第237話 ミーナは……
すやすや眠るミーナを少しの間、観察していた。
腰まで届く美しい白髪と小柄な体型はゼゼとほぼ同じくらいだろうか。健康的な肌色も相まって、ゼゼの記憶で見たミーナと寸分違わぬ印象だ。
素足ではあるが、淡いピンクのエプロンドレスを身につけたその姿からは清潔感が漂い、嫌な匂いは一切しない。
動物的な暮らしをしているとばかり思っていたが、意外にも衛生観念はしっかりしているらしい。
穏やかな吐息を立てながら眠るその姿は、まるで無垢な子供の寝顔を見ているようだ。
虐殺のミーナなんて物騒な異名がついたエルフとは思えない。
どう声をかけるべきか悩んでいると、突然、ミーナの瞼が開いた。
眠気眼をこすりながら半身を起こし、ぼんやりと周囲を見渡している。やがてディンの存在に気付き、自然と目が合う。
「……あれ?」
「はじめまして。ミーナちゃん」
「……ミーナのこと知ってるの?」
その声には警戒心の欠片もなく、子供のような純粋さを感じた。
「うん。私はユナ。あなたのお姉ちゃんのお友達なんだよ」
「お姉ちゃんの……お友達?」
「うん。そう」
ミーナはその言葉に驚いた様子で、ぱっと立ち上がった。そして、きょろきょろと周囲を見回し始める。
「お姉ちゃんは?!」
ここで一瞬、迷う。
ゼゼは間違いなく死んでいる。しかし、それを下手に伝えるとミーナがパニックに陥る可能性がある。
自然と口から嘘が出てしまう。
「遠くに出掛けてて……忙しいみたい。だから、私が来たの」
「そう……」
その言葉を聞いたミーナは露骨にがっかりした表情を浮かべた。
率直な反応は驚くほど表情豊かで、心の内が透けて見えるようだ。
ふいにミーナは何かに気付いたのか、はっと目を見開く。
「ユ、ユナちゃんって、お姉ちゃんのお友達って言ったよね?」
「……うん」
「も、もしかして、ミーナのお友達になってくれる人!!?」
最初ピンと来なかったが、ゼゼの記憶の断片を思い出した。
百年以上前、ゼゼが安全な箱庭へ連れて行こうとした時、ミーナはそれを渋った。
その時、ゼゼは必ず迎えに行くと約束した後、言ったのだ。
――その時は友達も連れていく。ミーナの友達にもなってくれるよ
ミーナはこれまで友達ができたことがなく、友達という存在に憧れているらしい。
ミーナは純粋で真っ直ぐな眼差しをこちらに向けていた。
その瞳には、これ以上ないほどの期待が込められていた。
ディンは微笑んで告げる。
「うん。そうだね。ミーナちゃんさえよければ……私とお友達になってよ!」
「えっ!? ほ、本当に!? 本当にお友達になってくれるの!?」
「うん。いいかな?」
「もちろん! もちろんだよ!」
ミーナは前のめりになり、ディンの手を勢いよく掴む。
その後、ダンスをするように大はしゃぎしながら、くるくるとディンの周りを回り始めた。
その微笑ましい光景を見て、胸が少し痛んだ。この行動はミーナの協力を得るという打算ありきだ。
ミーナの気持ちを利用し、自分の目的に誘導するのは褒められる行為ではないが、確実に協力を得るにはこれが最善だと考えていた。
もっとも打算だけではなく、ミーナと心の交流を交わしたいという気持ちがあるのは嘘ではない。
ふとはしゃぐミーナから、不穏な気配を感じ取った。
ミーナは感情の昂ぶりにより、死の霧を発生させる。
(あっ、やばい……)
ディンは死の予感に突き動かされるように、キクが開発した魔道具のブレスレットを取り出し、反射的にミーナの首にかけた。すると、爆発しそうだった魔力の発端がふっと消え去った。
それはディンの魔術を魔道具化したものであり、ミーナの霧を無力化するものだ。
正直、半信半疑だったが、驚くほど完璧に機能した。思わず安堵の息を漏らしたディンに気づいた様子もなく、ミーナは首にかけられたブレスレットをまじまじと見つめ、きょとんとした表情で尋ねる。
「……これは?」
「お、お友達の証ってところかな? どうかな?」
ミーナはそれを聞いて、再びくしゃりと満面の笑みを見せる。
「ありがとう! ゆ、ユナちゃん!」
「うん」
ミーナは嬉しそうに、首にかけられたブレスレットをべたべた触る。その表情はまるで子供が新しい玩具を与えられた時のようで、見ているだけで微笑ましい。
エルフ族の話では、ミーナは脳に若干の欠陥がある「子供病」だとされている。たしかにミーナとのやり取りは子供を思わせるものだ。
しかし、実際に向き合ってみて、ディンははっきりと気づいた。
ミーナは決して知能が低いわけではない。衣食住をきちんとこなし、百年以上も前のゼゼとの約束を覚えていた。世間の常識とずれた部分や物覚えが悪い側面もあるのかもしれないが、興味を持ったことはしっかりと頭に刻まれているのだ。
それに会話のやり取りだってきちんとできる。
(もしかしてちゃんと丁寧に話せば理解できるのか?)
