第32話 アイリスは新世代の魔術師だな
丘の上に広々とした広場があった。
そこからはアルメニーアの街並みが見下ろせる。
「もういいっすか?」
ベンチからその眺めを楽しんでいたディンにアイリスは声をかける。
「いいよ。やろうか」
水平線に落ちていく夕日が対峙するアイリスの顔を赤く染める。
「いつもの形式でやるっす」
「いつもどうしてるんだっけ?」
「なんでもありのガチ勝負っす」
その目は真剣そのものだ。
アイリスは両手を合わせ、ディンも同じタイミングで両手を合わせる。
同時に魔術解放。
両手の甲から魔術印が光り、双方の身体から魔力がみるみるあふれ出す。
が、圧倒的に多いのはやはりディンことユナの方だ。もっともアイリスの魔力量はアランやエリィより多い。魔力量だけなら六天花に十分ふさわしい。
そして、アイリスは自分を卑下していたが、致命的に理解していないことがある。ゼゼという魔術師が、家柄だけで六天花に入れるわけがないということ。
ユナと同じ年であるが、明らかに強敵だと対峙してわかった。幸いなことにアイリスの手の内はほぼ把握していた。この二日間で、当の本人がペラペラ喋っていたからだ。
アイリスが両手につけたメリケンサック。
一級魔道具「魔拳」。
見た目通り、魔力でおおった拳で殴りつける。類似品は大量にあるが、一級なので最も強力で耐久性能も高い。子供でも二階建ての家を玩具のように簡単に壊す代物だ。が、アイリスの魔拳はそれだけではない。
両手に魔力が集中し、流れる。
アイリスは構え、そのまま右手をディンに向かって突き出した。
拳の形をした魔力の塊がすさまじいスピードで飛び出し、ディンは横にかわす。
通常の魔弾を何倍も強力にしたものだ。直撃したら普通に死んでもおかしくない威力にディンは思わず固まる。
本来、魔拳にこういう使い方はできない。
『増幅魔術による過剰な身体強化は身体リスクを及ぼすため禁ずる』
この条例ができたことにより、増幅魔術の使い手たちは一気に魔術師廃業に追い込まれた。それに伴い、ゼゼ魔術師団も刷新された。六天花は比較的若い人員で構成されているが、それは増幅魔術の達人が抜けたことも影響しているという。
条例により魔術師団から増幅魔術の使い手はほとんど消えたが、唯一残ったのがアイリス・フリップだ。
アイリスの魔術は条例には引っかからない特別なものだった。
増幅するものは身体能力ではなく、魔道具そのもの。アイリスは魔道具の力をさらに引き上げることができる。
「いくっすよ! ユナちゃん!」
アイリスは両手の拳を突き合わせる。
「魔力廻天」
結び語を唱えたと同時にアイリスの魔力が魔道具に注入される。
(もしかして今からが本気なのか?)
「魔拳」
先ほどとは別次元の射出速度と威力。反射的に横っ飛びするが、アイリスはそれを連続して繰り出してきた。
「おいっ、おいっ、おいっ!」
拳の形をした魔力がディンを襲う。
分厚い魔力に覆われているが、当たったらただでは済まない。
ディンはアイリスの周囲をまわるようにそれらを必死に避ける。
ぐるりと一周したところでアイリスが瞬間加速。
一気にアイリスは距離を詰めるが、ディンの反発魔術。
いきなり後ろに引っ張られるようにアイリスは態勢を崩す。
すかさずディンは魔銃を取り出し、連射。
当たるかと思ったら、アイリスは拳で全部弾いた。思わず目が点になる。
人間の反応速度で受け止められるものじゃないが、アイリスは簡単に受け止めた。
(まさか装着したゴーグルも魔道具なのか?)
