第60話 獄魔印
フローティア・ドビュッシー。魔術師団内でもっとも魔力が高くポテンシャルの底が知れない女。
ゆっくり近づいてくるフローティアに対し、キクが選んだ一手目は逃走。
即座に背中を向けて、駆ける。
「待ちなさい!」
通路奥を左に曲がり、振り返って待ち伏せ。
近づいてくる足音でタイミングを計り、姿を見せたフローティアに一声。
「ばあ!」
想像の外だったのか一瞬固まるフローティアに対し、魔銃を連射。フローティアの腹部に直撃する。普通なら貫通する殺傷性の高い魔銃だが、分厚い魔力で覆われているフローティアは一瞬うめく程度だ。
反動で後方によれそうになるが、フローティアは逆に一歩踏み出し、キクの仮面を掴んだ。
仮面を掴んだ手首にキクは下からナイフを突き刺す。
「ちっ」
フローティアは反射的に手を放し、風を起こそうとするが、弁償が一瞬頭によぎったのか躊躇する。ディンの精神的な縛りが効いていた。
その隙にキクは再び魔弾を連射。今度は魔壁でガードするも、そのタイミングでキクはその場から離脱。
まともに戦えば勝てるはずないので、一撃と離脱を繰り返すキクなりの作戦だ。それを可能にするのが剛力による身体能力の向上。
むちゃくちゃな走り方でも飛ぶような速度で駆けることができる。
ちらりとフローティアの方を見ると、フローティアは唖然とした表情をしていた。戦闘経験のない素人のような動きにもかかわらず、魔獣のような身体能力をしているからだろう。
キク自身がその効力に驚いていた。
ふと遠い距離にいるフローティアが止まったまま右手を突き出していることに気づく。それの意味に気づいた時は遅かった。
「突風」
身体を撫でたと認識した瞬間、キクの身体は宙に浮き通路のはるか奥まで吹き飛んでいた。
「ぐっ……マジ?」
壁に叩きつけられて、意識を失ってもおかしくない衝撃を受けるが、剛力の効果か不思議と身体の痛みは感じない。
すぐに起き上がり、キクは再び遁走。
「えっ? 嘘でしょ?」
意識を奪ったと確信していたフローティアは驚き、慌てて追いかけた。
通路奥の右手側を曲がり、さらに直進すると大きい広間に出る。
石造りの上に薄い絨毯が敷かれ、天井は高い。
そこでキクはフローティアを待ち受けていた。
フローティアは広間に入り、周囲を見渡す。勇者物語について学べる張り板やエルマーやディンの自画像が壁に並べられている以外に目立った遮蔽物はない。
「ここなら多少暴れられそうね」
フローティアは少し離れた位置に立つキクを睨んだ。
「あなたは何者?」
それに答えずキクは両手を合わせ、小声でぼそぼそとつぶやき始める。二人だけの静寂な空間だったためフローティアの耳にその声がわずかに届く。
口にしていたのは魔術語だった。
それに対し、フローティアは少々呆れた表情になる。キクの魔力量は低く、詠唱しても威力の低い中級魔術が限界だと見切っていた。
詠唱を待つこともなく隙だらけの相手にフローティアは突っ込む。
それはキクにとって想定通りの動き。
「獄魔印」
結び語詠唱と同時に、フローティアは後ろに強力な引力のようなもので元の位置に引きずりこまれる。
「はっ?!」
何が起きたかフローティアは理解できなかったのか、尻もちを着いたまま固まる。立ち上がり、前に進もうとするが後ろに引っ張られ、進めない。足が完全に地面と一体化したかのような引力があった。
床に敷かれた絨毯を風で刻むと、石造りの床に魔術印が刻まれていた。
「まさか……特級詠唱魔術?」
ありえないものを見せつけられたからか、フローティアは驚きを隠せていない。
(タイミングばっちり。流石だね)
当然、キクは特級詠唱魔術を使えない。この魔術を出したのはフローティアの後を追っていたディンだ。
ディンは通路の物陰に隠れて、フローティアの射程に近づき、ゼゼから教わった特級詠唱魔術を唱えていた。
対象を魔術印の強力な引力により一定時間貼り付ける魔術。
