第173話 私も同じ
国王の見舞い後、シーザとルイッゼを伴って、回廊を歩いていく。
向かう先は王室礼拝堂。その地下が聖域と呼ばれる空間であり、そこに天狼星へ続く虚空間がある。
もっともライオネルによるとちょっとした問題があるという。
礼拝堂内は香の香りが漂っていた。木製の長椅子が並び、奥には薔薇の装飾が施された祭壇と大量の蝋燭の火が灯されている。
その隅に地下へ続く階段があった。
そこでライオネルは立ち止まる。
「この下だ。ただ辿り着けるかわからない」
曖昧な言い方に思わず首をかしげる。
「……どういうことです?」
「まあ、行けばわかる」
ライオネルの背についていき、螺旋階段をおりていく。ぐるぐると何度も弧を描くように地下に進む途中、違和感に気づく。ずっとおりているのに階段に終わりが来ない。
「えっ? なんでこんな長いんです?」
「だよねぇ。いったん戻ろう」
そう促され階段を上ると、すぐに礼拝堂内に戻った。
階段をおりた時間と明らかに比例していない短さだ。
「えええっ! どういうこと!?」
「ゼゼさんが聖域の調整に来た時は普通に辿り着いたんだけどさ。いなくなったらいつもこうなる。色々な人が試したが天狼星へ続く虚空間に誰も辿り着けない」
「これは……迷いの森という魔術ですね」
階段入り口をまじまじと観察していたシーザが口を開く。
「どういうものだ?」
「かつてエルフ族が自分たちの棲む場所を隠すため使われたものです。森全域に魔術をかけて、あるはずの場所を覆い隠す」
エルフの森に棲んでるはずのエルフ族を誰も見つけることができないという昔の逸話を思い出した。
「隠された場所に辿り着くにはそこに至るまでに正しいルートを通る必要があります」
「今回のケースで言えば、この螺旋階段をおりる前に王宮内をぐるぐる巡る必要があるということか?」
「ええ。しかもかなり複雑なルートだと思われます。迷いの森のルートをヒントなしで見つけるのは至難です。何百万というパターンを試す必要がある」
「……それは根気がいるな」
ライオネルは腕を組んで考え込み、ディンの方を見る。
「ユナ。魔術でどうにかできるか?」
「お任せ下さい!」
迷いなく応じ、シーザの方を見る。
「シーザ、なんとかしなさい!」
「丸投げかい! 糞がぁ!」
シーザは怒りながらもじっと考え込む。
「おそらく王宮全域に靄のように魔術がかけられている。効果を消すため全域を無力化しても入り口が塞がれるパターンがある……となると正攻法のルート攻略しか。でも、そうなると……」
ぼそぼそつぶやき、シーザはライオネルを見る。
「攻略には時間を要する。今すぐは無理ですね……」
「ん? ゼゼさんに何かあった時はシーザさんが管理するよう指示を受けていたのでは?」
それを聞いてシーザはきょとんとした表情を浮かべる。
「そ、そんなこと一言も――」
「言ってました! これじゃ管理できないじゃん! どういうこと! 説明しなさい!」
「……」
ディンがライオネルに適当なことを言ったと悟りシーザは睨むも、気を取り直すように深呼吸してから答える。
「正直な話……天狼星に関しては私も詳細を伺っておりませんでした。私をここに呼ぶことで誰も取り出せないことを殿下にお伝えしたかったのではないかと推測します」
その説明にライオネルの表情が曇る。
「まさか……延々と王宮の地下で眠らせるつもりか?」
「ご心配なく。天狼星があるのは虚空間内なので、誤作動を起こして爆発しても王宮に被害が及ぶことはありません。まあ、万が一にもそんなことはありませんが」
先回りするようにシーザは答えたが、ライオネルの表情は曇ったままだ。
ここでライオネルは天狼星の誤爆の危惧ではなく取り出せないことへの不満を抱いていることに気づく。
(こいつ、天狼星を政治的に利用しようとしていたな)
天狼星は王都を塵にするほどの破壊兵器。
その脅威は牽制の道具として、他国や大貴族への牽制に使える。
特に最近では魔石によりフリップ家が急速に力をつけており、その影響力は甚大なものとなっていた。いざという時に頭を抑えつけられる武器があるのは大きい。
強力な力を振りかざすのは賛否を生むが、それにより均衡が保たれ延いては平和維持となる。
それがライオネルの考えなのだ。
