第162話 ここで全部、清算させるぞ
街が確実に襲われること、アリアがミーナ討伐に参加しないこと。この二つの条件をクリアした地点でスミの仕事は終わった。
だが、ここからが本番だ。
スミは私の手を握り、再び予知魔術を使う。
スミの予知は広域の出来事だけじゃなく対象も絞ることが可能だ。
対象者は私。
予知を終えた後、スミは軽く息を吐く。
「どうだ?」
「凶兆は……ない。思いのまま動いて」
少なくとも計画の失敗を告げる何かが出なかったことで私はホッとする。
もっとも作戦の成功を告げるものではないので安心はできないが。
黒銀装束を着て、準備を整える。
「私は討伐に出る。スミもすぐに街を離れろよ」
「わかってる」
宿舎で別れ、討伐部隊が集合するポイントに向かう。
すでに外は暗く半月が夜空を照らしていた。
街の外は明かりのない暗闇だが、エルフ族のほとんどは夜眼という魔術の一種を使い、闇の中でもモノを見ることが可能だ。
ルビナスの西門を抜けた少し先の集合場所にはすでに全員そろっていた。
私はその中の一人であるルドルフを見る。
残った最大の問題……ルドルフ・キルヒマン。
ルドルフはエルフの中でも最強の戦士であり、ミーナを一人で殺すことも可能だ。
私が何もしなければミーナの死は確定する。
やるべきことは一つ。
ルドルフを私が殺す。
迫られているのは私自身の覚悟。
これこそが、作戦の最大の障壁。
――ゼゼちゃんは一人じゃない。私も悪魔になるよ
よぎるスミの言葉。罪を後押しする悪魔の言葉だとわかっているのに私はそれに勇気づけられていた。
アリアの部隊、ルドルフの部隊、そして私の部隊で一度固まり、作戦を確認する。
その後、自然と全員が集まり、いつものまじないをするための輪ができる。皆の視線が自然とルドルフに集中する。
「では、ミーナ討伐作戦を開始する」
その言葉で何を言うでもなく全員が隣の者の手を繋いで目を閉じた。私も同じ行動をとる。
わずかな間を置いてルドルフは言った。
「……ゼゼ!」
「はっ」
「我らが目的は一致。エルフの森に漂う全員の心を一集させるための結びの言葉を!」
ルドルフの言葉が意外すぎて内心、驚いていた。自分以外の者に結びの言葉を促すことは今までに一度もなかったことだ。思わず目を開くと、ルドルフのみ目を開けて私の方を見ていた。
私の中にある薄暗い何かを見抜いているかのように思えたが、表情には一切出さない。わずかな時を置いてルドルフは目を閉じ、私も閉じる。
そして、ゆっくり口を開いた。
「諸君……長い長い時を生きてきて、様々な出来事を経て、色々な感情を経験してきたと思う。今もそれぞれ独自の感情の色がついているだろう。だが、この一時はすべて消せ。そして、この言葉を胸に刻め」
一つ間を置いて、私は全員に言い放つ。
「ここで全部、清算させるぞ」
全員に向けた言葉だが、これは私だけの決意表明だ。
何も言うことなく、全員がゆっくり目を開き、そのままそれぞれ三方に分かれた。
アリアのみ私と一瞬視線を合わせ街の方に戻り、残っていたアリア部隊の副隊長が私に近づいてくる。
「ゼゼさん。話はすでに伺ってます。私たちの部隊も指示してくださいますか?」
「あくまで探索エリアの指示のみだ。アリアの部隊はお前が率いろ。その方が効率がいい」
「了解しました」
ミーナ討伐作戦の概要はルビナスへ向かってくるミーナを待ち伏せて奇襲をかけるという単純なものだ。
ポイントは待ち伏せする場所であり、それはスミの予言頼みとなる。
その立場を利用し、スミは討伐部隊を散らすため肝心の部分をぼかした予言を告げた。
――ルビナスに向かう街道らしき道を歩くミーナの姿が見えます
アセビがルビナス西部にあること、スミの与えたおおまかな景観の情報から西側の街道に絞られた。
