第56話 人生で赤点を取ったことないんでね
二日後、人数限定でオキリスにある最北の街、カビオサの立ち入り許可が正式に出た。昼食会の後、頑なだったライオネルが強引に立ち入り許可まで話をすすめたことが、ゼゼの情報網に入ってくる。
それはユナとの昼食会後から動きが変わったのは明らかだった。半信半疑だったが、まさかあのライオネルの考えをそこまで豹変させるとはゼゼにとって驚きだった。
(どんな魔術を使ったんだ?)
それだけではなく、ローハイ教の動きも思った以上に鈍い。ローハイ教の信者はそこら中にいるので、ディン失踪直前に魔術師団の一人と面談していた事実も掴んでいる可能性が高く、魔術師団に牽制を入れてくると思われたが未だほとんどきていない。
ディンと関わりのあった魔道具師ルーンが一度面会の申し込みに来た程度だ。
――私はユナ様を信じています。もし穢れなき彼女を利用するような輩がいれば、きっと地獄の深淵に身体を突っ込んで八つ裂きにされる運命にあるでしょう
柔和に微笑むルーンは最後に恐ろしい言葉を残していったが、あまり深く突っ込んでくることもなかった。
おそらくユナがあらかじめ根回しして、抑え込んでいる可能性が高い。正直、ユナにそこまでの調整能力があるとは思えなかったが、他にローハイ教に強く影響を与えられる者は魔術師団幹部にいない。
ありがたいことのはずなのに、どこか複雑な思いが交錯する。それはユナに対する印象がどんどん自分の中で剥離していくからだ。
もはやユナは三年前とは別人だ。この事実にどれだけの人間が気づいているのか。
もっともゼゼはそれを幹部であるジョエルや博士にも口にできなかった。
(やはり三年の昏睡による影響なのか……いや、これはそういう問題じゃない気がする)
いくら考えても、ゼゼの中に適切な答えは出てこなかった。
カビオサの件が進展したという話をゼゼが掴んだ午後、目ざとく嗅ぎ付けてきて、ゼゼの私室の扉を開けたのはユナだ。
「少々小耳に挟んだのですが、カビオサの件、前進したようですね」
(褒美が欲しくてさっそく来たか。わかりやすいな)
呆れた様子でユナの方を見るも、本人は微笑みを絶やさない。邪気のない笑顔は三年前と全く同じだ。
「例の件はどうなりますかね?」
「例の件とは?」
「私を六花天に昇格させる件ですよ」
手をもみながら作り笑いを貼り付けている。その様子は顧客に媚を振る行商人のようだ。
「約束した覚えはないぞ」
「カビオサの件を見事、前に進めました! ゼゼ様の意見はあっさり一蹴されましたが、私の意見は丁重に扱ってくれました」
自分の力を誇示するように、最後の一言をユナは強調する。
「だとしてもユナの実績となるか話は別だ。残念なことに形として残ってないしな」
「形として残らない貢献もあります。そこを認めないと今後の組織運営にも支障をきたすと思いますが……まあ、ゼゼ様の考えなら仕方ありませんね」
再び邪気のない笑顔を見せる。素直な言葉を吐いてるように見せているが、明らかに皮肉を込めている。三年前には絶対なかった口ぶりだ。
が、ユナの言っていることは間違っておらず、自分が意地を張っているのは確かだ。
「最近どうした? なぜそこまで昇格にこだわる? まだまだ若いんだし焦ることもないはずだ」
「魔術師団に所属していることを私の周囲には反対している人が多いので……実は母にもまだはっきり言えてません」
「……」
「でも、私はこの場所で居場所を確保したいです。だから、他の人も納得させられる明確な実績が欲しい……ただ少々勇み足だったかもしれません。ゼゼ様も良い顔をされてないようですし……」
ユナは少し悲し気に視線を落とす。
「兄の失踪を探すという件も魔術師団の負担になってるようですね……一度魔術師団から距離を置いて、ルーンさんの言うとおりローハイ教の方からお力添えいただくのも一つの手かな……」
ぼそりとユナはつぶやき、様子を伺うようにこちらをちらりと見る。
これは遠回しの牽制だ。このタイミングでユナが魔術師団を去り、ローハイ教側に頼るというのは見ようによってはあらぬ誤解を招く。下手をすると魔術師団内に容疑者がいるという噂が出てもおかしくはない。
だから、ここは全力で引き留めなくてはならない。が、こういう揺さぶりを平然としてくる今のユナが気に食わないのも確か。
(やっぱり今のユナは喋れば喋るほど、私を苛立たせるな)
喋り方や所作は昔と同じだが、根本は何かが違う。
ゼゼはじっとユナを観察してから口を開く。
「この後、時間あるか?」
「暗くなる前なら構いませんよ」
「訓練場の人払いをしておくから少しの間、待機していろ」
ゼゼの指示通り、ディンは誰もいなくなった訓練場で待機していた。ディンは人払いさせることの意味をなんとなく察していた。
(ここでの立ち回りが鍵になるな)
少し待っていると、入口の扉から音もなくゼゼが訓練場に入ってくる。入口にいたと認識した後、気が付くと目の前に立っていた。
動揺を噛み殺してディンは平静を装う。
「場所を変えての面談というわけではないんですね?」
「私なりに六天花ってのは特別でな。私が認めた魔術師以外は入れることはない。ユナのことは一度認めているし、今もそこに入れるのは問題ないと思っている」
そう言いながら、ゼゼはこちらを射抜くようにディンを見る。
「じゃあ問題ないってことですね?」
「いや、ただどうにも引っかかりがあるのも事実だ。今のユナを認めるべきか否か、まだ迷う自分がいる」
「三年前の私より……実力的に劣っているということですか?」
「そうではない。むしろ戦い方は大人になったと感じる。ただ引っかかるんだ。今のお前には……なんだかある種の気色悪さを感じている」
その言葉は言い得て妙だとディンは思った。外見はユナであるが、中身はまるで違う人間なのだから当然だ。
長生きしているからか、ゼゼの観察眼は他よりずっと鋭い。
「こういうすっきりしない時に……私がやることはいつも決まっている」
両腕を組んだままゼゼはこちらを睨む。
「来い。ユナ。三十点以下なら認めることはない」
ゼゼの身体から高密度の魔力が発せられる。それは海や空のような絶対的な自然現象の一つに見えて、ディンは思わず見惚れた。
魔術師団の絶対的な存在が、今自分の前に立っている。
臆する気持ちを認めつつ、ゆっくり息を吐く。
「点数制? 平均点はいくらです?」
「さあな。自信がないなら、この試験受けなくてもいいぞ」
ディンは迷わず両手を合わせる。
――魔術解放
「自信ならありますよ。人生で赤点を取ったことないんでね」
人生にいくつかある避けることのできない戦い。
これはその一つだとディンは悟った。




