第208話 言葉がうまく機能しないってのは悲しいな
それは最期にゼゼに宣告された時からずっと燻ぶっていた問題。
でも、都合のいい答えを探して先延ばしにし続けていた。
その問題をたった今イチに突き付けられた気がした。
どうしたらいいのか……
誰かに相談したかったが、きっと誰も答えを持っていない。
海の果てまで旅しても答えは見つからない。
でも、本当は気づいている。
先人の英雄譚をめくれば朧気ながら答えはある。
どの時代の、どの世界に生きようと、利他主義で高潔さと強い心を持つ英雄は……
家族を守るため己の命を差し出す。
きっとそれが答えだ。
だが、どこからともなく声が聞こえる。
――ディン。お前みたいな俗物が己の命を差し出せるのか?
「お前の言い分は理解したよ」
隣にいるシーザの声で我に返る。
額の汗を拭い、平静を装う。
「だが、まだ一つ。肝心のことを聞けてねぇ」
シーザはイチに対し、固い表情を崩さない。
それに呼応するようにイチも背筋を伸ばしたまま答える。
「なんでしょう?」
シーザが口を開きかけた時。
ディンたちとイチの間を数匹の黒い蝶が舞うように通り過ぎた。
「えっ」
美しく舞うそれに一瞬見とれるが、それを皮切りに空間に蝶が少しずつ増えていき、宙を旋回し出す。
「ミレイ……」
ふとイチの方に視線を向ける。
その口元が一瞬だけ薄く笑っていた。
企みを感じ、思わず眉をひそめる。
「イチさ――」
「君を拘束したと彼女が誤解したのかもね。誤解を解きにいこうか?」
ディンの言葉を遮って立ち上がり、そのまま部屋を出ていく。
「なんだ、あいつ……」
「とにかく追うぞ」
シーザに促され、慌てて部屋を飛び出した。
ギルドの外に出ると、商会が軒を連ねる大通りでミレイとイチが相対していた。
「お久しぶりです、ミレイ嬢」
「……どうも」
片手にハンドバッグを持つミレイはぶっきらぼうに答える。
ギルドから出てくるディンとシーザに気づくと、少しほっとした表情に変わった。
「誤解させてしまったかもしれないですね。ユナ様にはお話を伺っていただけなんですよ」
「話なら明日でも構わないはず。王都の副ギルド長とはいえ、非常識では?」
「配慮に欠けていたかもしれません」
そう言いつつもイチは一切悪びれない。
剣呑とした雰囲気だが、ミレイは何事もなかったかのようにディンの方に近寄る。
「ユナ。帰るよー」
そう言って強引にディンの腕を取り、歩き出す。
この時、ディンに向ける視線でミレイが妙に焦っていることに気づいた。
それが何なのかディンはくみ取れなかったが、ミレイに合わせてついていく。
「そういえば今度、ダーリア王国で台覧試合があるとのことですが」
イチはよく通る声でディンとミレイの背中に声をかける。
「ミレイ嬢が出場打診を受けていると伺いました」
「他に人材がいないので私のところに話がまわってきたのは事実。でも、今はそんなことしてる場合じゃないので」
ミレイは振り返り、渋々答える。
「そんなこと? 国を代表して戦うという名誉以上に大事なものが?」
イチの目つきが鋭くなる。
ミレイは大げさに嘆息し、イチの目を見て答える。
「身内に不幸があり、傷心中ですので」
「ああ、なるほど。フィアンセであるディン様が亡くなられた件、誠に残念です」
そう言いつつ、ミレイの表情をじっと観察する。
「何か?」
「傷心の割には精力的に活動なされてますね……ダーリア王国とトネリコ王国を頻繁に往復しているそうで」
把握していることにディンは驚くが、ミレイは表情を変えない。
「私には魔術師団としての責務があります。ロマンピーチ邸の様子も見に行く必要がある」
「なるほど。責任感があり、面倒見もよいですね」
「もう良いですか?」
「まだだ!」
その強い口調で金縛りのように一瞬身体が固まる。
マーリの時と同じ現象にディンはたぐろぐが、ミレイは一切動揺していない。
「何か?」
