第233話 やっと会えたね
ディンはゼゼの問いに答えず、反射的に駆け出していた。
ゼゼは危険だ。何かの罠に嵌めようとしている。
だから、早く離れなければ。
視界を流れるのは、隅から隅まで知り尽くしたミッセ村の景色。
不安に苛まれる心のせいか、足は自然と世界で一番落ち着ける場所に向かっていた。
自分の家、ロマンピーチ邸だ。
村一番の大きな門をくぐった瞬間、ディンは思わず足を止めた。
家の扉の前には、見慣れた姿が立っていた。
「おかえり。お兄ちゃん」
見慣れた顔、優しい立ち姿。それは紛れもなく、ディンの大事な家族の一人。
「やっと会えたね」
そう言って柔らかく微笑んだのはユナだった。
肩にかからない金色の髪に、子供のように華奢な身体つき。
少し垂れ目の瞳はいつも優しく笑い、見る者を自然と笑顔にさせる。
白のワンピースを着るユナはいつものように微笑み、ディンを迎えた。
思えばユナが元気だった頃、ユナは子犬のように玄関まで駆け寄ってよく出迎えてくれた。
「こうやって面と向かって話すのはいつぶりかな?」
ディンは言葉に詰まる。それは遠い遠い昔のように感じられた。
ユナが昏睡状態になる前から、ディンは勇者事業のために王都を駆け巡っていて、同じ屋根の下にいても会話の時間はあまり多くなかった。
「こんなことになるなら……もっと話しておけばよかったね」
「……そうだな」
後悔はいつも遅れてやってくる。
そばにある当たり前の存在を、人はつい軽んじてしまう。
「もう……直接話せるなんてないんだから」
「そんなこと言うな。ユナのことは必ずどうにかする」
「それはいつごろ?」
ディンはそれに言いよどむ。
「はっきりとは言えないけど」
「お兄ちゃんってさ……私のこと、いつも後回しにしてない?」
「何言ってる! 俺はいつだってお前のことを最優先に考えて――」
「本当に?」
ユナの純粋な瞳が、ディンをじっと見つめる。
「……だ、だって、俺はユナのために食事にだって気を使ってる。酒も一切飲んでないし、身なりだって必要以上に整えてる。成長のことを考えて、夜更かしだって控えてるんだ。俺だって色々と我慢してる!」
「んー、そういう気遣いはありがたいよ。ありがと」
ユナはぺこりと頭を下げた。幻だとわかってても、妙に素直なところがユナそのもので、ディンはどうにもやりづらい。
そうだ。ユナはいつもこんな感じだった。
かつてユナが魔術師団に入ることにディンは猛反対した。なのに、いつの間にか渋々賛成させられていた。
ユナの投げかけるまっすぐな言葉には不思議な力があり、それに触れると自然と毒気が抜けてしまうのだ。
「とにかく! 家族のことも含めてちゃんと考えてるよ。ただ今は勇者一族としてやるべきことがある。魔王ロキドスを倒さないといけない。そこは理解してくれるよな?」
「うん。それはみんなのためにも大事なことだと思う」
ユナはあっさりとうなずいた。
「でもさ。お兄ちゃんが率先してやる必要はなくない?」
「いや……それは必要だよ。他にまとめられる奴がいないしな。どうあれ俺の才能は色々なところで生きる……まだ仮だけど、今は魔術師団を率いる立場なんだ」
「仮でも凄いよ! 流石、お兄ちゃん!」
意表を突くように褒められ、ディンはまた言葉に詰まる。
「でもさ、ちょっとおかしくない?」
「何が?」
「後方支援に徹するだけでもいいはずだよね。わざわざ継承魔術のリスクを冒してまでなんで前線に立とうとするの?」
核心を突くような問いに、ディンは固まった。ふとユナの隣にミレイが立っていた。その顔はどこか憂いが漂っている。
「ミレイ……」
「ユナの体を前線に送る必要はないと思う。ディンは戦うの好きじゃないじゃん」
「いや、それは……前も言ったけど、戦力が足りないから――」
「それ……嘘!」
ミレイが指を突きつけ、まっすぐディンを見据える。嘘をついている自覚はない。それでも、胸の奥底で何か得体の知れない不快感が蠢くのを感じた。
気づけば、ミレイの姿は消えていて、ユナが再び真っ直ぐな目をディンに向けていた。
「どうあれ魔術師団を率いる立場になれたのは私のおかげだよね? 私の魔術師としての才能があったから今の立場を築けたってこと。つまり、全部、私という土台があるおかげだね!」
誇らしげにユナは胸を張る。
実際、魔術の才能がないディンであれば、魔術師団の中心にいることはなかっただろう。
だが……
「違う」
ディンは即座にそれを否定した。
ここまで積み上げたのは全部、自分の知識や統率力、人脈があってこそだ。その土台の一部に魔術師としての才能が加わってるだけ。ユナの魔術はあくまで補助的なものだ。
だいたいユナだったら誰かについていくことしかできず、魔術師団を率いることはできなかった。
そして、こんな大きな流れを絶対に生み出すこともできなかった。
「俺のおかげだ。そして、俺じゃないとロキドスは倒せない」
奇跡的にユナという器にディンが入ったこと。それは神が示した運命的な奇跡だと言える。
「これはたぶん……魔王ロキドスを倒すために運命づけられたことなんだ」
「何度言わせたら気が済むんだ、この馬鹿は。お前の中で都合の良い物語を作るな」
