第207話 僕の名はイチ・スメラギと申します
蟻塚領域への強襲があまりにうまくいったことから胸騒ぎはしていた。
突発的な計画に便乗した何かが蠢いている感覚。
考えないようにしていたが、狙い定めたように現れた男に嫌でも考えざるを得ない。
(こいつが裏で敵を目減りさせていたか……)
少年の面影が残る童顔男を観察する。
その顔立ちから想像もつかないほどの威厳を漂わせており、年は二十五前後といったところか。
マーリの弟であり内戦の中心人物と言われるイチ・スメラギ。
ディンが最も会いたくない人間が目の前に立っていた。
イチはディンを見ていたが、ふと思い立ったようにドムに視線を送る。
目が合ったドムは、震えて尻もちをつき、引きずるように後ずさりしていた。
「あ、あ、あ……」
「久しぶりだね。腰巾着のドムさん」
「いや……あの……俺は、その……」
「ははっ。別に殺しはしないよ。ドムさんは証人だ。そうでしょ?」
ドムはそれを聞いてきょとんとした表情になる。
「というと?」
「あなたは一部始終を見ていた。魔族の巣である蟻塚を燃やすというまっとうな行為をしていた冒険者たち。それを理不尽に姉のマーリは襲った。そうだよね?」
「そ、それはそうですけど……いきなり殺――」
何か言いかけるも、睨みを利かせるイチに気づき、即座に口を噤む。
「彼女たちはただの冒険者じゃない。勇者の孫と高名なゼゼ魔術師団の一員だ。不当な理由で彼女たちを襲えば、下手すれば国際問題に発展する。となれば死罪はまっとう。でしょ?」
「まあ……確かに」
恐る恐るドムは同意し、ちらりと小動物のようなまなざしを向ける。
「ちなみにこれ以上の処分は……?」
「僕は何かするつもりはない。あとは彼女たちがどう判断するかだ」
そう言ってイチはディンに視線を送る。ドムは反射的に立ち上がり、全速力でディンの足元に滑りこんで座り、頭を地面に叩きつけた。
「この度は! ユナ様であると知らず、度重なる不快なる発言! 及び、誤解とはいえ言い訳できない蛮行の数々を深く! 深く! お詫びいたします!」
「あんたびっくりするくらい変わり身早いね」
「都合の良いことは承知です! どうか! どうか! スメラギの名に免じて! 今回だけは――」
言葉が途切れる。一瞬で間合いを詰めたイチが、平伏していたドムの頭を潰すように踏みつけていた。
「がっ……」
「スメラギの名を語るな。二度目はないぞ」
殺意の混じる目つきでドムを見下ろし、驚くほど冷淡な声が響く。踏みつけた足に力がこめられ、自然とドムの頭が地面にめりこんでいく。
「わがりました! わっがりまひた!」
懇願の叫びによりイチは足をゆっくり上げた。
ドムはそっと上体を起こし、伺うように見上げると、イチは何事もなかったかのように穏やかな顔を見せる。
その表情の落差にディンは少し恐怖を覚えた。
「ドムさん。あなたは運よく呪印を刻まれてないんだから、これを機会にまっとうな商売をしなさい。スメラギの商売はすべて手仕舞いだ」
「そ、それは……どういうことですか?」
ドムの問いに答えず、イチはディンの方に身体を向ける。
そして、目の前で深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。勇者の孫、ユナ・ロマンピーチ様。僕の名はイチ・スメラギと申します」
そう言って、柔和な笑みを口元に浮かべる。ドムに対する氷のような冷淡な眼光との温度差に一瞬呆けるも、すぐに顔を引き締める。
「はじめまして。ユナ・ロマンピーチと申します」
「こんな形でお会いすることになるのは本意ではなかったのですが……まずは姉による不敬及び蛮行に心からお詫び申し上げます」
姉という部分をわずかに強調し、イチは再び深々と頭を下げるが、こちらが何かを言う前に顔を上げる。
「姉の処分はしましたので、一度これで手打ちということに致しませんか?」
頭を下げた人間の口から出る言葉とは思えない。
下手に出ているが、かなり強引に話をおさめようとしていた。ただスメラギ家はイチを中心に現在内戦中。
そして、何よりイチという男と関わるべきでないと本能で告げている。
「了解です」
あらゆる計算の元、弾き出された簡潔で明確な答えを笑顔で口にする。