「本題です。台覧試合の件、辞退するなら僕を推していただきたい」
それを聞いて、ミレイは露骨に眉をひそめる。
「あなたは魔術師団所属ではないはず」
「選定基準は魔術師団所属ではなく、国を代表する強い魔術師のはずです。僕は数少ないプラチナランク保持者であり資格はある。あとは推薦者だ」
「あなたを推薦することはできません。理由は……胸に手を当てれば理解できるかと」
ミレイは暗にスメラギ家の内戦のいざこざを仄めかした。
それに対し、イチはため息をつく。
「内戦のことを指摘してるのであれば、あなたは随分偏った見解をしておられる」
「というと?」
「自分の手が汚れてないとは言いませんが……内戦は呪いで繋がった家族を断ち切るための聖戦です。これ以上、世の中に迷惑をかけるわけにはいかないと判断した。決して恣意的な理由ではない」
それを聞いてミレイは自然と目つきが鋭くなる。
「スメラギ家の内戦はあなたの父と第一養子が殺されたことが発端です。そして、第一養子の頭部が何者かに持ち去られ、非正規ルートで継承魔術をした者がいた。いわゆる魔術泥棒ですね。スメラギ家はその人物に報復しようとした結果、戦火が国全土に拡大した」
「……」
「頭部を持ち去り、ダン様の魔術を継承したのはあなたですよね?」
「えっ?!」
はじめて知った情報にディンもシーザも驚き、声を上げる。
イチの口から出てこなかった物語。
物語の印象が様相を変える。
ミレイの話が事実なら、聖戦はこじつけで、ただの利己的な行動に思える。
「待て。誤解だ。確かに祖父の魔術を継承したのは事実だが――」
「誤解も何も、ダン様の魔術を継承したのが何よりの証拠では?」
イチはそれに反論できず言葉に詰まる。
「大体あなたのやったことはただの蛮行です。内戦によりスメラギ家の人間は数多く亡くなった。あなたの父や姉のマーリ、養子なども含めて現在私たちが把握している死者数は百六十名を超えている。その中には女性や子供も含まれています。正当な行いだと本当にお考えですか?」
想像以上の数に背筋が凍った。
呪いを断ち切るためとはいえ、女子供にまで手にかけるのは、もはや狂気だ。
イチはその問いに答えず無表情でじっとミレイを見ていた。
「私が最後に聞こうとしたのは……あいつ自身が、呪いの影響を受けていないかどうかだ」
シーザの言葉でイチの懸念点に気づく。
イチもマーリのように幼いころから首に呪印を刻まれた。
呪印がイチの父の凶悪な性格を徐々に反映するものであるなら……
イチもその影響を受けていてもおかしくない。
ディンやシーザの見る目が変わったことに気づいたのかイチは寂しげな表情に変わる。
「言葉がうまく機能しないってのは悲しいな」
ぽつりとつぶやき、イチは夜空を見上げる。
白銀の星を見ているのか、夜の闇を見ているのか。
正常なのか、狂っているのか。
外側からその心の深淵は測れない。
「弁解の余地はないってことですね?」
「教会の墓地によく植えられてるイチイの木。父はそこから僕の名を取ったそうです」
唐突に話題が飛び、ミレイは怪訝な顔つきになる。
「良い名前だと周りの大人は褒めてくれましたが、イチイの木は死の象徴でもある。その意味を込めて父は名付けた」
「何が言いたいんです?」
「解釈の違いによる誤解はどこからでも生じるという教訓です。そして、それを解くのは簡単ではない」
「弁解する気はないということですね。疑惑の人間に台覧試合の推薦などありえません。ということで話は以上です」
ここでイチは目を見開き、薄気味悪く笑う。
「清廉潔白ぶるのはよしてもらいたいな。誰だって後ろ暗いものの一つや二つあるものだ」
「何のことですか?」
「随分急いできたようですね。よほどの緊急事態だったのかな?」
「危険人物とユナが一緒にいたと聞いたので当然、慌てますが?」
「先ほどからユナ様と僕の動線をさりげなく切るように立っているのは偶然か?」
