第47話 エリィに言われた気がするよ
闘技場での魔人出現はアルメニーアを揺るがした。
人々はパニックに陥り、街を脱出し王都オトッキリーに続く道は馬車で溢れているという。もっとも魔人は討伐され、アルメニーアの外にいた大量の魔獣もすべて討伐されたので、その一報が民衆の間に広まれば、いずれ落ち着きを取り戻すだろう。
その日の夜、ディンはアルメニーアにある邸宅に戻ってきていた。
ルゥはゼゼの言いつけを守るため、家の中にまで入ってこようとしたが、適当な理由をつけて追い払った。
ずっと気を張っていたせいか、安心できる場所に戻った途端疲れがどっと押し寄せた。食事をとることなくベッドの上でずっと仰向けに転がっているが、なぜか眠くはならない。
頭が妙に冴えていて、ずっと同じシーンが頭の中を流れている。
ふと扉のノック音が聞こえて上半身を起こした。
中に入ってきたのはシーザだ。
その表情はいつもと変わらないが、どこか重苦しい雰囲気だ。黙ったままシーザは椅子に座り、窓から景色を眺めながらつぶやく。
「ディン。あまり背負いこむなよ」
「何が……?」
「言わずともわかるさ。エリィ殿下が亡くなった件だ」
シーザはこちらに視線を向ける。
「目の前にいながら何もできなかった虚無感。自分への無力感に打ちのめされてるんだろ? でも、あれはどうしようもなかった。ディンの力が足りなかったわけじゃない。自分を責める必要はないんだ」
「そんなことわかってる。ハナズが全部悪い。いちいち自責の念に駆られるわけないだろ」
場は長い沈黙に包まれる。
「ここはさ、『俺にもっと力さえあれば!』みたいなこと言って、自分を責める感じじゃ……」
「俺にもっと力があれば! エリィは死ななかった! みんなを守れた! 俺にもっと力があれば!!」
ディンは感情的に壁に拳を叩きつけて、すぐ平静に戻る。
「そんな面倒なムーブするわけないだろ。俺は十分善戦した。百点満点中八十点は固い。問題があるとすれば、六天花以外の脆弱な魔術師団としょぼい魔道具だな」
「……お前やっぱり自己評価高いな」
「まあ、でもエリィが亡くなったことに関しては素直に思うことあるよ」
ディンの言葉は少し寂し気に響いた。
ロマンピーチ家は幼少のころから王族と家族ぐるみで付き合いがあった。幼いころから交流があったディンはエリィの死に何も感じないわけがなかった。じわじわと冷静になりエリィがいなくなった喪失感が襲ってくる。
「エリィには覚悟と勇気があったけど、俺にはなかった。だから、あの時動けなかった」
「殿下がハナズにとどめを刺された時のことか……それは難しい問題だな」
ディンが動いていれば何かが劇的に変わったとも思えない。だが、動いたら何かが変わっていた可能性はある。
生き死にの場面で勇気をもって奮い立てる人間は少ない。ディンは魔術師としての技量や魔道具の質ばかりにとらわれ、自分の中で勇気と覚悟を育んでいなかったことに今さら気づいた。
ルゥやシーザのおかげでハナズに立ち向かえたが、一人になった時、また同じ状況で動けるのか……ディンの中に確信がない。
「じいちゃんならあの時も迷わず動けたんだろうな」
「どうかな……ただエルマーは損得抜きで自分の身を犠牲にできる男だったからな」
「俺とは真逆だ」
ディンは乾いた笑い声をあげて、やがて黙り込む。
「エリィが死んだ時のこと、ずっと忘れられないんだろうな」
「過去を悔やみ続けるな! 悔やむのなら、今すべきことを成せ」
ディンはシーザの方に視線を向ける。
「勇者物語に出てくる言葉だ。エリィ殿下が好きだったんだろ?」
「ああ」
そう答えて、ディンは軽く身体を伸ばした。
「なんとなく……エリィに言われた気がするよ」
ディンの表情はほんの少しだけ柔らかくなっていた。
「で? 自分を殺した容疑者全員と会った感想は? 」
翌朝、食卓に並ぶ料理をほおばりながら、キクは何でもない話題を口にするように切り出した。
「ディンなりに一晩考えたんだろ?」
「まあな」
ディンはサラダを口にして、咀嚼して飲み込んだ後答える。
「とりあえずルゥは容疑から外していい」
「根拠は?」
「今回起きた一連のアルメニーアの事件、手引きしたのはロキドスだろ。なんで欲しがってるのかわからないが、目的は魔王の血だ」
「ハナズがオークション会場に来たのはそれを手に入れるためだったんだよね」
「ああ。偽物だったことに怒ってた。あの出品者、個人的伝手で調べたんだが、魔術師団の人間だった」
キクは食事の手をピタリと止める。
「偽物を出品して釣ったわけね。一方、ハナズの方は本物だと確信していた」
「偽物だと知っていた人間は魔術師団内でもほんの一握りだ。ルゥはその中に含まれる」
ルゥによると、セツナの仕事は、クロユリ盗賊団を義団にして街の話題をかっさらった後、オークションで魔王の血を狙うと宣言し、魔王の血が出品されることを世に大きく宣伝。そして、魔王の血を落札する人間及び関係者を洗いざらい調査し、その動向を追い続ける役目だった。
「ルゥがロキドスなら偽物だと知ってる。だから、ハナズは来てないってことだな」