道徳心を重視したアンベール・ローズの理想主義とは真逆の現実主義。
「正直、少しもやもやするが……誰も手を出せないのなら安心だな」
そう言って、ライオネルはいつもの如才ない笑みを浮かべるが、心中穏やかではないのがわかる。
ライオネルの求める理想には力が必要だ。
となるとゼゼの消えた魔術師団の力をライオネルが欲するのは明らか。
ゼゼ魔術師団はゼゼという魔術兵器の強さを担保にゼゼが強力な裁量権を握っていた。そのゼゼがいなくなったのなら、今までとは当然体制が変わる。
王族に帰属した組織なので王族の元に移るのが筋だが、問題は枷のかけ方だ。
魔術師団内でもエリート中のエリートが集まる魔族討伐部隊。
現在、王都に結集しているが、その上澄みを引き抜き、国に散り散りとされるのはまずい。
悪気はなかったとしても、ロキドス打倒の弊害になりうる。
(やはり今のうちに先手を打つ必要がある)
ディンはあどけない笑みを浮かべつつ尋ねる。
「ところで今後の魔術師団についてなんですが、ゼゼ様がいなくなったことで何か変わることはあるんでしょうか? 団員達も気になっているようです」
「そうだな。体制は変わると思って欲しい。タイミングとしては……僕が国王になる時は別物になってると思うよ」
それは予想通りの答えだ。
「そういえばユナは魔術師団を退団したんだっけ? なら関係ないか……なんなら王宮魔術師になるかい?」
「いえ。実はそのことについても相談がありまして」
ディンは軽い調子で切り出し、ライオネルは興味の色を浮かべた。
「端的に言えば、私の魔術師団を作ろうと考えてます!」
「ん?」
「えっ?」
ライオネルだけじゃなくルイッゼもきょとんとした顔になる。
が、それを理解するなり笑い声をあげた。
「はははっ! それは面白いかもね」
冗談だと判断したのか、ルイッゼと顔を合わせてしばらく笑う。だが、ディンが全く笑ってないことに気づき、ライオネルは半信半疑で問いかける。
「……えっ? 本気?」
「本気ですよ。できなくはないですよね?」
王都を拠点にした軍隊組織を作るには王族もしくは教皇からの認可が必要だ。
もっとも認可を得るには最低限の条件をクリアしなければならない。
一つ目は実績ある者による推薦状。求められるのは人望。
二つ目は団長規定。求められるのは強さ。
三つ目は薔薇の勲章の獲得。求められるのは社会的貢献。
「シーザは推薦人として十分だと思います」
「そこは大丈夫だが……問題は残りの二つだ」
「まあ、魔術師団の団長規定に関しては確かに厄介ですね」
ゼゼの作った団長規定は百年前に作ったものを改正していない。
魔術師としての力量と魔族討伐の能力も兼ねた証明書はいくつかあり、ゼゼと実戦で勝つことや魔人討伐という難易度の高いものの中に比較的達成しやすいものが混じっている。
それは冒険者ギルドでゴールドランク以上を得るというものだ。
これはそこまで難しい称号ではなく冒険者登録した者の上位一%は所有できると言われている。
が、問題は現在ダーリア王国に冒険者ギルドがないということ。
「ダーリア王国に冒険者ギルドはありませんが……トネリコ王国にはありますよね?」
「代用可能だが……ユナは本気なのか?」
ライオネルは真顔だ。
ディンも真剣な表情で答える。
「ええ。もちろん私は本気です」
「で、でも……薔薇の勲章は? これは狙って得られるものではない」
薔薇の勲章は社会や文化、産業など何らかの形で貢献すれば一般人でも得られるものだ。
特別でなくても得られるが、短期間で獲得するのは難易度が高い。
「台覧試合で活躍した者には例外なく薔薇の勲章を与える決まりですよね? 今年は殿下の進言もあり、魔術師の枠も設けられたとか」
国を代表して戦い勝った者には例外なく勲章授与される。
ライオネルは台覧試合のことが頭から抜けていたのか「あっ」と声をあげる。
「台覧試合は私、ユナ・ロマンピーチが参加します。そこで国の魔術師代表として誇りをもって戦い勝利いたしましょう!」
「なるほど。本気で作るという熱意は伝わった。人員を集められるかはまた別の話だが……条件をクリアできるなら余計な口を挟むのは無粋だな」
「ええ。そして、条件をクリアし魔術師団を創立した際にお願いがあるのですが」
