第66話 ゼゼ様を一人にしないで欲しい
ミレイのことが気がかりだったが、シーザから「任せておけ」と言われてディンはそのまま待ち合わせに向かった。
博士との待ち合わせ場所は王都の北門前だった。
「誰も引き連れず一人で来ること」
それがこの会談の条件。
北門前には守衛が複数人立っており、旅人や商人が頻繁に行き来している。ひと昔前はもっと厳重で王都に入るには通行税もとられていたそうだが、現在はそれもなくなり、より自由に街から街への移動が可能となった。
中には身軽な恰好で外を歩く者もおり、子供連れの家族もいる。魔王討伐前は王都から外に出るのは入念な魔獣対策の準備と馬車での移動が一般的だったそうだが、ディンとしては逆にピンとこない。
「時代は変わる。でも、ここまで世の中が急激に変わるのはきっとはじめてのことだ」
そう言って近づいてくるのはジョエルだった。
「ジョエル……さん?」
「ここに来ると昔のことを思い出す。こんな手ぶらで外を歩くなんて考えられなかったからね」
「あの。博士は?」
「彼は亡くなった。天寿を全うしたよ」
思わぬ答えにディンは戸惑う。
「ここに私が来たのは彼の遺言を伝えるためだ。そして、それを伝える前に話さなくてはならない。ユナが忘れてしまった出来事を」
「それって」
「ああ。今こそ明かそうと思う。君が昏睡状態になった事故の詳細について」
機密に触れるという理由でゼゼは詳細を明かそうとしなかった。それを話すということは、ゼゼの秘密を知ることを意味する。
ジョエルはゆっくりと歩きだす。
「ちょっと王都の周りを歩こうじゃないか」
王都は高く厚い白色の壁に覆われており、殺風景な風景が延々と続く。
王都から出る門はたくさんあるが、門から門へ移動する者はおらず、ジョエルと完全に二人きりだ。
「ゼゼ様と手合わせしたこと聞いたよ。どうだった?」
「強かったです。途方もなく」
「闘技場の魔人もゼゼ様はあっという間に倒してしまった。普通ならこう考える。指令だけではなく、その力をもっと生かすべきじゃないのかと」
「素直にそう思いました」
「でも、彼女が何か戦えない理由があること、賢いユナならきっとすでに気づいているだろう」
ジョエルは立ち止まり、こちらに視線を向ける。
「それがこの魔術師団における最重要の機密だ。そして、秘密の一端がこの散歩の中に隠れている」
言葉足らずの説明にディンは首をかしげる。
シーザが相手なら蹴り飛ばして問い詰めるところだがジョエル相手だとそうはいかない。そして、この男は聡明で意味のないことはしない。
「ユナは魔族との歴史についてどこまで知ってる?」
唐突な質問に戸惑うが、答える。
「一般教養の範囲、祖父から聞いた話もあるので普通の人より知ってると思います」
魔族とは人間に害をなす者。それがどう生まれたのかはいまだ不明。人間を見れば容赦なく襲うのが基本だ。魔獣と呼ばれる類の多くがこれに該当する。
「魔族の発生は約二千年前と言われている。知性のない彼らは基本徒党を組まず、時にお互い殺し合う。よって劇的に数が増えることもなく、強力な魔獣も徒党を組んで戦うことで撃破することができた」
そう、魔族は恐ろしい生き物だが人類滅亡を脅かすほどの脅威ではない。
そんな認識が変わったのはおおよそ三百年前。
きわめて珍しい魔族が発見される。
人型に進化した魔族。魔人の登場だ。
適応戦略と言われている。彼らは人間の言葉を使い、意思疎通するようになる。
そして、もっとも恐れていた事態に発展する。徒党を組むようになったのだ。それは最初、大した数でなかったが、気づくと魔獣も従えどんどん勢力を拡大していく。
その統率者の名は魔王ロキドス。
ロキドスの魔術は、吸収と付与。魔術を吸収して己の力に換算。自分の血を魔族に飲ませることであらゆる力を付与する。ロキドス率いる集団は勢力を拡大し、時間がたつごとに強くなった。
そして百年前、本格的に対策本部が立ち上がった。
ディンの簡潔な説明にジョエルはうなずき、ディンは続ける。
「それからの四十八年間は魔族と人類の戦争といってもいい。そして、五十二年前祖父のエルマーが魔王ロキドスを倒した。ロキドスの血の池は激減し、魔族はバラバラとなり、徐々に力を失う。現在、ダーリア王国内ではほぼすべての巣を討伐し、平和を勝ち得た。こんな感じですかね」
「うん。正に世間の人が知る一般教養という感じだね」
それはやや皮肉のこもった言い方だった。
「どこかおかしいところが?」
「その前にずっと歩いていて気付いたことはないかな?」
そう言われて、じっと目を研ぎ澄ます。そこでようやく違和感に気づく。
「魔壁のようなものに沿って歩いてます?」
「ご名答。この王都は結界に覆われている」
はじめて知った事実に素直に驚いた。
「ゼゼ様が魔獣を王都に近づかせないために張った結界。といったところでしょうか?」
「違う。これは魔王の結界だ」
「えっ」
予想外の回答に、上ずった声が出る。
「魔族は基本徒党を組まない。そんな魔族が本格的に組織として動き始めたのが、約百五十年前。そして、ちょうど百年前、魔族の徒党を組んだ魔王ロキドスが仕掛けた最初の一手が、この強力な結界を作ること。これはある魔術師以外には一切効力がない特殊な結界で未だ解くことができていない」
ディンはなんとなく察しがついた。
「……ある魔術師とはゼゼ様ですね」
ジョエルはうなずく。
「効果は魔力の無力化。王都内では問題なく魔力を維持できるが、結界の外へ出ると、たちまち魔力がすり減り、魔術の使用不全となる。殲滅のゼゼという魔術兵器を王都外で無力化させるためだけの結界だ」
今まで理解できなかった部分がすべて腑に落ちた。
なぜゼゼは王都から出ないのか?
