第35話 序列一番、不動のタンタン
アルメニーア東部。そこは地獄だった。
崖の下にいる大量の魔獣に一同、目を見張る。
「ひるむな! 進め! 街を守れ!」
隊長の鼓舞で士気は保っているが、相手の恐ろしさに皆委縮する。
両側は切り立った崖があり、その間を上る緩やかな道は、港町アルメニーアへ続く玄関口。目と鼻の先に、人々が暮らす街がある。
ここまで魔獣に接近されたのは過去に例がない。
完全なる危険水域。
この最も防衛に適した場所を突破されれば、もはや被害の規模は計り知れない。
自分の家族のため、子供のため、皆死に物狂いで一目散に駆け下りていく。
が、三面犬は魔弾をいくら浴びせても倒れる気配がなく、剣を突き刺しても突き刺した相手の頭をもいでいく。
すでに百人近い同志の死体が、崖の下には散乱していた。
倒した敵はわずか一匹。
隊長が練り上げた渾身の火炎魔術と二級魔道具を大量に扱った結果だ。対人用の魔獣では火力が足りないのは明らかだった。
(どうすればいい? どうすれば……)
崖上からの援軍と指示を託された東部防衛の副隊長は現状打破を必死に考えていた。
「どうもどうも。僕、応援に来ましたぁ」
後ろから聞こえる暢気な声。
援軍と聞いて、即座に振り返るが、そこに立っていたのは一人だけだった。
髪が大きく膨らんだ丸い形となっている小男。ふざけた髪型をしており自然と不審者を見る視線になる。
「……他には?」
「僕一人だよ」
そう言って満面の笑み。
(こいつなんだ? 状況理解してるのか?)
すぐ下では、大量の三面犬に押され、今にもそれらが駆け上がってくる勢いだ。そうなればここもただでは済まない。何より顔が明らかに戦士の顔ではない。
「失礼ですが、所属は?」
「王都にいるゼゼちゃんからだよ」
本部の魔術師団。いわゆるエリートだ。
無下にはできない。
目の前の緊張感ない態度に苛立ちを覚えるがそれを懸命に抑え、状況説明する。
「あの道で通せんぼしておけばいいってことね? わかった、わかった」
その小男は、話を遮り、あくびをする。
「とりあえず借りたいものがあるんだけど」
「武器ですか? 三級魔道具ならいくつかありますが」
「椅子が欲しい」
「はっ?」
「あそこでずっと立ってるのしんどいだろ?」
耳を疑った。今、正に命を賭した戦いを仲間たちがしているのに、この男は何を考えてるのか……こういう発言は軍の士気に関わる。怒りを必死に静めるも、自然と小男を見る目つきが鋭くなる。が、この小男はさらに耳を疑う発言をした。
「あとさ。下で戦ってる人、全員こっちまで引かせてよ。邪魔だから」
「はっ?」
怒りを超えて一瞬、唖然となる。
「今、ここは防波堤になっていて、この道を突破されると、アルメ二ーアへの侵入を許します。命にかえても引けません」
「ふーん? まあ、命を放り投げて満足するなら別にいいけどさ」
その言葉で堪忍袋の緒が切れた。
「あなたはここを何だと思ってるんだ! ここは戦場だ! 我々をあざ笑いにきたのかぁ!」
「えっえっ? 僕、なんか変なこと言ったっけ?」
小男は心底意味がわからないというように首をかしげる。
「何をもめてる!」
道を上がってきたのはボロボロの隊長だった。足に怪我をしてまともに歩けないのか、引きずっていた。
隊長は、小男の姿を見るなり、目を見開く。
「この男の言う通りにしろ」
「はっ? ですが……」
「いいから言う通りにしろ! すぐにだ!」
隊長の言葉で背筋を伸ばし、即座に指令を送る。
「全軍、一時退却! 崖の上まで一時退却だ!」
その言葉に下の兵士たちは信じられない表情をするが、真っ向から逆らおうという人間はいない。それだけ日ごろから隊長と副隊長への信頼は厚い。
が、指示を出した副隊長はこの采配に疑問が湧いた。その疑問に答えるように隊長は口を開く。
「あれはゼゼ様に認められた魔術師の一人だ」
「えっ? あれが?」
思わずあれと言ってしまうほど副隊長の中で心証が悪い。
