第200話 理屈抜きにさ、一緒に戦って欲しかったんだよ
継承魔術の儀式を実施して八日目、ルゥとの出来事が頭に残っており、少し呆けていた。
「ディン君。寝不足みたいだけど大丈夫? ってか、耳なんか噛まれてない?」
ガスは目ざとく耳に残ったわずかな噛み後に気づく。
「少しいざこざがね。大したことではないです」
「……そういうプレイをしていたわけじゃないんだね?」
「違いますよ。なんでそういう発想に……」
ガスの見たくない性癖を見た気がしたが、それ以上言及しない。ガスも自分の失言に気づいたのか、少し視線を外した。
変な空気になったので、ディンは自分の中にあるもやもやを口にする。
「仲間と喧嘩になったんですが、相手の追及がよくわからなくて……あれは怒ってたんだろうか」
「怒らせるようなことをした覚えは?」
「……強いていえば、ユナのふりをして胸を触ったり着替えを見たことくらいですね。その後、慰謝料も払わずうやむやにして何とかもみ消しました」
「絶対それだろ! とんだ糞野郎じゃないか! そりゃ根に持つって!」
ガスは呆れ果てるが、ルゥの言葉を咀嚼するとそもそも過去の出来事への怒りではないと考えていた。
――あなたの根元にあるものは何?
その言葉が頭の中でたびたび響く。
(俺の何が気に入らないんだよ)
ただルゥもそれを測りかねてるようではあった。
考えてもわからないので、いったん頭の片隅に置いておくことにした。
「では、気を取り直して今日もやろうか!」
何事もなかったかのようにガスは笑みを見せ、ディンは少し憂鬱な表情になる。
ガスはそれに気づき、真顔で切り出す。
「君の歩いている道は間違っていないよ」
「でも、ここにきて成功するイメージが沸いてこなくて……」
「それは知ってる。だが、これを続けていればいずれ成功する。なぜなら失敗するたびに黒の刻印が刻まれているからだ。そもそも適正がなければ、刻印は刻まれないからね」
魔術刻印が刻まれるのは、適正がある証拠と言われる。魔力のないものや適性のない者にはそもそも魔術刻印さえ刻まれない。
黒い魔術刻印はゴールがある証拠だ。
それは頭で理解していることだ。だが、回数を重ねるごとにいくつか懸念が沸いた。
「成功率ってどれくらいだと思いますか?」
「公式の儀式なら王宮でおおよその確率を測れるんだけど、それもできないからね……」
ガスは腕を組んで考え込む。
「君が懸念しているのは百万回とか千万回くらいかかる可能性だろ?」
そう、いずれ成功するといっても試行回数に限度はある。成功するまで十万回の試行回数が必要とすれば、ざっと半年以上かかる。
そんな時間的余裕はディンにはないのだ。
「私の考えだとそれは適正がないも同然だから、魔術刻印は刻まれないはずだ」
「ここまで失敗するのは何が原因だと思いますか?」
「魔人の脳であることとロキドスの付与魔術のせいかもね。付与魔術によりロキドスはあらゆる魔術を使うことができる。その魔術情報をすべて継承しないといけないなら、当然確率は落ちる」
影魔術や風魔術などの素養はディンにはない。よってそれも含めた継承であるなら確率は劇的に落ちる。
「ちなみになんですが俺とロキドスでは実力差がかなりあるんですが、それでも魔術はすべて継承できるんですか?」
「昔、こんなことがあった。一流の回復魔術の使い手が自分の息子に継承を望んだが、その息子の魔力量は極めて少なかった。素養もあるとは思えず器として不適切だったが、奇跡的に継承に成功した。ただ魔力量が少ないからほとんど魔術を行使できる力がなかった」
「宝の持ち腐れですね」
「ああ。その後、その息子から別の人に継承をした。すると、その人は一流回復魔術をそのまま扱えるようになった。この逸話から器として適格でない人間であっても完璧に魔術情報は継承していた証明になった。脳という入れ物は人間が思う以上に容量が大きいんだよ」
