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勇者ディンは2.5回殺せ  作者: ナゲク
第十一章 箱庭編
223/223

第223話 0.5の洗浄

 高原を歩き、幽光の洞窟を這い、魔道具師街を進み、紅葉の丘を越える。扉をくぐるたびに景色はめまぐるしく変わり、感覚が狂いそうになるが、十を超える扉を抜けるとどこか慣れてくる。


 ただ空間ごとに気温や湿度が変わるため、身体の適応が追い付くわけではない。寒いものは寒いし、暑いものは暑い。

 シーザに寒暖を和らげる魔術をかけてもらい、全員それで凌いだ。


「にしても一体どういうカラクリなんだ? 虚空間なんだから偽物のはずだろ?」


 目の前に広がるのは白銀の世界。雪原はどこまでも続き、冷気が頬を刺す。

 ディンは雪に触れながらシーザに問いかける。

 指先に伝わる冷たさも、熱で溶けてしたたる感触も、まるで本物だ。

 

「ゼゼ様の魔術は特別すぎて理屈は私もわからん。が、現実と同期させてるんだろうな」


 シーザは雪を手に取り、冷静に分析する。


「にしても寒かったり、暑かったりするのはなんでだ?」

「私たちの知覚が刺激されてるんだろう。ここは魔術的空間だから、特に魔術師は現実と錯覚するほど入り込みやすい」


 幻覚を見せられてるというのが近いのかもしれない。

 魔術師にとっては偽物なのに本物と区別がつかない空間なのだ。


「禁忌領域の魔術に近いな……」


 シーザはぽつりとつぶやく。


「何それ?」

「魔術は不可能への挑戦と言うが、魔術には禁忌領域というものが存在する。魔術自体が超常的な現象だが、禁忌領域はさらに一線を越え、神の領域に踏み込むものだ。代表的なのは黒魔術や時間を巻き戻す術や蘇りだな」

「近づきがたいというか危うい感じがするな」

「それが普通の感覚だよ。禁忌領域の魔術は魔術師なら本能的に避けるものだ。失敗した時の副作用があまりにも大きすぎるから、特別な魔術師でなければ決して踏み込んではいけない領域なんだ」


 シーザは地面に触れ、じっと観察しながら続ける。


「こういうものを作るゼゼ様って……やっぱりどこかねじが飛んでるんだな」


 独り言のようにつぶやいた後、すぐに我に返る。


「まあ、禁忌領域も今では解釈の幅が広がっている。継承魔術や回復魔術ですら含まれるという説もあるし、そこに踏み込むことが悪いってわけじゃない。ただ興味本位で手を出すのは絶対にダメだ」


 そうまくしたて、シーザは静かに周囲を見渡す。なんだかいつもと様子が違う。

 ゼゼに対する敬意よりも怖れが上回っている印象を受けた。


「この空間ってそんなに危ういの?」

「だって……こんな限りない本物の空間……神の逆鱗に触れそうな……何だか怖くなるよ」

 

 その言葉には、魔術師としての本能が滲んでいた。

 魔術師としての経験が浅いディンには、その深淵を掴み切れなかったが、シーザの言葉には腑に落ちる重みがあった。

 

「いや、でもやっぱり偽物だよ」


 タンタンはそう言って、手に握った雪をためらいもなく口に放り込んだ。


「胃に流れる感覚がないね。さっき飲んだ川水もだ。体内で消化されず消失してるんだろうね」


 飄々と言い放つタンタンに全員がぎょっとする。

 虚空間はしょせん、精巧な人工物だ。普通の魔術師ならそれを口に入れる発想など絶対浮かばない。


 躊躇なく実行に移すあたり、やはりタンタンはどこかおかしい。

 感性が常識の枠組みから逸脱してる。


「腹壊しても知らないからな」

「大丈夫。勘でわかるんだ。問題ないって」


 タンタンはニヤリと笑い、全員が呆れたように肩をすくめた。





 次の扉を抜けると、そこは薄暗い廃墟街だった。荒れ果てた通りにはゴミが散らばり、腐臭が漂う。石造りの建物は崩れかけ、汚れた壁には蔦が絡みついている。

 どこにでもありそうな荒廃だが、魔石の欠片や魔道具のパーツが落ちていることから察する。

 カビオサだ。王都から見て北側にある。


 つまり、北側に進んでいけば次の魔術扉はある。

 そう結論づけた時、全員が異様な気配を察知した。


「何かいる」


 ディンはきょろきょろ周囲を見渡すが、石造りの建物が並ぶ通りに動きはない。

 

