第21話 流石は慈愛のエリィ様!
その日、ゼゼ魔術師団に緊急連絡があったのは午後に入る直前のことだった。
「南にあるアルメニーアの近くで魔獣が大量発生。魔術師の派遣を要請します」
アルメニーア支部から音声転移による緊急要請。
詳細の報告は上がってこなかったが、ゼゼは異例の事態と判断し、即座に編成部隊を組んだ。
そして、訓練場にも緊急要請はすぐに伝わった。
その内容に訓練場の人間たちは皆、一様に驚いた。それはディンも同じだった。現在、ダーリア王国では魔族の巣はほとんど駆逐されており、魔獣が出現することはめったにない。といっても、年に一、二度は国のどこかで魔獣が出現するので、今回も魔獣討伐の周期が巡ってきたとも言える。
が、問題はアルメニーアという場所だ。
魔族の巣は主に王都の北側に多い。王都のすぐ南に位置するアルメニーアで魔獣が発生したのは魔王討伐以前にもほとんどなかった事案であり、正に珍事と言える。
「どんな魔獣なの?」
そばにいたフローティアにディンは尋ねる。
「詳細はまだ上がってないから何とも……経験上、そこまで警戒するほどじゃないけど場所が場所だけに対応は早い方がいいわね」
ダーリア王国最大の港町アルメニーアは王都と同じくらい人で溢れており、外国からの行き来も絶えない。魔獣を見たことのない人間の方が割合として圧倒的に多いので、警戒心が薄く被害が拡大しかねないということだろう。
ディンも魔獣を書物や話でしか聞いたことがないので、興味が湧いた。見たことのないものは見たいという純粋な好奇心だ。
それに港街アルメニーアには縁がある。ディンの腹心がおり、ディンの計画したプロジェクトが進行中なのだ。任務ついでにこなしておきたいことがたくさんある。
フローティアは少し前のめりになっていたディンに気づき、忠告する。
「ユナはここで待機だと思うよ。まだ健康面の経過観察中だし、私の分もゼゼ様のお手伝いをしててね」
お留守番要因とはっきり言われてがっかりしたが、当然と言えば当然だ。
その後、発表された編成部隊はタンタンとフローティア中心に約四十名で構成されており、その中にユナ・ロマンピーチの名はなかった。
昼食後。
訓練場は閑散としており、そんな広々とした空間でやっているのはチェスだ。
対峙するのはタンジー。
「魔壁もだいぶ上達してきた気がするよ」
魔術師は限界まで追い込むのが基本。自分の魔力を限界まで使いきって、リカバリーを何度も繰り返すことで魔力の限界値が少しずつ増える。
毎日限界まで食べ続けて胃袋の容量を増やすような感じだ。
逆に言えば、魔力が少ない人間は早々に魔力切れを起こし、何もできなくなる。
タンジーは今まさにその状態だ。
そして、その相手役になるのが経過観察中のユナことディン。ディンは極端に身体に負荷をかける運動は現在禁止されているので、訓練場でも他の人よりやることがなくなる。
ゼゼの直属の部下という立場を得たが、魔獣討伐に関する雑務はこなせないと判断されたようで、目まぐるしく忙しそうな面々はディンに一切雑用すらまわさない。
現在あてがわれている仕事はタンジーの暇つぶしの相手である。
結局訓練生であるタンジーと同列の扱いだ。文句を言いたくなるが、文句を言うべき対象が全員忙しそうに動き回っているので邪魔もできない。
皆が仕事に忙殺される本部内で暇を噛み殺す奇跡の空間にいるのが、なんだか申し訳ない。もっとも対面するタンジーは全く気にしていない。
「昨日よりもちょっと長く魔壁を出せるようになったからね」
そう言ってタンジーは胸を張る。が、ユナの場合は一日中魔壁を出しても魔力切れを起こさないことを知らない。昼食前で魔力切れによりチェスに興じるなど話にならないのだ。
ふとタンジーが魔術師団になぜ入団できたのか、疑問が湧いた。
タンジーは身寄りのいない孤児院出身だ。
ロマンピーチ家の領地、ミッセにある巨大孤児院は祖父エルマーが魔族などで身寄りをなくした者のために作った場所であり、タンジーもそこの出身だった。
当然、タンジーに後ろ盾はない。色々余計な考え事をしつつ、チェスの手を進めるとあることに気づく。
想像以上にタンジーが手強い。
ディンはチェスにおいて一際強い。王都オトッキリーでの大会で優勝したこともある。そんなディンと打ち合えるということはタンジーはかなりのやり手だ。
(まあ、俺が負けるわけないんだけど)
そう思い、さらに打ち進めるが、想像以上に粘られる。
自然と脳が研ぎ澄まされて、チェスの盤面のみに意識が集中する。
強者と対峙する久々の感覚。
終盤になり、せめぎあいが続き、ディンは一気に攻め立てる。
一方のタンジーは守りに徹してとにかくしのぐ。
ぎりぎりの攻防。
最終的に守りを突破したディンが紙一重で勝利した。
「すごい、ユナちゃん! こんなに打てるなんて知らなかった」
「いや、タンジーも強かったよ。今まで打った誰よりも」
お世辞抜きの言葉だ。彼女の才能の一端を垣間見た気がする。魔術師団なんかよりふさわしい場所があるとディンは確信した。
「最後に攻め込まなかったのはなんで?」
「私は勝てる確信があるまで耐えるんだ。そうやって戦ってきたから!」
なんだか耐えることに美徳を感じているような気がした。
もしかしたら魔術師団の現状もタンジーにとって美徳に値するのかもしれない。
「タンジーはさ。魔術師団に受かったのなんでだと思う?」
「わかんないけど、強いていえばエリィ様かなぁ。私を推挙してくれたみたい」
タンジーは悪びれず笑うが、ディンは思わぬ人物が出てきて驚く。
「エリィ……殿下が? なんで? ってか、知り合いなの?」
「うーん、ほんのちょっと。エリィ様は孤児院を時々訪問して、子供たちと交流したりしてくれたから。その繋がりなの」
第二王女エリィ・ローズ。
ディンの友人である第一王子ライオネルの妹。
そして、魔術師団六天花の序列三番でもある。
「エリィ様は本当に素晴らしい方だよ。流石は慈愛のエリィ様!」
その言葉が頭の中で反響する。よぎるのはエリィの事を嬉々として話す面々。
『王族のご身分であるにもかかわらず定期的に孤児院と病院を訪問してくださるとはなんて慈悲深い』
『魔術師団員に自ら立候補し、国を守ってくださっている。美貌以上に彼女の精神は美しい』
そう口々にエリィの素晴らしさを語る人々は彼女をこう呼ぶ。
――慈愛のエリィ
だが、より良く彼女を知るディンは、別の呼び名を知っている。
『王宮に縛られるのが退屈だから、なるべく外遊できる理由が欲しいんだ!』
あっけらかんと公式の会談で言われて唖然とした記憶が蘇る。
自由奔放で周囲の人間を振り回し、本音の居所が誰にもわからない。
エリィを取り巻く人間たちは彼女をこう呼ぶ。
――気まぐれエリィ
頭に自然と浮かんだのはエリィ・ローズの悪戯な笑みだった。