第86話 これが背骨にあるものです
広々とした不思議な地底空間だった。三階建ての一軒家が四つ入るほど広々としており、周囲は岩壁に囲まれていた。床はなぜか石造りとなっており、肝心の煌めく魔石はどこにも見当たらない。
ただ魔力酔いしそうな気持ち悪い感覚はあり、ディンは周囲を見渡した。
「ここで魔石が採れるんすか?」
半信半疑のアイリスの問いにガーネットは表情を変えず、うなずく。
声が反響しないほど天井が広く、異様に静かだ。一人でいると落ち着く以上に怖くなりそうな空間。そう感じる不気味さが漂っていた。
「一人でここまで掘ったんだよ。魔石を見つけるというより、土魔術の魔道具を使うのが楽しくて遊んでたら、こんな広い空間を見つけたの」
「えっ? ここってもともと石造りになってたってこと?」
ディンの問いかけにガーネットは意味深にうなずく。確かに周囲をよく見ると自然にできた空洞というより、ある程度手を加えられて整えられた空間という印象だ。が、それはガーネットが発見する前に誰かがこの空間を作ったことを意味し、ディンは気持ち悪さを感じた。
「何もない気がするけど、なんか嫌な感覚があるっす」
「……よく見ると何かおかしい部分がない?」
そうガーネットに指摘され、皆で再び周囲を見渡す。
「奥にある壁面に魔道具が埋め込まれているな」
「ご名答。さすがシーザ様」
よく見ると、奥の岩壁の隅と隅に魔道具が埋め込まれていた。
「あの一面だけが魔石が採れる場所なの。でも、ここから南に掘っていけば、かなり先まで魔石が採れると思う。きっとここが背骨の最北点」
最高ランクの魔石が採れる背骨の最北点だというガーネットの主張が正しければ、他よりずっと特別な場所に思えた。
「採掘せず止めてるんすか? なんで?」
「背骨の採掘は現在慎重に行われてる状況だから。理由は……見ればわかるよ」
ガーネットは奥にある壁面にゆっくり近づく。
「一級魔道具、カメレオン。隠匿魔術という特質魔術でね、物体の表面の色や質感を丸ごと変えることができるの。この壁面にだけ隠匿魔術の効果をかけてる」
ガーネットはその魔道具に触れて、背中を向けたまま続ける。
「歴史というのは不思議で、確実に先祖たちが通った足跡なのに、私にはどこか遠い世界の話に聞こえる。勇者物語を聞いても、魔獣に溢れていたなんてピンとこないんだ」
蠱惑的な笑みを浮かべ、ガーネットは振り返る。
「この背骨を見つけるまではね」
魔道具の効果を切り、本当の姿が露わになる。
全員それを見た時、唖然として固まった。
奥の岩壁一面が透明に澄んだ紅の魔石へと変わったが、他の場所と絶対的に違うものがあった。魔石の中で固まっていたのは大量の魔獣だ。
「なっ!」
ゴブリン、竜牙兵、ワイバーン、半魚人。一般教養で学んだ魔獣だけじゃなく名も知らぬ大量の魔獣が、澄んだ魔石の中で硬化していた。今にも蠢きそうなそれらはあまりにも不気味でディンは思わずあとずさりしてしまう。
「これが背骨にあるものです」
「ちょっ! これって!」
「ご心配なく。死んでるわ。言ってみれば魔石の中にいる天然の剥製ってところかな。もっともっと時間が経てば、とても価値の出る場所になるはずよ」
そう言われて、よく見るとどの魔獣も魔力や生気を感じられない。
シーザもそれらをまじまじと観察する。
「確かに死んでる……ように見える。だが、なぜこれほどの数の魔獣が……?」
ガーネットは薄く笑い、魔石の中にいる魔獣をじっと見つめる。
「ここだけじゃなくて背骨の随所で見られる現象です。私の仮説なんだけど……魔石鉱山の背骨は、信じられないほどの巨大な魔族の巣になっていたんじゃないかしら?」
「なんだと? そんな話聞いたこともない」
シーザは即座に否定の声を上げる。
「魔族は北から現れる。これは昔からの言い伝えです。実際、北部オキリス地方に最も魔族の巣が多いのだから、カホチ山脈に広大な隠れ家があってもおかしくない」
「しかし! こんな場所に引き寄せられる理由なんて……」
「魔王ロキドスの血が川のように延々と流れていたとしたらどうでしょう?」
「あっ!」
一同驚き、自然と静まり返る。
「血の川が北に連なるカホチ山脈の中心線を流れて、魔獣は引き寄せられ、自然と巨大な魔族の巣ができた。じゃあなんで魔獣たちはここで息絶えているのか? 仮定の上に仮定をのせるような話だけど、考えると止まらなくてね。一つの面白い文献を見つけたの」
ガーネットはディンに視線を向ける。
「ロキドスの使う魔術の一つに代償魔術というものがある。代償を払うことで莫大な力を引き出せる魔術」
ディンはゼゼを封じる結界のことが頭によぎった。
「その魔術で魔獣たちの命を代償に、巨大な魔石鉱山を作ったんじゃないかしら? つまり、魔石の原料は、魔王の血ということになる」
皆、絶句して固まる。
ゼゼ魔術師団が辿り着いた結論にガーネットも辿り着いていた。
「いや、待て。確かにジョエルも魔石は魔王の血でできてるって言ってたけど、やっぱり信じられねぇ」
シーザは納得できないのか、疑問を吐き出すようにまくしたてる。
「人類が魔族に勝った決め手は魔道具の量産だ。逆算すれば、魔石の発見ということになる。だとしたら魔石を魔王ロキドスが作ったなんて矛盾してる。これじゃロキドスは自分で自分を追い込んで、殺されようとしてるみたいじゃねーか!」
ディンはその言葉に思わずはっとなった。シーザの言葉は核心を突いてるような気がした。シーザも自分の言葉に引っかかったのか、急に黙り込む。
「確かにシーザ様の言うとおりおかしいと思います。でも、魔王ロキドスが魔石を作ったのは間違いない事実よ。これを見てほしい」
ガーネットはすぐ手前にある地面を指さした。よく見るとその部分のみ特殊な石板が埋め込まれており、その上には巨大な魔術印が描かれていた。
「この術式はわからないけど、明らかに魔術が使われた痕跡よ。当然、ここだけじゃなく他の背骨でも同じ魔術印が見つかってるの」
石板の上にガーネットは立ち、目をつぶる。
「ここは背骨の最北点。私はここにロキドスが立っていた気がするんだ。魔石を作るための魔術を唱えている姿が目に浮かぶわ。何を考え、どういう意図でこんな大量の魔石をもたらしたのか、興味はつきない」
ガーネットは何かに魅入られているようだった。
ディンは頭の中で時系列を追っていく。
約百三十年前、魔石が発見された。魔石ができた詳細な時期は不明だが、百五十年前はなかったという証言もある。魔石が発見されたことで魔道具が実用化されたのは約百十年前。
百年前、魔術兵器のゼゼを結界で封印し、無力化。
そして、五十二年前、祖父エルマーが魔王ロキドスを討伐。
が、転生魔術により魔王ロキドスは人間に転生。
現在に至るまで魔道具は国中に溢れ、魔族はほぼ全滅し、平和な世界となる。
(もしここまですべてロキドスの計画通りだとしたら……目的はなんだ?)
