第189話 なんか違う!
新しいことをするのはいつだってわくわくするが、色々と面倒ごとも多い。
万力蟻の巣のおおまかなスポットが依頼書に記載されていたが、そもそもトネリコ王国に土地勘のあるものがいなかったので、まずはギルドの壁に貼られた地図を確認することにした。
「シーザ。メモして」
「この野郎。お前は面倒なことすぐ人任せにするよな」
文句を言いつつ、シーザは地図を細かく羊皮紙に描いていく。
「ちょいと失礼」
静かで品のある声の方に視線を向けると、白髪の老人が立っていた。
「はじめまして。私はマシューと申します。本日から冒険者登録を済ませたものですが、もしやあなた方もルーキーですかな?」
「え、ええ。そうですけど……」
ディンは少し呆気に取られていた。見た目は七十前後で手足も筋肉が薄く、少し腰も曲がっていた。ハイキングに行くかのような軽装で、武器は腰にナイフをさしているだけだ。
「色々とはじめてで不安でしてね。もしよろしければご一緒にクエストをこなしませんか?」
「ええ……別にかまいませんが」
思わぬ帯同者だが、土地勘のある案内人と考えれば悪くない。
ディン達はマシューという老人と万力蟻の巣へ向かった。
万力蟻の巣は依頼書によると北東にある。
目的地へ向かう途中、マシューとあっさり意気投合したのはアイリスだ。アイリスは冒険者として魔獣狩りにいくことでテンションが上がっており、マシューもそれにつられて妙にウキウキしていた。
マシューによると冒険者として小遣い稼ぎをするのが年寄りの中で流行しているらしい。
その背中についていくディンの隣でシーザは呆れた表情を見せる。
「ったく、世も末だぜ。冒険者ってのは危険と隣り合わせの仕事なのに、副業感覚でじじぃがやるなんてな」
「まあ、何歳からでもチャレンジできる精神は悪くないんじゃねぇの?」
「ふん。そうやって美談で片づけるのもどうかと思うぜ? 死ぬ寸前に後悔しても遅いからな」
冒険者だったシーザは酸いも甘いも知っているだけにおそらくシーザの考えの方が正しい。ただその正論を会ったばかりの他国の人間にぶつけるのもおかしい話でディンもシーザも何も言わない。
「にしてもお若いのに皆さまシルバーランクとは優秀ですなぁ」
マシューは立ち止まって振り返り、柔和な笑みを向ける。
「魔術師ですからね」
「ほぅ。それは頼もしい! 魔術を扱うとは正に特別な証だ」
心の底からの言葉に聞こえた。やはりトネリコ王国の人間からは魔術師への敬意がとても感じられる。
ダーリア王国ではあまりない反応なので、くすぐったい気持ちになる。
マシューはちらりとシーザの方を見る。
「シーザさん。同じホワイトランクですが、皆さんの足を引っ張らないよう頑張りましょうね」
気遣いの言葉だが、シーザからプッツンと何かが切れる音が聞こえた。
「待てぇ! 勝手に仲間意識を持つな! 私は格上! この中で最も経験がある最上位の冒険者だっつーの!」
「ははっ。志を高く持つのは悪くありませんが、油断は死を招きますぞ」
「じじぃ! 今少し上から目線で言ったな! ふざけんな! 私は伝説の勇者一行のシーザ様だぞ!」
「またまたっ。つまらない嘘は品位を落としますぞ」
小物感が全面的に出てたせいか、どれだけ説明してもシーザが伝説の勇者一行である事実を信じず、マシューは笑って聞き流していた。
スイーピーはトネリコ王国南部でも指折りの発展した街であるが、五千歩ほど街の北東を歩くと周囲には建物がなくなり、雑草と雑木林の群生する湿地帯に入る。
マシューの案内で水に浸された地面を避けながら進んでいくと、やがて雑草も木もない渇いた土地が見えた。
そこにあるのは太い老樹のような群生。だが、よく見るとそうではないことに気づく。
縦に長く伸びる奇岩のような物体は巨大な蟻塚だった。
蟻塚は数えきれないほど大量にあり、目に見える景色の奥までその群生は続いている。
万力蟻の巣だ。
「マジか。想像以上に多いなぁ」
「これが……邪悪なる魔獣の住処か!」
アイリスは高らかに叫び、マシューの前にすっと出る。
「マシューさん。敵の気配を感じるのでここは下がっていてください」
