第238話 協力してくれないか?
童心に戻ったような楽しいひとときはあっという間に過ぎ、二人は遊び疲れて花畑の上で寝そべった。
忘れかけていた童心を思い出させてくれるのはミーナの天性の才能か。
何度かミーナから魔力の起こりを感じたが、キクの魔道具が上手く機能していたため、死の霧は発生していない。
もっとも完全に魔力を抑え込んでいるわけではない。
「ミーナって魔術使えるの?」
「うん、できるよ」
ミーナは何食わぬ顔で指先で小さな竜巻を起こす。
「んー? なんだかいつもと感じが違うなぁ」
出力が弱いことに首をひねるが、本人はさほど気にしていない様子だ。
形として放出された魔力はある程度効力を保つが、死の霧のように広く薄く拡散される場合、その効力を失ってしまうのだ。
実に巧妙な調整だとキクの才能に心底感心していた。
ふと気づくとミーナが立ち上がって、空を見上げている。
雲の上を浮遊し続ける浮遊島は、相変わらず澄んだ青色に染まっていた。
「来る」
「ん? 何が?」
その言葉と同時に、周囲の空気が急に変わり、冷たさが増してきた。
まるで雨雲の中に入ったかのように、周囲は一気に薄暗くなる。不穏な空気が漂い始めた。
「えっ? どういうこと? なんか雨雲の中に入った?」
体感的には正しかったが、ここは天界。雲の上を漂う浮遊島だ。
雨雲ではない。だが、何かとても特殊なエリアに入ったのは確かだ。
風はそれほど強くなかったが、時折、雷のような光が宙を走る。
その現象はどこか異様で、ふと気づけばその大きな亀裂がディンに向かって上空から迫っていた。
咄嗟に魔壁を展開しようとするも、それは思うように展開されない。
「えっ?」
瞬く間に雷のような光の亀裂が身体を貫通……するものの衝撃はなく、身体は何ともない。
ただ展開しかけた魔壁が雲のように型崩れして、そのまま離散していった。
「どういうこと? 何が起きて……」
「今はね、魔術が使えない区域に入っちゃったんだよ」
ミーナの説明で思い出した。空には魔力の流れを乱し、制御を奪う帯域波という現象が存在しているのだ。
この帯域波の中では、魔術を扱うのは非常に困難で危険とされている。
先程の奇妙な現象は、魔術展開の失敗だったのだと悟る。
「これってよくあるの?」
「うん、四日に一回くらいはね! でも、少し待てば元に戻るよ!」
「あの光の亀裂みたいなのは?」
「雷さんみたいだけど違うの。身体には影響ないよ。ただ魔力が霧みたいになっちゃうんだよ!」
実際に体感したことで、ミーナの言葉をなんとなく理解した。雷のような光の亀裂は魔術を無力化する効果があるようだった。
ただ、光の亀裂は頻繁に現れるわけではなく、その後は稀にしか目にしなかった。かなり珍しい現象のようだ。
しかし、この時ディンはそれとは別に自分の魔術の違和感に気づいた。
正確にはニーズヘグとの戦闘以来、薄々感じていた異変が、帯域波という特殊な力場に入ったことでより明確になったのだ。
自分の魔力制御の感覚と魔術展開に明らかにズレがある。
魔力制御に関しては、当初から最も得意としていた。だが、今はその時の感覚を手放してしまったような印象だ。
(魔力制御がなんだか下手になってる)
明らかにこれは……継承魔術の影響だ。
継承魔術とは、前魔術師の優れた部分だけを引き継げるものではない。
魔術に関する情報がすべて上書きされるため、自分が得意だったことでも、前魔術師の影響で不得手になることがあるのだ。
「ロキドスは魔力制御が苦手って話は本当だったんだな」
無論、ロキドスは魔術師として十分達人の域に達しており魔力制御も一流の水準だ。気にするほどの差ではない。
それでも、ディンにとって以前の自分よりも劣っていると感じる唯一の点だった。
また一つロキドスのことを知った。
ふとミーナに目をやると、花を宙に浮かせながら、花の冠を作っていることに気づいた。
帯域波内で普通に魔術を使っているその姿に、ディンは一瞬言葉を失った。
「えっ? どういうこと?」
「これはね。ミーナがユナちゃんのお返しに花の冠を作ってるんだよ!」
「そういうことじゃなくてさ……」
ディンも魔術を展開しようと試みるが、何度やっても上手くいかない。
今まで当たり前のように動いていた指先の一本一本が、自分のものではないような不自由さだ。
「なんで今、魔術を使えるの?」
「コツがあるんだよ!」
ミーナは少し得意げな顔になった。
コツさえ掴めれば、帯域波内でも魔術を使えるらしい。
ここでディンに閃きが訪れる。
自分は魔力制御に関しては最初から得意だった。もし、以前の感覚を取り戻すことができれば……
「どうかしたの、ユナちゃん?」
ミーナは覗き込むようにディンの顔を見る。
「えっと……私もミーナちゃんみたいに魔術を使えるようになりたくてさ。よかったら、私の先生になってくれない?」
「先生! ミーナが?!」
「うん。いいかな?」
「も、もちろんだよ!」
ミーナは嬉しそうにはにかみながら何度もうなずいた。
こうしてミーナの授業が始まった。
だが、ミーナの説明は驚くほど抽象的で、感覚的なものばかりだった。
「バーンって感じで、ちょんちょんって優しいイメージでね……」
全く意味がわからない。しかし、冷静に考えればミーナはゼゼの妹であり、選ばれた者しか与えられない神殿を共有している特別なエルフだ。
