第163話 ロキドスだ
同族を殺し、罪悪感で心が重くなるかと思ったが、意外なほど私の心は軽かった。
その証拠に翼が生えたかのように身体が軽く、今までの最高速度で走ることができた。ずっと心の奥底にあるもやもやを断ち切れたからかもしれない。
「私は正義じゃない。だが、エルフ族の権威は守るよ。ルドルフ。それがせめてもの償いだ」
とてつもなく自分勝手な話なのに、私の中では美しい理論として成立しているのだから不思議だ。生物はきっと皆、身勝手なんだろう。
ミーナとの距離は近い。だが、討伐できる者を排除した以上、保護するより先にやるべきことがある。
向かうのは北に広がる魔の森。
森の開拓されてない奥地から魔王ロキドス達がまもなくやってくる。
ここでその軍勢を止めるのが次の私の役目だ。
もっともすべての軍勢を止める気はない。私が本気を出せば、魔獣や魔人の軍勢をすべて殲滅する自信があるが、それはしない。
今回集まったエルフの精鋭部隊は、ルビナスの防衛を兼ねたミーナ討伐がその役割であり、立場としては一時的な傭兵に当たる。ルビナス防衛の中心はあくまでエヴァレット侯爵に仕える騎士団。
つまり、街の外で傭兵の私が単体で魔族を追い払ったとしても、騎士団長が自分の指示で動いたと主張すれば、手柄は半減する。
騎士団たちは無駄にプライドが高く、ミーナの件でエルフに偏見を持っている状況なので十分あり得る話だ。
騎士団長が英雄になっては意味がないのだ。
確実にエルフ族から英雄が出なければならない。
よってルビナスが攻め込まれ、圧倒的強者のアリアに頼らざるを得ない状況を作る。
私としては街が魔族に蹂躙されるのは抵抗があったが、スミはその劇薬は必須だと主張した。
――命の危機を救われた時、すべてひっくり返るような感謝の心が必ず生まれる
脅威を目の当たりにし、絶望と恐怖を味わい、そこから救われた時、強烈な感情が心に焼き付く。
その時、街の住民だけじゃなく共に戦った騎士団も心から感謝を示し、勇敢に戦った者を英雄と崇める。
これでエルフ族に対する心証も回復するとスミは断言した。
覚悟を決めると、常識や倫理観のタガが外れてしまうのか。
人を人と思わない悪魔の計画に私は納得した。
そのためにルビナスの城壁を突破できるだけの軍勢を通す。
もっとも、壊滅しない程度の軍勢である必要がある。
厳密にいえば、アリアと騎士団たちでぎりぎり押し返せるだけの敵だ。
この匙加減は完全に私に託されており、これが英雄アリアを誕生させる成功の鍵だ。
難しい案配だが、アリアや騎士団の実力は把握しており、敵の戦力の見極めにも自信があったので間違えることはないと考えていた。
何よりルビナスは、すべての教会に掘られた地下通路から、緊急時に防空壕として利用できる貯蓄倉庫がある。
逃げ場はあるので、多少敵が多くても、住民が大量に殺される結果にはならないと読んでいた。
「最悪、私も戻って街を守ればいいしな」
北の森は紫色の魔の花が垂れ下がった高木が大量に群生しており、幻想的で美しい景色が広がる。
地面は凸凹しておらず森の深部まで進みやすい。
が、中に入ればわかるが、延々と似たような景色なので自分の位置感覚が徐々に麻痺してくる。
北に向かって緩やかな斜面が続くが、深部まで入り斜面が平坦になった時、素人は完全に方向感覚を失い、出ることができなくなる。
典型的な迷いの森だ。
深部に進むほど魔の匂いが立ち込め、人面樹などの魔獣を目の端でとらえたが、相手にせず進む。
私が最高速度で向かったのは、緩やかな斜面をのぼりきった先にあるもっとも高い木だ。
高木のてっぺんに立ち、南側を確認すると、爪先ほどのルビナスの街が見えた。
北側には紫に染まる森がどこまでも広がっており、ここなら遠くまで見通せる。
「鑑定の時間だ」
ここからはすべて私の目と実力にかかっており、意識を集中させる。
手っ取り早く探知魔術を使おうと一瞬考えたが、却下。
魔人という未知の敵が紛れているため慎重に事を運ぶ必要がある。
予知魔術は万能ではない。ささやかな出来事で未来は簡単に変わる。
探知魔術を使用して魔人が警戒し、ルビナスを攻めてこない可能性だってある。
よって増幅魔術で聴力のみ引き上げ、音で敵の位置を感知するという先ほどと同じ手を使うことにした。
息をひそめて、その時が来るのをじっと待った。