「では事情聴取をしたいのですが、今からお時間大丈夫ですか?」
「はっ?」
思わぬ切り返しにディンは戸惑いを隠せない。
イチは先ほどのやり取りがなかったかのような振る舞いだ。
夜中に聴取というのも非常識といえる。
若いユナが侮られていると感じたが、隣のシーザが即座に口を挟む。
「おい! お前、この時間はいくらなんでも非常識だろ! 大体、お前の姉のせいでこっちは負傷者がいるんだ!」
ディンの胸中を代弁するような意見にイチは少し困った表情を見せる。
「ですね。なら、せめて治療はお任せください」
そう言って腰に携帯していた革袋を手に取った。
「呪いも毒のように種類がありややこしい。これはスメラギ家の呪いに対する純正品です。一晩腕につければ、後遺症なく治ります」
差し出された革袋をシーザが受け取る。シーザは中身の透明な液体を指ですくって匂いをかいだ後、じろりとイチを睨む。
「確かに複雑に調合された聖水だな……が、てめぇ。スメラギが呪術にも手を出したって噂は本当だったんだな?」
「シーザ様、誤解なさらないでください。手を出したのは継承魔術に失敗した父です。私たちはその呪いによるいわば犠牲者。あの首の呪印さえなければ……きっと姉を殺すこともなかった」
そう言って悲し気に苦笑をもらした。よく見るとイチの首にもマーリと同じような模様が見えた。
魔術以外の超常的な力として呪術というものがある。
呪詛魔術とも言われ、魔術の枠組みであるが別物と考える者も多い。
理由は呪術は負のエネルギーを媒介とするためだ。不幸や不運はどこにでも溢れているせいか、あらゆる場所で呪術らしきものが使われた痕跡はある。
もっともそれは暴走の結果であり、呪術という確立された形でないのがほとんどだ。呪術は魔術以上に研究が進んでおらず、謎が多い。
呪いという負のエネルギーを扱うせいか、呪術師のほとんどはろくな死に方をせず苦しむと言われており、実際短命だ。
よってダーリア王国ではほぼ根付いていないが、トネリコ王国では違う。未だ魔族と戦う手段の一つとして、魔術師のいない田舎では得体のしれない呪術師が幅を利かせていることも多いという。
「呪印のことも含めて説明させていただきたいと思います。ユナ様やシーザ様に誤解されたまま終わりたくない」
「ってもよー」
「かつて同じ勇者一行だったダンの孫が頼んでるんです。時間は取らせませんから」
シーザの弱い部分を突きつつ、イチは再び深々と頭を下げた。
ディンとシーザはお互い顔を見合わせ、結局折れる。
ルゥとアイリスはミレイヌ邸へ帰し、ディンはシーザと共にイチと同行することになった。向かった先は冒険者ギルドだ。
が、夜中なのですでに扉は閉じられており、人の気配もない。
というか周囲も真っ暗で、通りを出歩く人が全くいなかった。
「うーん……やはり明日出直した方がいいんじゃ――」
ディンが言いかける前にイチはすまし顔でギルドの扉を蹴破った。
呆気に取られて固まってるディンに向かって微笑む。
「鍵はないんでね。明日直せば問題ない」
品の良い笑みを見せるが、急に狂ったような行動を取る。
行動が予測できず、なんだか野生動物を相手にしてるようだ。
「そういうところ、ダンに似てるな」
「シーザ様の昔話はいつかの機会にぜひ拝聴させていただきたいものですね」
ギルド内に堂々と入っていき、ディンとシーザもそれに続く。
鍵のかかった扉を同じ要領で蹴破っていき、迎賓室のソファで向かい合った。
明かりのない空間だったので、ディンが明かりを発光させる球体の魔道具を宙に浮かせる。
「ほう。流石は魔道具大国。そんな便利なものまであるんですね」
ほんの少し関心の目を向けるも、すぐに真顔になりイチは背筋を伸ばす。
「まずは身内のごたごたに巻き込んでしまったこと、改めてお詫び申し上げます。お怪我もなくて何よりだ」
事務的で飄々とした態度にディンは思わず怪訝な目を向ける。
「実の姉を殺したのに何とも思っていないんですか?」
「そういうわけではありません。思うことは当然ある。ただ王都の副ギルド長という立場もあるので……」
そう言って視線を落とす。そこで思った以上に寂しげな目をしていることに気づいた。全く情がないわけではないらしい。
少し間を空けて、イチは視線を戻した。