シーザの言葉にディンはうなずく。
「果たしてそうかな? 魔王の血を手に入れることだけが目的なら、あんな大騒動起こすとは思えないけどね。他にも目的はあったんじゃないか?」
ひねくれたキクらしい意見だが、的を射ている。
「可能性はあるな。ただルゥのおかげでハナズを死に追い込めた。あの死闘は嘘じゃないし、やっぱりルゥじゃない」
あの時、一緒に戦ったことでルゥじゃないとディンは確信していた。シーザも同意するようにうなずく。
「状況を総合的に判断すると、そうなるか」
キクはやや奥歯に物が挟まったような言い方で渋々納得する。確定ではなく推定無罪なのが気に入らないのだろう。
「ならゼゼ様も違うな。ルゥにその作戦実行を指示したのはゼゼ様だし、ハナズも倒した」
「まあな」
今度はディンの方が口ごもる。ゼゼのことを思うと複雑な思いが交錯する。
「シーザ。闘技場でゼゼの魔力が急激にすり減っていったのはなんでかわかる?」
「明らかに普通じゃなかったな。病気とかではないはずだが、呪いに近い魔術の縛りなのかもしれん」
ゼゼというエルフの情報は機密というベールで包み隠されている部分が多い。
闘技場の件で事情があることはわかったが、ユナの事故のことを思うとやはりゼゼに対して否定的な思考が先にくる。
「ディン。やっぱりゼゼ様にすべてを打ち明けて相談した方がいいんじゃないか?」
「ユナの事故の件がはっきりするまで保留って話だろ?」
即座に切り返されて、シーザはやや渋い表情に変わる。
ゼゼに救われたのは間違いない。それに対する感謝の念もある。が、それで全面的に信頼する気にはならない。ユナの事故の全容が明らかにならない限りディンはゼゼと信頼関係を築く気にはならなかった。
ディンの心中を察したか、シーザもそれ以上何も言わなかった。
気を取り直すようにディンは両手を叩いて話を戻す。
「ってことで容疑者は四人まで絞れたな」
残るはタンタン、アラン、フローティア、アイリスの四人。
見事に性格や属性がバラバラだ。
「ちなみにその四人はディンが殺された時間、それぞれ任務についてたみたい。さて、名探偵ディン君。ここからどう魔人ロキドスだと絞るんだ?」
楽し気にキクは尋ねる。
「消去法で絞っていくだけだな」
「おっ! それは何か考えがあるんだね?」
「ああ。王都の任務につけば、確かめる方法がある。俺の中で一番怪しいとみてる人間だ。ただ問題がある」
ディンは少し黙り込む。
「何かな?」
「俺の扱いは仮入団の雑用扱いだからな。そもそも同じ任務につけるか怪しい」
ゼゼの直属の部下というのは名ばかりで、やっていることは訓練と雑用だった。昏睡から目覚めて間もないので仕方ないが、健康面に問題ないか経過観察中の身である限り、任務につけるか微妙だ。
「じゃあディンの目標は雑用扱いから成り上がることだな。六天花とより深く関わるには空いた席に座るのが一番手っ取り早い」
死んだエリィのことを空いた席と表現するキクはやはり配慮が足りないし、人間性に問題があるが、間違いではない。
ディンはその場で唐突に立ち上がる。
「よし! じゃあ王都に戻ったら俺は六天花に返り咲く!」
ディンの高らかな宣言にシーザは呆れた表情に変わる。
「おい、雑用扱い。お前魔術師団舐めてるだろ。そんな簡単になれるもんじゃねぇんだよ。元六天花だとしても、ゼゼ様の性格から、最低一年は実績がないと戻すことはないね。悪いけど、今回のこと実績はほぼ何も積み上げてないからな」
「俺には俺のやり方がある」
ディンの意地悪な笑みを見て、シーザは露骨に顔を引きつらせる。
「頼むから問題を起こさないでくれ」
懇願するようなシーザの言葉もディンは軽く聞き流す。
「とりあえずキクも王都に来い。引きこもれる場所は用意するから。これからは密に意見交換したい」
「僕も今まさに提案しようと思っていたところだ。第二王女が死に、勇者の孫が行方不明。今後のダーリア王国の成り行きを間近で見届けたいからね」
まるで娯楽を楽しむようなキクをシーザは冷めた目で睨みつける。
「引きこもり女。遊びじゃないんだぞ。もっとわきまえろ!」
シーザの一喝をキクは鼻で笑う。シーザはそれに苛立ちを覚えながら、朝からコップに注いだワインをごぶごぶと飲み干した。
「勇者一行のパーティは尊敬できる人間ばかりだったんだけどな……ったく、大丈夫かよ」
シーザからすれば、かつて組んだ勇者一行のパーティと今を比べると不安を覚えるのだろう。思えばシーザから受ける視線は軽蔑ばかりで、尊敬の眼差しなど皆無だ。シーザの心中が察せられる。
「でも、シーザのいうとおり第二王女の死はただ事じゃない。魔術師団に対しての風当たりはさらに厳しくなるだろう」
被害を最小限に抑えたとは言え、第二王女のエリィ・ローズの死は王族たちが黙っているとは思えない。
「少なくともアンチ魔術師団として有名な第一王子は黙ってないだろうね」
「ああ……そうだな」
ディンの頭に友人である第一王子ライオネル・ローズの顔が自然と浮かんだ。




