーザはディンの視線の意図を一瞬でくみ取り、断言した。魔力を吸収するという特別な能力を持つヨルムンガンドのみが復活しただけであり、他は動くことはない。そう確信し、視線をヨルムンガンドに向ける。
威嚇するように大きく口と目を見開いたヨルムンガンドは地面を這い、ディンの方に突っ込んでくる。
魔道具を瞬時に入れ替え、ヨルムンガンドに投げ込んだのは爆炎花。
激しく燃え盛る炎は一瞬でヨルムンガンドを覆う。
が、焼けているはずなのに、ヨルムンガンドはそこまで大きくダメージを受けていない。
「なぜ?」
「爆炎花は炎属性の魔術だろ? 確かに炎だが魔力に換算される。よっぽど練り込まれた魔力じゃないと効かないんだ」
ということは、属性魔術だろうと魔力から派生したものはすべて効かないことになり、自分の持つ魔道具がほとんど使い物にならないことに気づく。
わずかに黒ずんだヨルムンガンドはディンを警戒しているのか、距離を置いてぴたりと動きを止める。
「ユナちゃん! ガーネットが!」
視線を一瞬移すと、ガーネットの腹部から大量の血が流れていた。
時は一刻を争う。ポーションを複数持っているが、あくまで軽い症状のものに対する処方薬であり、致命傷への手立てをディンはもっていない。
「シーザ! 治療は?」
「できるけど、重症の場合は詠唱に時間がかかる。敵に襲われる可能性がある場所でのんびりできるわけじゃない……」
「じゃあアイリスと一旦離脱しろ! 私がひきつける」
アイリスが無言でうなずき、ガーネットを抱えて離脱に入る一方、シーザは胸ポケットから動かない。
「シーザ! お前も行け!」
「ダメだ! お前を一人にさせられない!」
シーザは叫ぶ。それは心からの言葉に聞こえた。シーザは面倒くさがりだ。魔王討伐後、魔術師団とも一定の距離を置いていた。そんなシーザがここまできた理由をディンは理解している。
すべてはディンとユナを守るため。ガーネットを救うためじゃない。自分の眼が届かないところで大事な人間がいなくなることを危惧しているのだ。
「問題ない。軽く見るな!」
「でも!」
「ユナは一人じゃない。俺がいつだって必ず守る」
それはユナの口から出たセリフ。でも、それを言っているのはディンだ。
シーザは少しの間固まり、やがて口元に笑みをこぼす。ポケットから出て、変身魔術を解き、駆け足でその場から離脱。
「死ぬなよ」
「二回も死なねーよ」
「頭部を切り離せ! そしたら確実に息の根を止められる」
視線を一切合わせないやり取りだが、気持ちはお互い伝わる。
一人になったディンに対峙するヨルムンガンドは威嚇しながら、じわじわ距離を詰め、飛び掛かってくるも、ディンはそれを楽々かわした。
俊敏な動きだが、アネモネ、ハナズ、ゼゼなどとの戦闘を経験した影響かそれほど脅威は感じない。
が、魔力を吸収してどんどん力をつけてくるのなら話は変わる。
ヨルムンガンドは一般教養にも出てくる。
人類が倒すことのできなかった三大魔獣の一匹に数えられていた。
忽然と姿を消した謎多き魔獣は、魔石の中で硬化し続けていたのだ。
(こいつは今のうちに叩かないと大変なことになる)
ディンはその事実を直感的に理解した。
即座に取り出したのは魔道序弾。一撃の威力を散弾させるように広範囲に浴びせるもので、魔道破弾の一世代前のものだが大量の敵を倒すことに関しては最も優れている魔銃だ。
両手で握り、その銃口を向けたのはヨルムンガンドのいる真上の天井。
激しい轟音と共に天井の岩壁はえぐれ、崩れ落ちる岩の固まりが大量に落下。
ヨルムンガンドに直撃した。
「これならいいわけだ」
ハナズの時を思い出し緩みは一切ない。
岩石の下敷きとなったヨルムンガンドにとどめを刺すべく、短剣を手に取り近づく。後は頭部を切り離すのみ。
ヨルムンガンドが必死にもがき岩屑が舞うが、岩の塊で体の一部がのめりこみ、動きが取れてない。それでもヨルムンガンドの馬力で岩はわずかに揺れ動き、今にも脱出しそうな勢いだ。
位置的に頭部が見えず、一気に突っ込むか、慎重にまわりこむか、迫られる二択。
焦ることはないとディンは言い聞かせ、距離を置いて慎重にまわりこんだ。岩と石の隙間から見える白く長い胴体の後を一歩一歩追っていく。
その先端に来た時、迷いなく突き刺そうとした首の先がどこにもなかった。
生物のように蠢いているのは下半身のみだ。
「ちっ。半身を強引に引きちぎりやがった」
ディンは周囲を警戒し、身構えた。明かりの魔道具のおかげで周りはよく見えるが、魔獣の気配を感じない。
奇襲に合わないように、岩の塊で死角となった場所は距離を置いて確認していく。
慎重に慎重に。自分に言い聞かせる。
ユナを守るだけじゃない。ユナの身体を傷つけるようなことはなるべくしない。
戦闘においての絶対条件だ。ただこの条件が無意識下でディンを縛っているのも事実だった。
己の安全を意識するあまり、他の可能性に気づくのが遅れる。
「ここに……いない?」
ディンはヨルムンガンドの生態について思い出していた。
ヨルムンガンドが倒すことのできなかった大きな理由は狡猾さにあるという。ロキドスの亜種、ヨルムンガンドはロキドスの思考から影響を受けているのか、極めて慎重な生き物だ。
