第175話 あーあ
世の中には踏み込んではいけない一線がある。
そこを見極めて今まで生きてきたつもりだったが、今回一線を越えてしまったことにメラニーは気づいた。
ゼゼ魔術師団であるルゥ・クロサドラという魔術師狩り以降、キキ率いる反魔術師団ジャカランダの狩人たちが続々と拘束されていることを知ったのは三日前だ。
カビオサにゼゼ魔術師団の力は及ばないという考えは間違いだとその時気づいた。
「ドン・ノゲイトが動いてます! 理由はわからないですが、魔術師団に全面協力してるみたいです」
メラニーにそれを教えた男は翌日、カビオサから脱出したと聞いたが消息は不明だ。メラニーは特に関心もなかった。
ドン・ノゲイトが絡む以上、カビオサにいるのは危険だとわかっていたが、メラニーはとどまり続けた。
理由は単純でカビオサの外で生きる方法を知らなかったから。
仲間など最初からいない。キキとの付き合いも二年あるかないかだ。たまたま飲み屋で意気投合し、たまに会い魔術師狩りにも参加するようになった。
だから、キキが唐突に姿を消したことにも疑問はなかった。
あれはたまたま同じ時、同じ場所に居合わせていただけ。それがほんの少し、他の奴らより長かった。メラニーはそう解釈している。
「もともと私は……ずっと一人さ」
そう言って、安くまともな蒸留酒を口に含む。
あれからずっと……酒の味はまずい。
獣人は五感が人間より優れており、それはメラニーが追手をかわすための武器になる。
統率された集団の足音、人を探す鋭い視線、わずかでも感じれば即座に離れる。そうして魔術師団の追及をかわし続けたが、優れた五感が時に仇となることもある。
嗅覚が極めて優れているが故の弊害。それは臭いに敏感であることを意味する。
カビオサは腐敗臭のする貧民街が多く、メラニーはそこにとどまるのが嫌いだった。だから、メラニーが長くとどまるのは臭いの少ない町のみになる。
その習性を捕まった狩人の一人が告げたのだろう。
とある寂れた町の飲み屋から大通りに出ると、足音もなく取り囲んできたのは極楽鳥花の紋章をつけた魔防服の集団。
ゼゼ魔術師団だと察した瞬間、メラニーはため息をついた。
その佇まいに隙が無く、明らかに本部の精鋭だ。
目深にフードをかぶり顔を半分隠しているにもかかわらず、取り囲む者たちはメラニーだと確信しており、静かに臨戦態勢をとっている。
「あなたがメラニーね。同行してもらうわ」
栗色の髪をした女の言葉にメラニーは反応しない。
いつだって好き放題生きてきた。その報いは必ず来ることをメラニーは知っていて、その心構えを常に持っている。
だが、泥臭く抗う権利は誰にでもある。
さりげなく視線を上げて、団員を確認する。
囲むように対峙するのは累計六人。
強い。だが、飛びぬけてはいない。
一手目で二人斬り、そこから乱戦に持ち込んで、逃げ道を確保する。簡単ではないが、難しいことではない。
ここは自分のホームであり、路地裏に入れば、完全に逃げ果せる自信はあった。
「報いが来るのは今日じゃなさそうだな」
ぽつりとつぶやく。
メラニーは殺意を殺し、静かに剣の柄に触れようとした時……
「んー? 話終わったぁ?」
後方からの暢気な声に半身振り返る。
髪を大きく膨らませた丸い形の独特の髪型。小さな男がのっそり近づいてきてメラニーは愕然とする。
序列一番、不動のタンタン。
(やばい)
隙だらけの間抜け面だが、戦ってはいけない相手。そう悟ったメラニーは即時に跳躍し、二階建ての飲み屋の屋根に飛び移る。
大通りに面して真っすぐ一列に家屋が並んでおり、メラニーは屋根伝いに駆けた。
タンタン以外の魔術師六人も即座に屋根上に飛び移り、その後方を追う。
それを確認した直後、メラニーは重心を落とし屋根から大通りを隔てた家屋の屋根へ跳躍。
そのまま屋根伝いを走る。
魔術師六人は逆をつかれた形だが、大通りの左手側の屋根づたいを並走。
右手側を走るメラニーとは距離があるにもかかわらず、特に慌てた様子がない。
メラニーは嫌な予感を覚え、それは即座に的中する。屋根上に別の魔術師が唐突に姿を現した。
