第65話 あなたは大事な妹なんだから!
王都に戻ってからディンの思惑通りに事が進んだが、何もかも順調というわけではない。テーブルの対面する席に座るのは母のエミーだ。
母はかつてない真剣な表情だったのでディンも自然と背筋が伸びる。あらかじめ侍女たちから母の様子は聞いていたので、何を言われるのかはわかっていた。
「魔術師団のことなんだけどね……」
そこから切り出されたのは遠回しながらユナが魔術師団に再び所属していることへの不満だった。
当然と言えば当然だ。結局、昏睡状態になった事故に関して魔術師団からの謝罪はあったが、未だ原因は明らかにされていない。
さらにいえば、祖父が亡くなり、兄のディンも行方不明となり、アルメニーアでは魔人襲来という大事件。
母としては娘に命の危険が及ぶ可能性がある組織に所属させたくないだろう。
「ディンもずっと反対してたし、もう一度考えない? 魔術の才能を生かすなら魔道具師になるというのも一つの手だと思う」
母は兄であるディンを盾にして、魔術師団を辞めるよう促した。気持ちは痛いほどわかるし、実際ディンもユナの身体を危険な場所に連れていくことは未だ抵抗がある。
が、ここでやめるわけにはいかない。
「今はリハビリのために形だけ所属してる。任務も危険なものはないし、近いうちに魔術師団はやめるよ」
「本当に?」
「うん。下にいる居候のキクって女の人。ちょっと変わってるけど魔道具師として優れているから、弟子入りするかも……とにかく魔術師団にいるのは一時的なものだよ」
母エミーは信じるということに重きを置く。ディンはそれをよく知っていた。
「ならいいんだけど」
半信半疑ながらも母は納得して、そこで会話は終わった。
「君のお母さんの心配はもっともだな。母の信頼に対して、騙すような真似をして君は心が痛まないのかい?」
ロマンピーチ邸にある地下部屋の一室の扉を開けると、開口一番キクが言い放った。キクはこちらを一切見ず、机の上で魔道具をいじっていた。
「盗み聞きやめろよ。気持ち悪い」
「魔道具で聞こえちゃうのさ。それにロマンピーチ家に危険が及ばないよう情報を集めるのは仕事の一つだ」
ディン自身が頼んだことであるが、プライバシーまでキクに晒すことになる抵抗感が今さらながら湧いてくる。
「話は無事に終わった。とりあえずしばらくは大丈夫だ」
「カビオサの遠征の件は説明したのかよ?」
ソファにくつろいでいたシーザの問いにディンは自然と渋い表情になる。
「これからだ。まあ、魔道具師になるための研修ってことにしよう。シーザが保護者としてついてくるってことにすれば母さんも納得するさ」
「おい。私を嘘に巻き込むなよぉ。っても仕方ねぇのか」
アルメニーアに勝手に行ったことも母エミーとはかなり口論になった。家を空けることに罪悪感はあるが、動かないことには始まらない。
「にしても北部オキリスに行けるのは羨ましいよ。あそこは魔道具師の聖地とも言われているからね」
魔石採掘場があるので、すぐ近くに魔道具師が集まるのは必然だ。数が多ければ競争も激しく、優れた魔道具も多く生まれる。ディンも魔道具に目がないので、その点は楽しみであった。
「そういや今回の遠征にトネリコ王国の魔術師も参加するみたいなんだけど。ナナシってどんな奴?」
「通称ナナシ。仮名を使う理由は不明。二コラが長年序列一番だったけど、そいつが最近蹴落としたんだと。近年ではトネリコ王国最強の魔術師と言われている」
キクは自分の得た情報を得意気に話す。
「それくらいは魔術師団でも聞いてる。なんで匿名なんだって深い部分だよ」
「んー、隣国のことは専門外なんでね」
つれない言葉を吐いて、魔道具をいじる方に熱中する。
「引きこもりはやはり情報網が狭いな」
「シーザはなんか知ってんの?」
「本人を知ってる」
「マジ? どんな奴?」
「さてね。どのみち招集されるとき顔合わせするんだからその時にわかる」
遠回しな言い方が引っかかった。
「まあ、トネリコ王国はダーリア王国と違って、まだまだ駆逐できてない魔獣が多いからな。魔道具だって、一般人も手軽に手に入らん。となると頼りになるのは魔術師だ。魔術解放できなくても、向こうの魔術師の質は極めて高い」
トネリコ王国は魔術師への尊敬の念が深い。
伝説の勇者ご一行だった魔術師ミレイヌはトネリコ王国では像がつくられ伝説の魔術師として崇められている。
「魔道具の量産でダーリア王国は平和になったが、魔術師が軽んじられるようになったのはちょっとした皮肉だな」
「お前が一番軽んじてた人間の代表格だろうが!」
痛いところを突かれた形のディンはシーザの突っ込みに反応せず、話をそらす。
「そういやこの後、博士って魔術師と面会することになった。用があるんだってさ。ユナに用ってなんだろうな?」