フローティアは魔術印の外に出ようともがいているが、身動きが取れていない。キクはそれを確認し、ディンからあらかじめ借りた架空収納から魔銃を取り出し、フローティアに向けて連射。
フローティアは魔壁でガードするが、絶え間ない強力な魔弾攻撃に反撃ができない。長い連射が終わったと同時に投げ込まれたのは爆炎花。
気づいたと同時に爆ぜる。魔術解放していないせいで、魔壁を貫通してガードしていたフローティアの両腕が焦げる。
「ぐっ……」
「とどめだよ。お嬢さん」
フローティアに向けられたのは両手持ち用の巨大な魔銃。射出口も一際大きく威力は他の比ではない。
対魔人用に開発した破壊を重視した魔銃でキクのとっておき。
――魔道救弾
見たことのない魔銃に危険な臭いを感じ取ったのか、フローティアは迷いなく両手を合わせる。
「魔術解放」
強力な魔力と暴風を身体中にまとう。制御不能の暴風で地面の絨毯も自然と剥がれて飛ばされていく。
「受けてみな。暴風のフローティア」
キクは躊躇なく魔銃を撃った。
魔銃の射出から放たれたのは球体の黒い魔弾。フローティアは暴風による魔壁を展開するが、それは魔壁に触れた寸前で強力に爆ぜた。灰色の煙に周囲が包まれ、徐々に晴れていく。爆発に巻き込まれた範囲はほぼ黒焦げで、床も天井もえぐれ原型をとどめていない。
そんな中、原型をとどめて立っていたのはフローティア。
圧倒的魔力量に守られ、爆発にもダメージがない。
「えっ? 嘘でしょ? 魔人相手にだって倒せるよう設計したはずなのに……」
キクは思わずたじろぐ。
「あなたを今から拘束する」
キクは自分が持つ魔銃が異常に重く感じたことで魔術薬の効果が切れたことを察する。
(ここが潮時か……)
「ははっ。魔術印の外に出たくても出れないでしょ? まっ、なかなか、楽しかったよ、フローティア」
そう言って、手を振り背中を向けた瞬間、フローティアが剣を一振りする。
「風斬り刃」
見えない斬撃がキクのそばを通り固まる。一直線に地面を割き、後方の壁も剣撃でぱっくりと斬れていた。
「動くと斬る」
「いやいや……」
フローティアは無表情だ。剣を構えて、魔力を放出。それと同時に強力な風がフローティアを包みこむ。
「舞風」
風で自分を飛ばし高速移動を可能とする魔術。風で移動しようとしても魔術印の引力で引っ張られ、後ろに引き戻されていく。が、さらに風の出力を上げて、強引にフローティアは一歩一歩、キクに向かって進んでいく。
石造りの床に足がめり込み、巨人が通ったような足跡が残る。
「おいおい。これは聞いてないって……」
獄魔印にも負けない風の出力で近づいてくるフローティアにキクは呆気に取られ、その場から動けない。やがてフローティアの手がキクの肩にかかる。
「捕まえた――」
「フローティア! 大丈夫?」
後方から叫んだのはディン。フローティアは獄魔印に引っ張られ、余裕がないのか振り返らない。その背中にさりげなく引き寄せ。
フローティアは後方から引っ張られる力に一歩二歩引き下がる。
「ぐっ……」
ずるずる後方へ引っ張られキクとの距離が空く。キクはそれを確認して、フローティアに向けて振りかぶる。
「食らえ」
フローティアは迎撃態勢を整えて身構えるも、キクが投げつけたのは武器ではなく壺だった。
「えっ?」
両手に乗る程度の大きさに壺の柄は大量の眼玉。それを見てフローティアの眼の色が変わる。
五層にきた時にディンが説明した貴重なお宝、邪多眼の壺。
反射的にフローティアは手を伸ばすが一歩届かない。地面に落ちていく壺に対して、フローティアは反射的に魔術を展開。
壺を包み込み浮かせるように柔らかな風を目の前に飛ばした……つもりだったようだが、強烈な風の威力でその壺はつぶれるように割れた。
「あっ……」
「えっ」
時が止まる。フローティアは口をあんぐり開けて固まったまま、獄魔印でずるずる引きずり戻されていく。一方のキクは、その隙に離脱して消えていた。