ロキドスの計画の根本がどうしても見えない。が、魔石をつくったのがロキドスなのは確定した事実といっていい。魔石の中で固まる数多の魔獣を見ていると、嫌な予感が頭をもたげる。
「……これ、本当に死んでるんだよね?」
「ユナちゃん。安心して。背骨のあらゆる地点で魔獣は確認しているけど、動いたことはないから。ちゃんと中まで確認した結果、完全に硬化した状態みたいよ」
「おい。ちょっと待て。さっきと表現が違うじゃねーか。死んでるって言ったよな?」
シーザが思わず口を挟む。背骨は西極の不可侵領域。この真実を知る者はおそらく西極でも一部の人間のみ。ちゃんとした調査が行われているのか甚だ疑問だ。
「仮に代償魔術によるものだとしたら、魔術の効力がかかってる可能性がある。ちゃんと魔術師に解析してもらったのか?」
問い詰めるシーザに対し、ガーネットは微笑みながら答える。
「そもそもカビオサに魔術師なんていませんよ?」
呆気に取られ、全員固まる。
「お……前。まさか剥製のように動かないから死んでいるだろうって憶測で判断してるってことか?」
「シーザ様、そんな怖い顔しないでください。大丈夫ですよ。私たちなりにあらゆる解析をして絶対動かないという確信は得てますから」
「しかし万が一ってこともあるだろうが。もし何かのきっかけで動いたら――」
「カホチ山脈はオキリスの西側を縦に連ねています。その中心線にいる大量の魔獣がもし動くとしたら……カビオサだけじゃなく、オキリス全域は三日も持たず全滅するんじゃないですか?」
ありえない仮定の話をするかのようにガーネットは笑って話す。
「私が言いたいのは大量の魔獣が動いてるなら大事件ってことですよ。それにそもそも魔王ロキドスはもう死んだ。代償魔術による効力だとしてもこれを解くことはもうできない。でしょ?」
自信満々にガーネットは答え、静寂に包まれる。
ディンはシーザと自然と目が合う。
ガーネットの結論はロキドスが死んでいるという前提の話だ。
だが、ロキドスは生きている。
ありえない仮定は爆弾として現実に残っている。
(もし一時的に硬化している状態であるなら)
最悪の想像はディンの身体をこわばらせる。
「ユナちゃん。大丈夫っすか!」
アイリスに肩を触れられ、我に返る。
「……うん」
「どっちにしろここは魔術師団による調査が必要っすね。徹底的に調べないと!」
「あら、じゃあ一ついい? この魔獣を見てほしいんだけど」
ガーネットは壁の魔石郡に近づき、その中にあるとある魔獣を指さした。
それは魔獣というより白い蛇に見えた。
ユナの腕の前腕部と同じくらいの長さほどで魔獣の中でも一際小さく、害を感じない。
「文献でも調べても出てこなくてね、どういう魔獣なのかなぁって」
「ただの蛇じゃないっすか?」
アイリスは近づき、ディンもそれを少し距離の置いた場所から眺める。
「これが不思議なのは、手で触れるとわずかに発光するの。ほら、魔石越しなのにわずかに光るでしょ?」
ガーネットが魔石に触れると、確かにわずかながらその魔獣は発光した。
シーザはその現象を見て顔色を変える。
「待て。安易に触るな。文献で見たことある気がするぞ……ただ自分の記憶と一致しないような」
「流石はシーザ様」
「死んでるはずなのに、どういう仕組みなんすかね」
アイリスはシーザの忠告を無視してその魔石に触れた。ガーネットが触れた時より魔獣がより強く発光している。シーザはそれを見て叫ぶ。
「触るな! 魔力に反応してるぞ!」
「えっ?」
ガーネットの微弱な魔力でわずかに発光していたそれは、アイリスの魔力を吸収し完全に目を覚ます。魔石越しに両眼を見開き、魔石にひびが入っていく。
「ヨルムンガンドだ!」
あっという間に魔石が割れて、その魔獣は飛び出し、ガーネットの腹に食らいついた。
――ヨルムンガンド
魔王ロキドスのペットと呼ばれた魔獣だ。