第167話 貴様、私の中で生き続ける気か
アリアは強いが、百回戦えば百回私が勝つ。
そのうち一度でも私に傷をつけられるか、否か。
強いと言っても、しょせんその程度の強さだ。
私はすでに臨戦態勢。一方のアリアは私に対し背中を向けた状態で、地面に刺さる大剣まで二歩分の距離がある。
この状態なら傷一つつけることさえできない。
つまり、すでに勝敗は決している。
私は両手を合わせて星を生成。
アリアが私と戦うと決めた瞬間、全力で殺しにいく。
その温度の低さで本気だと気づいたのか、アリアは大剣から距離を置き、深呼吸して両手を上げる。
「……今回のこと、これ以上言及する気はない」
触れてはならない闇だとアリアは悟ったらしい。
が、それだけではなくこのまま追及しても証拠は出ない。
証拠がなければ根拠のない言葉の並びだとアリアは気づいたのだ。
一度口にしたことをアリアは曲げないし、蒸し返すこともない。
よってこの話は終わり。
言質を取ったことで私はゆっくりと戦闘態勢を解いた。
私に屈した形になったが、アリアの目には吐き出せない鬱憤がはっきり見て取れる。
「ただ一つ」
「なんだよ」
「特別な者は利己的に力を扱ってはいけない。正義の奴隷であるべきだ」
私は思わず鼻で笑う。
「何も知らず、薄っぺらい正義を語るとは滑稽だな」
「……ああ?」
「そもそもお前はミーナがどこから現れたと思う?」
その問いにアリアは戸惑いの表情を見せる。
「誰も知らないなんておかしいと思わなかったのか? ミーナがいきなりアセビに現れて町を襲ったと思うのか?」
「何が言いたい?」
「ミーナはあの町にずっといた。誰も知らない地下施設でな」
「地下施設? アセビはただの宿場町じゃ……」
そう。アセビは表向き街道沿いにある町で、行商人や旅人がルビナスへ向かう際に利用する宿場町の一つとして有名だ。
特産物や産業もない地味で何もない町だが、その実態は違う。
「アセビの地下は人間たちがひそかに作った実験場となっている。特殊な魔法を持つ者の人体実験を行うための施設だ」
「はあ!?」
はじめて聞いた事実にアリアは驚く。
「ミーナも被験者の一人だ。長い間、その魔法を兵器化するための実験体として地下で暮らしていた」
「……待て。ルドルフは一言も人体実験のことなんて言ってなかったぞ!」
「伏せていたのはそれ自体をなかったことにするためだ」
「なぜ?」
「多くの人間が関わっていたが、その人体実験を主導していたのは……他でもないエルフ族だったからだ」
ミーナによる虐殺事件。その事件の根元にあったのはエルフ族主導による人体実験という闇。
アリアは衝撃のあまり、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
「なんであんたはそれを知ってて――」
「人体実験をエルフ族が主導していたとなれば、エルフへの迫害は止まらない。それはお前もよくわかるだろ?」
おおよそニ百年前、黒魔術に手を染めたエルフ族が人間を使った人体実験をしていた事件があり、それをきっかけに人間たちから迫害され、人種間での闘争が行われた歴史がある。
当時も同族狩りを敢行して沈静化させたが、未だ人体実験へのアレルギーは残っている。よって何を犠牲にしようともアセビの地下にあったものは蓋をしなくてはならない。
ルドルフも虐殺事件が起きるまで人体実験については知らなかったはずだが、その闇を知った時、葬ることを決めたのだろう。
明るみになった時、批判の矛先になりうる領主と結託し、アセビという町が凶悪なエルフに襲われたという単純な事件に書き換えたのだ。
「お前はミーナ討伐を化物退治程度に考えていただろうが、その実態は全く別物だ。ミーナ討伐作戦の本質は……人体実験に関わっていた者の殲滅。つまり、人体実験自体の隠蔽にある」
根底を覆されたのかアリアの瞳は驚きで広がり、石のように動かなくなった。
「隠蔽作戦に参加しといて正義を語るとは滑稽だな」
「そんなの何も知らなかった……」
「人が住んでると知らず、家ごと魔術で吹き飛ばして殺しても、お前の中では無実なのか?」
