第43話 勇気
ハナズは対峙する魔術師を観察する。
一見すると他の人間より小柄で軽く撫でれば壊れそうな脆い存在。が、身体中をまとう黒い魔力の密は死を連想させる。それはかつて対峙した歴戦の強者たちと重なり、自然とハナズは口元に微笑を浮かべる。
仕掛けたのはルゥ。
「暗黒弾」
ノータイムで放たれたにもかかわらず、先ほどより何倍も強力な魔力の塊。
ハナズはそれを振りかぶって、上から下にたたきつける。ハナズが視線を前に戻すと、すでに眼前にルゥはいない。一瞬で背後にまわっており、背後からの突き。
刺さる直前、ハナズの周囲が爆発し燃え上がる。
背後の影が溶けて、ハナズの右手側に地面からルゥが五体現れる。
長い黒針を持つ五体が一気に襲い掛かる。
「影魔術の弱点は、脆さだ」
ハナズは右手で軽く振り払うように炎を放出。半月を描くような広い範囲の炎は、五つの影を燃やし、即座に溶かしていく。
「一撃食らえば、基本形が崩れる」
次は左手側に五体出現。
同じ要領で広範囲の炎を放出し、五つの影は燃え、溶ける。唐突に真正面の地面から現れたのはルゥ。すさまじい速度で詠唱していた。
溶けた影は地面にぐるりと円を描き、魔術印となる。
上級魔術までを無詠唱展開できるにもかかわらず、魔術印を描き詠唱したことでハナズは理解する。
(特級詠唱魔術)
魔術展開を阻止するために炎を練り上げる。が、ハナズの攻撃より早く、ルゥは魔術語の連なりを締める結び語を唱える。
「斜陽影」
ハナズは身構えるが、何も起こらない。
「んだ? 焦って詠唱失敗かっ! だっせーな」
両手を広げて、灼熱を練り出す寸前、
「影刺し」
ルゥが自分のすぐ下の伸びた影に針を突き刺す。
ハナズの右目に強烈な痛み。
「ぎゃあああああ!」
悲鳴が上がり、間髪入れず長い影の針をもう一度突き刺す。
「影刺し」
今度は左目に強烈な痛み。
「あああああ!」
叫びながら、灼熱魔弾を前方に連射。
右目は完全につぶされ、左目は滲んでいた。
たまらずハナズはバックステップ。
(私の影を刺して攻撃してきやがった。でも、おかしい)
ルゥとの距離は十歩分以上。
時刻はちょうど正午過ぎ。太陽は高く上り、影が伸びる時間ではない。
だが、自分の影を確認すると、異様なほど長く伸びていた。
斜陽影は対象の影を極端に伸ばす魔術。
そこに思考が至るも、ルゥの猛攻が早い。作られた影の分身十体が、長いハナズの影に針を突き刺すべく襲い掛かる。
「くそがあぁああ!」
かすむ視界の中、ハナズは魔弾を広範囲にでたらめに連射。
その間、ハナズの死角にある死体の影からルゥは出現。
すでに構えていた。
「暗黒弾」
強度を限りなく高めたものが後方の胸部に直撃するが、貫通しない。
ハナズは魔力で上半身を堅牢にガードしていた。
ハナズはルゥの方を振り返り、すぐさま攻撃態勢に入る。
魔術を展開させるため、右腕を振り上げるが、唐突に撃ち抜かれてちぎれる。
「ぐっ」
撃たれた方向を見ると、二階席に移動していたエルマーの孫が両手で魔銃を握っていた。
バランスを崩したハナズにルゥは接近。
真正面から、腹部に強力な突き。
「影突き」
腹部に拳がのめりこみ、ハナズの顔が歪むも、左腕で上から下へ叩き込み。
それを間一髪でかわし、ルゥは影移動。
ハナズは周囲を見渡す。
またも長い影に向かって、大量の影の分身が襲い掛かるのに気づき、魔弾連射。
(影が長いのはまずい)
左腕でポケットから魔道具を取り出す。
一級魔道具、無窮の零性。掲げて、効果を発動させようとした瞬間、強力な力に引っ張られ魔道具を手放してしまう。
「あっ」
その魔道具は二階席にいる少女の元へ。
引き寄せ。距離は五十歩分以上離れているにもかかわらず、強烈に引っ張られた。
「糞チビが!」
