第148話 打って出る
「まだ猶予はあるんだよな?」
長い沈黙の後、ディンはようやく言葉を絞りだした。
「なんとも……正直、ユナを助ける方法もわからない」
ゼゼはぽつりと言葉を返す。
「何らかの手で助けられたとしても、おそらくお前は死ぬ……ユナを助けるために死ぬことはできるか?」
突きつけられた言葉にディンはうろたえる。未だ戦って死ぬ覚悟すら持ててない自分に死という言葉は重い。
ずっと曖昧にしていた現実を見せつけられた気がして言葉がうまく出てこない。
「助けたいのは……当たり前だろ。家族だからな。でも、俺には……まだやらないといけないことが……ロキドスも倒さないと……」
途切れ途切れ言葉を繋げる。それが言い訳のように自分の耳に聞こえてくる。
――あなたって自分に嘘をつくのがとっても上手ですね
ふとよぎる誰かの言葉。ずっと昔だったような、最近だったような。
誰だか思い出せないが、今になって異常にイラついてきた。
侮辱された気がして、感情が自然と高ぶる。
「とにかく! 俺は俺なりに考えている! あんたにどうこう言われる筋合いはない! 俺は誰よりも家族のことを大切に思ってるからな!」
そう言いながら自分の言葉の薄っぺらさに気づく。
自分が消えてなくなる。それを想像すると、家族を守るとか妹を救うとか、そんな建前を全部溶かす熱のような感情が自然と湧き上がってくる。
ゼゼはしばらくの間、何も言わず夜空を見ていた。つられるように空を見上げる。
澄んだ夜空に無数の星が光り輝いており、それを見ていると心がほんの少しだけ軽くなる。
「夜空は好きだ。見ているだけで色々な感情が消えて、心が澄む。でも、ずっと見続けると昔のことを思い出すから少し悲しい気持ちになる」
夜空を見上げたままゼゼは言い、ディンはその横顔を思わず見る。今まで見たことのない悲し気な表情をしていた。
「……私には姉と妹がいる。守りたいと思えるほど私なりに大切な存在だ。家族を守るため上手くやろうとしたけど、結局……私は上手くやれなかった」
それははじめて聞くゼゼの身の上話だった。
「姉の方は……ずっと前にロキドスにさらわれた。王都に結界を張られてすぐのことだな」
「えっ……」
「私を結界外に誘いだすためだ。私は動かなかった。姉を……見捨てたんだ。自分のために」
思いもしない告白に言葉が出てこなかった。
「別に同情を誘いたいわけじゃない。そして、後悔してるわけでもないし、お前に妹を助けるべきと説きたいわけでもない。ただなんていうか……お前の中にある葛藤を恥じることはない。こういうことを伝えたかった」
「……」
超然とした最強の魔術師はそこにいなくて、同じ目線に立つ生物としてのエルフがそこにいた。どれだけ強くても、悲しさや寂しさや苦しみや葛藤をゼゼもまた抱えていたことに気づく。
ふと気になってたことを口にする。
「虐殺のミーナは生きてるって本当か?」
「……生きてる。ミーナは私の妹だ。大量の人間を虐殺したのも本当で、私はその事実を知ってなお保護している。ただあれは……いや、私が口にする権利はないな」
歯切れが悪く、自然と口を閉じる。
それはゼゼにとって見ず知らずの者に踏み込まれたくない領域だと悟る。
ただ確かめなければいけないことがあった。
「俺の父親のことだけど……」
「えっ?」
ゼゼは戸惑いの表情に変わる。
「お前の父が……なんだ?」
「いや、別に」
思わず口をつぐむ。
その表情からゼゼは何も知らないと気づいた。
そもそもミーナが父を殺したのが事実だったとしてもディンは自分の感情がよくわからなかった。愛着を持つ前に父が死んでしまったせいかもしれない。
ただ大事な歯車の一つを失ったのは確かで、自分には聞く権利はあるはずだが、責める相手を間違っている気がして、うまく言葉にできなかった。
「ルビナス攻防戦だ」
ゼゼはぽつりとつぶやきディンを見る。
「ミーナのことを知りたいならその記憶を覗け。もしかしたら……そのために私はお前を選んだのかも」
「どういうこと?」
問いかけるが、ゼゼは言葉を繋げず、じっと夜空を見ていた。
ただ今まで誰にも見せていない部分をゼゼは口にしている気がした。
そのせいか、ディンも自然と自分の本音が口からこぼれ落ちる。
「俺は……死にたくない。わかってても自分で引き金はたぶん引けない」
「……そうか」
「だから、俺が頼んだら……あんたが引き金を引いてくれないか?」
思わぬ提案だったのか、ゼゼは少しの間きょとんとしていた。
そして、口元が一瞬緩む。
「恰好のつかない半端な選択だな」
馬鹿にする意味はこもっておらず、ゼゼは真顔だ。
「だが、悪くない。もっとも愚者であるお前に自己犠牲の選択ができるか疑問だが」
見透かしたような言葉にムッとなる。。
「俺のこと、知ったような口を聞くな」
「わかるよ。愚者ディン。お前の性根は腐ってるし、器も小さい……エルマーのように人間ができてない」
厭味ったらしい言葉に反論したくなるが、勇者を引き合いに出されると何も言えなくなる。
「だが、もしお前が来たるべき時に勇気あるその選択をしたのなら……愚者という発言は訂正しよう」
そう言って、ディンの頭に人差し指を向けて撃つ真似をする。
「バン」
