第213話 毒か
翌日、ベンジャことダチュラは王宮内にある訓練場に足を運んでいた。
ダチュラは第一王子ライオネル・ローズの近衛隊長として、要人との会合や日常の場面で常に傍に仕えていることが多い。しかし今週に入り、その任から一時的に外されていた。
これはライオネルの判断ではなく、国王アンベール・ローズの近衛隊長による決定だった。
「一時的な処置だ。理解しろ」
ダンジョンでの失敗が理由の一つではあるが、それに追い打ちをかけたのは王都を駆け巡るある噂だった。
――ディン・ロマンピーチを殺害したのはライオネルの護衛隊長であるベンジャ・シャノン
ベンジャ・シャノンの名前がはっきりと挙がっているわけではないが、分かる者には誰を指しているのか特定できる内容になっていた。
「デマを流しやがって……」
ダチュラはディンを殺していない。殺したのはエリィ・ローズ、つまりカルミィだ。よって明確な嘘だが、厄介なのは嘘だけでなくある程度の事実が混ざっている点だ。
ディンとライオネルの会談にたびたび同席していたことやロマンピーチ邸のあるミッセ村に私用で何度も足を運んでいたことは事実である。
こうした結びつきを匂わせる事実を並べて印象操作しつつ、信憑性を高める手口は巧妙だ。
大胆な嘘を真実かもしれないと一定数の人間に思わせることに成功していた。
「やはり魔術師団の仕業か……」
ゼゼ討伐のみに集中していたので、魔術師団の動向はほとんど追えていなかった。
魔人アネモネがダーリア王国の秘儀である魔術覚醒をしたという情報がどれだけの者に共有されているのか不明だが、ゼゼが消えたことで勘のいい者は裏切り者の存在に気づいたはずだ。
消去法で考えれば、ベンジャ・シャノンに辿り着くのは難しくない。
「まあ、だから何だという話だが」
ディンに手を下した事実はないのだから、いずれこの噂は収束するだろう。
現在、ローハイ教は魔術師団を標的に調査を進めている段階にある。
その矛先を逸らすため、魔術師団が苦し紛れに噂を流したというのがダチュラの読みだ。
噂が急速に浸透していることは不気味であるが、さほど大きな問題ではないとも考えていた。
「どのみち魔術師団は分裂するだろうしな」
ゼゼが消えた今、ゼゼを中心とした魔術師団の体制は崩れ、独立軍ではなくなる。組織が分裂し、やがて瓦解していくのは時間の問題だ。
理詰めで考えを整理すれば、悩みは自然と消える。ダチュラの中の苛立ちもまた、それとともに静かに収まっていった。
訓練場では、野太い掛け声と木刀が打ち合う音が響き渡っていた。その隅に立つ一人の人物が衆目を集めていたが、あまりにも場にそぐわない姿に、ダチュラは思わず二度見した。
そこにいたのは白い修道服を着た教皇の孫、ルーン・フリージアだ。
訓練の様子を隅で静かに見学していたルーンは、視線に気づいたのか、突然こちらに首を向け口元に笑みを浮かべて、ゆっくりと近づいてきた。
「ベンジャ様、ごきげんよう。お久しぶりですね」
「お久しぶりです。珍しい場所で居合わせましたね」
「少々用事がありまして、ついでにこちらに顔を出したのです」
ルーンが「ついで」に顔を出す場所ではないが、王宮戦士団にはローハイ教の信者が多く、教皇の孫であるルーンと会えるだけで光栄と思うものも少なくない。
若干引っかかりを覚えたが、深くは考えなかった。
「用事というのは、事件の件で?」
「さて、どうでしょう。あなたに関係ないことだと思いますよ」
探りを入れたが、予想以上に突き放されてたじろぐ。だが、対応として間違いではない。第一王子の近衛隊長として重要な情報が耳に入ることは多いが、あくまで近衛兵だ。よって、話を共有する必要などない。
ただその反応に明確な違和感を覚えた。ルーンは舐めるようにダチュラの顔を見つめていた。
「何か?」
「ダンジョンでは大変だったようですね」
「ええ。面目ない結果に終わってしまいました」
多くは語らず言葉を切る。実際、あまり触れたくない話題だ。
「未知のダンジョンで先陣を切ったのは勇気ある行動だと思います。ただベンジャ様の確認不足による見落としに関しては無視できませんね」
(この女。何を偉そうに……)
これまでも散々批判されてきたことであり、紛れもない事実ではあるが、ルーンに説教される筋合いはない。もっとも教皇の孫相手なので不快感を顔には出さない。
「返す言葉もありません」
「あなたのせいで音声転移による連絡網も分断されたとか?」
続けて非難めいた言葉が飛び出すとは思わず、ダチュラは呆れた。不快感を抑え、「そうですね」と短く返す。
「どちらにしろユナ様も連絡できる状況ではなかったので、私が分断したというのは少し齟齬があるかと……」
「ベンジャ様が音声転移の魔道具を紛失したのですから、齟齬はありません」
