第136話 伝説の魔術師以上の使い手ってことだ
「それより、ユナ。こんなところまで出張るなんて聞いてないわよ」
タンタンがわめいているのを聞こえないふりをしてミレイは少しむくれていた。
「一応魔術師団のメンバーだし」
ディンもタンタンの存在を無視してミレイを見る。
「でも、こんな最前線に立つなんて聞いてない! ダンジョンにも入って、魔人と戦うなんて!」
「それは……仕事だから」
ミレイは近づき、肩を抱く。
「無事でよかった。ニコラさんやソフィも亡くなったし、あなたにまで何かあったら……」
「ミレイ……」
過保護すぎる気がしたが、実際ディンの立場だったら同じようにユナを心配していただろう。だから、ミレイの気持ちもよく理解できた。
「でも、なんでミレイがここに?」
「フローティアが怪我をしちゃったから。まあ、怪我自体はすぐ治ったんだけど、身体の痺れが少し残ってるみたいで……だから、すぐに動ける私が来た」
「フローティアが怪我! 大型の魔獣と戦っても無傷だったのに! 何があったの!?」
ミレイは急に気まずそうな表情に変わり、言いよどむ。
「色々あって……」
「色々って?」
「なんか魔術師に絡まれた……らしく。それでなんか喧嘩になって……負傷した」
「フローティアを怪我させるほどの魔術師! それは一体誰なの!?」
皆の関心を引き、自然と全員の視線がミレイに注がれる。
「……私」
しばらくの間、場の空気が固まる。
「お前かい! 僕だけじゃなくフローティアにまで殴りかかったのか! お前は拳でしか語れないのか! この暴力女が!」
ミレイはタンタンに対し鬼の形相でキィーッと睨みつけるが、周囲の冷めた空気を敏感に感じ取り、慌てて弁明する。
「違う。色々あったけど、フローティアも許してくれたし、和解できた。前よりもお互いのこと理解できたし……結果的に良かったと思う」
「出たよ! 加害者が思い出補正して悪行を美化するムーブ! お前の脳内で勝手に洗浄するな! だいたい僕に殴りかかってきたくせに反省が見られない!」
いい感じの話にまとめようとしたところをバッサリ斬られ、ミレイは再びキィーッとタンタンを睨みつける。が、タンタンの言ったことは一理あると理解しているのか、ぐっとこらえていた。
「反省してますって! だからこそ、役に立つために私がここに来たんだから!」
魔術師団全員の方を向き直り、両手を合わせて、ゆっくりと開く。そこから一気に無数の蝶が舞い、空に羽ばたいていく。
その場にいた全員、宙に舞う色とりどりの蝶を見入った。
「蝶魔術……伝説の魔術師ミレイヌ・ネーションが使ってた」
勇者物語にも出てくる蝶魔術。この魔術を扱う才能は、トネリコ王国の女性のみにしか出現しない。しかし、ミレイヌ・ネーション以外の術者はこれまで現れてこなかった。
理由は蝶魔術の習得は極めて難しいことにある。
才能ある者が三十年かけてようやく一匹の蝶を扱うことができる領域に達すると言われていた。
「たった三年ちょいでこんな扱えるもんなの?」
驚きを隠せないディンは隣のシーザにさりげなく尋ねる。
「ダーリア王国の秘儀に魔術解放があるようにトネリコ王国にも継承魔術という秘儀がある。ミレイはミレイヌの魔術能力をそのまま継承した」
「……マジ?」
「と言っても継承魔術はそんな便利なものじゃないぞ。失敗すれば魔術師として機能不全になる。条件は……詳しく知らないが、前の術者以上の器と才能があると確信した場合のみ継承魔術は使われるらしい」
魔術開放は万人に適応できる汎用性の高いものである一方、継承魔術は適用範囲が極めて狭く、失敗のリスクも大きい。
その分、成功すれば大きな対価を得られるという魔術だ。
「つまり、今のミレイはミレイヌの魔術をそのまま引き継ぎ……」
「そこからさらに鍛え上げて、上積みさせた。伝説の魔術師以上の使い手ってことだ」
トネリコ王国象徴の蝶魔術を扱う最強の魔術師ナナシ。
誰よりも見てきたその横顔が、今日は少し別人に見えた。
ミレイも加わり、魔の森捜索の話し合いが進む。ディンはアンジュの森を遠目に観察して、その異質さをひしひしと感じていた。とぐろを巻いた木やひし形の葉っぱをつけた植物が自生しており、自然と惹きこまれる。
森の中に入りたくなる魔性の魅力がある。
「魔の森は人の好奇心を刺激するんだよ。子供とかは警戒心なく入っちまう。で、戻ってこれなくなるんだな」
ふわふわに変身したシーザが頭の上に乗っかったまま、説明する。
実際、それはよく聞いたことのある逸話だ。戻ってこれなくなる原因は、魔の森で自生する植物や木の中に移動するものがあるためだ。
獣道がしばらくすると草木で覆われてなくなっているなんてこともあり、常に森の中の景色が変わると言われていた。もっともそれは昔の話で、動く木や植物は魔族に分類され問答無用ですべて処理されている。
だが、カビオサでは話が変わる。
タンタンの報告によると、人面樹などの攻撃性の高い魔獣はいなかったが、少し動いたり癖のある特殊な植物は放置されて残っているらしい。
危険性は低そうだが、普通の森でない以上、捜索には時間を要するのは間違いない。
「二日で全面捜索って目算甘すぎない?」
「うん。まあ、そういうことはよくあるよ」