「少し……嫌な感じがある。逃げちゃう?」


 タンタンは軽い口調で言うが、その提案は間違いではない。

 魔獣との交戦はなるべく避けるのが賢明だ。


「いや、待て」


 シーザが静かに制する。


「んだよ」

「戦おう」


 シーザの珍しい積極性に、一行は目を丸くする。


「どういうこと?」

「待ってたら、姿を見せると思う」


 ディンたちは死角をなくすよう背中を合わせ、廃墟の大通りで身構えた。

 しばらくすると、フローティアが声を上げる。


「いた」


 全員が一斉に視線を向ける。

 大通りの中央にそれは立っていた。人の形をしているが、紫がかった肌と歪んだ顔つきは明らかに人間のものではない。

 怒りが凝縮されたようなその表情にディンは息を呑んだ。


「悪魔……?」


 思わずつぶやいたその言葉に、華奢な体つきの魔族がわずかに反応する。

 攻撃の気配はないが、フローティアは一瞬の迷いもなく剣を振るった。風の斬撃が魔族の腹を切り裂き、その体は地面へと沈んだ。やがて動かなくなる。


 強くはない。だが、シーザの曇った表情を見ると、後味の悪さが残る。相手はほとんど抵抗せず、フローティアの攻撃を受けたように思えた。

 ディンとシーザは動かなくなった華奢な体に近づく。地面に伏したそれは、一見すると人間の子供と変わらない。


「これは半魔人だ」


 シーザがぽつりと告げる。

 ディンはそれを知識として知っていた。半魔人は魔人になりきれなかった中途半端な存在とされている。


「こんなところをさまよって……可哀そうに。ああ、そうか。当時は正体が明らかじゃなかったからゼゼ様もこの虚空間に閉じ込めてしまったのか……」

「魔族だろ。なんでそんな同情的なんだ?」

「非公式な話だが、半魔人は……元は全員人間だったんだ」


 はじめて知った事実にディンは絶句する。


「かつてロキドスは人をさらい、人体実験をしていたことは知ってるだろ?」


 ディンは頷いた。当時、代償魔術で余命わずかだったロキドスは、それを打破するために転生魔術の開発に没頭していた。

 ふと気づく。憑依転生は紛れもなく禁忌領域の魔術だ。


「まさか……これが禁忌領域の魔術を失敗した反動なのか?」

「ああ。この子は人体実験の犠牲者だな。禁忌領域の魔術展開に失敗すると、あらゆる副作用に襲われる。魔術不全、身体の崩壊、呪い……そして、悪魔の憑依」


 シーザは悲しげな眼差しを半魔人の子に向け、言葉を続けた。


「この子は悪魔に魂を浸食されたんだ」

「どうしてそんなことが?」

「当時、それを解き明かせた者はいなかった。ただ転生の実験をしていたというなら、話は見えてくる。転生は魂に干渉する。魂の操作過程で歪みが生じれば、本来宿るべき魂とは異なる悪しき存在が入り込む」

「それが悪魔か……」


 ディンは背筋を冷たいものが這い登るのを感じた。

 今の自分はユナの体にディンの魂が入るという歪な存在だ。神を冒涜するような魔術が施されている現実を突きつけられ、吐き気がこみ上げてくる。


 禁忌領域の魔術に対して怖れを抱くシーザの気持ちをようやく理解できた。


「あの、文献で読んだことがあるんですけど」


 フローティアが静かに口を挟んだ。


「魔術の失敗で魂の半分が悪魔に喰われ、徐々に浸食されていくんですよね? でも、エルフ族がその被害者を救う術を開発したって、文献にはあったような……」

「ほとんど資料にもないことなのによく勉強してるな」


 シーザは感心したように目を細め、鋭く答えた。


「エルフ族を中心とした宗教組織、ホーズキ教はさまざまな悪魔祓いの術を生み出してきた。そのひとつが――」


 少し間を置き、静かに言葉を継ぐ。


「0.5の洗浄」

「えっ?」


 その名には聞き覚えがあった。ゼゼが口にしていた言葉だ。


「ホーズキ教が広めた神聖な儀式だ。主にエルフ族の信仰者の間で執り行われ、魂の半分を乗っ取った悪魔を祓うとされている。たまにエルフ族が言うだろ? 『お前みたいなやつには0.5の洗浄が必要だな』って」


 ディンはゼゼに全く同じ言葉を投げかけられた記憶を思い出した。


「そう言えばゼゼに言われたな」

「皮肉として使われることが多い。エルフ族の間では、性格の悪い奴に投げつける隠語になってる」

「……」


 複雑な気持ちになったが、それ以上に疑問が湧き上がった。


「待てよ。その儀式をすれば悪魔祓いして救ってやれたんじゃ?」

「ただのまじないに過ぎない」

「何?」

「ホーズキ教の教祖は可能だと吹聴したが、一度も成功した例はない。プライドの高いエルフ族は失敗を認めず、それを曖昧に濁しているだけだ。救済という幻想をでっち上げたに過ぎない」

「……できないのか?」


 シーザは一度遠くへ視線を向け、沈黙のあと、ディンを見据えて告げた。


「悪霊を払う術ならある。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 シーザの言葉は冷たい宣告のように響いた。心の奥まで突き刺さる感覚だった。


「だから、私たちにできるのは……とどめを刺して埋めてやるくらいなんだよ」

「少しでもいい場所を探しましょう」


 フローティアが静かにつぶやき、全員が無言でそれに同意した。そして、見晴らしの良い場所を選び、半魔人を埋めた。

 静かに祈りを捧げた後、誰も言葉を発することなく、重い足取りで先に進んだ。

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