ゼゼの側近。元六天花であり基本本部にも姿を見せない男。会ったことのない魔術師の方が多く、要件の想像がつかない。
「博士って男、実は僕も会ってみたい人間なんだよね。魔術師団の中でも生粋の天才らしいじゃないか」
興味のある話題だったようで、キクはようやく身体をこちらに向ける。
「一対一が条件だから無理だな」
「なら仕方ないか」
再び机の方に向かい、魔道具をいじりだす。
「一つディンに警告しておくと、もう少しユナちゃんらしく振舞った方がいい。訓練場でユナは少し雰囲気が変わったと噂してる人間が一部ながらいる」
訓練場や更衣室に仕掛けた盗聴の魔道具を解析したらしい。
「確かにこれからは気を付けるべきだな」
ゼゼも間違いなくユナは変わったと訝しんでいる。これが他の魔術師たちにもどんどん伝染するのはまずい。
突如、ガタッと隣で物音がして、自然と静まる。
「ん? 誰か来た?」
隣の部屋は瞬間転移装置がある。ロマンピーチ邸の転移装置を自由に使えるのは、限られている。
「あっ、もしかして」
反射的にドアを開けると、ちょうど隣のドアも開いて、鉢合わせになった。
相手はこちらの顔を確認すると、すぐに距離を詰めて、ギュっと抱き寄せる。
「ユナ! 無事でよかった!」
「ありがとう。ミレイも久しぶり」
やってきたのはディン・ロマンピーチのフィアンセであるミレイだった。
ミレイ・ネーション。
伝説の勇者ご一行ミレイヌの孫。
魔王討伐時以来、ロマンピーチ家とは友好関係を築き、幼いころからディンはミレイと交流があった。
幼少時、赤毛の活発な女の子程度の印象しかなく、女子として意識したことは全くなかった。それを意識したのはディンが十三才のころだ。ミレイは短かった髪を伸ばして、女子のような恰好に急に変わり、ディンは目で追うようになった。
中身は特に変わっていないが、急に魅力的に見えてディンは自然と惹かれた。
「外見で惹かれたのがきっかけだったってことはさ、より見た目がいい人がいれば、ディンはそっちを選ぶってことだよね?」
ミレイに結婚の申し込みをした三年半前、突きつけられた質問。
自分に惹かれた理由を答えて欲しいという問いに答えた後、さらなる難題を問われ、ディンは人生で一番頭をフル回転させた。
「きっかけが見た目ってだけだ。意識するようになって、今まで見なかった内面の良さに気づいたんだ。俺が好きなのは見た目だけじゃなく、ミレイの全部だ」
今考えると、恥ずかしいことを真顔で言ったと思う。が、これによりミレイの何かを動かしたのは確かなようで、ミレイと結婚の約束を誓った。
抱きしめられてミレイの匂いが鼻をかすめたせいか、ふと遠い昔の思い出が蘇る。
顔を離すと、ミレイは真顔になっていた。
「ユナ。ディンのこと聞いたんだけど。今はどういう状況?」
「アルメニーアに行くと侍女に告げたっきり消息を絶ってしまって」
「そう」
ミレイは何かを考えているようで、両肩を掴んだまま固まっている。
「あの……ミレイ?」
「ユナはまだ身体が万全ではないでしょうし、ここにいなさい! ディンのことは私に任せて」
「えっ? いや、捜索に関しては国を挙げて、色々な人がやってくれてるし」
「あなたは大事な妹なんだから! 私が全部なんとかするわ!」
それだけ言って、階段を駆け上がっていく。
「ちょっ! ミレイ! いくら何でも一人で探すのは無謀だって!」
止める間もなく、風のように去っていった。
ディンは頭をかいて、どうすべきか考えあぐねる。
ミレイのことを忘れていたわけじゃない。ただ頭の片隅にずっと置いて考えないようにしていた。
「止めた方がいいんじゃないのか。あのお嬢様は突っ走ると止まらないところがあるからな」
シーザが顔を出し、忠告するように言う。
「うーん。っても何て説明したらいいのか」
「思い切って全部情報を共有するとか?」
「いや。なるべく情報共有する人間は少ない方がいい。それを話すと危険に巻き込むことになる」
「まあ、それは確かにな」
「基本、話すのは巻き込んで死んでも罪悪感が湧かないやつにとどめたいんだ」
「お前……そういう基準で選んでたのか」
怒りの形相に変わるシーザをディンは見て見ぬふりをする。
「にしても残酷だね」
部屋から出てきたキクはつぶやく。
「君のこと、妹って言ってたよ。まだディンは生きていて結婚できると思ってるみたいだね、あの子」
「……」
そうだ。現実にディン・ロマンピーチはすでに殺されている。
もうこの世にはいない。
だから、ミレイと結婚するという未来はない。考えないようにしていた色々なことが湧いて、心を揺らす。追いかけてミレイにかけるべき言葉が自分の中で見つけられず、足を動かせなかった。