「なんだ?」
「ゼゼ魔術師団の対魔族部隊を独立した組織として運営させていただきたい」
ライオネルはそれを聞いた途端、表情を曇らせる。
「独立した組織というのは無理だ。あれはゼゼさんが魔獣討伐に多大な貢献をした実績と絶対的な強さを持つことから得られた特別措置だ。他の例外は認めない」
独立軍としての戦士団や傭兵団は国にも存在しているが、余りに大きな財産や領地を持つ軍隊組織は潜在的な脅威としてみなされ、当然良い顔はされない。
影響力のある勇者の孫が王都を拠点に独立した軍事力を持つというのは当然、王族としては好ましくない。
実際、ゼゼにそれを与えたことで魔術師団は極めて手を出しづらい存在へ変わった。
「今まで通り報告は欠かしませんし、王宮戦士団との連携も取りますよ。あくまで対魔族に関して独自の裁量を持ちたいだけです。いつだって現場を搔き乱すのはそれを知らない上の者だ」
「言いたいことはわかるがな……」
そう言いつつ、ライオネルは理解に苦しむ様子でディンを見る。
「しかし対魔族部隊は魔術師団の核だろ? 良いところだけ持っていく気か?」
「年々縮小する魔族討伐部隊を維持するためですよ。魔人の件といいまだまだ必要な組織です」
「不要などと言ったことは一言もないが?」
「しかし、年々縮小しているのは殿下が重要な人材を多数引き抜いている側面もある。今、核となる人材を抜かれるのは困る」
ライオネルは年下のユナがここまで毅然と立ち向かってくると思ってなかったのか、驚きの表情を一瞬浮かべるがすぐに引き締める。
「どちらにしろユナの希望は通らないだろう。僕は通さない」
「通りますよ。私は勇者の孫です。この意味、わかりますか?」
それを聞いて、ライオネルは固まる。
「勇者特権を使う」
勇者特権は魔王討伐の褒美として、祖父エルマーが国王から与えられた権利だ。その権利は国王に自分の要望を直接嘆願し、可能なものなら国王の尊厳により即叶えるというもの。
「……勇者特権は可能であるなら何でも叶う魔法の権利じゃないぞ」
「そういえばエリィ殿下が禁止魔術である蟲毒という魔道具を常に持ち歩いていたことは外に漏れてませんね?」
ライオネルの目つきが鋭くなるが、ディンは構わず続ける。
「シーザがちゃんと魔術師団に口止めしたおかげですね。まあ、殿下はシーザとそういう取引をかわしたのですから、当然と言えば当然ですが……でも、ふと思うのですが、殿下は私に対しては口止めしてませんよね?」
「いや……ユナはそもそも魔術師団という組織に帰属――」
「シーザや殿下から何も言われてませんが? それにそういえば最近退団したなぁ。果たしてその取引が有効なのか曖昧だ」
「……」
「曖昧な部分から綻びというものは出るもの。戴冠式のタイミングでそういう醜聞が流れると面倒なことになりそうですね?」
ライオネルはその言葉で眼を見開く。
「あなたは私を侮りすぎてるのではないですか? 次期国王」
「そうか……君は勇者の孫だが、ディンの妹でもあるんだな」
長い静寂に包まれる。身内を見る目で見ていたライオネルの視線の温度が明らかに下がり、自然と鋭くなる。
「どちらにしろ魔術師団創設の条件は極めて厳しいぞ。団長規定も褒章獲得も簡単にクリアできることじゃない」
「なら殿下は今、見守ってるだけで良いのでは?」
「むっ」
返す言葉が出てこなかったのか、ライオネルは少しの間黙り込む。
ただその真意を伺うようにディンの瞳をじっと見つめていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「ユナ……君を駆り立てるものは何だ? 若い君がなぜそこまで魔術師団にこだわる?」
見つめ合う静寂の時間にふと思い出したのは、木剣でライオネルと稽古試合した時のことだ。お互いの顔を真剣に見つめ合うことなんてほとんどなかったことに気づく。
ディンはライオネルの瞳から目を逸らさず言う。
「殿下と同じですよ。勇者一族として生まれ落ち、魔術に選ばれた宿命です」
「宿命……」
「私も同じ。逃げる気はありません」
頭をペコリと下げて、ディンは背中を向けて歩き出す。
お互い宿命を持つのなら、この対立は避けられない。
これはそういう運命だ。