第197話 ようこそ。トネリコ王国の聖域へ
冒険者ギルドに通うのはいったんやめることにした。
すぐにシーザの部屋に向かい、スメラギ家と関わるのはやめるという決断を話す。
「まあ、それでいいと思うよ。お前はやるべきことに集中しろ」
シーザはソファにもたれて蒸留酒をごくごく飲みながら言った。
アイリスとルゥにも事情を説明したらそれぞれ納得した。二人とも若く正義心は強いが、同時に正論だけで解決しない物事の力学も理解している。
「私は私で鍛えることにします。ミレイさんのお屋敷は特訓場所も充実してますしね」
「私もやることがあるから問題ない」
それぞれが自分のやるべきことをすることになった。
そのタイミングを見計らったかのようにその日の夜、ミレイの父であるガスから声がかかる。
「ディン君。継承魔術の準備が完了した。さあ、始めよう」
ユナ・ロマンピーチに継承魔術を使用するというのはネーション家の人間にも知られてはいけないことだ。
継承魔術はトネリコ王国の秘術であり、それを使用する者は他国の人間であろうと許可を得ていなければならない。許可なく使用することは罰則にあたり、場合によっては重罪だ。
継承魔術の行われる施設への出入りがばれることさえまずいので、秘密裡に事を進める必要がある。
が、それは案外ハードルが高い。ネーション家はそれ自体が一つの小さな町だ。
深夜にも門番や警備兵が敷地内を巡回しており、夜といえどその警備が緩まることはない。
継承魔術の施設は敷地の隅にある小高い山の頂上にあり、人目をくぐり抜けるのは難しい。
「施設に行くまでどうしたらよいでしょうか? 瞬間移動の魔道具とか――」
「木箱に入れて、運ぼう。小さいから大丈夫でしょ?」
「……」
原始的なガスの提案にディンは少しの間、固まる。
「不審極まりないですよ」
「人手を分けて運べば大丈夫。こういう時のために信頼できる者がいる」
その従者五人はガスと長い付き合いで、絶対的な信頼のある男たちだという。
すでに秘密も共有しており、手筈済みということでディンは渋々木箱の中に入った。
真夜中、従者五人の手により、敷地内をぐるぐる巡りながら、自然と屋敷から脱出することに成功した。
「もういいよ」
ミレイの声が聞こえ、木箱が開かれる。木箱から出るとそこは階段の踊り場だった。
二百段近い階段が下に伸びており、遠くにあるミレイヌの邸宅が見下ろせる。
振り返ると、山の頂上へ伸びる階段が同じくらい続いており、ちょうど山の中間地点にいるのだと察する。
左右の傾斜には杉林が群生しており、どれも幹が太く暗い夜にも存在感を放っていた。
「ここは神聖な山だから、自由に出入りできるのはネーション家の人間だけだ。夜のこの時間なら人目につくことはない」
ガスの言葉で縮こまるのを止める。灯りを持つガスとミレイは新品のローブをまとっていて、いつもと違う厳粛な雰囲気だ。
自然と背筋が伸びる。
深夜だからか、耳に響いてくるのは虫の鳴き声だけだが、何か視線を感じて反射的に杉林に視線を向ける。
暗い杉林の間を風がなびくだけで何もない。
「どうかした?」
「いえ。気のせいでした」
「じゃあここからは自力で登ろう」
ガスとミレイと共に頂上へ続く石段をゆっくり上っていく。
「ちなみにディン君はまだ魔術師として日が浅いよね? おさらいの意味もこめて授業といこうか。魔術はどこから展開しているか知ってるかな?」
「脳です」
魔術は手から放ったり、足を踏みしめて展開させたり、様々な形があるが、厳密には手や足から発生しているわけではない。
魔術展開させる魔力の流れを研究した魔術師によると、必ず魔力は脳を通っていることが判明している。
魔術はイメージ、イメージは脳から、ということわざがあるがこれは真理だ。
脳に魔術の情報が管理されているという事実も研究から明らかとなっていた。
「もっとも脳のどの部位が魔術と関わりがあるのか、よくわかっていない。人間の臓器の中でも脳は謎が多い」
「とにかくどんな魔術も脳から派生するってことですね」
魔術はイメージというのはディンも魔術師として感じていることだった。魔術がうまくいくイメージができた時は魔術展開はたいてい成功するが、逆にイメージできない場合は必ず失敗する。
「継承魔術というのは、脳の魔術情報をごっそり継承者に書き換えちゃうことなんだ」
ガスは端的に説明する。
「それは魔術情報だけ上書きできるんですか? たとえば記憶が流れて混在なんてことは……」
「魔術語で構成された情報だけを抜き取るから記憶が混在することはない……と言われている」
