第36話 ちょっとはしゃぎすぎたな
アルメニーア南東部。そこはまだ開発されてない原野が広がる。
遮蔽物がないそこに魔獣が複数現れたとの報告で急遽部隊を細かく分けて対応。
複数という報告はいつの間にか十匹以上と変更され、そこに向かった者は皆不安を覚えた。
わずか三十人ほどの少数で対応するのはアルメニーア魔術師団支部の精鋭たち。
が、対人戦部隊である彼らにとってはじめての魔獣は荷が重く、特に三面犬は想像以上の脅威で苦戦を強いられた。
死傷者は出さずに済んでいるが、どこかが崩れれば全員一気に三面犬の餌になりかねない。
そんな現状を覆したのはフローティア率いるゼゼ魔術師団の援軍だ。
派遣されたのはわずかに五人だけであるが、流石本部の魔族討伐部隊であり、瞬く間に押し返した。
こちらが五人がかりで対応しているところを、彼らは一人一殺で三面犬を確実に葬っていく。
「複数で囲われないように! その時、必ずフォローを!」
中心で指揮するフローティアはいつの間にか指揮官のようになっていた。
が、的確な指示に文句を言う人間は誰にもいない。
「本当に助かりました」
アルメニーアの部隊を任されていた若い隊長はフローティアに心からの感謝を示し、頭を下げる。
「かまいません。仕事ですから」
わずかに口元だけ微笑む。
凛とたたずむフローティアの横顔に思わず目を奪われる。
戦場にいるのがいびつに思えるほどの美少女。
すぐに理性で魔獣の方に視線を戻すが、鼓動の高鳴りは止まらなかった。
「それにまだ終わってないですから」
心の中を見透かされたような気がして、若い隊長はすぐに気を引き締めた。
「報告では百匹以上ということです。東部と南部の森。東部はかなり接近されてるので援護が必要かと」
「東部は比較的守りやすい。適切な人材を向かわせたので大丈夫です。優先するのは広範囲に及ぶ森の方で」
フローティアは即座に答える。その言葉は絶対的な正解のように聞こえて、東部は大丈夫だという安心感が自然と湧いた。
「フローティアさんがそれだけ信頼している方が東部にいるということですね。なら安心です」
フローティアは露骨に嫌そうな顔を見せる。
「そういうのじゃないんで」
「信頼じゃないよねー。私もあいつ大嫌いだし」
「私も糞ほど嫌い。普段怠けてる人間だからこういう時にこき使っておかないと」
ゼゼ魔術師団の女性陣が、全員そろって嫌悪感を露わにする。実力はあるが、かなり嫌われた人物らしい。それ以上触れないことにした。
「ここを制圧したら森の方に援護ということで」
「ええ」
おおよその目途は着いた。そう思った時、隊員の一人が空を指さす。
「あれ……」
空を舞っていたのは巨大な魔獣。
「飛んでる」
三面犬が翼を広げていた。他のものより数倍体格は大きく、魔力もすさまじい。
「なんだあの化け物は」
アルメニーア支部の魔術団たちは恐怖で顔が歪む。
「ケルベロスかなぁ」
「空飛ぶタイプなんているんだ」
「でかいね」
傍にいるゼゼ魔術師団の表情は一切変わらず、どこか暢気な感想を並べていた。
比較的全員若いが、圧倒的経験値の差を感じる。
「どうしたらいいですか?」
中でもひときわ若いフローティアに恥ずかし気もなく指示を仰ぐ。
「全員、全速力で退却」
的確で簡潔な指示。
「了解!」と声をそろえたゼゼ魔術団員は迷わず、後ろへ駆けていき、それに皆続く。が、フローティアはなぜかそこに残っていた。
「あの。退却では?」
「私は残る。あなたも早く退却してください」
「そんな! 一人では無謀です!」
「いいから来なさい! 巻き込まれちゃうよ!」
ゼゼ魔術師団の一人はそう叫び、何が何だかわからないまま彼らについていく。
一人そこにとどまったフローティアはゆっくりと数を数えていた。
その間、地面に伏せる瀕死状態の三面犬を一匹一匹確実に剣でとどめを刺していく。
「もう十分かな」
目に見えるのは自分以外に空を旋回するケルベロスのみ。
フローティアは深呼吸した後、ゆっくり伸びをする。
「制限、禁止。どこにいてもついてまわる」