これもはじめて知った事実だ。つまり、理論上は問題なくロキドスの魔術も継承できる。
「大丈夫。極めて成功率が低いのは確かだが。やり続ければいずれ成功するはずだ」
それは継承魔術を研究し続けた人間の慰めではない確信に満ちた言葉。その言葉でディンは再び自分の中で活力が沸くのを感じていた。
何事にも情熱という炎の灯は必要だ。失敗という雨や風に何度も何度もさらされ、心が冷えて炎が消えそうになることもあるが、熱があれば炎は自然と灯る。
終わりの見えないマラソンは今日も百回を軽く超えていた。時間は無限にあるわけではなく、これは時間との戦いでもある。いつまでもトネリコ王国にいるわけにはいかないのだ。
ただ焦りはなかった。ディンは静かに器の真ん中に座って集中していた。
――がっかりさせないで
ふと頭によぎった。
昨夜ルゥに言われた言葉だが、昔、同じことを言われた。
目を閉じると、その時の記憶が流れ込んでくるようによみがえる。
暑い日のこと。
場所は切り開かれた森の中。
そこはいつもよく祖父エルマーと訓練する場所だ。
息遣いが荒く、かなり消耗している。額から汗が滴り落ちるが、ゆっくり立ち上がり、木刀を握っている。
対峙するのは祖父エルマー。
汗を一切かかず、そのたたずまいは凛としており隙がない。まるで大木のようだ。
その大木めがけて、迷いなく突っ込む。
木刀を振り下ろすが、軽くいなされ、身体がはるか後方へ吹き飛ぶ。
「根性はあっぱれ。ただ戦いに工夫がない」
淡々と祖父エルマーは告げる。
仰向けに倒れこみ、視界に映るのは空に昇る太陽。
覗きこむように祖父の優しい笑みが見える。
「今日はここまでにしよう」
そう言って、ゆっくり足音が遠ざかっていく。
足音が消えた時、半身起き上がる。汗をぬぐい、視線を後方に向ける。
そこには立ったまま動かない男がいた。太陽の逆行で顔が見えない。
その男に声をかける。
「なんで途中、諦めちゃったの?」
「……勝てる方法を探してた」
男の言葉に深くため息をつく。
「動かないと可能性も切り開けないよ」
呆れるようにぼやき、立ち上がる。
「突っ込むことが美徳ってわけじゃないだろ」
「言い訳ばっかりだね」
木刀を持って、その場から立ち去ろうとした瞬間、思い出したように振り返る。
立ち上がったことで、太陽の逆行で見えなかった顔がはっきり視界に映る。
「がっかりさせないで。お兄ちゃん」
そう口にする。
視線の先にいたのは自分自身の姿。
ここで気づく。
これはディンではなくユナの記憶だ。
「ディン君!」
ふと現実に戻り、目を開ける。
ガスが駆け寄ってくる。
「やったよ!」
「えっ……?」
ガスが興奮しているのに気づき、ようやく自分の身に起きた変化に気づく。
黒ではなく赤い魔術刻印が身体に浮かんできた。
「継承成功だ」
ディン・ロマンピーチ。魔王ロキドスの付与魔術習得に成功する。
赤い刻印は身体中に巻き付くように刻まれており、それは顔にも及んでいた。
「今は定着期間だ。食べ物を咀嚼後、栄養を吸収している期間だと思ってくれればいい。運動は問題ないけど、魔術を使うのはあまりおすすめしない。どちらにしろうまく使えないだろうけど」
魔術の情報を定着させることに自分の魔力が使用されている状態なのか、いつものように魔力を引き出せる感覚がなかった。
「だいたい二日……人によっては一週間以上かかる。とにかくそれまではおとなしくするのが基本だ。運動とかも推奨しない」
「了解です」
「どのみちその姿を誰かに見られるのは困るからしばらく引きこもってもらえればありがたい」
赤い刻印は知る人ぞ知る継承魔術を使用した痕跡だ。当然、万が一にも誰にも見られてはならない。
