第228話 誤解しないなんてことあるの?
フローティアの矛はタンタンの盾を完全に貫き、後方の壁まで到達していた。
壁を貫いた衝撃で粉塵が舞い上がり、視界を覆う。
「流石に倒したはず……」
そうつぶやきながらも、フローティアは粉塵の中で油断せず目を凝らす。やがて粉塵が徐々に散り、貫通した球体の魔壁が姿を現す。
球体はゆっくりと液体のように溶け、地面へとへばりついていく。しかし、肝心の敵の姿がどこにもない。
「どこに……?」
よく見ると地面に大きな穴が開いていることに気づいた。
「危ねー。僕、マジで死ぬとこだったんだけど」
穴の中から、ひょこりとタンタンが顔を出した。
全力で受け止めるつもりだったが、外側の防御が競り負け貫通されると直感したタンタンは、とっさに一部の魔力を地面へと流し込んだ。
瞬時に地面を抉って穴を作り、その中へ避難したのだった。
だが、ほんのわずかに逃げ遅れたせいで、タンタンの両腕は「神風」の余波を受けていた。皮膚はところどころ抉れ、裂傷から血が滲む。
あと少し遅れていれば両腕が消し飛んでいてもおかしくなかったが、タンタンはそれを顔に出さない。
「……にしてもフローティアみたいだな」
タンタンのつぶやきにフローティアは驚く。ずっと呻き声のようにしか聞こえなかったのにはっきりと自分の名前が聞こえた。
霊鬼なのに何かがおかしい。
「えっ? なんで……」
「ん?」
タンタンも自分で言って違和感に気づく。お互い敵を見合いながら沈黙する。
喉元に引っかかる違和感。言葉にはならないが、確かにそこに存在する。
掴み取れそうなそれを認識し、それぞれが動きを止めた。
「お前ら! こっちを見ろ!」
ディンが声を張り上げる。ディンは二人の動きが止まるタイミングをずっと待っていた。
その好機がやってきたが、やはり二人はその声に反応しない。しかし、音としては届いているのか、不思議そうにディンの方へと視線を向けている。
未だ二人が幻術にかかっている証拠だが、ディンは偶然ながらその幻術を解く方法に気づいていた。
「シーザ! 今だ!」
一時的に中和結界の外に出たシーザが魔術を唱える。それは祖父エルマーと共に冒険者として旅をしていた頃から重宝していた、シーザの最も得意とする上級詠唱魔術。
その結び語をシーザは力強く口にした。
「魔除けの息吹!」
叫びと共に、シーザの身体から薄い蒸気が一気に溢れ出し、室内へと広がっていく。あっという間にその蒸気は空間を満たし、やがて離散する。
一見すると周囲に何か変化を及ぼした気配はない。しかし、タンタンとフローティアは瞬時に顔をしかめた。
「おえっ! なんだこれっ! 臭っ!」
「何……この臭い……」
腐った食べ物と下水の臭いを掛け合わせたような耐え難い悪臭が空間を支配する。それは魔獣を追い払い、安全な寝床を確保するために重宝されてきたシーザの魔術だ。
「ひえぇえ、臭ぇ」
術を唱えたシーザは即座にディンのいる中和結界内に入ってくる。
森などで使用すれば、草や木に匂いが微量に染み付き、風によって拡散していく。しかし、室内では充満したその臭いはこもり続ける。
「がああぁぁ! 鼻がもげるぅ! 何なんだこれは!」
タンタンは身体の痛みも気にせずに鼻をつまみながら目を剥く。
フローティアも同様でその場で動きを止め、必死に呼吸を整えていた。
「お前ら! こっちを見ろ!」
ディンが叫ぶと二人はようやくディンの存在に気づき、それぞれ驚いた表情を見せる。
「あれ? なんでこんなとこに……というか。あっ、そうか……」
「二人ともずっとそこにいたってことは……」
タンタンとフローティアの視線が交錯する。
違和感を認知し、ようやく現実を認識する。
銀河のような空間に迷い込んだ時、ディンが我に返るきっかけとなったのは、左手に残った刺激臭だった。
シーザに促され、魔の花を左手で潰した際に付着したわずかな刺激臭が、意識の揺らぎを断ち切り、現実へと引き戻したのだ。
ディンと同様に、二人も悪臭に導かれることで、状況をようやく把握しつつあった。
「もしかしてさっきまで戦ってたのはフローティア?」
「……霊鬼じゃなくて、タンタンだったってこと?」
「ようやく気付いたか、間抜け共!」
ディンは二人にゆっくりと近づく。
「とりあえずこの空間内は幻術の効いた状態だ。刺激臭をかいでいれば、まず幻術にはかからない。鼻が腐って、頭がおかしくなろうとも仲間同士で戦った馬鹿どもは、その臭いを一生嗅ぎ続けておけ!」
ディンの言葉にフローティアは苦虫をかみ殺すような表情を見せるが、タンタンは豪快に笑う。
「はははっ! なんか敵の策に引っかかっちゃったみたいだなぁ」
タンタンは頬から流れる血を気にも留めない。
それぞれの治療をシーザが施し、状況の説明を始める。
