第147話 なんにせよ生きてて何よりだ、愚者ディン
朝の清めで身体をゆっくり清め、昼の瞑想はその倍以上の時間をかけ森の中でゆっくりと寝そべり、最後に夜の安眠。朝、昼、夜でゼゼは半日以上過ごした。
自分の記憶を記録されるという屈辱的行為にもかかわらず、夜の空間は今までにない心地で眠りにつくことができた。
意識が戻った時、ゼゼの目の前に広がるのは赤い絨毯が敷き詰められた空間。中心の白いソファにゼゼは座っており、目の前のテーブルには食事と飲み物が並ぶ。
すべて終わったことを理解する。妙にすがすがしく心地よい気分だった。
頭の中がより鮮明になり、思考もよく動いていた。
食事はキャセロールとパンとサラダと水いう簡素なモノだったが、不思議と満たされた。
左右にはオープンクローゼットがあり、大量の服が収納されていた。
ローハイ教に用意された丈の長い白の肌着のみを身に着けている状態だったので、着替えることにした。
どれもゼゼの背丈にぴったり合う高級な服ばかりだったが、今の気分にぴったりのモノが自然と目に入り、ゼゼはそれを着る。
それはエルフ達が戦いの場で着る黒銀装束。一般的な黒のサーコートとデザインは近いが、その違いは服のあらゆる部位に埋め込まれた銀星玉だ。
銀色の輝きを放つその鉱石は魔力をわずかながら増幅する効果を持つ。
ゼゼがいつも着ていた戦闘服でもある。
肌に重ねた瞬間、自然と身が引き締まり、魔力が踊る。
髪紐を取り、長髪を後頭部で結ぶと、かつての自分の輪郭がより明確になった気がした。
奥の扉に触れると、自然と右手首に金のブレスレットが装着された。
悪いものではないと気づき、気にせず進む。
扉の先は緩やかに曲がる廊下。
左手側は一面ガラス窓に覆われており、そこから夜の王都が見下ろせる。
「やはりここか……」
勇者エルマーが魔王ロキドスを倒した剣に見立てて作られたといわれるその塔は世界一高いといわれている。
最新の技術と魔術により構築された塔。通称、聖剣の塔。
五十二層あるうちの一層のみ一般公開されており、二層から十層は一般信者が出入りできるが、それより上層は限られた者しか入ることは許されない。
見下ろす高さからゼゼは自分が最上層近くにいると理解する。
緩やかに曲がる廊下を進むと、微笑を浮かべたルーンと信者二名が立っていた。
三人同時に深々と一礼した後、中心に立つルーンが口を開く。
「お機嫌はいかがでしょうか?」
「悪くない。ただ貴様を見ると、反吐が出そうだ」
「それも仕方ありませんね。無事、記憶の記録は完了しました」
「確認だが、誰にも見せてないな?」
「無論です。記憶の神殿前は現在結界が張られている状況で誰も入ることはできません。結界を解くのはゼゼ様の右手首につけているブレスレットのみです」
よどみなく説明するルーンの前に一瞬で立ち、睨む。
「嘘なら全員殺すぞ」
爆ぜるようなゼゼの魔力の高まりに後方にいた信者二人は倒れこむ。
ルーンのみそこで微動だにしない。
「ははっ。冗談だ」
一歩引いてゼゼはけらけら笑う。ルーンは表情を崩さず、口を開く。
「ブレスレットをユナ様に手渡してください。ユナ様にはすでに説明を済ませてあり、屋上にて待機中です。お二人で会話する時間も多少あります」
先回りするように説明するルーンの顔を吟味するように見る。
「何か?」
「私の威嚇で一切怯まないとは、なかなか悪くない。それとも中身は人じゃないのかな?」
「何をおっしゃっているのやら……」
ルーンは眉をひそめ、首を傾ける。期待した反応は見られないが、ゼゼは覗き込むようにルーンの瞳を見る。
