第61話 まるでロキドスみたいだね
戦いの現場は焼け野原のようになっていた。思わず顔をしかめてしまうが、ディンはなるべく平静を装う。
「これは……全面改装しないと駄目だね。あっ。別にフローティアが悪いと言ってるわけじゃないから」
フローティアは結局、獄魔印の効果が解けるまでその場から動けなかった。
ディンが、仮面女を捜索したふりをしている間、フローティアはずっと割れた壺の残骸を見ていた。
「にしても壺を割らないようにした結果、風で潰しちゃうなんて本当にフローティアは魔力制御が苦手なんだね」
ディンはフローティアの顔を覗き込みながら言う。
「まるでロキドスみたいだね」
フローティアはその問いに答えず、「壊してごめん」と頭を下げた。
「別に怒ってないよ。それよりフローティア。この件は私に任せてもらってもいいかな?」
「どういうこと?」
「このまま報告したとなれば、弁償は免れないよ。魔術師団の活動時間外に私が現場に居合わせたってことにして、王宮戦士団に報告する」
魔術師団を絡ませなければ、当然請求はいかない。しかし、フローティアは複雑な表情になる。
「それじゃ嘘をつくことになる……」
「都合のいい嘘じゃなくて、魔術師団のための勇気ある嘘だよ。どのみちフローティアの報告は私から伝えるし、何も問題ないでしょ?」
「それは……」
「社会に出れば、清濁併せ呑まないと駄目なことってあるんだよ」
フローティアは目をぱちくりさせてディンの顔をじっと見る。
「どうかした?」
「いや……ディンのようなことを言うから」
思わずドキッとするが表情には出さない。
「兄妹だからね。それよりどうする、フローティア? さっさと決めて」
何が魔術師団にとって最適か感情抜きに計算しているのか、しばらく考え込んでいた。
「私の嘘にユナも付き合わせるけど……いいの?」
戸惑いがちにフローティアは問いかける。そこで話はついた。
フローティアと別れた後、ディンはシーザを連れて戻り、五層へ降りた。
最下層とフローティアには教えたが、五層の下に関係者のみが入れる秘密の空間がある。
とある通路の目立たない場所に秘密のドアが設置されており、そこから六層に降りると仮面を外したキクが石造りの床で仰向けになって寝転がっていた。
「身体が重くて痛い。一歩間違えたら死んでたよ」
「うん。でも、色々収穫があった。にしてもあんなに動けるとはびっくりだな」
ディンはそばにあるベンチに座る。
「魔術薬ってのはすごいね」
「使ったのは最上級の増幅魔術薬だからな。手に入れるのにどれだけ金をかけたことか……しかし、色々とわかったこともある」
そう言ってキクは身体をゆっくり起こす。
「僕のような素人でも、魔術解放してないフローティアとわずかな時間だけど相対できた。鍛錬を積んだ兵士ならさらに強くなるだろう」
キクはほとんど部屋から出ない引きこもりである。にもかかわらず増幅魔術薬を使った途端、信じられないような動きでわずかの間だがフローティアも凌駕した。
「あれが剛力……じいちゃんの得意とする魔術か」
「エルマーのような鍛え抜かれた戦士が使えば効果はとんでもないぞ。少なくとも引きこもり女の比ではないな」
勇者エルマーの戦いぶりを目にしているシーザの言葉は説得力があった。
「ディンの特級詠唱魔術もフローティアでも剥がせないんならかなり効果的だな」
「ああ。多数で戦う場合、特級詠唱魔術はやはり有効だ。色々応用が効きそうだ」
詠唱以上に魔術印を刻む工夫は考える必要があるが、ディンの中で一定の手応えは感じていた。
「それよりディン。お前、あの壺大丈夫なのか? やべー価値のものなんだろ?」
「ディンがそんなもの僕に渡すわけないだろ。あれははったりを利かせるための方便だ」
「んだよ、マジかよ!」
シーザは呆れた表情になるが、すぐに表情を戻す。冷静に考えて、本物を使うわけがないと気づいたようだ。
「とりあえず確認できたんだな」
シーザの問いにディンはうなずく。
「ああ。フローティアはロキドスじゃない」
いばら姫は貴族の男たちから名付けられたフローティアの異名だ。その美貌は噂となり数々の男が接近したが、ことごとく撃沈した。その中の一人にディンも含まれるが、皆が感じたのは殺伐とした空気感。
――よくわからないんだけど、なんか近づくとぞっとするんだよな
フローティアを口説こうとした者は口々にそう言い、ディンも同じ感覚が確かにあった。その正体がずっとわからなかったが、ユナの身体に転生してようやく何なのかわかった。
「フローティアは警戒心を持つと、魔力が反応するんだ。その刺々しさに魔術師じゃない人も気づいて、違和感があったってこと」
「魔力制御できないやつにありがちだな。最も素人が気づくほど膨大な魔力を持つ奴は稀だけど」
「顕著なのは戦いの時だ。相手を倒そうとする時、フローティアは力んで魔力を放出しすぎる傾向にあった。魔力制御が本当に苦手なのか俺はずっと見極めていたんだが、今回のことではっきり苦手だと確信した」
とっさの出来事で本性は現れる。極めて価値の高い壺が目の前で割れそうな時、フローティアはそれをとっさに掴もうとし、力んで魔力の制御ができなかった。となると、魔力制御が苦手だと装っているとは考えづらい。
ディンは自分が殺された時のことを思い出す。
討伐記録全書の保存された異空間はほぼ音というものがない。自分の呼吸音もわずかながら聞こえるようなそんな無機質な空間だった。
だが、背中から剣を突き刺した者から音や気配を全く感じなかった。気取る間もなく、刺した者の正体を見ることすらなく、ディンは殺された。
「俺を殺した人間がフローティアだったら絶対に殺気で後ろを振り返っていたはずだ」
あの異空間で足音と殺気を殺し近づくのは、膨大な魔力を制御できないフローティアでは不可能だ。
「間違いないんだな?」
シーザの問いかけ。これに関してはディンの感覚であり、シーザもキクもそれを信じる以外にない。
「間違いないよ」
ディンは断言した。それは二人が納得するには十分な回答だった。
「フローティアがロキドスという最悪の展開は避けれたわけだ。これは朗報だね」
キクは本心からの言葉のようで柔和に微笑む。それはディンにとっても同じだ。あらゆる制限を撤廃した上で戦うことになれば、おそらく六天花内ではフローティアが最強だ。敵でないならこれほど心強い人間もいない。
狙い通り計画も成功し、祝杯ムードになる中、ディンは両手を叩く。
「とりあえず一旦その件は置いておいて」
そう切り出し、無表情でキクを見る。
「どうしたいきなり?」
「今回のダンジョン五層における弁償についてだ。キク。友人価格で割り引いてやるよ」
場の空気が一変して凍り付く。キクも微笑みが消えて無表情になる。
「異議あり。確かに想定より損壊はひどいが、今回の作戦にあたって避けることのできない出費だ」
「異議あり。キク、お前かなり調子に乗って色々魔銃をぶっ放したよな? 途中、フローティアを殺す勢いだった。あそこまでしてくれと頼んだ覚えはない。よって今回はキクが相応の弁償をする義務がある」
「異議あり。私は今回の作戦で相応の怪我を――」
作戦成功による穏やかな雰囲気が一変して殺伐とした雰囲気に変わる。シーザは呆れた表情で不毛なやり取りを黙って聞いていた。