さんざん褒めたたえられたせいか、その表情は得意気だ。
「うむ。では今回、私は後ろから眺めるだけにしよう」
「じじぃ。マジで何しにきたんだよ」
シーザは呆れ果てる。確かにここまで来て何もしないのは冒険者の資質として疑問の余地がある。
「さあ! 魔獣出てこい! 私が撲滅してやるっす!」
気合いっぱいの様子でアイリスは構えて、叫ぶ。だが、周囲から一切反応はない。
ふと後ろに立ってたルゥが指をさした。
「蟻塚の中にいるんじゃ……」
「そういうことっすか! 皆さん、気を付けて! 細心の注意を!」
アイリスは構えてじりじりと蟻塚の一つに近づき、それをつつく。が、全く反応がない。
「根元から切断すれば、万力蟻が出てくるということらしいですぞ」
マシューの言葉でアイリスは魔大剣に魔力を注ぎ、刀身を伸ばして構える。
「だあぁーっ!」
唐突に叫び、蟻塚の根元を切断。
「さあ、来い! 皆さんも集中っす!」
ディンたちもそれぞれアイリスの後方で構えるが、何も反応がない。近づいてみると切断された蟻塚の根元から大量の蟻が地面を這っていた。
普通の蟻よりもわずかに大きいが、動きは緩慢としている。
「もしかしてこれかな?」
「それだと思う」
「踏めばいいんじゃね?」
ルゥとシーザと共に地面を這う万力蟻を踏みつぶしていく。
後方から様子を見ていたマシューもゆっくり近づいてくる。
「ほぉ。これならわしにもできそうじゃな」
「どうぞ、遠慮なく」
アイリス以外の四人でしばらく地面を足踏みする。やがて動く蟻の姿がいなくなる。
「あとはこの蟻塚を運んでギルドに持っていけばいいんだな」
ディンは切断した蟻塚を持ち上げた。それはユナの背丈の二倍以上ある大きさの蟻塚だったが、中身はそこまで詰まっておらず、全く重くない。
「これで任務完了……と。さあ、帰ろう」
「なんか違う!」
アイリスが腹の底から叫び声を上げる。
「こんなんじゃない! 私の求めてた魔獣狩りと違う! 潮干狩りじゃないんだから!」
思い描いていた冒険者とあまりに違ったせいか、アイリスは空に向かって大声で愚痴る。
「私の記憶では万力蟻って掌に一匹しか乗らないくらい大きかったと思うんだが、ずいぶんしぼんだな。これじゃ害虫だよ」
シーザも拍子抜けしていた。ここでディンの表情が渋る。
「もしかしてでかいのは狩られ尽くしたってことじゃ……」
「可能性はあるな」
「さっきの掲示板の依頼書、一通り見たけど全部ホワイトランクだった」
ぼそりとルゥはつぶやく。
アイリスが魔獣狩りをしに来たと言った時にミレイが困った顔をしていた理由に気づく。
おそらくスイーピー周辺は危険な魔獣はほぼ狩られ尽くしており、残ったのは弱い魔獣の巣のみなのだ。
「ちょっと待て。ってことはまさか全部こんな感じの任務なのか? 他にももっと高いランクのクエストは――」
「たぶんないな。スイーピーの街歩いてても、玄人の冒険者は全く見かけなかった。ここは稼げねぇ町の可能性が高い」
「げっ」
ギルド内にいるのが素人冒険者の姿ばかりだったので、うすうす嫌な予感はしていた。
ディンはここでミレイに指摘された自分の計画の穴に気づく。
特別な高ランクのクエストを受けて、一気にゴールドランクへ駆けあがるつもりだったが、そんな依頼がギルドに来るとは限らないのだ。
スイーピー周辺が平和であるなら、ギルドに来る依頼のほとんどは間違いなくホワイトだ。
「……ちなみにホワイトのクエストをどれくらいこなしたらゴールドに上がれる?」
「一生かけても上がれねぇよ」
「だよな……」
「まあ、まだ確定したわけじゃないし焦んな。毎日依頼は来るし、でかいのが来る可能性もある」
シーザの言葉でディンはいったん落ち着きを取り戻す。
「諸君! 少々いいかな?」
凛々しい声の先を見ると、地面にへたり込んでいるマシューがいた。
「先ほどの運動で腰をやってしまってな。申し訳ないが、街まで運んでもらえないだろうか?」
「じじぃ! もう冒険者やめろ!」
シーザの叫びが周辺に響く。
その日、蟻塚とマシューのじいさんを街まで運び、無償任務を無難にこなしたことで正式にディンたちは冒険者となった。