「こっちの話だ。お前らが私を疑うなら……私もお前を疑う権利はあるってことだよな?」
「子供のような屁理屈を口にされるとは意外ですね」
「そうか? 大人の多くはしょっちゅう都合のいい屁理屈を並べ立てるぞ」
お互いの視線がしばらくの間、交錯する。
「……まだ何か?」
「ルーン。お前はやはり見どころがある。今からでも魔術師団に入れ」
思わぬ言葉だったのか、ルーンは戸惑いの表情に変わる。
「疑ってると言ったかと思えば、入団の誘いをするとはおかしな方ですね」
「お前でないと確信できたらの話だ。その才能は魔術師団でこそ生きる」
「……勧誘はありがたいのですが、私はこの先の身の振り方は決めてます」
迷いなくルーンは答える。ゼゼは残念がるわけでもなく、「ならいい」とあっさり引き下がり、ルーンの隣を通り過ぎる。
が、ふと思い出したようにゼゼは振り返る。
「せめて……常にユナの味方でいろ」
ゼゼはその答えを待たず、廊下を進んでいく。
「言われるまでもなく」
ゼゼの姿が見えなくなった時、ルーンはぽつりとつぶやくように言った。
廊下を進むと塔の中心部への扉を見つける。
塔の真ん中はらせん状の階段となっており、階段に足をつけると、自動で上っていく。
これから会うのはユナであってユナではない。表情の作り方に迷ったが、何も考えず屋上の扉を開いた。
屋上は鋸壁で囲われた広々とした円形のスペースとなっていた。
塔は明かりの魔道具が大量に埋め込まれているおかげで夜にもかかわらず明るい。
風が強く髪がなびく。ふと上空を見上げると星がよく見えた。しばらく眺めた後、視線を正面に向ける。
鋸壁の手前で夜の街を見下ろす少女の背中を見つけた。
ゆっくり近づくと、少女はこちらを振り返り微笑む。
「よく来たな。ミーナの姉、ゼゼ・ストレチア」
ディン・ロマンピーチとゼゼ・ストレチアが再び邂逅する。
今日という日はディンにとっても情報量が多く、未だ消化しきれてない部分が多い。
ミレイが魔術師だったこと、マゴールとの戦いで自分が付与魔術の素養を持つことを知り、ルーンが登場し、あっという間に王都に戻った。
そこで自分の死を再確認した後、ゼゼの記憶の詠み人に指名されたことをルーンから告げられた。
その後、流されるようにディンは聖剣の塔の屋上に立っていた。
正直、気持ちの整理がまだ着いてない状況だ。
ゼゼは静かに隣に並ぶように立ち、二人並んで、夜の街を見下ろす。
それだけでなんとなく少し気持ちが落ち着いた。
「ふと振り返ると、ユナに対して違和感は多々あった。気持ち悪いとさえ思ったことがある」
正面を見たままゼゼは切り出す。
「そして、今それが全部繋がって、改めて思う。お前、妹の振りなんかして気色悪いな」
「最初に言うことそれ? 喧嘩売ってんの?」
「私自身、気づけなかったことを嘆いているのだ。思えばお前らしい愚かな行動は多々みられたからな」
ゼゼはディンを横目で見る。
「なんにせよ生きてて何よりだ、愚者ディン」
この状況でいちいち嫌味を言ってくるゼゼに、素直にイラついた。
「思い出した。俺はあんたのこと、ずっと嫌いだったんだ」
「奇遇だな。私もお前のことが最初から嫌いだった」
お互い正面を見たまま横目で睨み合う。
ゼゼは何事もなかったかのように視線を正面に戻し切り出す。
「本題だ。ロキドスはどいつだ?」
「まだはっきりとは……」
「だろうな。まあ、期待していない」
切って捨てる言い方にムッとなる。
「あんたは何かないのか? フィリーベルのこととかさ」
「お前の祖父との世間話で、フィリーベルの話をした記憶がある……が、どういう話だったか忘れた」
「おい!」