「……」
「私たちの今回の行動に正義はない」
アセビには何も知らない住民も住んでいる。
その罪のない住民まで殺したミーナは重罪だ。
だが、人体実験に関わっていたアセビの人間たちも重罪だ。
そしてその人体実験をなかったことにしようと隠蔽した者たちも重罪だ。
今回の件に関わる者に正義はなく、皆黒い。
「あんたは納得してんのかよ……?」
「無論だ。黒と白のわかりやすい構図など世の中には案外少ない」
「……ああ?! そういう問題かよ!」
アリアは目を血走らせ、声を荒げる。
「ならどうする? お前の正義の天秤はどう揺れる?」
「……人体実験を白日の元に晒す」
「お前の糞みたいな綺麗ごとにエルフ族全員付き合わせる気か? エルフ族への迫害が始まった時、弱い奴らは淘汰されるが問題ないんだな?」
「それは……」
アリアは私に目を合わせず、視線を泳がせる。
答えを求めるかのように。
「お前は濁りを自分の中に入れたくないだけだ」
もう真っ白でいられない。
私たちにできることは黒にならないよう濃度を薄める努力だけだ。
が、アリアはその表情から明らかに納得していない。
「あんたは自分に言い訳してるだけだ」
「ふん。ならお前は自分の正義を貫けよ。その場合、私が立ち塞がるがな」
その意味を悟り、アリアは固まる。
「あんたに、勝てるわけ……」
「勝てない相手には黙って従う。お前の掲げる正義は、吹けば飛ぶ程度の軽い信念だな」
私が嘲るとアリアは顔をみるみる紅潮させて叫ぶ。
「お前が私を侮辱するな!」
そう叫び一歩踏みしめた瞬間、地面が揺れる。
魔力が爆ぜ、アリアの目つきが変わった。
黒目部分が赤く滲む。
アリアは本気で切れると無自覚に己に増幅魔術をかけ続ける。
筋線維が断裂し、動けなくなるまで狂戦士のごとく敵を蹂躙する。
瞬きした瞬間、アリアは大剣を握り、私に飛び掛かっていた。
私は地面を踏みしめ、前面が棘だらけの土壁を展開するが、構わずアリアは突っ込み、それを叩き割る。
血だらけで大剣を振り下ろす態勢のアリアだが、私は瞬間移動して後方に移動。
その位置を読んでいたのか、アリアは大剣を振りかぶり重心を落とした状態で私の方を睨みつけていた。
すでにアリアの周囲を冷気が覆っている。
それは氷結魔術の使い手、アリアが最も得意とする必殺。
「凍氷刃」
一瞬の閃光とともに、放たれる氷の刃。
横向きの斬撃は空気を裂き、触れるものすべてを凍らせる。
私はあえて避けずに左手を突き出した。
「炎柱」
私の目の前に現れる灼熱の柱。氷の斬撃はその灼熱で綺麗に二つに裂かれ、私に当たらず通過する。
「この程度のものしか捻りだせんから魔人ごときにてこずるのだ」
「う、うるさい!」
「氷の作り方を教えてやるよ」
私は右手を軽く振って唱える。
「氷柱」
アリアの立つ地面から一瞬で氷の柱が天に伸びあがり、避ける間もなくアリアを氷の中に閉じ込める。
少しの間氷柱の中で固まっていたアリアだが、氷にひびが入り、強引に力づくで飛び出てきた。
そのタイミングで私は両手を合わせる。
それを見たアリアは自然と動きを止めた。
「これが最後の警告だ。お前は……私の敵か?」
すでにアリアの上空には星が展開されていた。
わずかでも攻撃態勢に入れば、星が襲い掛かりアリアは塵と化す。
アリアは苦虫を嚙み殺すような表情で大剣を地面に投げ捨てる。
「私は……あんたとは違うってだけだ」
「そうだ、違う。お前はミーナ討伐作戦に途中で離脱した。隠蔽作戦には参加してないだろ」
「……」
「そして、ルビナスを救ったことは嘘ではない。お前の行為に救われた者は数多くいる。その姿勢を大切にしろ」
その言葉で戦意を削がれたのか、アリアから殺意が消える。
が、しばらくの沈黙の後、ぽつりとつぶやく。
「あんた、私を利用したな?」
それは確信を持った言い方で私は何も言わない。
そう。人体実験を隠蔽するためにルドルフと領主はエルフによる虐殺事件として上書きをした。
私とスミは虐殺事件をさらに上書きするためにルビナス攻防戦を演出したのだ。
虐殺事件をなかったことにはできないが、濃度は薄まる。