じろじろとミーナを観察していると、ふとミーナが真顔に変わっていた。
まじまじとディンを見ている。
「も、もしかして……ロキちゃん?」
「えっ? だ、誰? 違うよ」
「そうだよね。でも、雰囲気がなんだか似てる」
そう言いながら、ミーナはディンの身体をべたべた触ってくる。
どこの誰と間違えてるのか、ディンにはピンとこず、思わず問いかけた。
「えっと……ロキちゃんって誰?」
「だいぶ前、何人か連れてこの森に来てくれたの。それで少し遊んだの」
ミーナは少し間を置き、悲しそうな表情を浮かべながら言葉を続けた。
「でも、すぐに帰っちゃったの……」
その顔には寂しさが滲み出ている。
ディンはじっと考え込む。そもそもこの天界は人類未踏の地。
易々とここへ足を踏み入れる人間がいるとは思えない。
ふと「ロキちゃん」という呼び方と雰囲気が似ているという言葉が、ディンの頭に閃きをもたらした。ロキドスだ。
付与魔術を継承した影響か、シーザもディンの雰囲気が少し変わったと言っていた。ロキドスを見たことのある者からすれば、ロキドスとディンの間に近しいものを感じるのだろう。
ディンは思わず前のめり気味にミーナの手を握った。
「ミーナ! その子のこと、詳しく教えてよ!」
うつむいていたミーナは、ディンに無垢な視線を向けると、こくりと頷いた。そして、ぽつぽつと話し始める。
「急にロキちゃんが来てね……遊ぼうって……それで、一緒にご飯食べたり、小川で遊んだりしたよ。ロキちゃんは素敵なネックレスつけてたの。『それちょーだい!』って言ったら、最初ロキちゃん、嫌がってたけど、くれて……それで急に霧が出て……そしたらロキちゃんたちいなくなっちゃった」
要領を得ない説明だったが、ディンには状況が見えてきた。
ロキドスはゼゼ討伐のため、姉のモニカをさらった。
おそらく妹のミーナも同様にさらおうとしたが死の霧の発生に危険を感じ取り、撤退したに違いない。
「……結局、あれから会えてない。みんな、すぐいなくなっちゃう」
ミーナはそう言ってしょんぼりとした。
自分がさらわれそうだったという危険すら理解していない無邪気さが、ひどく危うく感じられる。
だが、それより気になった部分。
ディンは少し間を置いてから、思い切って切り出した。
「みんなって……もしかして他にもここに来た人っているの?」
「うん。来たよ。先生!」
「……どういう人?」
「えっと、黒髪の顔の濃い男の人でね。名前は確か……サ、サ……サガー」
「サガリー」
「そう! サガリー先生」
ディンは思わず固まる。
サガリーを殺したのはミーナだと魔人マゴールから聞いた時は半信半疑だった。
だが、ミーナが人類未踏の地、天界にいると知った時、可能性としてありうると思い直した。
父サガリーは未踏の地を探検する冒険者だったからだ。
(やはり父さんも……ここに辿り着いてたのか)
正規ルートであるならここに至る道程は困難を極める。
それを成し遂げた父は、人知れず前人未踏の偉業を成したと言える。
「先生はね、とっても物知りなんだよ。世界のこと色々教えてくれたんだよ」
ミーナは楽しげに当時のことを話し始めた。もっとも会話の内容を細かく覚えているわけではないようで、話題は「ご飯を食べた」とか「一緒に遊んだ」など、とりとめのないことばかりだった。
じっと聞いていたディンだったが、抑えきれずに尋ねた。
「でも、今はいないよね。帰っちゃったの?」
「うん……霧で身体が弱っちゃってね、助手の人と一緒に帰っちゃったんだよ」
「……」
マゴールの言葉は嘘ではなかった。ミーナの目の前で直接命を落としたわけではないが、ミーナの衰弱魔法によって弱った父は、家へ戻る途中で力尽きた。
その後、マゴールが父の遺体をミッセ村まで運んだのだ。
父が命を落とした原因がミーナにあることは、もはや疑いようがなかった。
しかし、原因を作った張本人のミーナは、自分の魔法がきっかけで人が命を失ったことに気づいていない。それどころか、いまだ自分が死の霧を発生させていることすら理解できていなかった。