「仕方ないだろ。ずっと前の話だ。まあ、大した話ではなかったはずだ」
ゼゼは悪びれず答える。もっともロキドスが最初に転生したフィリーベルについては散々調べたので、世間話程度で有力な情報が得られるとも思えない。
ゼゼは再び鋭い視線をディンに向ける。
「それより魔術師団内にいる裏切り者はどいつだ?」
「今はいない。死んだことになってる」
はっきりと口に出さなかったが、それでゼゼは表情を崩さないまま「そうか」とつぶやく。
「あまり驚かないんだな」
「フローティアやルゥではないと確信していたし、タンタンやアイリスもピンと来なかった。魔人側に高度な瞬間移動の使い手がいることは報告で気づいたから、まあ……確信はなかったが、消去法でな」
実力的な面からゼゼは心の奥深くで怪しんでいたのが察せられた。が、その瞳は少し暗い。
「性別という概念を当てはめれば、ベンジャにダチュラ、エリィにカルミィが転生しているんだろう……なかなか闇が深いな」
王宮に魔人が出入りしている事実は重い。ディンは自分の中にあった懸念を口にする。
「聖域にある天狼星を持ち出されたりしないよな?」
天狼星は王都を塵にできるほどの威力を持つといわれている。ロキドスの手に渡れば、まずいどころではない。
「大丈夫だ。聖域の調整とは私以外の者に簡単に持ち出させないための調整でもある。聖域内に異物が入れば私が感知できるようになってるし、どちらにしろ私の目をかいくぐることはできん」
ゼゼは断言した。最高の魔術師であるゼゼの言葉には説得力がある。
「ならまずは、魔人が人間に転生してるというのを証明して――」
「理解の及ばない魔術を一般人に理解させるのは時間がかかるし、混乱も大きい。静かに処理する方が手っ取り早い」
ゼゼは迷いなく答えた。それはすでにゼゼの中で決定事項となっているようで、ディンは反論の言葉が出てこない。
「そういえば……転生魔術のことを聞いた時気になってたことがあった」
ゼゼは唐突にディンの方に身体を向け、胸部に手を当てた。ディンは反射的にその手を払う。
「妹の胸をもむな。この変態エルフ」
「この馬鹿! お前は私を何だと思ってるんだ。真面目な検証だ!」
そう言って、再び胸部に手を当てる。
「触り程度だが、私も解析魔術を扱えるからな」
しばらくの間、その状態が続き、やがてゆっくり手を放す。
そして、ゼゼは静かにため息をついた。
「そういうことか」
ゼゼは何かを察したようが、何も喋らない。
ディンの方を見るが、喋るべきか逡巡しているように見えた。
「転生魔術についていくつかわかったことがある」
そう言い、再び間が空く。
「なんだよ、言えよ」
「ユナの魂は……生きてる。魔力のようなエネルギーをわずかながら感じる」
良い話のはずなのにゼゼの口ぶりは重い。
「ただ……重しのようなものがある。あってはならないものが混在していて……たぶんそれらは共存できない」
それの意味はすぐ理解できたが、言葉がしばらく出てこなかった。
シーザもキクも一切触れてこなかった部分。
その核心をゼゼは口にしている。
「見ず知らずの者に踏み込まれたくない領域は誰にでもあって私に踏み込まれるのは釈然としないだろうが……これは誰かが言わないといけないことだ」
そう言って、ゼゼはディンの目を見ながら続ける。
「今、ユナの身体に二つの魂が混在した状態だが、おそらくそれはずっと続かない。お前とユナの魂は共存できない」
「……」
「どちらかの魂は消えてなくなる運命だ。つまり、どちらかは死ぬ」
天秤にかけられているのは己の命。
ディンは何も言えず、しばらくの間固まっていた。