第142話 報いは必ず受けさせます
あまりに突拍子のないことを言われディンはしばらくの間、固まっていた。
言葉の意味をようやく理解するが、思わず首をひねる。
「ん? どういうこと?」
「言葉のままです。ユナ様は魔術師団を退団し、今後一切魔術師団と関わらない」
ルーンは朗らかな笑顔のまま答える。
ルーンはディンやユナに対して冗談を言わない。いつもまっすぐな瞳で真実だけを口にする。だから、余計に混乱した。
「な、なんで? えっ? 私がゼゼ様の命令を無視したから?」
「ユナ様に非は一切ありません。これはゼゼ様の……わがままですね。まあ、とにかくそれは些末な問題なので、一旦置いておきまして――」
「いやいや! こんな重要なこと他にないよ!」
「些末なことです!」
遮るようなルーンの叫びにディンは口をつぐむ。
「今からあなたに伝えなければならないことに比べれば……」
そう言って、言葉を切る。この時、ルーンの目の奥が暗く沈んでいることに気づいた。こみ上げる何かを必死に抑え込んでおり、嫌な予感を感じる。
唐突に修道服を着た別の女が瞬間転移で姿を見せ、ディンに深々と一礼する。
「彼女を伝令役としてここに残しますので、ユナ様は今すぐ王都に戻っていただきます。その時に退団の件も含めて全部説明します」
「ちょっ……せめて説明だけでも……」
「あなたの! お兄さんのことで……極めて重要で、避けることのできない……事実をお伝えしなくてはいけないのです」
今にも泣きだしそうな力ない言葉でディンは察する。この時が来た。
ディン・ロマンピーチの死が確定し、ダーリア王国がそれを知る日。それを想像するのはあまりにも怖くて、受け入れられず、ずっと考えないようにした現実。
それを受け入れないといけない日が今ここに来た。
「不躾な要求をしているのは重々承知ですが、今すぐ来ていただきます」
長い長い沈黙の後、ディンはルーンの眼を見て答えた。
「わかりました」
ルーンはディンの手を両手で握り、優しく微笑みかける。
場は暗転し、立っていたのは奥へ伸びる身廊。左右の壁に取りつけられたステンドグラスから暖色と寒色の混じる自然光が入り、空間を神秘的に照らす。
左右に樹木のような白い柱が奥まで等間隔でいくつも立ち、身廊を挟むように長椅子が大量に並んでいる。
長椅子に座る信者たちは、皆熱心に祈りを捧げていた。
奥に見えるのは中央祭壇。その上部には祭壇を覆うような巨大な天蓋が天井から吊るされている。
それらを確認して、確信する。
ここは王都にあるローハイ教の総本山、バルディア大聖堂。
誰一人音を立てない厳粛な空間にディンは息を呑む。
ルーンが手を握ったまま黙ってこちらに向かって微笑む。優しく引っ張り、身廊をゆっくり進んでいく。奥の祭壇前には棺があった。
棺の前にルーンと共に立つ。
「ユナ様。これから目にする事実はあなたを何よりも苦しませると思います。ただ喫緊の事態であり、こういう形で事実を受け入れてもらうしかありません」
まわりくどい言い回しだが、ルーンは止まらない。
淡々と話を進めていく。
見たくないモノを見ないといけない事実に動悸が高鳴る。
ローハイ教の信者二人がゆっくりと棺を開いた。
その中にいたのは自分自身。
ディン・ロマンピーチ。
自分の死体を目にした時、現実を突きつけられたようなショックで言葉が出てこなかった。
「ああ! なんていうこと……」
すでに確認しているはずだが、ルーンはそばで泣き崩れ、それが周囲に伝染する。聖堂にいる人間全員が祈りを捧げながら、涙を流していた。
長い長い時間、その場に立ち尽くしていた。目から涙がこぼれたのは、皆の涙に釣られたのかもしれない。
その涙を指で優しくふいたのはルーンだ。
「ユナ様……心中お察しします。ですが、これだけは言わせてください。あなたは一人ではありません。ここにいるすべて……いや、ローハイ教を信仰するすべての人間はあなたの味方です」
柔和に微笑み、唐突に真顔に変わる。
「報いは必ず受けさせます」
この世の怨念をかき集めたようなどす黒い言葉が聖堂に静かに響く。
「報いって……」
「見るのもお辛いかもしれませんが、胸部の部分を確認してください」
そう促され、ディンは自分の死体をじっと見下ろす。今でも克明に思い出す背中から剣で突き刺された時の感覚。が、剣で刺されたはずの心臓部分が異常なまでにきれいにくりぬかれていた。
「これは……」
「高出力の魔弾でもここまで綺麗な傷跡にはなりません」
ルーンは検討がついているのか、確信的な言い方だ。
「ディン様のお身体は前日、大聖堂の前で発見されました。死体に腐敗はほとんどなく、状態維持魔術という高度な魔術がかけられていました。そして、心臓部の痕跡も高度な魔術によるもの……これらは魔道具で再現できるものではない」
ぞっとするほど冷たい声が響く。ルーンの話が予期せぬ方向に向かっていることに気づいた。
「これは高度な魔術を駆使する集団による仕業」
ルーンは死体の痕跡を食い入るように見つめながら続ける。
「私はこの痕跡に見覚えがある。魔力を限りなく圧縮することで魔術の威力を極限まで押し上げることを可能とする圧縮魔術と呼ばれるものです。ダーリア王国秘儀中の秘儀、魔術覚醒の元となった魔術としても知られています」
