第73話 エルフの闇の深さを知れば、あんたは溺れ死ぬ
濁りのない殺意の塊。はじめてみるアネモネの印象だ。
危険な空気をまとうアネモネは不気味な双眸をディンに向けて答える。
「会いに来た理由? アホ。それ以上もそれ以下もない。ただ見に来ただけ」
呆気に取られる言葉だが、思ったことをそのまま口に出してる印象が強く、嘘に聞こえなかった。
「お前らの目的はなんだ? なんでアルメニーアの闘技場であんなことをした?」
「ぷぷっ。アホ。人殺すのに理由なんて必要ない。お前らはいつだって大きな波に流されるだけの存在」
「逃げまわってるくせによく言うぜ」
シーザの言葉に反応してアネモネの眼が鋭くなる。
「モブシーザ。お前がここにいる魔術師の中で一番愚かだわ。昔も今も、ゼゼにとことん利用させてこんなとこまで来て……アホだな、お前は」
「私は自分の意志でここにいる。ゼゼ様のためじゃねぇ」
「ぷぷっ。だから、アホ! お前、ゼゼの嘘に踊らされてることにも気づけない」
けらけらと声を上げてアネモネはあざ笑う。それはいい加減ではなく何かを知っているような含みがあるように聞こえた。シーザも同じ印象を抱いたのか顔色を変える。
「嘘って……どういう意味だ?」
「昔あった虐殺のミーナ討伐。エルフの名声を取り戻すという目的で実施された作戦だよ。そこには大きな嘘が隠れている」
「ああ? 何言ってる? ミーナは死んだ。どこに嘘があるんだよ?」
「ゼゼは殺すふりをしただけで、ミーナは生きてる。お前らは死体も見てないのにゼゼの言葉を信じてる」
「馬鹿か。何を根拠に……」
「アホシーザ。でも、ゼゼがミーナを殺せなかった理由を教えてやる。ミーナはゼゼの妹だからだよ」
それを聞いてシーザは顔色を変える。
「ワタチは、ミーナがある場所で生きているのを発見した」
「……嘘つけ」
「ぷぷっ。敵の言葉だから絶対信じないアホシーザ。まあ、あの時お仲間エルフも人も大量に死んだもんな。ぜーーんぶ茶番だったんだよ。お前は強者であるゼゼに付き合わされただけ!」
指をさしてアネモネは再びあざ笑う。虐殺の異名を持つエルフの存在はディンも知っていたが、詳細は知らなかった。この件は一般教養では出てこない、知られざる歴史の一端だ。ディンからすると、アネモネが嘘をついてるようにしか見えないが、シーザは思い当たる節があるのか明らかに動揺していた。
「ぷぷっ。エルフの闇の深さを知れば、あんたは溺れ死ぬ」
「水柱」
アネモネのすぐ下の地面から唐突に水流が吹き上がる。猛烈な勢いの水流に「あばばばっ」と言いながら、アネモネは鼻を抑えていた。
「雷落」
吹き上がる水の柱の上から突如現れた落下する光。瞬く間にその光は水流の中にいるアネモネに直撃する。
「あぎゃあああ!」
複数の魔術を同時に展開させて、より強力な魔術を生み出す。
合成魔術の使い手であるベンジャは剣を握り、アネモネの後方に迫る。
「隙だらけにも程がある」
よろめくアネモネへ背後からの振り下ろし。
一歩前に出て、アネモネはそれをかわす。後方のベンジャを一瞥した瞬間、ディンの放った魔銃による魔弾が出現。
ベンジャは魔壁でガードしたまま、左手をパチリと鳴らす。
「雷落」
再びアネモネの真上から現れる唐突な雷撃。瞬く間もなく直下するそれをアネモネはぎりぎり避けるも、避ける先を読んでいたベンジャがすでに剣を構えて振り下ろす動作に入っていた。
頭の上に振り下ろされた剣をアネモネは両手の平で合わせるように挟んで受け止める。
「お・ま・え。後ろからいきなりワタチに向かって―」
言いかける前にベンジャの強力な前蹴り。直撃してコロコロ転がり、地面に仰向けに倒れ込む。
その間隙に影分身のルゥ八体がアネモネを取り囲み一気に距離を詰める。
倒れ込むアネモネに襲い掛かる瞬間、地面からとぐろを巻くような斬撃がアネモネを中心に展開され、一撃で影分身を一蹴。
半身起き上がったアネモネの眼は怒りに満ちていた。
「ゆるーく撫で撫でしてやったら、調子に乗りやがって!」
アネモネの額の眼が開く。
「鋼鋼斬」
起こりのない縦の斬撃が六連続で飛ぶ。全員、避ける仕草を見せるもすべてベンジャやルゥの横をわずかに逸れる。
斬撃の先にいたのは倒れ込むジョエル。