含みのある言葉が引っかかる。
「あるんですか?」
「継承した者の一部の記憶が見えたとか、そういう不可解な現象の報告はあるよ。まあ、人によるしそこまで大きな弊害はない」
反射的にミレイの方を見るが、「私はなかった」と淡々と答える。
個人差がある現象なら深く考えても仕方ない。
「とにかく大きな副作用はないよ。死体からの継承魔術も同様だ」
脳に破損がない場合、死体からでも継承魔術は可能だ。
戦死した優秀な魔術師の魔術を引き継げないかというのが継承魔術の始まりであり、昔は死体からが主流だった。
「ただ……人でない脳から継承するっていうのは前例がない。正直、どうなるか想像もつかない。この実験、研究者としての血が騒ぐね」
最後の言葉はガスの本音に聞こえた。
魔王ロキドスの脳を使い、付与魔術を継承する。
ディンの計画を聞いた時、ミレイは当初反対したが、継承魔術を使うことに否定的だったガスは一切反対しなかった。
ガスは魔術の研究者でもあるので、その計画自体に関心があるのだろう。
「お父さん! ユナの体を扱うんだから実験なんて言い方やめて」
ミレイは咎めるように少し怒り顔になる。もっともであるが、その言葉からディンに対しての心配が感じられず少しだけもやっとする。
「ははっ。それもそうだな。でも、反対しなかったのは好奇心の沸く実験だったからじゃない。ディン君が成功する自信をもっているからだ」
「この人は根拠のない自信を常に持ってますよー」
「おい」
思わずミレイに突っ込む。
「確かに根拠がない時もあるけど、今回はなんとなく成功するって予感がある」
これはディンの偽りない感覚だ。ユナの体を勝手に使い重大な決断を下したが、成功するという確かな予感があった。
それは魔術を展開する前にうまくイメージできた時の感覚に近い。
「奇跡を引き起こす一族である君の言葉。私は信じるよ」
「その……奇跡を引き起こす一族ってやめません?」
ディンは少し眉をひそめる。
トネリコ王国の一部の者はロマンピーチ家に対し「奇跡を引き起こす一族」と呼んでいることは知っていたが、宗教的な意味合いを感じディンはあまり好きではなかった。
「別に根拠のない言葉ではないよ。魔術的に特殊な因子を持つ者は稀にいる。もっとも対象が少なすぎてわかってないことの方が多いけどね」
「奇跡を引き起こす特殊な因子ってことですか……」
そんなわけないと否定できない部分が実は多い。祖父エルマーと血の繋がりを持つ者は何かと奇跡のような出来事を起こした実績があるのだ。
ディン自身もユナの中に奇跡的に転生したことも含めると、何かしら魔術的な因子による作用が働いている可能性がある。
「じゃあ、この継承魔術も」
「ああ。きっとうまくいくさ」
ガスは口元に笑みを浮かべて言った。
階段を上り切った先に目に飛びこんでくるのは巨大な銀色の球体。その台座部分には扉があり、それが建物だとわかる。歪で異様な外見に少しの間目を奪われていた。
継承魔術が行われる施設はすべてこのような銀の満月を模した球体となっている。
「トネリコ王国内に全部で二十八カ所ある。すべてトネリコ王国魔術師団が管理してるんだが……そもそも魔術師は大貴族や王族の管理下にある。つまり、それらの施設も彼らの許可が必須になる」
「逆に言えば自分たちで所有していれば、ある程度融通が利くってこと」
ミレイが継ぎ足すように補足説明する。
ネーション家はトネリコ王国で大貴族にあたり、今いる山もネーション家の領地だ。この施設はネーション家の管理下にあるので秘匿性は守れる。
「といっても完璧じゃない。今回のことがばれたら、色々困るから協力してもらうよ」
「もちろんです」
ガスの念押しにディンはうなずく。
茜色の鉄扉を開けて、中に入る。
空間自体に魔術がかかっているのか、室内全体が夜のように黒に染まっているが、ミレイやガスの姿ははっきり視認できた。
黒いだけで暗くない不思議な空間。
空間の中心に螺旋状の階段があり、延々と上る。
階段の終わりがいつまでも来ず、同じ場所をずっと上っているような、進んでいるのか進んでいないのかよくわからない感覚に陥る。
「魔術をかけやすくする下準備と思ってもらえばいい」
先を進むガスは飄々と説明する。
確かに暗示をかけられているようで、少し足が宙を浮いた気分になる。
色々な感覚が麻痺して、疲労感が足を襲ってきた時、ガスが止まる。
階段が終わり、踊り場の先にあるのは蝶の彫刻が細かくされた荘厳な扉。
ガスはそれをゆっくりと開き、こちらを見る。
「ようこそ。トネリコ王国の聖域へ」