本人に自覚はないだろうが、天才であることに疑いの余地はない。
ディンはミーナの説明を自分なりに咀嚼して、その感覚を探りながら試行錯誤を繰り返し、しばらくの間特訓に没頭していた。
二時間ほど過ぎると、帯域波を抜けたようで、またいつものように青空が広がっていた。
ミーナによれば、帯域波は短い時もあれば、半日以上かかることもあるらしい。
なんだか知らない国の環境に触れたような、不思議な新鮮さを感じていた。
特訓の進捗は今ひとつだったが、少なくとも入口は見つけた。
何度か特訓を重ねれば、形になる自信があった。
ふと、ミーナが満面の笑みを浮かべながら作りたての花の冠をディンに渡してきた。
「これね、首飾りのお礼だよ!」
「あ、ありがとう」
色鮮やかな花の冠は、とてもかわいらしく綺麗に仕上がっていた。その無垢なプレゼントに微笑ましさを感じつつも、ディンは少し複雑な気持ちだった。
嬉しい反面、花の冠を身につけるのは気が進まない。
「つけて! つけて! 似合うよ!」
「……うん」
ディンはしぶしぶ花の冠を頭に乗せた。
「似合ってる! 似合ってるよ!」
「……ありがと」
(たぶんこれずっとつけなきゃ駄目なやつだな……)
ミーナは嬉しそうにディンにべたべた触りながら、しばらくはしゃいでいた。
が、ふと何か思い出したようにミーナは「あっ」と声を上げ、真顔に変わる。
「そうだ。ミーナ、ユナちゃんに渡さないといけないものがあったんだった!」
「今、もらったけど」
「そうじゃないの。お姉ちゃんのお友達が来たら渡してって言われたものがあるの!」
「……それって誰から?」
「えっとね……スミちゃんだよ」
思いもしない名前が出てディンは驚きを隠せなかった。
予知魔術を扱う魔眼の使い手、スミはゼゼの記憶にも出てきたゼゼの友人だ。
「その人って今ここに?」
「ううん。ずっと前に……死んじゃったの」
ミーナは少ししょんぼりした表情になる。
「来て」
そう言って、ミーナは巨大な世界樹の方へとディンを案内した。
近づいてみると、世界樹の裏側に木製の扉がついていることに気づく。その扉を開けると、中は部屋となっていた。
世界樹の一部をくり抜いて作られた家らしい。
ひどく罰当たりなものを見た気がするが、ミーナは気にせず中へ入る。
木製のテーブルと藁で作られたベッドが奥に見え、天井付近ではふわふわとした発光する生物が宙を浮いて明かりを照らしていた。
世界樹の内部だからか、森の匂いが漂い、神聖な空気を感じさせる。
「ミーナのお家なの! もともとデカ子ちゃんの中に全部あったんだよ!」
そんなわけないので、あらかじめゼゼが用意したものなんだろう。
隅っこの飾り棚の上に透明な容器が置かれている。ミーナはそれを手に取り、ディンの前に差し出した。
「これを渡してって」
容器を受け取り、中身を確認した時、言葉を失った。
透明な液体の中に沈んでいたのは……眼球だった。
特別なエルフ族のみに与えられる世にも奇妙な魔眼。
未来を見通す力を持つ貴重な眼球が目の前にあった。
「……なんでこんなもの」
「両手で魔力を込めたら、文字が出るよ」
ミーナの言葉に促され、ディンは透明な容器に魔力を込めた。すると金色の鳩が自然と浮き上がり、それが文字となって宙に描かれていく。
それはスミが未来に向けて残したメッセージだった。
「これを受け取った名も無きあなたへ。私の目が捉えた。あなたの目の前に広がる、世界の命運を分ける出来事を。今の私にできることはないけど……きっとこの魔眼は役に立つはず。あなたが明るい未来を掴むきっかけとなりますように」
ディンはそのメッセージを読み終え、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。
魔眼を託されてもほとんどの者には価値のないものだが、ディンにとっては違う。
付与魔術は体の一部でも吸収できれば、その術者の魔術を自らのものとして習得できるからだ。
スミの眼にはどこまで未来が映っていたのかわからない。
ただディンはスミの心の深さに胸を打たれていた。
スミは自身が死を迎える寸前、魔眼をくり抜き、会うことも喋ることもない遥か未来の魔術師に託したのだ。
自分の命の終わりとは何の関係もない遠い未来に向けて、己の財産を無償で託すその心に、ディンは打ち震えていた。
だが、それがこの世界の本質なのかもしれない。悪意や醜さばかりが目につきがちな世界で嫌気が差すこともある。
それでも種族を問わず、あらゆる生物の良心によってこの世界は形作られていて、その積み重ねられた思いやりの上に、自分は生きているのだ。
この時、自分の進むべき道筋をはっきりと見つけた気がした。
ディンは隣に立つミーナに目を向け、静かに告げた。
「ミーナ。協力してくれないか? スミさんのため、君のお姉さんのため。そして……みんなのために」
ディンの言葉にミーナは静かに手を取り、優しく微笑んでうなずいた。
ディンは改めてスミの紅い魔眼に視線を落とす。
その魔眼は何を捉えたのか、託された未来には希望があるのか、それとも地獄が待つのか。
そして、託されたものを受け取った自分がすべきこと。
ずっと先送りにしていた選択からはもう逃げられない。
選ぶべき道が自然と浮き上がった時……
ディンは零れ落ちそうになる涙を隠そうと。
静かに瞳を閉じた。