ルゥの影分身がジョエルを運んでいたが、連続した斬撃の波は移動する先まで飛んでおり、避けることは不可能。
その攻撃をディンは読んでいた。アネモネが半身を起こした時、すでに移動しており、ジョエルを襲う斬撃の前に立ちはだかる。
斬撃に対し、臆さず右手を突き出す。
「因果解」
分解魔術による魔術の無力化。あらゆるモノを切断すると言われるアネモネの斬撃だが、ディンの手に触れたと同時に粒子となって消えていく。
「ああ! んだ、それ……」
眼玉が飛び出るように驚いたアネモネだが、すぐに真顔に変わる。
「だーから、ゼゼのお気に入りになってるわけか」
秘匿魔術でほとんどの人には知られてないはずだが、術式をあっさり理解したのか、アネモネの見る目が明らかに変わる。
「殺してもいい理由……できたな」
不敵な笑み。アネモネを取り巻く空気が変わる。ハナズと対峙した時のような圧迫感と混じり気のない殺意。
(魔人の前で使うべきじゃなかったか……)
反射的に使ってしまったが、ゼゼの結界を解ける可能性があると周知しているに等しい。今さら秘匿魔術にしていたゼゼの真意に気づくが、過去より今に思考を向ける。
アネモネは明らかにディンに狙いを定めていたが、それ以上の魔力のうねりに反応し、目を逸らす。その先にいるのはベンジャだ。
「魔術覚醒」
勝負所と見たのかベンジャのまとう魔力が凝縮され色濃く立ち昇る。雷を帯びたそれは、まるで強力な雷そのもので近づくことさえ危険だと感じる。
「ユナ様、アイリス様、ジョエルさんを連れて避難を。ルゥさんは少しの間時間を稼いでもらいたい。シーザ様はその援護を」
その指示は、先ほどまでの戦いから戦える者、足を引っ張りそうな者、守るべき者を即座に取捨選択したように聞こえた。
だが、ベンジャのまとう魔力量を見て誰も文句は言わない。
「そいつは私が葬る」
アネモネに照準を合わせたままベンジャは断言する。
「了解した」
前に出るルゥに合わせて、ディンとアイリスはジョエルの元へ駆け寄る。
それらを一瞥した後、アネモネはベンジャを見て、肩をすくめる。
「ふん。なんか色々萎えたわ。面倒くさっ。見物できたし、一旦帰ろっと」
「逃がすわけがない」
ルゥは魔力を放出し、腕と足に黒い魔力を纏わせ構える。
「ぷぷっ。アホ。お前らが見逃してもらってるっつーの」
飛ぶように距離を詰めるルゥにアネモネは瞬間移動の魔道具を掲げて、瞬時に消える。
思わず拍子抜けしてしまいそうな結末に、しばらくの間、皆その場で立ったまま動けずにいた。
カビオサに入っていきなり魔人と邂逅するとは思わず、ディンは戸惑いを隠せなかった。無論、今回の遠征は魔人の巣を調査し、狩るのが目的なので会う心構えはあったが、待ち構えているとは想像外の出来事だ。
緊急事態に動いたのはアイリスで、フリップ家からこっそり渡されていた音声転移の魔道具で救助を要請した。
ジョエルの怪我は重傷なので、一度態勢を立て直すべきか議論になったが、それを一蹴したのがジョエル自身だ。
「この程度の怪我は何でもない」
(んなわけあるか!)
と、心の中で思っていたが、ジョエルはシーザの手を借りながら己の切断された足を繋げ、その後少しリハビリをしてあっさり歩けるようになっていた。切断した部位を元に治せるのは一流の中でも限られた回復魔術の使い手と聞いていたが、あっさりと完治したことがディンには信じられなかった。
「上には上がいる。死神の異名を持つルイッゼは、その場ですぐに完治させてしまうからね」
ジョエルは恐縮するが、奇跡の術であることに変わりはない。ただジョエルの顔色はあまりよくは見えなかった。
「身体は回復しても痛みはすぐに完治しない。下手すりゃずっと残ることもある」
ぼそりとディンのそばでシーザはつぶやく。
回復魔術で一気に回復させることの副作用に痛覚後遺症というものがある。
身体はすでに完治しているのに痛みだけは治まらないという原因不明の副作用だ。無論、人によりけりでありジョエルには耐性があるのかもしれない。
が、ジョエルはすでに高齢であり、無理が効かない身体で無理をしているのは明らかだった。
それでもカビオサの調査は期限と人員が限られている。ジョエルの意志を尊重して、その日のうちにカビオサの都心へ向かうことになった。