継承魔術の施設を後にし、ひっそりとネーション家の邸宅に戻った。ミレイの部屋に入り、やったことは化粧だ。
「私がしてあげるね」
ミレイは楽し気にユナの顔や腕に何かべっとりしたものを塗りたくっていく。
赤の刻印が綺麗に消えて、一見すると普段通りの顔色になった。
「水とかで溶けるから気を付けて。汗もなるべくかかないように」
「汗は自然現象だろ」
「つまり、激しい運動も厳禁ってことね。おとなしくしましょう」
口元に笑みを浮かべつつ、ミレイはじっとディンの顔を見る。
「何かあった?」
そう言われて、ディンは自分がずっとさえない表情をしていたことに気づく。
「ミレイは継承魔術が成功した時、どんな感じだった?」
「んー。無我夢中だったってことは覚えてる。とにかく緊張して余裕がなくて、成功しても現実感がなかったかなぁ」
「……継承成功する直前、ユナの記憶がはっきりと見えたんだ」
ミレイは訝し気な表情に変わる。
「どういうこと?」
「わからない」
あれは明らかにユナからの視点だった。あの現象の意味はわからないが、あの時魂と肉体が完璧にはまった一体感があった。
継承魔術の成功に関してガスは運が左右すると断言していたが、魂と肉体の一体感が成功率に繋がっている気がした。
もっとも一体感があったのはあの時だけで、今は借り物の体を使ってる感覚に戻っている。
「ちなみにユナの記憶ってどういうの?」
ディンはユナと祖父エルマーに木剣で模擬戦をした時のことを端的に説明した。
ミレイは少しの間それを聞いて黙っていた。
「あの時の俺、今でも間違ってないと思う。どっちみち二人で突っ込んでもじいちゃんに勝てなかったしな」
別に大きな衝突というわけではない。そもそもただの訓練での話だし、あれ以降も普通にユナと会話もしていた。
言ってみれば、些細な出来事の一つだ。
でも、あれ以来ディンはユナと一緒に戦うことはなくなった。
些細なはずだけど、あの時道を違えたような、ディンの中で引っかかりとしてずっと残っている。
「間違ってないと思うけど、ユナに言われたことは少し気にしてるんだ? 意外に乙女じゃん」
ミレイはからかうように軽く笑うが、すぐに真顔になる。
「ディンは理論派でユナは感覚派だからね。どっちもおかしいと思わない。ただ私からすると、ユナの言いたいことわかるなぁ」
「どういうこと?」
「理屈抜きにさ、一緒に戦って欲しかったんだよ」
思わぬ指摘にディンはきょとんとした。
「二人で戦っても負けるだけだろ」
「だね。ディンは無茶しないしよく考えて動いてる。それは悪くない。でも、もう少し感情的に動いてもいいって思う時もあるよ」
確かに理性的に動くのが癖のように沁みついている。というより、本能のまま考えなしに動くというのが苦手だ。だから、感情のまま動く人に対し、どこか冷めた目で見てる自分がいる。
ユナの記憶が流れ込んできた時に感じた感情は寂しさ。
「もっと色々……ユナと話をしておけばよかったな」
ぽつりとディンはつぶやく。いつでも会えて、いつでも話せると思いこんでいたことへの悔いがじわりと心に滲む。ミレイは少しの間、黙っていたが、急にディンの肩を叩いた。
「まあ、とにかく成功してよかったね!」
ユナの記憶が流れ込んだことに対し、ミレイはそれ以上追及をしなかった。曖昧なことを嫌う性格だが、踏み込むことを遠慮しているように見えた。
見た目はいつも通りとなって、ミレイの部屋から出た時、廊下をあわただしく走ってきたのはアイリスだ。
「大変っす! マシューさんが!」
「えっ……?」
唐突に出てきた名前は冒険者ギルドではじめて出会った老人ルーキーだと思い出す。ディンたちが冒険者としての活動を控えていた時、思わぬ事態が起きていた。