大量の影分身が助走をつけて跳躍し、ハナズの長い影に針を突き刺す瞬間、
「紅蓮獄柱」
ハナズの周囲全体が爆発し、長い影まで覆うほどの巨大な熱の柱が地面から立ち昇る。円形闘技場にあるすべてを焼き尽くす紅蓮の炎。そこはまるで炎に包まれたような世界となった。
「なんだ、あのでたらめな魔術は……」
二階席にいて運よく巻き込まれなかったディンは唖然としていた。
影移動で隣に来たルゥは少し火傷したのか、身体からわずかに蒸気が出ていた。
「ルゥ、大丈夫?」
ルゥは少しの間、座りこむも、すぐに立ち上がる。
「問題ない」
「どうやったらあいつ死ぬんだ。腹貫通させたのにいつの間にか回復してるし……」
「魔人は人間を元に作られたと言われている。だから、基本的に心臓と同じ機能のものが胸の中心部にある。そこを貫くことが重要。でないと、自然と身体は魔力で回復する」
灼熱の炎に包まれたハナズを見入る。
目の回復と腕の回復に専念しているのか、じっとこちらを伺っていた。火柱が立ち昇り続けており、近づくことさえできない。
「魔道破弾なら貫通できる」
腹を貫通させ、さっきは右腕をちぎった。自分の持つ魔道具の中でももっとも強力であり、魔人にも通用する手ごたえがある。
「もう警戒されてるし、胸部は一番魔力でガードされてる。特に前方は大きく固められてる」
「じゃあどうする?」
「打つ手はある」
真正面を見たまま淡々と説明する。あまりに単純だが、虚をつくことはできる。ただし、チャンスは一度きりだ。そして、成功するかはディン次第。
ディンは再び円形闘技場に降りて、ハナズと対峙することを想像した時、動悸が高鳴った。
「怖れることは悪いことじゃねぇよ」
心の中を見透かしたようなシーザの言葉。思わずはっとなる。
その続きの台詞をディンは覚えている。
――自分の中にある弱さを大事にしなさい。それを受け入れて一歩踏み出せる時、本当の意味で強さを手に入れられる
勇者エルマーの言葉。真意がわからなかった言葉が、今さら響いた。
ディンは自分の弱い部分やかっこ悪い部分を見せるのが心底嫌いだ。
勇者の孫という立場や元来のプライドの高さのせいか、うわべだけは誰よりもうまく取り繕い、虚勢を張る。気づけば自分にさえ、嘘をついていた。
でも、そんな包み隠していた弱い部分がハナズとの戦いで全部こぼれ落ちてしまった。
臆病で前に踏み出せない。恐怖で足が震える自分……情けなくて格好悪い自分。
でも、それも含めて自分なのだから隠す必要なんてなかった。受け入れてあげないと駄目だった。
「じいちゃんのように心は強くない……死ぬのが怖い。怪我するのが怖い。命を張る行為は……怖い」
ディンはずっと覆い隠していた自分の中の弱さをはじめて認めた。
「エルマーだって強くねぇよ。あいつもびびりだった。若い時は情けねぇ声あげて、剣振り回してたんだぜ。私も同じだ。今だってびびってる」
「そうなの?」
「ああ。きっとみんな同じだよ。エルマーも特別じゃない。だから、あいつも人間なら誰もが持ってるものを振り絞って、前に進んだ」
「誰もが持ってるものって……」
シーザは、くしゃりと笑って迷いなく答える。
「勇気」
自分の弱さを認めて、一歩踏み出す勇気。
意識したことのないものをはじめて意識した。
「勇者は英雄って意味じゃない。勇気がある者のことだ」
エリィも他の魔術師団たちも持っていた。ルゥもそうだ。
なら、自分の中にだってあるはず……
ディンは円形闘技場の真ん中に立つ魔人ハナズを見る。
湧き上がる恐怖や不安、それを察したのかルゥはぎゅっと手を握った。
「ユナ、大丈夫。あなたはいつだって一人じゃない」
自分の中で今までにない何かが湧いてくるのをディンは感じていた。
「よし。行こう!」