上書きによる上書き。
「すべてはエルフ族のためだ」
「あんたには心底がっかりした」
「私は元々、清く正しく立ち回れない運命の元生きている。お前の目が節穴だっただけだ」
「言っておくが、あんたの思い通りにいくとは限らないぞ」
「大丈夫さ」
――人の寿命は短い。多くの人間は自分が生きるより前のことに興味を持たない。私たちのやることは歴史に埋もれるよ
スミの言葉を思い出す。ダーリア王国は人間中心社会であるが、歴史が真実をいつも映し出すと限らないことを私たちはよく知っていた。
よほど立ち回りに失敗しなければ、時間は私たちに味方する。
アリアは私を視界に入れるのも不快なのか、遠くを見たまま切り出す。
「あんたに憧れてた自分がいた。でも、それは間違いだった。あんたは万能感に脳が支配されて、重要なものが欠落している」
「……」
「誰よりも強いかもしれないが、その突き抜けた強さがあんたの弱点だ。単糸線を成さず。なんて言っても、あんたには一生理解できないだろうな」
とても重要な指摘をされた気がしたが、正直負け惜しみにしか聞こえなかった。
自分が多少傲慢である自覚はあるが、それは最強である故の定めだ。
謙虚になれる方法があるなら逆に教えてほしい。
アリアは大剣を拾い、背中にゆっくり背負う。
「私は絶対あんたのようにはならない!」
「それでいい。アリアはアリアの道をいけ。私は私の……道を行くだけだ。道は無数にある」
アリアは街の方へ歩いていき、そのまま振り返ることはなかった。
その背中を見届けた後、私は屈伸をした。
これからやるのは逃げた魔人共を追うこと。
魔人たちと半日以上距離の差はあり、どの方角へ逃げたかも不明だが、追いつく自信はあった。
狙いはロキドス。あいつの魔術さえ習得できれば、ミーナを霧から解放し、普通の生活に戻してやれる。
「そうしたら次はちゃんと迎えに行ける」
希望は活力に変わる。
が、唐突に悪寒のようなものを感じ、私は後方を振り返る。
そこはちょうど結界を張り、ルドルフたちの最後を見届けた場所。
「……誰もいない」
はずなのに霧に覆われる寸前のルドルフの顔が、はっきりと目に浮かんだ。
実体なき幻のはずなのに。
その視線が突き刺さる。
まるで呪いのように。
はっきりと心に焼き付いていた。
「ルドルフ……貴様、私の中で生き続ける気か」
私の中の灼熱で燃やせないものがまた増えた。
だが、ルドルフだけではない。
家を無くし呆然とたたずむ老夫婦、死んだ母の傍で泣く子ども、半身が焼かれて死んだエルフ訓練生。
罪悪感は消えない。塵と化しても、私の心に降り積もり続ければ、やがて猜疑心に蝕まれて、誰も信じられなくなるかもしれない。
その時、私は……どんな顔をしているのか。
太陽の当たらない影のトンネルに背を向けて、私は街の方に歩き出した。
「まあ、魔人とはいえ人体実験はまずいか……万全と思われたアセビでもあんなことになったしな」
そう思い直したのは、臆したからか、心の奥底にある良心が残っていたからか、よくわからない。
ただ一つ確かなのは魔人共の強さは私にとって脅威ではないということだ。
時を重ねて強くなろうとも私には届かない。
私一人でいつでも狩れる。
人類が手をつけられなくなって困った時、狩りにいけばいい。
それよりも私の身勝手で死んだ者たちを弔うことを優先することにした。
やり方なんてわからないが、私には魔術の才能しかない。
魔術を通して、自分のためではなく世の中のために貢献する。
私はずっと保留していた件を受ける決断をした。
魔術師団の創設だ。
多くの人間の魔術師を育てる。そうすることで奪った以上の分を誰かに与える。
これが私なりの弔い……
のはずだが、頭にずっとあるのはロキドスの魔術。
魔術の開発自体が難しく表に出ていないが、あの素養を持つ者は人間の中にも必ずいる。
それを見つけて鍛え上げる。
そうすればミーナを迎えに行ける。
綺麗ごとを散々並べても、結局私の背中を押すのは個人的な私情だ。
私はきっと変われない。
「私って器が小さいな……」
周囲に誰もいない荒野の真ん中で私は一人空に向かってつぶやいた。