もっともまだ幻術を扱う敵が潜んでいる以外にわかっていることはない。
「護衛役を務める馬鹿二人が消耗したせいで、俺が動かざるを得なくなった。お前らは俺に感謝しながら、一旦休んでおけ。俺とシーザがこの空間を調べる」
二人は何も言えず、悪臭に苦しみながらその場に座り込む。
ディンたちがその場を離れて、二人きりになった時、タンタンはフローティアへ視線を向けた。
「いやぁ。久々に怪我しちゃったよ。流石だね」
相変わらずの軽口だが、フローティアはそれに反応しない。
タンタンの方を見ずに問いかける。
「あの魔力の急速な昂ぶり。やっぱり魔術覚醒だったのね……いつからできるようになったの?」
「ダンジョン潜ったのがきっかけで、そこから少し練習したよ。僕もこのままじゃ駄目だと思ってさ!」
フローティアはそれを聞き、少し申し訳なさそうな表情へと変わる。
「あなたのこと……もしかしたら誤解してたかも」
フローティアは視線を合わせず、ぼそりと言う。タンタンはそれに不思議そうな表情を見せる。
「誤解しないなんてことあるの?」
「えっ?」
「僕なんて人のことよく誤解するよ。人は変わっていくし、自分を平然と偽るから」
人は皆、自分の尺度で他者を理解しようとする。だが、ほとんどの人はその枠には収まらない。
人の心を見極めるのは難しい。どんな人間であれ、完璧に推し量れることなどあり得ない。
それをわかったような顔で語る者は、むしろ他者への理解が足りていない証拠だ。
タンタンはそれを本能で理解している。フローティアは頭で理解しているが、たまに分かった気になる。
どこかでタンタンに対して「魔術の努力をしない人間」と決めつけていた。
思い込みはしばしば想像力の欠如を招く。
フローティアは自分の未熟な部分を指摘された気がした。
「あなたが一番にふさわしいわ」
「何、唐突に? ってか僕の方が押されてたし、ダメージを受けてると思うけど」
フローティアはそれに答えない。
二人の戦いは半端な形で終わったが、明らかにタンタンの方がダメージ比率が高い。だが、魔力の消耗は圧倒的にフローティアの方が激しい。
タンタンに同じ手が通じないと知っているフローティアはあのまま戦い続けていれば、どちらが先に倒れるのか察していた。
「あくまで今のところはね! 次は勝つ!」
タンタンはそれを聞いてくすりと笑った。
「フローティアって愚直だよね」
フローティアは目を合わせず口元だけ笑みを浮かべた。
「やっぱりまともに戦えばフローティアが最強だな」
空間内の敵を探すため、シーザと共にうろつきながらディンはぼそりと言う。二人が死なないことに賭けて、少しの間その戦いを静観していた。その戦いぶりからディンはそう感じたが、隣のシーザは首をかしげる。
「そうか? あのまま続けてたら、タンタンが押し切ってたと思うぜ。やっぱりあいつは戦い方に柔軟性があって強いよ。継戦能力も高いしな。戦う才能がある」
「そうだけど、魔術解放できれば話は変わるだろ?」
魔術解放は中級、上級魔術を無詠唱展開可能にする。下級魔術しか使えないタンタンはさほど大きな影響はないが、フローティアは中級魔術と上級魔術を実質封じられた状態だった。
「上級魔術を無詠唱展開できるフローティアなら最初から押し切っていたはずだ」
「……かもな。でも、タンタンの魔術の切れも上がるし、どのみちタンタンが勝ってたと思うな」
「へぇ。ずいぶんタンタン推しになったな」
「そりゃ最後の攻防を見たらな」
そう言いながら、シーザは遠くを見つめ、戦いの記憶を回顧する。
「フローティアの最後の一撃。あれを真正面から受け止めに行ったら、他の魔術師なら普通全員死んでる。私は最初、間違いなくあいつは死んだと思った」
「……」
「でも、あいつは致命傷を避けて、何食わぬ顔で出てきた。あの時、あいつは私の想像を軽々と超えてきたんだ。そんな魔術師……そう簡単に出会えない」
シーザの言葉には、確かな感嘆が滲んでいた。
真に強い魔術師とは一流の魔術師の想像を超えてくる者だ。
シーザにここまで言わしめる者は……現在の魔術師団にはタンタン以外誰もいないだろう。
「ただ、今日に関してはフローティアが勝ってもおかしくなかったよ。今のところはわずかな条件で勝敗が左右されるような、まさに実力伯仲って感じだな」
その言葉の意味をディンはすぐに汲み取った。
タンタンは最近になってようやく魔術に関心を持った。魔力制御しか覚えてないタンタンの伸びしろは計り知れない。
今後、加速度的に成長していくことを加味すれば、近い将来、間違いなく最強の魔術師になるのは……
「まあ、今はここを出ることに集中しようぜ」
シーザの言葉にディンはうなずき、敵の潜む摩訶不思議な空間の探索を始めた。




