第185話 こうやって過去の人間になっていくんだな
隣国トネリコ王国。ダーリア王国と国土と人口はほぼ変わらない。近年は魔道具の開発によりダーリア王国から遅れをとっているが、それでも経済、軍事力などは強大で大国の一つに数えられている。
「では今からトネリコ王国へ向かう」
そう言ってディンは瞬間転移の台座前で振り返る。
立っていたのはシーザ、ミレイ、アイリス、ルゥの四人で全員両手に抱えられる程度の荷物を持つ軽装だ。
「大げさに言うけど、一瞬で着くからな」
シーザが即座に突っ込む。
本来、トネリコ王国へ向かうとなれば長い旅路となるが、ロマンピーチ家はネーション家と瞬間移動の装置で繋がっており、一瞬で到着してしまう。
だから、ディンの中では遠い場所にあるものだという感覚があまりない。
ふとディンはルゥとアイリスの方を見る。
「本当についてくるの?」
「はい! トネリコ王国ははじめてですし、色々勉強になるかと!」
「理由がアバウトだな、おい」
隣のルゥを見る。
相変わらずの無表情で何を考えているのかわからない。
いつも通り黒の外套を身に着けているが、右手には杖を握っていた。
魔術開放できない対策なのか、魔術師らしい恰好だ。
「セツナに引き継がれる武器。今まで使わなかっただけ」
ディンの視線に気づき、杖について答えるが、ついてくる理由などについては一切説明しない。ルゥなりの考えがあるようなので、追及するのはやめた。
ちなみにルーンも付いてきそうだったが、魔術師としての特訓を理由に却下。
メラニーはある程度信頼できると判断したので、王都にて魔人キリと思わしき人物の捜索を頼んだ。
「じゃあ行くか」
結果、累計五人でトネリコ王国へ向かうことになった。
台座に乗ると、景色が一瞬歪み、すぐにそれが元に戻る。
目の前に広がるのは奥に長く伸びる広間のような空間。床も天井も流れるような木目調で作られており、わずかにラベンダーの香りが漂う。
台座の階段前には横一列にネーション家の人間が立っていた。
「お帰りなさいませ。ミレイ様。そして、ユナ様と魔術師団の皆様。ようこそ、トネリコ王国へ」
一糸乱れることなく、一礼する。
全員、女性で白のエプロンドレスを着ていた。
真ん中に立つ年長の女が一歩前に出る。
「ディン様の突然の訃報を受け、誠に残念でなりません。心よりお悔やみ申し上げます」
その言葉で並ぶ女性が全員頭を下げ、重く暗い雰囲気になる。
自分の死を悲しんでくれる人がいるのは尊いことだが、ゆえに反応に困る。
「今後も私たちはユナ様に寄り添います。困ったことがあれば、なんでもご相談いただければと思います」
「お気遣い痛み入ります」
ディンは軽く一礼する。
「さっそくですが、手続きの方をさせていただきますね」
ダーリア王国からトネリコ王国への入国は面倒な手続きが必要となるが、魔術師団であるなら手続きは簡単で、貴族であるネーション家内でやり取り可能だ。
魔術師団である証明をそれぞれ掲示して、手続きはあっさり終了。
ちなみに勇者一族であるユナやディンはネーション家と懇意であるため当然、証明書は不要だ。
「ではご案内をさせていただきます」
階段を上った先にあるのは聖堂だ。中央の長い通路の両側には木製のベンチが整然と並んでおり、高い天井からはステンドグラスの淡い光が降り注いでいる。
祭壇の前に一人司祭が立っており、厳粛な雰囲気が漂う。
「お家じゃないの?」
ぼそりとつぶやいたのはルゥだ。ロマンピーチ家の邸宅からネーション家の邸宅に来たと考えていたようで違和感があるらしい。
「ここは敷地内だよ」
「えっ?」
「教会だけじゃなく、施療院、魔術の研究施設や訓練場とか色々ある。ネーション家は一つの町って感じだな」
「……」
ルゥの常識で考えられなかったからか、珍しく驚きの表情で固まっていた。
「広いから迷子にならないよう案内するわ。まずは祈祷を受けましょう」
ネーション家の敷地に入って最初にすることは平和祈願の祈祷を受けることだ。
トネリコ王国にいる間、心も生活も連れ添う人々すべてが安寧であることを願う。
これはネーション家での決まりである。
神父が祈りを捧げ、ディンたちはそれをベンチに座って黙って聞いた。その後聖水の入った聖杯を渡され、一人ずつ口につける。
聖水は魔力がわずかに混じった神聖なる水ということだが、健康効果や能力を押し上げる作用はないただのまじないだ。
儀式を済ませて、入り口の扉から出ると馬車が止まっていた。
「敷地内で馬車……」
「これは別に珍しいわけでもないんじゃないっすか」
驚くルゥとは裏腹に貴族であるアイリスは当然のように言い、燦燦と照りつける太陽を見上げる。
「聞いていたけど気候もダーリア王国とそんな変わらないっすね」
「トネリコ王国でも南に位置するからね。過ごしやすいと思うよ。夏は少し暑いけどね」
ダーリア王国は年間通して安定した気候の地域が多いが、トネリコ王国は夏は暑く、冬は寒い地域が多い。
今は春と夏の中間地点なので、一番過ごしやすい時期だ。
馬車に全員乗って、ミレイが馬車の窓から大まかに敷地内にあるものを説明していく。
窓からネーション家で働く人々を見るが、騎士たちや農民が白を基調とした服を全員着ていることに気づく。
思い返すとこちらで会った人間全員が白を基調とした服を着ており、ミレイも白一色のコルセットワンピースを着ていた。
「喪に服しているんだよ。ディンが亡くなったから」
