第135話 どうみてもこいつが一番怪しい!
丸一日、馬車に揺られてもまだ到着しない。経験したことのない長距離移動もあと少しで終わり。アンジュの森への調査に向かって、到着まであと少しの距離まで来ていた。
「ひぃぃ。早く帰りたい。もうこんな鈍重な乗り物に乗りたくない!」
ディンは叫びながら馬車の中でぐったり横になっていた。
「ユナちゃん。私たちまだ何もしてないっす。弱音吐かないでください。ただでさえ私たちお嬢様って舐められてるんすから」
そう答えるアイリスも顔を真っ青にしてすぐ隣でぐったりしていた。
押し切るようにして遠征に参加したので、迷惑はかけられない。
が、口から出るのは自然と愚痴ばかり。ほぼ丸一日かけた行軍はディンにとって経験したことのないものだった。
「ふん。昔だったらこれが日常だったんだよ。瞬間移動とか魔道四輪車とか便利なものに慣れた君たちにはこういう経験も必要だろうね」
苦労話でマウントをとってくるシーザに対し、言い返す気力もなくディンは口をあんぐり開けたまま寝そべっていた。
馬車の中にいるのはディン以外にアイリス、シーザというお馴染みの面子とあって軽口も飛び、自然と緩む。
「ユナちゃん。もうすぐ到着っすからちゃんとしてくださいね」
「大丈夫。到着したら、勇者の孫らしく毅然とした態度に変わるから」
アイリスは呆れたように乾いた笑い声をあげるが、唐突に真顔に変わる。
「しかし、魔人は本当に強いっす。ニコラさんやアランさん、ジョエルさんやソフィさんまで亡くなるなんて……」
「だね」
「正直、不安ですね」
ぽつりとつぶやく。一貫して明るく振る舞っていたアイリスの本音を聞いた気がした。
それは当然、ディンの中にもあった。現在、百人近い魔術師団がいるが、戦力的には不安がある。魔人と真っ向から対抗して戦えるのはおそらくタンタン一人で、他はそれを援護することしかできない。
「アルメニーアからの助っ人部隊が来るって聞いたし、大丈夫だよ」
詳細は聞いていないが、後続部隊の情報をディンは耳にしていた。
数の多さでなんとかなるものではないが、絶対的な個の力を持つ魔人に対し、人類が対抗するには協調以外にない。
揺れる馬車からアイリスと二人、外の景色をしばらくの間眺めていた。
予定通りに馬車はアンジュの森の前に到着した。
前日の明け方に出発して、丸一日かけて現在、夜が明けそうな時間だ。
外に出た瞬間、朝独特の冷気を感じ外套をまとう。
ダーリア王国は一年通して、比較的過ごしやすい気温で安定している国だが、北部は王都よりやはり気温が低い。
馬車に揺られてろくに眠ることができなかったディンは目にクマをつけて、外でぐっと背伸びをした。
「うおおぉぉ!!」
同様に全く眠れなかったアイリスも、よくわからない雄叫びを上げて、自分で自分に気合を入れていた。
「諸君。だいぶお疲れみたいだね!」
意地悪な表情で近づき、暢気に声をかけてくるのは案の定タンタン。タンタンは馬車移動に慣れているのか顔色も非常に良好だ。こちらの様子を見て、露骨に鼻で笑う。
「ふふーん。こういう移動でもいかに体力を使わないかというのは重要だからね。特別待遇ばかりされてきたお嬢様たちにはなかなかしんどいだろうけど!」
皮肉を込めた言葉を吐いた後、高笑いした。とりあえず嫌味を言うためだけに近づいてきたらしい。ただでさえ存在が苛立たしいのに、このねちっこさは苛立ちを増長させる。
タンタンが皆から嫌われるのがよくわかる。というか、冷静に考えたら最初から嫌いだった。
「まあ、後続部隊もすぐ到着するそうだし、君たちはすることないかもね」
「えっ! 早すぎないっすか!」
「早すぎる。後からくるのは一人だって。となると、フローティアだろうね」
確信を持った言い方だが、確かに該当するのは風魔術で高速移動できるフローティア以外思い浮かばない。
だから、捜索が始まる直前までディンは何気なく空を眺めていた。そして、空の異変に気付く。
「なんだあれ?」
ディンの言葉で自然と皆の視線が明けていく空に注がれる。極彩色に染まる何かがどんどん近づいてくる。異常だが妙に幻想的で皆それに目を奪われていた。
それは蝶の大群で真ん中にいた人物は背中に羽を生やしていた。
その人物の顔がはっきり見えた時、ディンは驚愕した。その顔は見覚えがあるどころじゃない。かつて結婚の誓いをかわしたフィアンセだ。
「ミレイ?!」
何がどうなってるのかわからず、ディンはただ困惑する。
地上に降りたミレイは、魔術師団の一団を一瞥するなり、ある人物を見て顔色を変える。
「あっ!」
指を指した先にいるのは案の定タンタン。
「ん?」
完全にきょとんとした表情のタンタンにミレイは鬼の形相で近づく。その速度は精鋭の魔術師団全員が呆気に取られる速さだ。
「お前!」
タンタンとの間を詰める速さに誰も反応できないが、タンタンだけは反応し、一瞬で臨戦態勢。
両手を合わせて魔術解放しようとするが、ミレイは距離を詰めつつ、片手を軽く上げて振り下ろす。
空を舞う蝶の一群が赤く発光し、すさまじい速度でタンタンへ下降。
タンタンはそれを一切見ずに魔壁が傘のようにタンタンの上空に展開されて全面ガード。
が、一瞬前方ががら空きとなり、ミレイは一歩でタンタンの懐に飛び込み、その頬を思い切り殴りつけた。
「ぐえぇぇ」
その衝撃でタンタンは地面に二度三度叩きつけられて倒れ込む。
あっという間の出来事に皆が呆気に取られていた。
ミレイは団員の中に混じるディンことユナに気づくと、さっと近づき手を握りしめる。
「私が来たからには大丈夫だから! ユナ! 全部、お姉さんに任せなさい!」
次々と変わる状況にディンは混乱して、しばらくの間固まっていた。
(なぜミレイが? というか普通に飛んできてたし、魔術師ってこと? しかもいきなり仲間のタンタンを殴って……まあ、あいつはどうでもいいか。タンタンざまぁ!)
