第42話 魔術覚醒
「エリィ。そんな……」
目を覆いたくなる現実。
ハナズが放出した先に人の影はなく、あるのは黒ずみと化した何か。
ディンは呆然と立ち尽くしていた。
エリィの言葉に後押しされて魔人と戦う意思を持てた。でも、それは勢いだけで大事な部分に目を背けていた。
生と死の境界線。死という恐怖は覚悟のないものの身体を支配する。だから、エリィの限界が来た時もディンはその場から動くことができなかった。
怪我もしていないのに、エリィを助けられずただ見ているだけだった。
今さら気づく自分の覚悟の無さ。それがもたらした現実に目を背けたくなる。
が、エリィの身を投じた攻撃でハナズは腹部を抑えて悶え苦しんでいた。
「せめて、とどめを刺さないと……」
身体を奮い立たせる。一歩近づくも、ハナズがステージにあるものに手を伸ばし、ディンは目を見開く。
一級回復魔道具、天使の慈愛。万物の治癒を可能とする世界に十とない奇跡の魔術薬。
それはオークションに出品された一つだ。
「運は誰にでも平等なんだな」
それを飲み干すと、ハナズの身体が白く輝きを帯びる。
「あっ」
絶句して言葉が出てこない。その場で固まり、みるみる回復していくハナズをただ見ていた。
あっという間に身体を回復させたハナズは魔力を再びみなぎらせ、こちらに視線の照準を合わせる。
歪んだ笑みを浮かべる死神が一歩一歩近づいてくる。逃げるべきなのに、身体が反応しない。
「エルマーの孫。次はお前だ」
構えて、即座に射出態勢。
「焦熱融解」
「暗黒弾」
射出される前にハナズの頭部に連続して直撃した黒い魔弾。
ハナズはわずかに衝撃を受けただけで痛みを感じた様子も見せず、攻撃された方向に身体を向ける。
視線の先にはルゥが立っていた。
ルゥは牽制しながらディンの傍に駆け寄ってくる。
「ルゥ……」
「ユナ。どんな時でも戦場でうつむいたらいけない」
「……でも」
「過去を振り返るのはいつでもできる。大事なのは今、何をすべきか考えること」
ふとエリィも同じことを言っていたことを思い出す。
「ルゥ。あなたは何者なの?」
「私の名前はルゥ・クロサドラ。でも、もう一つ称号を持っている」
「称号?」
「師匠から得たもの……セツナ。それがもう一人の私」
「ルゥがセツナ?」
六天花序列二番、顔のない魔術師セツナ。その正体がルゥと聞いて、少し混乱する。
ルゥの肩に乗ってたシーザが、ディンの肩に飛び移る。
「セツナは隠密部隊の総称だ。この子が今一人でそれを背負っている。クロユリの盗賊団を演じていたのも、作戦の一部なんだってよ」
表ではなく、裏で活動する魔術師団の秘密部隊というところか。
「まさかセツナがずっと傍にいたとは……」
が、状況は変わらない。魔人と戦ってわかった。ディンとの戦いでルゥも本気じゃなかったとはいえ、ハナズには遠く及ばない。膨大な魔力と、その濃度はまさに生き物を破壊するために生まれたような存在。種族としての違いが大きすぎる。
「ルゥ。あいつには勝てない。いったん離脱しないと」
「背中を向ける選択肢はない。それにユナ。あなたはまだ知らない」
「何を?」
「奥すら見えない魔術の深淵。そして、魔術師の可能性」
「可能性……?」
ピンとこなかった。そんなものがはたしてあるのか。
思い出すのは過去の自分の言葉。
――魔術師なんてもう終わり。時代は魔道具だよ
魔術印の意味や魔術語も理解せずに、魔道具を手にしただけで魔術師と対等になった気でいた自分。
――魔術師は時代に取り残された連中だよ
貴族たちの間でバカにするようにあざ笑っていた自分。
そう、ユナの事故の件以来、魔術師が心底嫌いだった。
ユナを昏睡状態に追い込んだのはゼゼ魔術師団だ。魔術師という存在そのものが憎かった。
罵声を浴びせたのは一度や二度じゃない。魔術師団の悪評を広め、足を引っ張るような嫌がらせもした。
でも、そんな嫌いな魔術師団に入って、心のどこかで気づいていた。
彼らが血の滲むような努力をしていること。
平和という影の中に隠れても、己の役目を忘れず平和維持の活動を続けていること。
どれだけ恐ろしい敵に対しても屈することなく立ち向かうこと。
この闘技場にいるすべての魔術師は逃げることなく魔人に立ち向かっていた。
(俺は……魔術師のことを何も知らない癖に批判ばかりしていた)
「可能性なんて……あるの?」
思わず問いかける。
魔術師に未来はあるのか。
魔術師は魔人に勝てるのか。
ディンにはわからない。
それを知るのは魔術の深淵を見続けた魔術師のみ。
「ある。私を信じて」
いつも通り感情のこもってない言葉だが、その瞳には一切の濁りがない。
「私たちは魔族に屈しない」
ルゥは両手を合わせる。
「魔術覚醒」
黒い影の濃度が増し、ルゥの周囲を漂う空気が一変する。
「魔術覚醒できる魔術師が現代にいるとは……」
シーザは思わずつぶやく。
魔術覚醒はまとう魔力の密度と濃度を極限まで高める。
これによりすべての魔術が何段階も威力を増す。
本当に一握りの才能を持つ者にしかできないダーリア王国最大の秘儀。それを扱えるのは最強の魔術師ゼゼに認められた才能のみ。
そのことを知る魔人ハナズは警戒心を引き上げ、表情を変える。
「お前とは死闘になりそうだな」
ハナズも己の魔力を再び爆発させた。