第68話 因果解
ジョエルとの会談後、ゼゼに自分の転生について話す以外に決断したことがもう一つあった。分解魔術の習得だ。
両手を合わせ、魔術語を唱え続ける。複雑な手順だったが時間をかけて丁寧にこなしていく。
「解除完了」
その言葉で両手の甲の魔術印がわずかに光り、すぐに消えた。ユナが昏睡状態だった時、ジョエルがかけた分解魔術を使えないようにする簡易の鍵を解除したのだ。
これで今まで中和しかできなかった分解魔術を本格的に使用できるようになる。
「私としてはおすすめできないな。適正はあっても、秘匿魔術だし表立って使うことはできない。それに脳への負担が大きいってのは間違いなさそうだ」
魔術師として相談したシーザの意見だ。博士の資料によると、魔術を分解して無力化する過程において、魔術語が大量に脳に流れ込んでくるらしい。それを処理しきれずユナは昏睡状態となった。
身の丈に合わない魔術とゼゼが表現したのもうなずける。
だが、ディンは別の可能性を考えていた。
「行くの?」
外に出ようとすると、珍しく地下部屋から出てきたキクに声をかけられる。
「色々試そうと思って。シーザには言うな」
「まっ! 可能性を試す分にはいいんじゃない?」
「あとミレイのことだけど……」
「ああ。それは大丈夫だ。任せておいてくれ」
危険はないと確信めいた言い方だ。平和になったとはいえ、女子が一人でアルメニーアまで行くというのは一定のリスクがはらんでいる。が、キクはいい加減なことを言わない。それ以上、余計なことは言わず、ディンは外へ出た。
ミッセ村を北に進むとすぐに見えてくるのは森林地帯だ。奥は深く、どこまでも続くので一度入ったら簡単に出られない。もっとも魔獣や危険な動物が生息しているわけではないので、迷わなければ危険度は極めて低い。
幼いころにユナと遊んだこともあるし、十歳を超えた時はよく狩りをしていた森だ。ディンは博士からもらった地図の地点を目指し、駆けていた。
高速移動ならあっという間に森の深部へ進める。
しばらく進み、目的の場所に到達した。周囲に人の気配はなく目の前には切り立つ崖があった。
左手で崖に触れながら、延々と崖に沿って進む。ふと違和感を感じ止まる。
感触が人工物だった。崖にしか見えないが、一歩踏み出すと、崖の壁をあっさり通り抜けた。そこは隠し洞窟となっており、通路が奥まで続いていた。
奥は薄暗く、一定の感覚で結界が張られている。
「ふーん。ここがユナに与えられた修行の場か」
博士による課題。どこまでも伸びる通路には結界がいくつも張られており、それを分解魔術で一つずつ無力化していき、奥へ進む。
辿り着いた最奥にはとっておきの何かがあるという。
ユナが放り投げた課題だ。
ディンは奥へ進み、一つ目の結界の前に立つ。
魔術の歴史で最も多くの人間に扱われてきたのが結界魔術だ。魔壁を条件のない簡易な魔力の壁とするなら、結界は常に条件がまとう。
魔術師の基礎的な部分であり、魔力が少ない者でもそれなりの結界は時間をかければ張ることができる。
ゆえに、現在あらゆる条件付けで複雑な結界が開発されている。
九割は魔力で強引に破壊できるらしいが、残りの一割は、複雑な条件設定のものや膨大な時間と魔力をかけられたものなど様々で、魔術攻撃で破壊不可能だ。
難解な結界を解く共通点は極めて時間がかかること。
目の前にある結界がどういう種類のものか一切わからないが、簡単に突破できないものであることはなんとなくわかった。
その結界に触れて、ぱらぱらと溶けていくイメージを持つ。
魔術はイメージ。イメージは脳から。
魔術解放して、結界に触れた瞬間、それは発動する。
「因果解」
結び語を唱えると、イメージ通り結界は溶けるように目の前から消える。と同時に脳内に入り込んでくる大量の魔術語。
頭の中に本一冊分の情報を強引にねじ込まれた感覚だった。一瞬の出来事で少し気持ち悪い程度だったが、何度もやれば脳に負荷がかかるのは想像できた。難易度の高い結界であればあるほど、膨大な情報量を処理する必要があるので脳に負荷がかかるのは間違いない。
ユナもこれが原因で昏睡状態となった。が、ディンは怖れずさらに奥へ進んでいく。一つ目の結界と同じ手順で分解魔術を使い、結界を解いていった。
魔術の訓練とは反復である。繰り返し続けることでよりスムーズにより強力に魔術を展開できる。
ディンは無心でそれを繰り返し、一歩一歩進んでいく。
――なんでそんなに魔力制御が得意になったんすか!