やがて北から大群の足音がわずかに聞こえてきた。
それらを木の上から見下ろして確認する。
ゴブリンの軍勢だ。ゴブリンキングも混じっており、数としては三百匹ほどだ。
「通して良し」
数は暴力だが、ゴブリンなど覚悟のある成人男性なら鍬で殺すこともできる。この程度なら問題ない。
そもそもこの軍勢ではルビナスの城壁は超えられない。
そのすぐ後ろに来たのは、マンティコア、猛犬として知られるガルム、夜空を飛行するのは半人半鳥のハーピーと飛竜であるワイバーン。
それぞれ数十匹おり、それなりの軍勢だ。
特に城壁を軽々超える飛行型の魔獣は厄介だが、ルビナスはこれらへの備えが徹底されている。
大量に投石機や大型弓が配備されており、雑魚だが魔術師もいる。
多少死人を出す可能性があるが、対応できる範囲だ。
つまり、これでもルビナスの城壁は超えられない。
「通して良し」
少し時を置くと、夜空に紅の流れ星のようなものが見えた。
どんどん魔の森に近づいてくるそれを視認できる場所まで、私は木から木へ飛び移る。
空から落ちてきたそれは地面をえぐるように落ち、激しい衝突音と振動が木の上にもはっきり伝わる。
地面にぽっかり空いた穴から出てきたのは人の形をした魔族。
灼熱の炎をまとっており、魔力の密度が他の魔族と一線を画する。
「ほお。あれが魔人か……なるほど。なかなかの強さ」
一目見てわかる厄介さ。はじめて見る魔人を私はまじまじと観察する。長い白髪と褐色の肌。そして、巨躯からほとばしるように湧き出る紅の炎。
その特徴から灼熱のハナズという魔人だと察する。好戦的で単騎での戦闘を好む魔人だ。
その魔人の傍に地面を移動する何かが近づき、唐突にそれは地面から顔を出す。
白い外殻で覆われたそれは人というより昆虫に近い見た目だが、これもまた同じように高い魔力に包まれていた。
「んだよ。レンデュラ。この地下引きこもり野郎」
「暴走するなということだ。他と足並みをそろえるということをお前は知らんのか」
「知らん! ルビナスが目的地なんだろ? 遅かれ早かれ合流する。なら先に向かって蹂躙するだけさ!」
ハナズはそう言って街の方へ駆けていく。レンデュラと呼ばれた魔人は、しばらく固まっていたが、ふと我に返ったようにそれを追いかける。
「会話しやがった……本当に危険だな。他の魔族とは一線を画するぞ」
私の中で魔人への危険度が跳ね上がった。ここでわずかに迷いが生じる。
強いと言っても私としては怖れるほどではない。今のうちにあいつらを殺すべきか否か……
だが、あいつらこそルビナスの凶兆。
止めたら意味がない。
「通して良し。アリアなら二体くらい仕留められるはずだ」
が、流石にこれ以上の魔族が来るともはや危険水域だ。そして、魔人の会話から後続にまだ敵が続くことを示唆していた。
私は目を閉じて、五感を研ぎ澄まし、敵の気配の探知に徹する。
遠く北北西から嗅ぎ取った異物の気配で私は目を開く。人と似たような足音が並び、肌感覚で不気味な魔力をそれぞれ発していた。
それらがルビナスの街へ向かっているのを確信し、私は笑う。
こいつらが主攻。
「お前らは……絶対に通さん!」
私は木の上から跳躍し、宙で星のかけらを爆ぜさせた。
爆風で一気に距離を稼ぐ。
空高く舞い、紫の森に隠れる六体の強力な魔力体を空から視認する。
「カス共の肥溜めはそこかぁ!」
六体の魔人が夜空に舞う私を見上げる。
それぞれ一瞬驚きの表情を見せるも、すぐ私に向かって攻撃態勢を取った。
宙から落ちてくる敵ほど恰好の的はないだろう。
だが、私はすでに攻撃準備が整っていた。
「挨拶代わりだ」
両手を夜空に掲げて練り上げた巨大な魔弾を魔人たちに向かって放つ。
私の華奢な体の百倍ほどの球体に全員が目を剥く。
地面への衝突と同時に爆ぜて、衝撃音と共に魔の森が揺れた。
私の一撃で森にぽっかりと何も残らない平地ができ、私はそこに降り立つ。
多量の粉塵が舞う中、私は腕を組んで、視界が晴れるのを待った。
やがて粉塵が風で離散し、姿を見せるのは六体の魔人。
騎士のような恰好をした魔人が全力で受け止めたのか、他の五体にダメージはない。
だが、受け止めた魔人は両腕が吹き飛び、身体中がただれて、立っているだけで精一杯のようだ。
「軽めの一撃なのにもう一体死にかけてるのか。つまらんな」