それでも北西から南西にかけて街道らしき道も含めると、広範囲に及ぶ。
本命の街道はルドルフ部隊が陣取り、残りの細かな道はすべて私とアリアの部隊がさらに細かく人を分けて待ち伏せすることになった。
そして、ミーナ発見時、隊長が傍にいない場合は伝達魔術でルドルフ部隊にまず知らせるのがルールだ。
つまり、私とアリア隊は基本索敵であり、ルドルフ中心の討伐作戦となっている。
私の方が強いにもかかわらず、ルドルフ中心の討伐を組むのはルドルフがリーダーでありその威厳を示すためだ。エルフという種族は見栄とプライドが肥大なものが多い。だからこそ種族として繁栄していないのかもしれない。
アリアの部隊が待ち伏せするエリアを指示し、私の部隊が索敵するエリアに着いた時点で作戦開始。
「展開させろ」
各々一瞬で散っていき、視界から見えなくなる。それぞれルビナスへ続く道の傍にある茂みやくぼみに隠れて景色と同化し、後は待つのみ。
ミーナが現れるタイミングまではわからないので、長期戦になるのは全員覚悟の上だ。私の指示がない限り、彼らは何があっても動くことはない。
それはアリアの部隊も同じ。
ここからが私の作戦だ。
私は気配と音を殺して闇と同化し、その場からゆっくりと離れていく。
大きくまわりこんで、道なき道を進みさらに西へ向かう。
草原地帯を進むと、大岩が大量に転がる地帯に辿り着いた。
騎士団の訓練地帯でもあり、魔獣狩りのスポットとして有名な場所だ。
多量の魔獣の血を吸った影響か、正体不明の霧が発生する場所としても知られる。
この日ももやのような薄い霧が発生しており、視界不良となっていた。
さらに奥へ進むと、壁のようにそそり立つ大岩と大岩の間に伸びる一本道が見えた。
長い長い一本道はアセビなどの宿場町からルビナスへ向かうための主要な街道の一つ。
太陽の当たらないその道は影のトンネルとも呼ばれている。
ミーナが街道を通る可能性が予言で出た時、この道をルドルフ達が狩場にするのはわかっていた。
岩壁の上なら見通しもよく、これほど奇襲をかけやすい場所もない。
ルドルフ部隊が息をひそめ気配を殺しているのが肌感でわかった。
「予定通りだ」
ルドルフ達がここで待ち構えた結果もすでに予知で出ている。
この辺一帯はミーナの霧に包まれる。
つまり、待ち構えるルドルフ達よりもミーナの方が敵の察知が早いということだ。
ミーナの霧はまるで風のようで気づけばすでに包まれている。
ミーナの霧の範囲は成人男性の一万歩分から三万歩分。町も簡単に覆うほどの広範囲だ。
一度包まれると、周囲が白に染まり方向感覚を失い、脱出は難しい。
もっとも死に至るまでの時間は人による。百数えるまでに死ぬ者が半数だが、逆に言えば半数の者はしばらく動ける。
よって霧に覆われたとしても霧の外に脱出することもできなくはない。その後、筋肉が衰弱してまともに動けなくなったり、死ぬ者も多数いるが。
この辺一帯が白い霧に覆われるという凶兆は出たが、ルドルフ討伐部隊が死ぬという凶兆は出なかった。
ミーナが先手を取るものの、チームでうまくカバーし合い、霧の外に脱出するのだろう。
その時、ミーナはルドルフの射程圏。
ルドルフの特別な魔術ならミーナを殺せる。
つまり、私が介入しなければミーナの死は確定する。
ここが分水嶺。
「殺すしかない」
覚悟の言葉を口にして、影のトンネルの出口で時を待つ。
太陽は落ちたのに、まといつくような暑さが残っていて、背中が汗ばんでいた。
「日、月、星すなわちすべて天の万象を望むがごとく、咲き誇る満開の薔薇も、歳月と共に醜く朽ちようとも、心に焼き付くその美しさは色褪せん――」
私は心を落ち着かせるために精霊幻詩の一節を口ずさむ。
その後、増幅魔術により己の聴力を限界まで押し上げて、ルドルフ討伐部隊の動きを感知する。
ただじっとその時を待った。