「建前しか言えないのであれば、わざわざ時間を取って頂いたあなた方に失礼ですね……ですから、胸襟を開いてお話しましょう」
軽く息を吐いてからイチは切り出す。
「お二人はスメラギ家の複雑な事情をご存じでしょうか?」
「ダン様が血の繋がりのない者たちを家族と受け入れ、養子としたこと。彼らが世間的に褒められない灰色の行為に手を染めていたことは伺っています」
ディンの回答に対し、イチは静かにうなずく。
「祖父が伝説の勇者一行として戦死した後、スメラギを名乗る者が急激に増えました。僕としては彼らのことを家族などと認めてはおりません。あいつらはスメラギと関係ない面汚しです」
イチは淡々と説明するが、わずかに蒸気のような魔力がにじみ出ており、感情が高ぶっているのがわかった。
「といっても、その発端は僕の父にある。祖父の魔術を継承しようと目論んだがそれに失敗し、力を得るため呪術に手を染め、組織を大きくした。すべては己の欲のためです」
イチは自分の首元を手でおさえる。
「呪術の行使は家族も例外ではなかった」
暗い表情でぼそりとイチはつぶやく。
首には幾何学模様の紋様が刻まれていた。
「その首の紋様……呪術によるものか?」
シーザの問いにイチはうなずく。
「これは身体能力を劇的に向上させる紋様ですが、術者の命に背けば首から上に血が流れなくなり死ぬこともある。言ってみれば服従の紋。この紋を刻むことで血の繋がりのない者もスメラギの養子として認められた」
「呪術を……強制的に体に刻んだのか?」
シーザは信じられない様子で少しの間、絶句していた。
「ええ。その危険性はシーザ様ならご理解できるでしょう。刻まれた呪印は聖水では消せない。僕は首だけの紋だったんですが、姉のマーリは体中に紋をつけられてね。呪術は力を与える一方、精神に害を及ぼすことも多い。昔は優しかったのに……姉さんは父のようになってしまった。悪魔が乗り移ったんだ!」
そう叫び一点を見つめたまま、歯を食いしばる。
無念の表情を浮かべる様子を見ていると言葉が出てこない。
「お前の父の凶悪な性格が呪印を刻んだ者に徐々に反映されたってことか?」
「ええ。呪いにより繋がったスメラギという家族はトネリコ王国全土に広がり、もはや収拾がつかなくなった。話し合いも通じず外圧にも屈しない組織となりつつあり……誰かが負の連鎖を断ち切らなければならなかった」
「だから内戦を……?」
「タイミングは本意ではなかったけどね」
少し意味深な言い方だが、イチはディンに真っすぐな瞳をぶつけて告げる。
「これは悪魔と化した家族を断ち切るための聖戦なんです!」
よく通る声が部屋に響いた。
実際、嘘を言ってるように思えず、当初抱いた危険な印象とは随分ずれがある。
「ただ結果として僕は血の繋がりのある家族にまで手をかけてしまった……」
その重い言葉にディンは視線を落とす。
自分の知る家族の形がすべてではない。
わかっているが、殺し合いにまで発展するなどディンには想像もつかない話だ。
「正直、姉のことはどうするべきか最後まで悩んでいた。僕の唯一の理解者だと思っていたから。でも……今回の件で吹っ切れた。このままだと世の中にさらに迷惑をかけるのは明白だ。だから、家族であろうと殺した」
「家族でも……断ち切る」
ふと頭に浮かんだのはゼゼとミーナのこと。
死の霧で歪んだ姉妹の関係性だが、ゼゼは最後までそれを断ち切ろうとしなかった。
ずっと守ろうとしていた。
それが家族のあるべき姿だと思っていた。
でも、目の前の男は違う答えを出した。
「別の方法はなかったんですか?」
他人事に思えず問いかける。
「ない。心や魂に関わる超常的な力で捻じ曲げられた関係ってのは、不可逆的であり元に戻ることはない。家族であろうと必ず破綻する」
「……」
宣告を受けたような気持ちになった。
――どちらかの魂は消えてなくなる運命だ。つまり、どちらかは死ぬ
妹の体に兄の魂が入るという魔術による歪な関係。
これはきっと……呪いに近い。
心のどこかで両方救われる答えがあるんじゃないかと考えていたが、それはないんだと気づく。
ディンとユナ。どちらかは必ず死ぬ。
ゼゼのように家族を守るか、イチのように家族を殺すのか。
その選択はディンが選ばないといけない。