フリップ辺境伯の領土オキリスは魔道具の元となる魔石が採掘できる。よってフリップ家以上に魔道具を持っている貴族はいないと言われている。
そのご令嬢であるアイリスが身につけた魔道具と思われるものは全部で七つ。靴と拳とゴーグル。さらに両手のブレスレット、指輪、チョーカーまで魔力を帯びていた。
すべて一級魔道具だとしたら、ぞっとする。それは一流の戦士と一流の魔術師をブレンドしたような動きが可能となることを意味する。
「時代の趨勢を感じるぜ。アイリスは新世代の魔術師だな」
ポケットから顔を覗かせるシーザは心底関心してるようだった。戦ってるディンは余裕が全くない。まともに戦うのは分が悪いと今さら気づく。
距離を取ったまま、お互いにらみ合う。
「はっ!」
アイリスの左手で巻き起こったのは竜巻のような突風。
ディンは難なく避けるも、突風が砂をまき散らしたことで、一瞬視線が切れる。
目の前からアイリスから消えていた。姿を見失ったことでディンはその場で固まる。もし日が完全に落ちていたら、この時点で負けていた。
地面に映る影のおかげで、アイリスが真上にいることを察する。
何とかバックステップでかわすが、真上から叩き落とされた拳の大衝撃音に固まる。
地面は隕石が落ちたようにえぐれていた。
当たれば普通に死んでいたわけだが、アイリスのそれに躊躇が全くない。三年前もこんな恐ろしい戦いを日常でやっていたことを想像すると、ディンはぞっとした。
後手に回るとまずいことを理解し、ディンはアイリスが距離を詰めようとした時に、魔道具を取り出し、それを見せる。
「アイリス。この魔道具知ってる?」
「なんすか、急に。見たことないっすね」
見た目はこん棒だが、ナイフのように短い。
「雷電警棒。雷属性が付与されていて、触れると瞬時に雷が全身を襲う。普通の人なら失神しちゃうね」
「近づいて当てないと意味はなさそうっすね」
「うん。日が落ちるまでに雷電警棒を使ってアイリスを倒す」
その宣言にアイリスは口元だけ不満げな形になる。
「私、そういうの嫌いなんすよ。舐められてるみたいで!」
アイリスは魔拳を連射し、ディンはそれをすれすれでかわす。十連発を超えても、アイリスは止まらず、一歩も近づけない。
が、近づけなくても対象を近づかせる術はある。
ディンはアイリスに向かって、片手を突き出す。引き寄せ。
華奢なアイリスの身体がぐっと持ち上がり、アイリスは一気に身体ごと持っていかれそうになる。
「ぐぅっ! 負けないっす!」
アイリスは左手のブレスレットで風魔術を発動し、ぐるりと飛んで後方へ着地。
ディンは高速移動しつつ、引き寄せと反発でアイリスを崩そうと試み、アイリスは近づかせないよう魔拳を連射。
お互い、激しい攻防が続く。気づくと夕日が隠れ、周囲は薄暗くなっていた。
「もう日が暮れてますよ!」
そう力強く言い、放たれたのは魔拳ではなかった。
アイリスの右手のブレスレットで発動する。引き寄せ。
引っ張られたのはディンの右手に持つ雷電警棒。
「あっ」
思わず手を放し、それが見事にアイリスの足元に転がった。
瞬時に地面の警棒に魔拳。警棒は真っ二つに壊れる。
「壊れましたよ。そういう宣言は手足縛るようなものっすからやめた方が賢明――」
言いかけたアイリスの後頭部に衝撃が走る。
「えっ」
電撃が走り、意識が飛び、アイリスは地面に伏せる。
「相手の手足を縛りたかったのは俺だよ。警棒に意識を向けさせて、手数を絞るためにな」
「おい! お前、狙ってたのはこれか? 最初にベンチから景色を見たいと言った時変だと思ったんだよ」
シーザはポケットから身体を乗り出し、興奮気味にまくしたてる。
「うん。アイリスが背中を向けた時に、雷電警棒をベンチの下に仕込んでおいた」
あとは、アイリスの位置の問題。
戦いつつ、ベンチがアイリスの死角となる位置へ誘導。
そこで立ち止まるよう仕向け、ベンチの下に隠していた雷電警棒を引き寄せ。
後頭部からの一撃で、失神。
「ポイントは雷電警棒が、複数あると悟らせないことだな」
「お、お前! この卑怯者がぁ!」
シーザは心からの言葉を吐いた。