「ゼゼ魔術師団にいる対魔獣討伐部隊の六天花はエリート中のエリート。ゼゼ様からその称号を得るということは、間違いなく私たちの常識で測れない力を持ってる」
そう言われても半信半疑だった。
確かにゼゼ魔術師団は対魔族において最強と名高かった。が、魔王討伐以降、すっかり影を潜めた。平和という名の影に覆われてしまったと言っていい。
魔族を殲滅するため、日々活動しているというが、その刃がどれほど鋭いのかほとんどの人は知らない。
「大丈夫なのか」
仲間たちが必死に緩やかな道を駆け上がっていく中、小男は椅子を片手に道をのんびり下りていく。
まるで散歩のように。小男は緩やかな坂の途中で立ち止まる。
兵士のしんがりが必死に坂を上り、小男の横を通りすぎる。
駆け上ってくるのは獰猛な三面犬が三体。
すさまじいスピードでポツンと立つ小男に襲い掛かる。
「まずい。やられる!」
そう叫んだ瞬間、地面から馬鹿でかい剣の形状の魔力が展開された。
地面から伸び上がる三本の剣は、それぞれの三面犬の身体に突き刺さる。
「なっ!」
が、三面犬はまだ息の根が止まってないのか、小男に襲い掛かろうと牙をむく。その直後、信じられないものを見る。
見たこともないほど巨大な金づちの形状をした魔力の塊が小男の真上に展開されていた。
「君たちスタンプの刑な」
轟くのは身体の内側まで響くような衝撃音。地面がわずかに揺れて、振動が伝わる。崖からそっと覗き見た。
地面にへばりついた三面犬が三匹。
「一匹倒すのにあれだけ苦労したのに、一瞬で三匹も」
信じられないものを見せられていた。
「そういえば名前も聞いてなかった……」
「序列一番、不動のタンタン」
タンタンはつまらないものを眺めるように目の前の景色を確認する。
(三面犬が三十匹以上。目に見えないもの含めて四十匹くらいかな。っても弱いし正直、魔術解放するまでもないけど……)
魔族との戦いで魔術解放は絶対というゼゼの言いつけを思い出す。
嘆息して、椅子に座る。
座ったまま両手を合わせて、今さら魔術解放。
(念のため五十%くらいでいいかな)
魔術解放は中級及び上級魔術を無詠唱展開させるためのものだ。タンタンは下級魔術しか使えない。だから、本来魔術解放する必要性はないのだが、出力の大きい魔力制御をするときはよりスムーズに展開できるので相手を見てタンタンは調整する。
ちなみにユナと戦った時は三十%くらいだ。
座ってる相手を見て、複数の三面犬は囲いこむように近づく。
タンタンは微動だにしない。
距離を置いたまま三面犬の二匹は口を開き放射状の魔力を放出。
槍のように放たれたが、一瞬で分厚い魔壁を展開し、それに阻まれる。
その後も絶え間なく放射状の魔力を放つが、タンタンの魔壁に対してまるで効果はなく、タンタンは危機感なくあくび。
「おっ?」
三面犬の一匹が魔壁を飛び越え、上空からタンタンに襲い掛かる。が、これも先ほどと同じ剣を一瞬で展開。剣は伸び上がり、三面犬を貫く。
「もっと工夫しなよ。ワンパターンなんだよなぁ」
のんきにダメ出しする。
タンタンの魔術は単純な魔力制御のみだが、その魔力の特性は他とやや異なっている。通常なら放出した魔力は相手に撃った瞬間、離散して消える。
が、粘着性のあるタンタンの魔力は、離散することなく何度でも使用可能。
つまり、どれだけ巨大な魔術を展開しても、魔力切れが一切ない。
実際、タンタンは人生で一度も魔力切れを起こしたことのない極めて珍しい魔術師だ。
三面犬三匹の前に再び巨大な金づちが現れる。
「地面に三面犬のハンコを押すぜ」
そう言って、打ち下ろし、再び衝撃音。
ぺしゃんこになった魔獣の死体の出来上がり。
まだ後方に大量に控える三面犬たちは生き物の本能で動きが止まっていた。
「はい次―。さっさときて。仕事終わらないからさ」
タンタンは三面犬に向かって、手を叩く。
「座りながら、ハンコを押す。書類仕事と変わらないなぁ」
戦場のど真ん中で椅子に座るタンタンは気怠そうにぼやいた。