ダチュラは思わず眉をひそめた。アラン殺害後、死体を処理している最中、アイリスからの執拗な連絡が煩わしくなり、魔道具を壊して捨てたのだ。
下手に連絡を取るより、激しい戦闘で紛失したと報告した方が後々矛盾が出にくいと判断した。間違っているとは思っていないが、ここでルーンに責められるとは予想外だった。
「高価なものだったので申し訳なく思います」
感情を殺し、平坦な口調で返した。遠まわしに「しつこくて不快だ」というニュアンスを加えたつもりだが、ルーンは表情を変えない。
「紛失した魔道具を回収し解析したところ、あなたが握りつぶしていたことが発覚しました」
唐突に告げられ、ダチュラは目を大きく見開いた。
「今、なんと?」
「特別な魔術で解析した結果、握り潰した痕跡とあなたの指の紋が一致しました。なぜ壊したんですか?」
予想外の追及に言葉がすぐに出てこない。
(はったりだ、落ち着け。いや、そもそも……指の紋を写し取られた覚えなんて……)
「ど……どうだったのでしょうな。ただ戦いに夢中で、もしかしたらポケットの中が邪魔になって、無意識に握りつぶしてしまったのかも……」
苦し紛れの弁明だが、故意に壊した証拠など出るはずがない。ルーンもそれは理解しているのか「そうですか」だけ返し、それ以上追及しなかった。
涼し気に微笑んでいるが、目つきはどこか鋭い。
「握りつぶしたこと、もう一度報告が必要ですね?」
「また失態が増えて説教を受けることになりそうですが、事実なので仕方ありませんね」
お互い微笑み合いながら、ルーンは何事もなかったかのようにその場を去っていった。
訓練中に立ち眩みを覚え、ダチュラは早めに自室に戻った。
ベッドに腰を下ろし、考えを整理する。
ルーンの行動の意味。あれは明らかに容疑者への探りだ。
紛失した魔道具を回収し、破損の原因まで解析する徹底ぶりからローハイ教という巨大組織が調査に乗り出しているのは間違いない。
知らぬ間に指の紋まで採られていたとなれば、疑いの目は予想以上に濃い。
「魔術師団から入れ知恵されたのか……?」
そう考えるしかなかったが、信じ難かった。
現在、ローハイ教は魔術師団を徹底的に調査しているはずだ。その魔術師団の言葉を簡単に信じるとは思えない。
やはり何かがおかしい。
自分の知らない歪な何かが這いまわっている。
そんな感覚がダチュラを襲った。
氷室から冷たい水を取り出し、一気に飲み干す。
すると、かすかにかび臭さを感じ、ダチュラはその場で動きを止めた。
微細なものだったが、無視できるものではない。
それに気づけなかったのは、起こりえないという先入観のせいだと言える。
水に指を浸し、味を確かめるように舌で舐めてみる。
それでようやく確信する。
「毒か」
致死性はないものの、長年かけて身体を蝕む程度の毒。
いつからかは分からないが、ダチュラの飲む水に仕込まれていたのだ。
何者かがダチュラの部屋に侵入し、毒を混入した――その事実に、ダチュラは凍りついた。
だが、それを実行する組織をダチュラは知っていた。
ローハイ教にはかつて主流派と過激派に分かれていた時期があった。
過激派は自分たちの教えに反する者を異端審問にかける裁判を行い、その中でも特に苛烈とされたのが「毒樹」という手法だ。
方法は単純で弱い毒を日常生活の中で対象にこっそり搾取させ、年月をかけて対象の身体を弱らせる。
身体が弱れば、精神も自然と脆くなる。
定期的に彼らは親しげに近づき、様子を観察する。
毒の効果が出て対象が弱ったと複数人が判断すれば、強烈な毒を与え対象を「裁判」と称した拷問に引きずり込む。
その際には調合された毒花や毒草だけでなく、場合によっては禁じられた魔獣の毒まで使用し、精神を崩壊させてでも自白を強いる。
それが「毒樹」。
過激派に起源を持つ禁じ手だが、主流派も時に己の正義を信じ、躊躇なく苛烈な手段に手を染めることをダチュラは知っていた。
ゼゼすら恐れず、記憶の神殿にかける狂気を孕んだ集団の矛先が自分に向けられている。
その一端を垣間見たダチュラは、おぞましさに背筋が凍った。
その時、部屋の扉がノックされた。
扉を開けると、廊下に立っていたのは近衛兵の一人で、ダチュラの後輩だった。
「こんにちは! ベンジャさん。調子はいかがですか?」
爽やかな笑みを浮かべ、手には差し入れと思しき食料を持っている。
ダチュラはこの男が熱心なローハイ教の信者であることを知っていた。
――毒が残ってるそうよ
何かがおかしい。
何か致命的なことを見落としている。
だが、それが何なのか全くわからない。
最悪の魔術師ゼゼ・ストレチアのいない平和な世界。
にもかかわらず、これまでにない強烈な胸騒ぎがダチュラを襲った。
10章完。
4月1日コミカライズ6話更新。
4月14日コミック1巻発売です。活動報告で後々お知らせ予定です。
では、また。