平和になったことは素晴らしい。そこに疑問の余地はない。ただそれに付随して、面倒なことも増えた。
街中の建物を壊さないため。
森を保護するため、自然の景観を壊さないため、貴族の領地であるため。
求められるのは魔力の制限。
一際、魔力制御を苦手とするフローティアは常に縛りを入れられているような感覚だった。
「よかった。ここなら制限はないよね」
周辺に広がるのはほぼ何もない原野。
ふつふつと沸き上がるのは解放できる喜び。
全力解放できない日が続くと、ストレスのせいか眠れなくなることがある。
フローティアは両手を合わせる。
魔術解放。
フローティアの周辺が爆風でなびく。
風が舞い、小さな竜巻のようになり、フローティアは浮き上がる。
空を飛ぶケルベロスはその危険度を察知したのか、威嚇するように吠える。
が、威嚇の声が止まる。
「魔術覚醒」
ゼゼ魔術師団の中でも選ばれた者しか扱えない秘儀を躊躇なく使う。それは魔術の威力を一時的に何倍も引き上げる。
両手を合わせたフローティアの周囲がさらに激しく吹き荒れる。
膨張していく魔力が激しくうねり、風に変わる。
その風は意思を持つように荒々しい。
距離にして三十歩分以上あるが、三面犬の翼の肉がじわじわと切り裂かれる。
それはフローティアをまとう風の中で無尽蔵に繰り出される風の斬撃だ。弱い生物は近づくだけで切り裂かれて絶命する。
ケルベロスは近づかず三つの頭から放射状の強力な魔弾をフローティアに放つ。が、中心部にいるフローティアに届く前に風斬り刃でズタズタになり離散。
フローティアは荒々しい風の中を泳ぐようにくるりと一周。
その動きはとても優雅で一振りさせた剣の動きはとても軽い。
「暴風刃」
結び語と共に軽い一振りから放たれる一閃の風。
ケルベロスの右側の頭に吹いたと思ったら、たちまち無尽蔵の斬撃が浴びせられる。見えない斬撃で、顔中がズタズタに切り裂かれ、瞬時に原型がなくなる。
風吹く限り、それは延々と続く。
その風に逆らえる者はいない。
ある者はその魔術に感動し、ある者はその破壊力に怖れ、ある者は家を壊されてぶち切れる。
ついた異名が暴風のフローティア。
「安心して。全部の顔、お揃いにしてあげるから」
優雅に空を舞うフローティアは微笑をこぼす。
「まるで災害だ……」
フローティアの戦いをはじめてみる魔術師たちは驚きの声をあげた。
もはやこの場に心配してるものは誰一人いない。
「今日は気合入ってるね。ストレスたまってたのかな」
フローティアを知る者は暢気に口を開く。
「いつもこんな感じなんですか?」
「まあ、だいたい大変なのは、これからなんだけどね」
「どういうことでしょう?」
ズタズタになった巨大なケルベロスが空から落ち、地に伏せた。
喝采の声がしばらく上がるが、ゼゼ魔術師団員の表情は明らかに曇っていた。
「まずいね。念のためもう少し離れておこう」
「どういうことです?」
「フローティア、たぶんあれをうまく放出できないんだと思う」
「はっ?」
フローティアの周囲でぐるぐるとうねり、雲の動きまで影響を与える巨大な風の塊はもはやサイクロン。傍から見ると、街一つ吹き飛びそうな威力がありそうだ。
「どうなるんです?」
「失敗したらこっちにあれが飛んでくるかも」
「ええええええ」
皆が目を剥く。
フローティアは巨大すぎるその力を未だうまく扱いきれない。
圧倒的なポテンシャルと才能を持ちながら、序列四番にとどまる大きな理由だ。公共物を破壊し、弁償と謝罪に駆けだされたのは一度や二度ではない。
「フローティアを信じるしかない。近づいたら死ぬ可能性が高まるだけだしね」
そう言いつつ、魔術師団総意でその場からさらに離れていく。
自分を中心に取り巻く竜巻の流れをぼーっと眺めながら、フローティアは腕を組んで考えていた。
「倒したから問題ない。被害も出てないし」
自分自身に言い聞かせる。そう言いつつ、この状況に対し頭を抱える。
「ちょっとはしゃぎすぎたな」
この後、時間をかけて、ゆっくりゆっくり風を上空に離散させてフローティアは事なきを得た。