ユナのすぐ傍に現れたのはゼゼだった。
ゼゼはユナの頭を撫でながら、冷たく告げる。
「陳腐な物語を作って、自分の行いを正当化するなよ。お前はそもそもそんな大層なことを考えてなどいない」
「ああ? ゼゼ。こんなとこでも邪魔して出てくるな! 消えろ!」
「お前の周囲はなんだかんだ優しい奴が多すぎる。こんなこと言えるのは私だけだ」
ゼゼの鋭い視線がディンを捉える。
「俺にやましいことなんて何もない」
「じゃあ、なんでさっきからユナと目を合わせようとしないんだ?」
その指摘にディンは口元が歪む。
恐る恐るユナに視線を向けると、無垢な瞳と目が合う。しかし、奥にある感情を読み取られそうで、ディンは思わず目をそらしてしまう。
「この子は、お前の計画に気づいてるぞ」
ぽつりとゼゼはつぶやく。
「はあ? 計画?」
「そう。お前は転生した時から無意識にその計画を立てていた。自分が生き残るための道筋をずっと探していたのだ」
「何言って……」
身に覚えがないのに、かつてないほど動悸が高鳴る。
祖父の最期の言葉に翻弄されながら、無我夢中でここまで来た。
すべては……魔王ロキドスを倒すため。
「魔王ロキドスを倒すというのはただの名目だ。真の目的は……心理的な救済にある。お前は自分を許すための物語が欲しいだけなんだ」
「何……?」
ゼゼは淡々と語り続ける。
止まらないその言葉に、ディンの世界が揺れる。
「ディン。お前の完全犯罪計画の全貌を教えてやる。お前は――」
「やめろ!」
その一言が口にされた瞬間、自分の中で重心が崩れ、大きく歪む気がした。
危険信号が鳴り響き、ディンは反射的にゼゼに突っ込んでいた。
殴りかかる直前、ゼゼの姿は消え、すぐ傍にはユナが立っていた。
ディンはその場で固まり、間近でユナと視線を交わす。無垢な瞳がディンをじっと見つめている。
「ごまかそうとしたら駄目だよ」
「なるほど。これは幻術だったか。敵の術中だ」
ディンは自分のこめかみに指を当てた。
自分自身に魔術を唱えようと意識を集中する。
「やっぱり逃げるんだね」
――因果解
目の前の景色が徐々に滲み始め、まるで海中に沈むように変化していく。
音も次第に遠のき、静寂が広がる中、ディンは深い水底へと沈むような感覚に囚われた。
その時、不意に聞き覚えのある声が響く。
【逃げちゃだめだよ】
それはユナの声だけど、ユナじゃないような気がした。何かを通して聞こえているような、微妙に異なる響きだ。
偽物だと確信し、ディンは無視を貫く。
【私も気づいてるよ。お兄ちゃんの完全犯罪計画】
――これはユナでない。おそらく、呪霊鬼が作り出したものだ。洗脳の可能性が高い。聞いては駄目だ
【お兄ちゃんが魔王ロキドスを倒したいのは大きい理由があるんだよね?】
――勇者エルマーの意志を継ぐため。国を守るため。それが俺の責務だ
【それはおまけだよ。お兄ちゃんはそんな大層な志、持ってないよ】
――やはりこれは偽物だ。ユナがそんなこと言うわけがない。聞いてはいけない
【魔王討伐はお兄ちゃんにとっての贖罪だよ。そして、免罪符が欲しいんだ。ミーナの件も全部自分に当てはめて言ってるだけ】
――免罪符? 俺は何も罪を犯していない。俺は妹を守るため、今も戦ってる
【自分の体を守るため……だよね? それがお兄ちゃんの完全犯罪計画】
――何を言ってる……
【お兄ちゃんは私の体を乗っ取ろうとしてるんだよ! もう死にたくないから!】
――そんなわけ……
【二回も死なねーよ】
――それは……ただの言葉の綾だ
【でもさ、お兄ちゃん。今まで私を助けるために何かした? 何もしてないよね?】
――違う。確かにそうだが。でも、それは優先すべき魔王討伐があるからだ
【魔王討伐に没頭すれば、誰も私のことを突っ込めないもんね? そうやって、お兄ちゃんは私のことを後回しにして、私を見殺しにしようとしてるんじゃないの?】
――そ、そんなわけない! 俺はお前を助けたいと心底思ってる
【じゃあなんで今まで一度もシーザとかミレイに相談しなかったの? なんでみんなにその話題を踏み込ませないよう振る舞ったの?】
――べ、別に、それは……相談してどうにかなる問題でもないし
【お兄ちゃんは私を助けられなかった言い訳を作りたいだけなんだよ。それが魔王討伐。それで免罪符を得て皆から許されたいんだ。全部、自分のためだよ!】
――違う。俺は……家族のために
――みんなの幸せのために
【でも、何よりも大事なのは自分だよね? 絶対に命までは譲れない。だってお兄ちゃんは――】
海の底に沈むような感覚の中、意識が徐々に遠のいていく。
【勇者エルマーじゃない】
――そうだ。わかってる。じいちゃんみたいにはなれない。でも、俺はユナの体に転生してから変わった
【何も変わってないよ】
――変わった。少しずつだけど、自分以外のものにも心を……寄り添えるようになったんだ
【お兄ちゃんは変わってないよ。もし変わったのなら……】
――
【私の体に受肉した影響を受けたってだけじゃないの?】
意識は深い水底へと沈むように途切れ、完全に闇へと飲み込まれていった。