イチの指摘でディンはミレイがなぜ慌ててここに来たのかその理由にようやく思い至る。そして、まずい状況だと気づくも、すでに遅かった。
「僕も最近、継承魔術を実施したので知ってるんですよ。身体に刻まれた模様を消す化粧は汗水で溶けやすい」
その言葉でディンは動きを止める。ミレイはそれに反応しない。
そうだ。ディンは戦って怪我はなかったが、戦いの中で激しい運動をしており、わずかながら発汗していた。
化粧をする習慣なんてなかったので、全く意識していなかった。
「といっても上質なものなので多少水で溶けても意外にわからない。でも、一つわかりやすいものがある。それはね、化粧箱」
イチはまわりこむようにゆっくりと歩き出す。
「継承魔術用の化粧はすべて同じ商会により作られており、木箱には魔の木が使われている。その材木は鼻孔をくすぐる爽やかで独特な香りがするんだよ。誰にでもわかるものじゃないがね」
そう言ってイチがじっと見るのはミレイが手に持つハンドバッグだ。
「風上に立てば、確信を持てる。慌てたミレイ嬢が勝手に答えを持ってきたというわけだ」
イチの口元が歪む。ミレイは表情を変えずじっと黙っていたが、やがて観念したようにため息をついた。
何も言わずディンにハンドバッグを強引に手渡し、腕を組む。
「で? どうする気? 身内殺しのイチさん?」
「ははっ。ミレイ嬢は強気だ。まあ、清廉潔白なイメージのネーション家と印象最悪なスメラギ家だし、僕が騒ぎ立ててももみ消せるだろうな。実際、今の僕は薄暗い部分が余りに多い」
そう言いつつイチは泰然としており、ディンの眼には不気味に映った。
「さらに言えば、ここは君のホームだし、何よりガスもいる。分は極めて悪い」
「じゃあ、どうするの?」
「ここで改めてお願いしよう。台覧試合に推薦してもらえないかな? そうしたらここで知ったこと、すべて黙っていよう」
ミレイは訝し気な表情でイチを見る。
「あなたの狙いは何?」
「恵まれたミレイ嬢には理解できないか……」
イチはポツリとつぶやく。
「どちらにしろダン様の魔術を継承した今のあなたは台覧試合向けじゃない。観客に被害が出るかもしれない」
「かもね。その一方で蝶魔術の見栄えは本当に素晴らしいよね。観客を沸かせるショーとして最高だ。まあ、ロキドス戦では何の役にも立たなかったけど」
最後の言葉を強調し、ミレイは顔をしかめる。
だが、イチは止まらない。
「ロキドス戦で最も有効だったのは僕の祖父の魔術だ。それは君が一番知ってるだろ? ミレイヌ様は何も役に立たなかった。最前線で戦いを見守っていた観客ってとこかな」
「おばあちゃんを……お前が愚弄するな」
「愚弄してるのはどっちだ? 蝶魔術如きが国宝認定など厚かましいにも程がある。祖父の魔術より遥かに劣っている癖に!」
「……劣ってなんかいない!」
抑えていた感情を爆発させるようにミレイは叫び、イチは不敵な笑みを見せる。
「ならここで。試す勇気はおありか? ミレイ嬢」
「ミレイ! 挑発だよ。こんなの乗る必要がない!」
そう言いつつ、お互いの目を見て気づく。
これは二人にとって絶対に引くことのできない問題だ。
ミレイはイチの方にゆっくり近づく。
「あなたの思い上がりを訂正してあげる」
「ここで勝った者が台覧試合に出るってのはどうかな?」
「ご自由に。私が勝ったら先ほどの発言はすべて撤回してもらう」
お互い睨み合う。
かつて魔王ロキドスを倒した伝説の勇者一行。
その孫であり、お互いがその魔術を継承した者同士による戦い。
もはやディンが介入できる余地はなかった。
が、隣にいるシーザがディンの袖を引っ張りささやく。
「なんとか止めさせろ。あいつがダンの魔術を持ってるなら……ミレイは勝てない」
「……何?」
「ミレイヌとダンが対峙して、ミレイヌが勝つ絵図が浮かばない。やめさせろ」
双方の魔術をよく知る者の冷酷なジャッジに、ディンは言葉を失った。