基本、弱者を狙う。弱い魔力から吸収していき、己より強い者もやがて吸収する。そうして、気づけば誰にも手に負えない魔獣となった。
入口に続く坑道の地面をかがんでよく見る。
わずかに何かを引きずった痕跡が入口の方へ向かっていた。
「まずい……」
坑道を走り、梯子を上って地上に出た。梯子は跳躍で届くほど低くないはずだが、原野の草花が潰され引きずった痕跡があり、その先には森林が広がっている。
傷を負ってる以上一気に走れば追い付ける可能性は高い。
すぐ追うか、探知魔術で確実に場所を特定するか、迫られる二択。
が、死角の多い森の中に単独で入るのは危険だと判断し、ディンは架空収納から探知魔術の魔道具を取り出した。
孤島は小さいので、ほぼ森の全域を探知可能だ。確実に居場所を特定できる。
探知の結果が出るまでわずかだが時間がかかる。周辺を警戒しつつ、待機するがその時間が異様に長く感じた。
「これが最善だ」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
探知結果が出る前にその衝突音は遠くから響いた。
浮き橋がある方角から聞こえ、わずかに悲鳴も混じっている。
嫌な予感がし、外周の林道をぐるりと駆けて向かった。
近づくほど大きくなる激しい攻防音。
孤島にかかる浮き橋の上でヨルムンガンドと西極の兵隊たちが交戦しているのが見えた。西極の兵隊は一列に並び、魔銃でヨルムンガンドへ一斉に魔弾を連射していた。
「待て! 魔銃は効かない! 使ったら逆効果だ!」
大声で叫ぶが、兵士たちは目の前の脅威に気を取られて、誰もディンの叫びに気づかない。必死の形相で魔弾を撃ち浴びせ、ヨルムンガンドはその魔力を食らい膨張し、順番に兵士たちを襲っていく。
瞬く間に一人、また一人と丸呑みされていき、呆気に取られている間に橋の上にいた兵士たちは誰もいなくなった。
小さい蛇と同じ体長だったにもかかわらず、あっという間に樹齢百年を超える大木のような巨大な体となっていた。見上げるディンは思わず固まる。
リスクをなるべく取らず倒す選択肢を選び続けた。
その結果、目の前の脅威は膨れ上がった。
――リスクを取らない選択を選ぶことがリスクになることがある
祖父エルマーの言葉が頭にちらつき、すぐに打ち消す。
今回は仕方なかった。限りなく最善の選択を選んだ結果だった。だが、果たして本当にそうなのか?
――お前、基本的に距離を取って戦うのが前提となってるな
ゼゼとの戦いでも指摘されたリスクを取らない戦い方。
ユナを守る。ユナの身体を傷つけない。
綺麗ごとをずっと並べてきたが、それは自分に対する嘘だとディンは気づいた。
「俺は俺が思っている以上に憶病なんだ……」
ハナズとの戦いでも前に出ることを恐れた。さっきも同じだ。
慎重に、慎重に。
呪いのように自分に言い聞かせて、後手を踏み続けた。
結果、連続して選択を間違えた。
「ユナちゃん!」
後方からアイリスが駆け寄ってくる。
「ガーネットたちは?」
「緊急の隠し穴があって、そこに避難したんす」
隠匿魔術で隠した地下の避難場所があり、現在そこでシーザがガーネットを治療している最中だと聞いてディンは安心した。
「ガーネットが外部に緊急事態の発信をしたんすけど……逆効果だったみたいっすね」
アイリスは巨大な魔獣と化したヨルムンガンドを見ながら続ける。
「ユナちゃん。私の魔道具出してください」
ディンは逡巡する。が、断る理由が思いつかず黙って一つずつ渡していく。
よぎるのは、シーザの忠告を無視して魔石に触れたアイリス。
あれが元凶だった。
だが、何気なく触れたとしても、おかしくない状況ではあった。そもそもこんな孤島にくることを予測できたとも思えない。だから、あれは偶然のはずだ。そう、アイリスは、十中八九ロキドスではない。
それなのに、ディンの中で踏ん切りが未だつかない。
――アイリスは味方だ。信じろ
シーザは確信していた。思えばシーザが唯一ロキドスではないと意見したのがアイリスだ。ディンはシーザが馬鹿じゃないことを知っている。長い経験の元、シーザはアイリスの心を自分なりに調査して判断したのだろう。
だが、心という曖昧なもので判断するのは正しいことなのか。
冷酷に思えても、確信を持てるまで徹底的に疑うべきではないのか。
――人を信じようとしないのは、あなたが臆病だからよ
臆病風が信じることを躊躇させているのか。わからないが、選ばなくてはいけない二択がすぐそこまで迫っている。
「ユナちゃん! 私たちでやるしかないっすよ」
魔王ロキドスのペットを前にして容疑者のアイリスと対峙する状況。
試されているのは己の洞察力か、心か。
信じるべきはユナの友人か、己の信念か。
迫られる選択。外し続けた選択。
どれだけ迷い悩んでも、いつだって敵は待ってくれない。
(俺が選ぶべきなのは……)
兵をすべて呑み込んだ巨大なヨルムンガンドは橋を渡らず、こちらを振り返る。ディンとアイリスに狙いを定め、敵意を剥き出しにするように咆哮をあげた。
迷いで揺れ動く心を覚悟で締め上げ、声を張り上げる。
「やるしかない!」
二人同時に両手を合わせる。
――魔術開放
二人並び立ち、巨大なる魔獣、ヨルムンガンドと対峙した。
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