魔王討伐も王都からの指揮のみで何もしなかったのか?
結界という縛りのせいで出たくても出られない状況だったのだ。
「君の祖父のエルマーが英雄なのは変わらない。それは揺るぎない事実だ。ただ、あの魔族との長き抗争は魔王ロキドスとゼゼ様の戦いだった。そういう側面があったことを知っておいてほしい」
「……」
それは自分の知る歴史とはまるで違う視点の物語だ。
すべて知っている気になっていたが、自分の知識は紙の上に書かれた歴史だった。ペラペラの知識で知ったような気になっていたことが急に恥ずかしくなる。
「ロキドスは五十二年前に死んだのに結界は解けないんですか?」
「ああ。自立型の結界だからね。特に結界は人の数だけあると言われている。いくらでも複雑にできるし、時間をかければ強力にすることも可能だ」
魔術をかじったばかりのディンにも結界が厄介だというのは知識として知っていた。未だ結界を解けず入ることのできない区域というのが国中に点在している。中でも自立型の結界となれば、それを解除するのは簡単なことではない。
「特にこの結界は代償魔術で構築されている。ロキドスは膨大な魔力と代償を払うことで強大な結界を張った。代償が大きければ大きいほど、結界は強力となる」
「ロキドスは結界を構築するために何を代償にしたんですか?」
「自分の寿命だ。解析魔術にかけたところ、約千五百年分捧げたことが判明している」
「えっ!」
ディンは驚きを隠せず、ただ言葉を失う。
「それだけゼゼ様を恐れていたのだろう。ただ解せないこともある。魔族にも寿命がある。それだけ寿命を失えば、長くは生きられない。実際、倒したロキドスはすでに余命もほぼなかったことが判明している。そこだけは未だ謎だ」
(まさか……転生することは百年前から決まっていた?)
バラバラだった情報がディンの中でどんどん繋がっていく。
が、それ以上に気になった点。
恐る恐るディンは切り出す。
「分解魔術は魔力あるものを分解し無力化できる。私が昏睡事故になった原因は……」
ディンの言葉にジョエルはうなずく。
「そうだ。ユナはゼゼ様を縛る結界を無力化しようとした。本来学ぶべき部分を省略してユナは分解魔術を使った。その結果、失敗して昏睡状態となった」
「……私はゼゼ様の結界を無力化する任務を与えられたってことですか?」
「それは違う。そもそも機密を知られたのも不本意だった。君は唯一博士の研究部屋に出入りする権利があったから、おそらくそこで偶然機密を知ってしまったのだろう」
それは予想外の答えだった。
「私が……勝手にやったことですか」
ユナのことを思うと、色々と腑に落ちた。ユナは正義感が強く、いつも暴走しがちだ。ディンの反対も押し切って、強引に魔術師団に入団した。
ユナがゼゼの結界の話を知れば、使命感に駆られるのは容易に想像できた。
「そうだったとしても監督責任はこちら側にある。その件については私からも心からの謝罪をしたい。本当に申し訳なかった」
ジョエルは深々と頭を下げた。ゼゼも一貫して同じことを言っていたから、ジョエルの言葉に嘘がないとわかる。
事故の原因は、ユナの正義感による暴走だった。ゼゼはユナを利用しようとしていなかった。魔術師団が悪いわけではないと今、はっきりした。
憑き物が落ちたようにすっきりした反面、心のどこかでがっかりしている自分がいた。憎むべき相手がいなくなかったからかもしれない。
頭をゆっくり上げたジョエルにディンは問う。
「ゼゼ様が結界から出て私を助けたのはなぜです?」
それはディンの中でずっと引っかかってた疑問だ。
「ゼゼ様の真意はわからない。魔王討伐以降、はじめてのことだ。が、ユナが貴重な人材だという意識が働いたのは否定できない」
「……」
「ただこれだけは覚えておいて欲しい。代償魔術の代償は同じ代償を払わされる。ロキドスの払った代償は寿命だ。結界外に出れば魔力が急速に削られるだけではなく、寿命も代償として払わされる」
「えっ……?」
「ゼゼ様はユナを救うため五十年近い寿命を失った」
(ゼゼはそんなこと一言も言わなかった……)
想像をはるかに超える事実に戸惑い、言葉が出てこない。
「エルフの寿命は長いが、延々と生き続けられるわけじゃない。そんな彼女が君のためにそれだけの代償を払った」
三年間昏睡状態だったことへの恨み節をゼゼに言ったことがあるが、あの時、ゼゼは何も言い返さなかった。ゼゼをむやみに責め立てた後ろめたさが湧いてくる。
ジョエルは唐突に持っていた羊紙皮の束をこちらに差し出した。
「そして、これが博士から託された遺言だ。博士は解析魔術の使い手でね。魔術を解析し発展させる助けをしている。ユナのために研究し続けた分解魔術のすべてが書かれている」
差し出されたものを受け取り、じっとそれを見入る。
「許してくれとは言わない。ただ君はこれを持つ権利のある唯一の人間だ。だから、持っていて欲しい。どう使うかは君次第だ」
「てっきり博士のやり残した結界の解除を託されるかと思ってました」
ジョエルは意味深な視線を向ける。
「もちろん頼みたい気持ちもあるけど、簡単なことじゃないからね。ただもしユナがゼゼ様のことを思ってくれるなら一つ頼みたいことがある」
「なんですか?」
「……ゼゼ様を一人にしないで欲しい。あの人は、寂しい人なんだよ」
その言葉はとても悲し気に響いて聞こえた。