それは最近シーザから聞いた覚えのある魔術名だった。自然と頭に浮かぶのは最強の魔術師。
「圧縮魔術の切れ味は一級品の剣より鋭く、身体に残る痕跡はとてもきれいだそうです。そして、それは星のように輝き、満月のような球体であることから、星魔術とも呼ばれている」
外堀を埋めるようにゆっくりと核心に進んでいく。
「星魔術の唯一無二の使い手、ゼゼ・ストレチア」
「待ってください! それはありえません!」
ディンは即座に否定する。実際、ゼゼがやってないのは明白だ。これはゼゼがやったように仕向けられている。
ルーンはこちらに優しい眼差しを向ける。
「ユナ様。ご安心を。私もゼゼ様がやったと断言しているわけではありません。ただ少なくともこれはゼゼ様の魔術と酷似しており、関係者の犯行である可能性は高い」
その眼の鋭さは人を殺してしまいそうな狂気に満ちて思わずぞっとする。
こうなった時のルーンは止まらない。そして、ルーンはローハイ教の中でも極めて高い位置にいる。兄ルイッゼは国王の主治医を勤め、祖父のロニーはローハイ教の教皇だ。
もっともローハイ教には当然捜査権限などない。よってどこまで力が及ぶか不明だが、ローハイ教信者はいたるところにおり、ゼゼ魔術師団内にも当然存在する。
その数は決してあなどれない。
(魔術師団と敵対するのは絶対に避けないといけない)
今ならまだ介入して止めることができる。ディンは落ち着かせるように問いかける。
「ルーンさん……兄の死体は聖堂前に置かれていたと言ってましたよね? それを置いた目撃者はいますか?」
「ああ。ユナ様。私たちの力不足をお許しください。まだわかっていないことの方が多いのです。ですが、ご安心を。この一件は我々が必ず始末をつけます」
「……あなた方が?」
ふとここに自分の死体があることにはじめて違和感を覚える。
聖堂前でディンの死体が発見されたとしても、ディンは勇者の孫であり貴族だ。王都内で発見され、殺人の疑いがある場合、王宮兵士が預かり、検死するのが自然の流れとなる。
そして、検死後は遺族の元に丁重に届けられる。つまり、ここに死体が置かれている状況はありえない。
これが意味するのは、ルーン達はディンの死体を届けていない。
「ルーン……あなたたちに捜査する権限はないはず」
「昨夜、教皇と話し、朝までにすべての大司教と連絡を取り満場一致で承認を得ました。それにより我々は、百年ぶりに教皇特権を行使しました。内容はディン・ロマンピーチ殺害における捜査の権利と容疑者を記憶の神殿で審判する権利」
ディンは唖然とする。
教皇特権は勇者特権と同じものだ。
国王に自分の要望を直接嘆願し、可能なものなら国王の尊厳により即叶えるといもの。当然の事ながら簡単に行使できる権利でない。
それ以上に驚きを隠せないのが、記憶の神殿にかけるという暴挙。
もはやそれは一線を越える行為だ。
「ル、ルーンさん。お気持ちは大変ありがたい。ですが、もしそんなことしてしまえばゼゼ魔術師団と大きな軋轢を生みます。いや、下手をしたらどちらかが吹き飛んでしまうような衝突になる……私はそんなこと望んでいません」
ルーンはディンの頬を優しく撫でる。
「あなたはお優しい。でも、その優しさにつけこむ輩も世の中にはいるのです。大丈夫、私たちに全部任せてください」
聖母のような囁きだが、その眼は狂気をはらんでいた。だが、説得しないといけない。
ディンは強い口調で語りかけるように言う。
「一度話し合いましょう! 私がゼゼ様との間を取り持ちますから!」
「それには及びません。ゼゼ様はすでに記憶の神殿で身柄を拘束中ですから」
「はっ?」
ディンは固まる。
すでに踏み込んではいけない一線を超えていた。
――自分の選択は常に重みを持たせなくてはならない。軽い選択の結果、取り返しのつかない出来事は往々にして起きるものだ
祖父エルマーの言葉がよぎる。
軽い選択をしたとは思わない。だが、何かが起こるまで時間の猶予はあるとディンは考えていた。だから、良かれと思って、魔の森に向かう遠回りの選択をした。その結果、王都での大事件を察知できなかった。
周囲を見渡す。長椅子に座る信者たちは涙を流しながらもすでに覚悟を決めているのか、目が据わっていた。
「ああ! ユナ様! 私たちをご心配してくださっていることは重々承知です! ですが!」
ルーンはひざまずき、棺の角に額を激しくぶつける。
何度もそれを繰り返し、ゆっくりと顔を上げる。
額から血が流れるが、ルーンは気にも留めずぞっとするような笑みを見せる。
「痛みを伴わなければ解決できないこともある。私たちがすべての痛みを受け入れます。あなたの悲しみに寄り添い、そして悲しき現実に報いるため」
「……ルーン」
説得の言葉が出てこなかった。どれだけの言葉を投げても彼女の耳には届かない。もう止められないところまで話が進んでいる。
ディンの死という薪をくべて、ローハイ教は紅蓮の炎で燃え上がり、もはや鎮火の術はない。
目的の達成まであらゆる者を巻き込むだろう。
立ち上がったルーンは涙を流していた。
「平和であろうとも悪は滅びぬ」
流れ落ちる額からの血が眼に入り、涙と共に零れ落ちていく。
「どれだけの犠牲を払おうとも、報いは受けさせます。たとえ世界中の魔術師を敵にまわしたとしても」
それは赤い涙を流しているかのように見えた。