やがてルドルフ討伐部隊の一人が異変を察知して叫ぶ。
「霧! ミーナだ!」
その声で私はルドルフ討伐部隊の位置を完全に把握する。
私との距離はおおよそ一万歩分。ほぼ想定した位置におり、ルドルフたちが私の囲いの中にいることを確信する。
私は軽く深呼吸し、魔術語を唱える。
それは前日から巨大な魔術印を地面に埋め込んで構築していた特殊な結界。
「迷彩結界」
内側にいる生物を閉じ込める脱出不能の監獄。
迷彩のごとく結界の外側からは景色に変化がないのがこの結界の特徴だ。
よって遠く離れた位置にいる他のエルフ討伐隊にはミーナの霧やルドルフ達の救命信号などの異変には絶対気づけない。
内側の様子を見ることができるのは結界を構築した私のみ。
円柱型の超巨大結界はルドルフ達のいる場所も悠々囲う。間違いなくルドルフ討伐隊はこの中にいる。問題はミーナがこの結界の中にいるかいないかであるが、私はいないと確信していた。
ミーナは誰より敵意というものに敏感で、率先してミーナが戦うことはない。すでに霧が発生した周囲にはおらず、即座に距離を取って逃げたはずだ。
私は結界の外縁でじっと息をひそめて待った。
やってしまったことは取り返しがつかない。高鳴る鼓動を抑えて、平静を装う。
結界の内側は白で覆われていたが、やがて風で霧をまき散らしながら近づいてくる集団が見えた。
ルドルフ討伐隊だ。
彼らは結界の外にいる私に気づき、助かったという表情をして、手を振る。
おそらくミーナの霧と共に謎の結界が唐突に現れ、困惑していたのだろう。結界を破るのが困難であり、他の討伐隊に気づいてもらうため結界の東側まで来た。すべて私の読み通りだ。
全員口元を覆いながら複数人が風で霧を必死に流す。
風で流し続ければ被害は受けないが、ミーナの霧の恐ろしさは魔術すら衰弱させる点にある。
迷彩結界を突破できない限り、霧に覆われて死ぬことは確定している。
討伐隊の真ん中にいたルドルフが前に出て、私に何か言う。迷彩結界は内側の音すらすべて殺すので、何を言っているのかは全く聞こえない。
私の様子がおかしいことに気づいたのは、一切表情を変えず何もしようとしなかったからだろう。ルドルフは怒りの表情で必死に叫んでいた。
この時、私は押し隠していた自分の感情に気づいてしまった。
「お前のことは昔っから大嫌いだったんだよ。ルドルフ議長」
そこからあふれ出るように言葉が出てくる。
「義務を押し付けて私を人間社会で暮らすよう促したのは、思えばお前だったな。姉と結婚したにも関わらず、病気で自由の利かなくなった姉を捨てたのもお前だ。さんざん自分の都合を押し付けやがって。だから、今回は私の都合を押し付けるぞ」
姉のモニカは特別な奇跡を持つエルフだった。ゆえに昔から高い立場であるルドルフと結婚したが、ルドルフはモニカを散々利用した後に捨てた。それを知った時の感情がここで爆発する。
結界の内側に言葉は届かないが、私の口元を読んでいるのかルドルフは呆然としていた。
「これ以上、私の家族に手出しはさせない」
そこで全員、目を見開いたまま固まる。そもそも姉を捨てたとはいえルドルフは殺すほど悪いエルフではない。エルフ族のために良いこともたくさんしてきた。腰ぎんちゃくであるルドルフ伐部隊も同じだ。
よって間違っているのは私だ。だが、私は間違いを矯正する気はなかった。
唐突に、憎悪に満ちた瞳でルドルフは狂ったように叫び出す。
周囲のエルフ達も呼応するように叫んでいた。涙を流し訴えかけるような言葉は私には一切届かない。
やがて彼らがミーナの白い霧に包まれて何も見えなくなる。
「さよなら、ルドルフ」
私は彼らに背中を向ける。
自分の大事なモノを守るため他者のそれを蹂躙した。
戻り道はない。
――これから
私はさらに蹂躙するだろう。