「なんだ、お前!」
そう叫んだのを合図に四体の魔人が並んで私に接近。
私は両手を合わせて即時に小星を生成。
私の周囲を旋回する星は射程圏にいる外敵すべてを迎撃する。
それぞれの頭部半分、片腕、片足、左わき腹が吹き飛び、悲鳴を上げる。
「ふん。魔人のカスも似たような悲鳴を上げるんだな」
一瞬で身体の一部を吹き飛ばされたそれぞれの魔人は全力で私から距離を置き、身構えた。
「安心しろ。まだ殺さん。少し会話をしてやる」
当然皆殺しだが、ある程度魔人の情報を得てからの方がいい。
それは殺した証の信憑性を持たせるためだ。
そう、星魔術の不便なところは跡形もなく塵にしてしまうため、倒した証明をしづらいのだ。
ゆえに最初の一撃も塵にしない配慮をしてやった。
「一体ずつ名乗れ。さもないと全員首を飛ばすぞ」
とりあえず名前と首だけ持ち返ればいいと判断した。
といっても名乗れと言って素直に名乗る敵などお目にかかれない。
全く期待してなかったが、奥にいる一体が静かに口を開いた。
「ロキドスだ」
意外な反応。躊躇なく名乗った魔人が妙に印象的に映った。
私に対して唯一踏み込んでなかった魔人だ。
ロキドスと名乗った魔人を上から下まで舐めるように見る。
一見すると金髪碧眼の少年。
紺色のベストに黒の短パンを着用しており、これだけならどこぞのガキかと誤解しそうだが、異様なのは目から赤い涙を垂れ流し続けていることだ。
「ほお。貴様が魔王か……名前負けした見た目だが、魔力は悪くない」
完全に上から目線だが、私としては微塵も脅威を感じないのが第一印象だ。
その証拠にロキドスは、私に対してどう勝つかではなく、いかにしてこの場を切り抜けるか思考を巡らせているのが読み取れた。
判断としては悪くない。
「全員名乗れ」
ロキドスに促され、それぞれ複雑な表情で口を開く。
「……アネモネ」
「キリ」
「ダチュラという」
「カルミィ」
「マゴールだ」
初手で私の攻撃を受けて両腕が吹き飛び瀕死状態なのがダチュラ。騎士のような恰好をしている。
片腕を吹き飛ばしたのがアネモネ。生意気にも人間のドレスを着て着飾っている。
右足を吹き飛ばしたのは、肌が紫色のカルミィ。こいつも生意気にも光物を身体中に身に着けている。
頭部半分を吹き飛ばしたのが陰鬱な雰囲気のマゴール。根暗野郎。
左わき腹を軽く抉ったのが金髪で華奢な身体つきのキリ。
それぞれの顔と名前が一致して私はすっきりする。
「よし! 覚えたぞ!」
「お前の名前はなんて言うんだ?」
ロキドスの問い。相変わらずぽたぽたと血のような涙を流している。
涙腺ぶっ壊れ野郎を無視して、私はもっとも射程に近いマゴールの前に瞬間移動で立ち、躊躇なく心臓を抉る。
「ぐうぅぅ」
マゴールは上手く身体をひねったが、心臓の半分は抉りとることに成功し、その場で崩れ落ちた。
私は抉りとった半分の心臓を握りつぶし、地面に伏せる魔人を観察する。
「ほお。まだ息があるか。体の構造が似ているというだけで、やはり普通の人間というわけではないんだな」
警戒する他の魔人をそれぞれ一瞥する。
全員、身構えているが、私のそばにいるマゴールを助けようとせず、瀕死のマゴールに何も感じている様子はない。
群れで行動しているが、仲間意識が強いというわけではないらしい。
まあ、単純に根暗野郎が全員から嫌われてる可能性もあるが。
「人の面をかぶったただの化け物って感じだな」
「化け物はお前だ……お前、さっきからなんなんだ?」
ロキドスの言葉に少し微笑んで見せた後、睨む。
「害虫に名乗る名はない」
一歩後退するロキドスに対し、私は一歩進む。それぞれの魔人がロキドスを守るように身構える。
「親玉だけは守る意識があるのか。じゃあ絶対にお前だけは殺さないとな!」
「させんぞ」
そう言ってダチュラがロキドスの前に立つ。両腕がなく瀕死状態だが、じわりじわりと回復していることに気づく。
やはり人間とはまるで違う個体だ。
マゴールは倒れたまま動かないが、ダチュラ、アネモネ、カルミィ、キリの四体は戦う気概があるらしく、それぞれみなぎった魔力を開放させていた。
唯一魔王ロキドスのみ最後方で様子見に徹している。
私は両手を合わせて魔力を開放し相対する敵を睨む。
初撃で四体まとめて殺す。その際、首だけは残すよう配慮する。
「かかってこい、カス共」