ディンの視線で疑問を察したのか、ミレイが答える。
ロマンピーチ家と関わりの深いネーション家は従者も含めた全員で死を悼んでいることを悟る。
「どうかした?」
「こうやって過去の人間になっていくんだな」
自分の死後を覗き見てるような不思議な感覚になり、思ってることが自然と口からこぼれた。
その言葉に反応するものはおらず、少しの間馬車は静寂に包まれた。
しばらく馬車に揺られ見えてきたのがネーション家の大邸宅だ。
大理石でできた階段の前で馬車をおりて階段を上っていくと、蝶のデザインが刻まれた重厚な門が見える。
門をくぐると、広がるのは大庭園。
庭園中央に伸びる道の両側には花壇が並び、色とりどりの花が咲き誇る。
その上を美しい蝶が優雅に舞っており、皆自然と足を止め、少しの間庭園を見入った。
奥にはネーション家の大邸宅がそびえ立っていた。
豪華な装飾を伴った赤煉瓦の外壁は見上げるほど高く積みあがっており、その佇まいはダーリア王国の王宮と遜色ない。
「流石はトネリコ王国で伝説とあがめられる魔術師ミレイヌ邸。いつ来ても壮観だ! シーザのしょぼい家とは大違いだな」
「うっせぇ! 私はその分、金貨をいっぱいもらったの! だいたいこんなにでかったらそれだけ面倒だぜ」
「確かにそれはあるかもしれませんね」
ミレイは心なしか背筋がピンとしていた。ネーション家内ではミレイは貴族の令嬢であり、使用人を大量に雇っている立場だ。生活に一切の不自由がない反面、常に誰かの視線があるのでロマンピーチ邸にいる時のように自由奔放というわけにはいかない。
ミレイヌ邸で荷物を置いて、ディンはすぐにミレイと共に秘密の会談の場へ向かった。
会談の場は、ネーション家の敷地隅にある魔術研究所だ。
五階建ての土色の塔には見たことのないほど巨大な蔦が巻き付いており、その周辺には色とりどりの蝶が舞っていた。
塔の手前にあるのはミレイヌの像だ。
トネリコ王国全土の街にその像は建てられており、この国の人間でミレイヌ・ネーションを知らない者はいない。
ダーリア王国である祖父エルマーのような立ち位置だ。
ミレイと並んで塔の地下にある一室へ入る。
そこはこの研究所の代表の私室。
テーブルの椅子に腰かけて待っていたのは伝説の魔術師ミレイヌの息子であり、ミレイの父、ガス・ネーション。
茜色の短髪を短く整え、微笑しているような細い目と穏やかな雰囲気ははじめて会った時と変わらない。
誰が見ても穏やかな優男というのが第一印象だが、ディンにとっては何を考えているのかわからない距離感の掴めない男でもある。
ガスは対面する少女の姿をじっと観察していた。口元は微笑んでいるが、その眼は少し戸惑いがあるのがはっきり見て取れた。
「久しいね。ユナちゃん……いや、ディン君。でいいんだね?」
あらかじめミレイがすべての説明をガスにしていた。
ガスは半信半疑ながら、娘の言葉を信じたらしい。その証拠にガスは喪に服しておらず、黒を基調としたローブを羽織っている。
ディンは自分であることを証明するため、ガスに向かって告げる。
「はい。ディンです。カーネーションの花に誓います」
――カーネーションの花に誓って娘を幸せにすると誓うか?
ガスと二人きりの密談の内容を昨日のことのように思い出す。
ユナからは絶対出てこない言葉にガスは少し驚き、複雑な表情でため息をつく。
「なるほど……確かにディン君なんだろうね」
そこに喜びはなく、むしろ負の感情が強いことに気づく。
「ミレイが嘘をつくとは思ってなかったが……否定したかった。魔王ロキドスが人間に転生して生きているという事実を受け止めないといけないからね……」
何よりも重いその事実をガスは噛みしめていた。
「その対策のためです。ミレイからも聞いていると思いますが、ぜひ協力していただきたい」
「もちろん。私にできることならなんでもやるつもりだ……ただ国の利益に絡むことは私のコントロールできる範囲ではない」
「だからこそ、国を絡ませることなく、内密に済ませたいのです、ガスさん」
それに対して、ガスは一切言葉を発することなく、視線も合わせない。
長い沈黙を破り、ガスは口を開く。
「君の要求はミレイから聞いている。その上で答えるが、その要求を通すことは極めて難しい。たとえ魔王ロキドスを倒すためだとしても」
「お父さん!」
ミレイが嘆きの言葉を投げるが、ガスは一切ぶれることなくディンを見る。
(うん。やっぱり簡単な相手ではないな)
といってもそれは想定内だった。
フィアンセの父であるが、ガスには別の顔を持つ。
ガス・ネーションはトネリコ王国魔術師団スイーピー支部の団長である。ディンは立場ある人間の者に対し、罪になりうる要求をした。
「誰にもばれないようダーリア王国の魔術師十名に継承魔術を使うというのはいくらなんでも無茶だ」
「では、それに関しては取り下げます。たった一人の魔術師に使うということでどうでしょう?」
ガスはそれを聞いて白い目を向ける。
「本命の要求を通しやすくするため、あえて最初に大きい要求をしたね? 悪いけどそれでも厳しい」
「無茶から厳しいに変わりましたね。ということはここから交渉になりそうだ! ガスさんには必ず損をさせませんよ!」
ディンが満面の笑みで笑い、ガスは反射的に深いため息をつく。
「……やっぱり君はディン君なんだな。なんだか心がどんどん重くなっていくよ」
穏やかな笑みをいつも携えると評判の男の口元から微笑みが消えていた。