心にもやもやが残る以上にミーナを不憫に思い、ディンは無意識に憐れみの視線を向けていた。
だが、ミーナはそんな視線にも気づかず、ただにこにこと笑顔を浮かべている。
その様子を見て、どう向き合えば良いのかわからなくなっていく自分がいた。
本気でミーナと向き合おうとすればするほど、その行き違いに苦しむ。
戸惑いの中で、ゼゼの複雑な気持ちを理解しつつあった。
(結局……どうしたらいいんだろうな)
「どうかしたの?」
「いや……別に」
「ユナちゃん。ついてきてよ。案内したいところがあるの」
ミーナはディンの手を握り、森の奥へと進んでいく。手を繋いでいる間、ミーナは無意識のうちにディンの身体にべたべた触ってきた。長い間、人と接する機会がなかったせいか、隙あらば身体に触れる癖があるようだ。もしかすると、また一人になることを怖れているのかもしれない。
森を抜けると、広大な緑の絨毯のような丘が目の前に広がった。その頂上には見上げるほど巨大な大木がそびえている。
驚くほど魔力が溢れるその大木は、ただそこにあるだけで圧倒される存在感を放っており、思わず拝みたくなるほどだった。
「魔力の元だよ。すごいね! これのおかげでね、この森は霧で枯れてもすぐに植物が生えてくるんだよ」
その大木を遠目に眺めながら、神話で聞いたことのある伝説の大木が頭に浮かんだ。
「もしかして……伝説の世界樹?!!」
「違うよ。デカ子ちゃんって言うんだよ。私が名付けたんだよ」
「……」
ミーナは手を握ったまま、嬉しそうにぐっと引っ張っていく。
ミーナと共にゆっくり緑の丘を登っていく。
「小さい虫さんがいるよ。踏まないように気をつけてね」
「……うん」
「あの大石の上にある巣はね、私が鳥さんのために枝で作ったんだよ」
「……うん」
ミーナは楽し気に一生懸命、友達であるユナに話をしている。
丘の頂上まで登り切り、世界樹をしばらく見上げた後、さらに先へと進んだ。
「ここだよ」
ミーナが立ち止まったのは、丘から景色を見下ろせる場所だった。
視界いっぱいに広がるのは、鮮やかな花々だ。色とりどりの花が一面に咲き誇るその光景はまるでこの世のものとは思えないほど美しかった。ディンはその圧倒的な美しさに息をのんで、しばらく見とれていた。
「綺麗だ……」
「綺麗だね。私がね、毎日このお花畑にお水をできるだけあげてるんだよ!」
ミーナが誇らしげに告げた。
「でもね、霧さんが来たらあっという間に枯れちゃう。鳥さんとか虫さんも死んじゃう。可哀想だね」
そう言って少し悲し気な顔に変わる。
花が枯れるのも生物が死ぬのも……ミーナが原因だ。ミーナがいなければ霧は発生せず、もっと綺麗な循環が保たれるだろう。
ミーナはこの循環の中では邪魔な存在だ。
そうやって地上でも疎まれ、結局こんな場所にまで流されてきた。
疎まれてることにも気づかず、待ち人が来ないことも知らず、ただ一人こんな辺境で暮らしている。
ミーナはもしかしたらこの世界にいない方がいいのかもしれない。
でも、一緒にいて気づいた。
ミーナの根元には真水のように澄んだ優しさが流れている。
小さな虫の命まで思いやれるのは、心が豊かである証だ。
ミーナはきっと、誰かを傷つけたいと思っているわけではない。
その確信が生まれた瞬間、ディンの中で答えが出た。
「ミーナは……悪くないよ」
「えっ……?」
「誰がなんと言おうと、私はミーナの味方だよ」
ミーナはきょとんとしたまま首をひねりながらも、やがて嬉しそうに微笑んだ。
その結論が正しいのかどうかは、まだわからない。
それでも、これだけは断言できる。
ミーナのような優しい心を持つ存在を否定するのは……間違いだ。
ミーナがエルフの闇であるというなら、その闇に光を灯そう。
ディンはそう決意した。
「ユナ! 遊ぼう!」
ミーナは無垢な笑顔を浮かべると、花畑に向かって走り出した。ディンはミーナの後を追いかけた。