ぼそりとつぶやき、ゆっくり手を下ろす。
「そして、お前を勇者と称え……私が責任をもって殺してやる……その後、私から勇者であるお前にエルフの恩寵を与えよう」
殺すと言われたにもかかわらず、それは今まで聞いたことがないほど優しい言葉に聞こえた。
それがなんだかおかしくてディンは思わず笑みをこぼす。
つられるようにゼゼも悪戯な笑みを浮かべた。
「あんたが素直に笑ったところ……初めて見た気がするよ」
すでに約束の時間は過ぎていた。
「そろそろ行くよ。詠み人の務めを果たさないと。また、明日以降だな」
ディンは両腕をぐっと空に向かって伸ばす。
「というわけで……まあ、これから協力していこうぜ」
「断る」
「ん?」
「貴様やシーザは後ろで眺めて、情報だけよこしてくれればそれでいい。あとは全部私がやる」
「……」
ディンは少しの間、固まる。
「ここはさ、絆が深まって仲間として認め合うみたいな流れじゃないの? お前は空気も読めないのか!」
「悪いが、横で戦う仲間を求めてるわけじゃない」
ゼゼははっきり言い切り、ディンは戸惑う。
「いや、でもさ」
「勘違いするな。一人で抱え込もうとか、責任感とか、そんなんじゃない。そういうつまらない尺度で私を測るな」
先回りするように言い、ディンの目を見る。
「ただ思い出しただけだ。自分の輪郭をな」
その眼の鋭さにぞっとして自然と息をのむ。
ゼゼは他の手を借りず、己の力ですべて清算しようとしている。
「……一人でロキドスに勝てるのかよ?」
ゼゼは左手親指を右手で握った後、両手を合わせる。開いた掌からキラキラと光る星のようなものが現れる。
星魔術による星。宙に浮くそれは豆粒のように小さく、宝石のように輝きを放つ。だが、触れるとただではすまない無機質な鋭さが渦巻いており、ディンは触れない程度に手を近づける。
その凝縮された魔力の密にディンは圧倒されて、近づけた手を思わず離す。
無力化できる感覚がなかった。
「星魔術は練りこめる魔力の限界値を大幅に超えて圧縮できるのが強みで、無力化や吸収の処理にも時間がかかる。戦いの刹那に完全な無力化はできないよ。昔あいつと手合わせして確認済みだ。あいつごときが私には勝てん」
ゼゼは断言する。人間がどれだけ努力してもエルフのように千年以上生きられないように、この世には抗えないモノがある。そんなこの世の摂理を教えられている気になった。
ゼゼは右手首につけていたブレスレットをディンに向かって投げ、ディンはそれを受け取る。
「私がお前を嫌いな理由は、私に似ているからだ」
脈絡のない言葉にディンは自然と怪訝な表情になる。
「いきなり何?」
「他者を信頼できない。優位性を得るよう他者を利用する。損得ばかり秤にかける。信じられるのは自分だけだと思ってる。お前、思い当たる部分があるだろ?」
自分の欠点を指摘されたような気持ちになる。
「これから変えようと思っている部分でもある」
「お前みたいなやつには『0.5の洗浄』が必要になるんだろうな」
「んだ、それ?」
ゼゼは含みのある笑みをこぼす。
「エルフ族に伝わる、く……神聖なる儀式ってところだな。ずっと昔、過去の自分を洗い流すことができればと思うことがたまにある」
寂しげな表情に変わったのは一瞬で、いつもの鋭い視線に戻る。
「ディン。一つ。方位に迷ったときのお前に研ぎ石となる言葉を与えよう」
長い間をあけて、ゼゼは続ける。
「お前は私のようになるな」
「……」
「エルマーのように振る舞う必要もない。勇者エルマーの教えがお前を導くわけではない。お前を導くのはお前自身だ」
――あらゆる価値観や考えの者がいるが、それらは研ぎ石でしかない。自分の考えを何よりも尊重しろ
祖父エルマーに言われた言葉が重なる。
名言を残す偉人、金言を与えてくれる教育者、家族、友人など自分に影響を与える人はたくさんいる。でも、生きる時代や環境がわずかにずれただけで価値観や考えや常識はわずかに違ってくる。
一致するものはない。
参考になることはあっても、外側に答えはない。
いつだって答えは内側にある。
「お前はお前の道を行けばいい。私は私の道を行く」
それは視界が広がるような、目の覚めるような言葉だった。
他者が自分の進む道を侵害する権利はない。
他者が自分の選択を正解か失敗か判断する権利はない。
自分で決めればそれでいい。
当たり前のことなのに、誰もがよく見落とし、忘れてしまう。
ゼゼは己の魔力を爆発させるように身体から発散させる。
何者も近づかせないような圧迫感。
その魔力のうねりは昇りあがる天の川のように見えた。
ダーリア王国が誇る最強の魔術兵器、ゼゼ・ストレチア。
その小さな身体から覚悟が滲んでいた。
「私はやり方を間違えた。でも、今からそれを正す気はない。ここまで来たら……間違いを貫き通すだけだ」
剥き出しにするのは揺るがない炎のような自我の塊。
ゼゼはすでに戦闘態勢に入っていた。
その瞳の先にあるのは王宮。
「あと少し待てば、警備が入れ替わる。そこが潜入時だ」
ゼゼは自分の進む道を見ている。
ここでディンは自分の思い違いに気づく。
近い未来の話ではなかった。
「まさか……今から?」
ゼゼはこちらを見て微笑む。
「打って出る」