ディンは疑問を解消するため、シーザの方を見る。
「んー、言いそびれてたけどミレイがナナシなんだ」
「えっー!」
トネリコ王国序列一番の魔術師がミレイだと知り、衝撃を受ける。
が、腑に落ちる部分もあった。ミレイはもともと戦闘センスがずば抜けており、習っていた格闘術でも抜群の成績を残していた。なにより不意打ちとはいえ、タンタンに攻撃を食らわせたのは本物である証拠だ。
「ああ、そっか。ユナも私が魔術師になったこと知らなかったかぁ。私、魔術師になってまだ三年とちょっとだから」
「お兄ちゃんにも言ってないよね?」
「ディンには……言いそびれてたというか」
ミレイは自然と言いよどむ。
「ユナが事故で昏睡状態になってからディンは魔術師に対して批判的な眼を向けるようになっただろ? だから、ミレイは言うタイミングを失ったんだよ」
ミレイを擁護するようにシーザが説明する。この時、シーザは細かい事情を知っていたが、ずっと黙っていたことに気づく。
「別にユナのせいってわけじゃないからね! ただ……タイミングを計ってたら、どんどんディンに切り出しにくくなったってだけ」
ユナが昏睡状態だったころの自分を思い出した。
当時は魔術師に対して批判的スタンスをとっており、反魔術師団などと接触していた時期だった。
黙っていたのは自分の気持ちを汲み取った結果だというのは理解できるが、のけ者にされていたようで気分はあまりよくない。
が、それを口に出すほど子供でもない。
「ははっ。ミレイも心配しすぎ! お兄ちゃんがそんなことで嫌いになるわけないよ!」
「……そうだよね」
「うん。そうだよ」
ミレイは微笑むが、それは作り笑いで明らかに元気がない。
思えばディンの邸宅に瞬間移動で来た時からミレイはすぐに飛び出して、ディンの捜索に行った。それが今日まで続いていたことを想像すると、やり場のない思いがこみ上げてきた。
「おい! ちょい待ってぇ! なんで僕を殴ったぁ! なんで僕を!」
空気を読まない叫び声の主は、案の定タンタン。
ミレイに殴り飛ばされたように見えたが、殴られる寸前、頬の部分のみを魔壁でガードしており、顔に傷はついていない。
(ちっ。この糞チビ。ちょっとは怪我しとけ)
思わず毒を吐きそうになったが、ディンはそれをなんとかこらえる。
「そうだ。聞きたいことがあった。ディンのことよ」
ミレイは臆さずタンタンの方に向き直った。
「ディンは失踪直前、魔術師団の上層部しか入れない場所に入っていたの。そこで何かあったのかもしれない」
わずかな時間でミレイがそこまで調べていると思いもせず、ディンやシーザは不意打ちを食らったような表情になる。
「そこに入れるのは六天花と呼ばれる特別な魔術師たち。その中でフローティアじゃないのは確定。当然、ユナも違うし、よく知らない面子もいるけど、とりあえずぱっと確認したら……」
ビシッとミレイは指をさす。
「どうみてもこいつが一番怪しい!」
「それ勘だよね!」
「うっさい! 関係ないっていうなら証拠出しなさい!」
二人の言い合いが続き、ディンは思わず頭を抱える。
ミレイは暴走すると感情的に物事を判断する悪い癖がある。
タンタンが憎たらしいと言えど、これはミレイが間違っていることに変わりない。
「と……とりあえずミレイ。待って。お願いだから」
強引に間に割って入り、話を止める。
「タンタンは関係ないと思う」
「そうなの?」
「うん」
そこからタンタンが転移カードを失くした詳細を説明した。そこでようやくミレイは冷静になる。
「あー。そういやそんなことあったなぁ。あんたアシビン殿下にスープかけられてけらけらしてたわね」
ナナシことミレイとタンタンの御前試合後の出来事で、ミレイもその場にいたらい。
「うーん……なら違うかもね」
不満気な表情を変えなかったが、ミレイは納得した。
「おい! 冤罪だ! わかったら謝れ! 僕に頭を下げろぉ!」
案の定タンタンは怒り散らかす。
「ミレイ。とりあえず形だけでも一言謝罪しておこう」
(この馬鹿、面倒くさいから)
ディンの意図を察し、ミレイは腕を組んだままタンタンを一瞥してぼそりと一言。
「……悪かったわね」
ディンは両手をパンパンと大げさに叩く。
「よかった! これで和解成立だ! わだかまりは消えました! じゃあとりあえず割り切って調査の方を進めましょう!」
「えっ? 待って。それが謝罪? 舐めてる? いくらなんでも軽すぎない? ねぇねぇ、おかしいよね! ねぇ!」
タンタンはわめき散らした。が、普段の行いのせいか、タンタンの相手をするものは誰もいなかった。