魔人マゴール捜索のために、探知魔術の魔道具を使い、大量の人員を使って森を探索するという地味な作業をしなくてはならない。団員たちが輪となって作戦を話し合っているのを遠目で聞いていた。
聞けば聞くほど根気のいる作業のようでげんなりしてくる。ディンが少し面倒くさそうな表情になったのをシーザは目ざとく気づく。
「お前、まさかちょっと帰りたいって思ってねぇだろうな?」
「いや……なんか、思ってたのと違うっていうか。必要な仕事ってのはわかるよ? でも、俺が輝ける場所はここじゃない気がする。こんなところで俺の時間を無駄にしていいのかって思うんだ」
「仕事投げ出す奴の常套句やめろ! お前は根気がなさすぎる! そもそも勝手についてきたくせに!」
返す言葉がない。だが、冷静に考えて魔の森にマゴールがいるとは思えず、考えれば考えるほど王都で報告を待つ方が最善に思えてきた。
「まあ、安心しろよ。私たちだけなら大変な作業だが、蝶魔術の使い手がいれば話は変わるぜ」
シーザはそう断言するが、ディンにはピンとこなかった。
ふと気づくと作戦を立てていた輪の中心にミレイが立っていた。
「私の蝶なら、大きなリスクを背負わず森を調べることが可能です」
ミレイは左手の指を突き出すと、舞っていた黄色い蝶が指の先に止まる。
「すべての蝶は私の眼になる」
ミレイの周辺を漂っていた蝶がすべて森の方へ向かっていく。
西極の情報によると、鬱蒼とした木々がなだらかに続く魔の森は小高い山へと繋がっており、奥に進むほど、道は険しくなるという。本格的に調べるなら、相応の装備が必要になるが、ミレイの蝶魔術なら険しい部分はすべて蝶の眼で確認可能となる。
「私が森の奥深くまで蝶で偵察するので、皆さんは手分けして、森の浅い部分を探索してください」
蝶を森に解き放ったミレイは、両手を腕に組んで眼をつぶったまま魔術師団に指示を出す。特にリーダーが固定されていなかった集団は気づくとミレイの指示を中心に編成が組まれていく。
「蝶魔術は索敵能力がめちゃくちゃ優れているからな。ミレイヌがいたおかげで私たちも魔獣から奇襲を受けることはほぼなかったんだ」
昔を懐かしむようにシーザは語る。
魔術師団は五人一組で森の奥へ進んでいき、すでに半数以上が森の中に消えていた。
「ミレイ。私はどうしたらいい?」
「ユナは私のそばにいなさい! 何かあったら私が守れるから」
「……自分で自分の身くらい守れるよ」
「駄目よ! あなたに何かあったらディンと会った時、顔向けできない」
過保護すぎると思った以上に動揺した。その言葉からミレイはディンがまだ生きていると心の底から信じていることを察した。
だが、ディン・ロマンピーチはすでに死んでいる。
これが世の中に明るみになる日は確実に来る。その時のミレイを想像するだけで胸が痛くなった。
「ミレイ……お兄ちゃんは、もしかしたら――」
「ユナ! ディンのことはいったん忘れなさい! 今は魔人討伐! これは人類の課題なんだから!」
遮るように言った言葉は自分に言い聞かせているように聞こえた。ミレイの心中はディンにもうまく計れない。ただ知っていることがある。
ミレイはいつだって前を向いている。ディンは一呼吸して、自分も今だけは任務に集中することにした。
ミレイはその場でじっと佇み、待機組はそれを囲うように各々待った。現在、森の外で待機しているのは総勢十名ほどで、アイリスやタンタンも未だ残っていた。
蝶の進軍はミレイにしか把握できないが、ミレイの定期的な報告で蝶はかなり深部まで進んでいることがわかった。
しばらくその状態が続いて、あくびが出そうになった時、ミレイは唐突に声を上げる。
「魔獣を複数発見! ゴブリンです」
「えっ? マジ? ソフィたちと来た時は魔獣なんていなかったけど」
タンタンは意外そうに答える。確かに探知魔術をかけてまだ日が浅い。正直、ディンも魔獣が出るとは思ってなかった。
「いいから行け! お前は働け!」
「くそっ、ゆっくりできると思ったのにー」
「私も行くっす! 私が魔獣討伐するっす!」
タンタンとアイリスを含めた五人の魔術師がミレイの指示した森の位置へ向かった。
「魔獣が出るってことは……もしかしたら」
「ええ。近くに魔人がいてもおかしくはない。周囲の警戒は緩めないように」
念のため、探知魔術をかけて周囲を警戒した。
その調査は夜明けから始まり、おおよそ五時間が経過。日が最も高く上る正午にミレイは再び目を開いた。
「かなり深部に小屋を見つけた」
その報告に一同、息を呑んだ。
ミレイの説明によると、人里離れた場所に小屋が立っており、そのすぐ近くに石でつくられた巨大な十字架のオブジェが立っているという。
「行く価値はあると思う。小屋は妙に小奇麗で生活感が感じられない。人が住むなら色々必要でしょ?」
森の奥に住むなら、当然食糧や水は自給自足だ。そのために最低限、火を起こすための蒔きが必要だが、それらしきものはなく、水辺もかなり遠いという。
「蝶で見る限り、住むにはもっといい立地があるの。まるで誰にも見つけられないことを第一に考えているみたい。そもそも魔の森に住もうなんて人なかなかいないし」
マゴールらしき魔人が森に出入りしていたという目撃情報。
マゴールは人間の真似をして小屋に住んでいるというディンの推測。
そして、魔の森の不自然な場所に立つ怪しい小屋。
「行こう!」
ディンの言葉に皆がうなずいた。