――あれ? 妙に魔力が少ないけど、調子悪いの?
魔術師団内でことごとく指摘された昏睡前との違い。
それは偶然で片づけられないほど多く、ディンの中で一つの仮説ができた。
ユナという魔力のある身体に転生したことでディンの魔術師としての才能が目覚めた。ディン自身に魔力がなかっただけで、魔術を扱う才能は持っていたというのが適切か。
つまり、ユナにできなかったことがディンならできることもある。
そう、ディンは今まさに自分の可能性を突き詰めていた。
そのために進み続ける。
ただ無心で結界を分解して無力化していく。
本五冊分、十冊分、二十冊分。脳に流れていく情報に気持ち悪さを少し覚えるが、負荷というほどのつらさはない。何事もなく飲み込み消化されている感覚がある。
ただ分解魔術は魔力の消耗が激しく、ユナの膨大な魔力でもみるみる減っていた。
魔力の限界が見えたところで打ち止めし、翌日へ。
二日目も同じペースで延々とこなしていく。
一心不乱に結界を無力化し、洞窟の奥へ進んでいくと残り一つになった。
最後の一つは目に見えて強力な結界だった。
魔術印が何重にも重ねられており、分厚い魔力でできた荘厳な扉のように見えた。
羽虫があっさり結界を行き来し、小石を投げても簡単に通過することで察する。
「ユナ・ロマンピーチ以外を通さない結界……か」
結界に触れた瞬間、今までにない感触。魔力の粒子を細かく分解できているが、気を抜くと意識が飛びそうになる。魔術語が大量に脳に流れてくるので、それをいかに制御するかが鍵になる。
ふとよぎった昔の記憶。
祖父エルマーとの立ち合いだ。どこに打ち込んでも結果は同じだった。まるで大木を相手にしているようで、剣を振ることが無駄に思えて、やがてディンは打ち込むのをやめた。
膨大な魔力の塊でできた結界から恐ろしいほどの情報量が流れこんでくる。手を引っ込めてやめたくなるが、ディンは引っ込めなかった。
あの時、ディンは剣を振るのをやめた。でも、隣にいたユナは諦めずに祖父に立ち向かい続けた。
ユナはあの時からどんな相手でも目を逸らさず立ち向かっていた。
ディンは引かずに一歩踏み込む。
脳に溢れていく魔術語の塊。まるで大量の本から魔術語が飛び出し、自分の身体中をうごめく感覚。
「今日は逃げない!」
その言葉と共に目の前にある結界が爆ぜるように消える。
脳に溢れていた魔術語の塊も消えて、ディンは洞窟の最奥へ進む。
そこには小さな宝箱があった。深く考えることもなく開けると魔力を帯びた指輪が入っていた。
おそらく博士が作った魔道具なのだろう。もらえるものはもらい、指輪と共に置かれていたユナ宛の手紙を読む。内容は長ったらしい。
一言でいえば、やり遂げた事の凄さを称え、ユナをとにかく賞賛する内容だ。
ふと何気なく書かれた一文に目が止まる。
――この課題、おそらく最低でも五年はかかっただろう
天才と呼ばれた博士の目算。実際かかった時間はわずか二日だ。
「やはり俺には分解魔術の素養がある」
ディンはその足で洞窟を抜けて、森林地帯を抜け、王都まで走った。
王都を囲む白い外壁の前にはほとんどの人が知らない結界が鎮座している。
ゼゼを閉じ込めるロキドスの結界。
ディンはそっとそれに触れる。
今までの比じゃない圧迫感。山のように積みあがった魔術語の本が流れてきそうになり、思わず手を引いた。
「これがロキドスの結界」
寿命千五百年分を費やした結界は空気のように存在感は薄いのにその魔力容量は想像もつかないほど大きい。
ユナは無謀にもこれに立ち向かった。祖父エルマーとの立ち合いのように。
「なんでもかんでも闇雲に立ち向かうことが美徳ってわけじゃないだろ」
ユナに対してかけた言葉は独り言となって宙に浮く。
祖父との立ち合いでディンは木剣を持ったまま動かなかった。でも、別にあの時諦めたわけじゃなかった。
「あの時、俺はどうやったらじいちゃんに勝てるのかずっと考えていたんだ」
突っ込み続けるユナとは対象的な行動だ。それが正しかったのかはいまだよくわからない。でも、あの時、勇者エルマーに言われた言葉は覚えている。
――お前はお前のやり方で戦えばいい
今はこの結界に立ち向かわないという選択を選ぶ。この後の行動で正解にしていけばいい。
「俺は俺のやり方でロキドスを倒す」
自分への誓いをつぶやき、ディンは結界に背中を向けた。
明日からカビオサへの遠征が始まる。