(まずい。相当な数に囲まれてる)
メラニーは魔術師の魔弾をかわし、閃光弾を投擲。
一瞬の光でひるんだ隙をついて、屋根をおりて路地裏へ逃げる。細く入り組んだ路地裏だが、ここでも複数魔術師が待ち構えていた。
逃げれば逃げるほど袋小路へ追い込まれる感覚。
すでに包囲網は出来上がっており、力づくで突破しないと脱出はできないのだと悟る。
「仕方ない……」
メラニーは傍のボロ家の木窓を破って、他者の部屋を突っ切っていき、そこから再び大通りへ戻る。
人がまばらな大通りは町の玄関口まで一直線に続いている。
魔術師たちを振り切るルートはここしかない。
メラニーは迷わず口に魔術薬を含み、飲み込んだ。
主に脚力を劇的に上昇させる増幅魔術薬だ。獣人であるメラニーは人間よりずっと身体能力が優れており、これにより目にも止まらぬ速度で駆けぬけることができる。
「待て!」
背後から駆けてくる複数の魔術師を無視して重心をゆっくりと落とし、足元を見る。
「あの時のあいつみたいだな」
魔術師狩りをしていた自分。負けてはじめて感じた虚無感。わずかばかりの優越感に浸り、無駄に時間を消耗していた気がする。
違う道も本当はあったはずなのに、自分の境遇を嘆いて楽な方に流されていた。
頭によぎる濁りを置き去りにするようにメラニーは足を前に出す。
一歩目と同時に魔術師たちがすかさず魔弾を放つが、その遥か先をすでにメラニーは走っていた。
メラニーの背中はあっという間に蚤のように小さくなり、後方の魔術師たちは呆気に取られて立ち尽くしていた。
まばらな人を避けて、屋根からの魔術師の攻撃をかいくぐり、一直線に突き進む。町の外に出る玄関口が見えた時、立っているのが見えたのはタンタンだ。
最高速度に達しつつあり、捉えられる速度ではない。
(……抜けられるか? いや、抜く!)
緊張感のない笑みをこぼすタンタンに向かって、メラニーは突っ込む。
「選択ミスだね」
タンタンは受け止めようと、絶対防御の巨大な魔壁を展開。
タンタンの射程に入る瞬間、メラニーは身体をわずかに沈めて跳躍する。
一瞬で五階建ての建物を超える高さまで到達。タンタンの想定を超える高さだったが、魔壁上部を複数の手の形に変えてメラニーに向かって伸ばす。
宙を舞うメラニーに届くも、複数の手が掴んだのはメラニーがとっさに抜いた剣の切先だ。
「ああ?」
あえて剣の切先を掴ませ、メラニーは剣の柄を足場にして、さらに跳躍。
剣を捨てて、見事にタンタンを飛び越えた。
「だあぁ! やっちまったぁ!」
素っ頓狂な声を上げて頭を抱えるタンタンを遥か後方に確認して、メラニーは走りながらもようやく安堵のため息が出る。
「逃げ切った……」
もっともまだ仲間がいる可能性があるので、メラニーは速度を落とさず走り続ける。町を抜けて、凸凹の道を進むと、遠くにぽつりと立つ人が見えた。
明らかにメラニーを視認しており、その佇まいからただならぬ気配を感じたが、メラニーは構わず突っ走る。
今は最大の脅威がいる町から少しでも距離を置くのが先決だ。
他の団員であろうと、一人だけなら倒せるという読みがあった。
が、遠くに立つ人間と猛烈に距離を縮め、そのシルエットがあらわになった時、メラニーは目を見開く。
見たこともないほど膨大な魔力に覆われた腰に剣をさす金髪の女。
その特徴からはじき出されるのはゼゼ魔術師団で最も戦ってはいけない魔術師。
フローティア・ドビュッシー。
「くっそ……が」
フローティアはすでにこちらに向かって右手を突き出していた。
別方向に逃げるため、止まった時にその魔術は放たれる。
「突風」
頬を風が撫でたと感じた直後に体が吹き飛ぶ。
わけもわからず地面に何度も叩きつけられ、方向感覚もわからないまま気づくと地面に寝転がっていた。
まだ動けたが、近づいてくる足音の数から起き上がる気力が自然と消える。
その場で仰向けになったまましばらく空を眺めていた。
「あーあ」
メラニーがカビオサで最後に見た空は雨が降りそうな曇り空だった。




