第133話 見方を少し変えるだけで問題の解決が見えることもある
ドンとの話を終えて、ディンはアイリスと共に施療院の中庭に来ていた。
拓殖の木と花壇に囲まれ、自然の溢れる空間には太陽がよく当たる。
花壇の手前にあるベンチで並んで座った。
「ユナちゃん、ドンさんとの交渉凄かったっす。あんなにうまくいくなんて私思いもしなかったっす」
アイリスは本当に感心しているようで、興奮してまくしたてる。
「交渉はお兄ちゃんから色々コツを教えてもらってね」
そう言って、アイリスの方に視線を向ける。
「アイリスだって親と交渉すればいいんだよ。ドンの息子と結婚したくないんでしょ?」
「それは……簡単じゃないっすよ」
アイリスは一変して暗い表情に変わり、うつむいた。その様子からすでにしたくない結婚を受け入れているのがよくわかる。
アイリスもまたガーネットと似ている部分がある。ディンは軽く息を吐いて、正面にある花壇の花をじっと見たまま口を開く。
「見方を少し変えるだけで問題の解決が見えることもある」
その言葉でアイリスは顔を上げる。
「フリップ家は感情的な面より利を優先する実利主義者だ。だから、感情に訴えるより、より大きな利益の機会を提案することが大事だと思う」
「それはつまり結婚でフリップ家が得られる利と同等、もしくはそれ以上のものを父に提案するってことっすか?」
「そうすれば交渉になる」
「そんなの……思いつかないっす。私には無理っすよ」
アイリスは諦観してるのか、寂しげに即答する。
ドン・ノゲイトとの息子と結婚して得られるのは魔石採掘権だ。
それに代わる高い価値などなかなかないように思えるが、実は変わりになるものは案外たくさん転がっていることをディンは知っている。
ディンは少し間を置いて切り出す。
「勇者エルマーのためのプロジェクトを兄が進めているの。勇者のもたらした平和を忘れない事業」
アイリスの目が点になる。
「……ちなみにどういうもので?」
「今実施中のものは、勇者の食べた勝負飯や勇者がよく使った回復薬ポーションの販売、観光用ダンジョンや勇者の軌跡という展示会かな。近々、魔王を倒した剣の商品化を予定しているの」
「……剣の商品化!」
「安心して。掌サイズの似せたものだよ。限定の純金バージョンもあるんだ」
「そういう問題じゃなくて!」
「この街を歩いていて気付いたけど、魔道具っていうのも悪くない。勇者のお守りと称したジュエリーなんてどうかな? 魔王討伐時に使用した魔道具を砕いて、その一部を混ぜて作るんだ。うまくいけば原価率も一%以下に――」
ディンは余計なことまで口にしてしまい、反射的にごまかすように咳き込む。
「ユナちゃん?!」
「大丈夫……」
ディンが神妙な顔つきに変わり、「恐ろしい男がいるんだ」と声色を変える。
「おじいちゃんと二言くらいしか会話してないのに勇者のマブダチって吹聴してる脳が腐った男なんだけどね。そいつはあろうことか、お兄ちゃんが始めた勇者事業をパクって、勝手に出店を始めたんだ」
「……世の中、色々な人がいるんすね」
アイリスは呆気に取られたまま、素直な感想を述べる。
「あいつも剣の商品化を進めてるという情報を最近キャッチした。あいつはどこかで必ず締め上げるとして……絶対に負けられないんだ!」
「どうしたの、ユナちゃん? 何の戦いが始まってるの? ってか顔怖い……落ち着こ?」
アイリスに指摘されて、ユナが絶対しない顔になっていたことに気づき、何事もなかったかのように笑顔に戻す。
「どちらにしろやることはたくさんある。フリップ家のお嬢様が北部オキリスで展開するこのプロジェクトの中心になってくれたらお兄ちゃんはありがたいと思うよ」
「えええ! まさかの私っすか!?」
思いもしない提案に、アイリスは自分を指さして仰天する。
「特にカビオサでは勇者信仰は根強い。うまくいくことは間違いない」
「なんか……それって、勇者で金儲けをしてるような……いや、批判するわけじゃないっすけど」
「そういう風に受け取る人もいるね。でも、勇者の知ることができなかった一面を知ること、記憶の一部を共有できることを喜ぶ人もいるよ。商売って需要があるから成り立つんだ」
そういう着眼点はなかったのか、アイリスは少し真顔に変わる。
「どちらにしろ、アイリスが事業を受け持つなら私たちロマンピーチ家と長期に渡ってより深い間柄になる。フリップ家は強大だけど、王都へのパイプはまだ浅い。彼らにとっても有益だ。ロマンピーチ家かドン・ノゲイト、どちらと深く結びつくか天秤にかけられると思わない?」
提案の真意を理解してアイリスは目を見開く。
「それは……確かに」
「実利主義者との交渉はこうやるんだよ」
アイリスは検討に値する提案だと思ったのか、少しの間考え込む。
「でも、なんだか私がユナちゃんを利用してるみたいで気が引けるっす」
「気が引けないくらい勇者事業に力を入れてくれればいいんだよ!」
ディンは笑って、拳をアイリスに向かって突き出した。
それを見たアイリスも黙って拳を突き合わせて、笑顔を見せる。
「よし! じゃあ私も自分のために勇者事業をやるっす!」
アイリスの気合いの叫びが中庭に響いた。
が、すぐに冷静になりアイリスはつぶやく。
「ただその胡散臭い事業だけだと、父や兄の場合、魔石の採掘権を取る可能性がそこそこあるっす……」
「そこはもう少し魅力的なプランを一緒に考えよう。勇者事業は世界を股にかけて商売可能なものだからね。ポテンシャルには自信がある。五分五分に近ければ、情に訴えられるはずだよ。それでどうにかなるよ」
その後、勇者事業についての話し合いがしばらくの間行われた。
施療院に残るアイリスと一旦別れ、街に出るタイミングで胸ポケットにいたシーザは突然飛び出し、元のエルフ姿に戻った。
両手を後ろで組みながら、ディンと並んで歩き、意味深に微笑む。
「なんだよ?」
「ガーネットやアイリスのことだよ。あいつらの悩みに手を差し伸べて、解決してやるなんてやるじゃないか。お前もだいぶ真人間らしくなってきたな」
シーザは珍しく皮肉抜きにディンを褒めちぎる。ただその口ぶりは、悪党が珍しく善行したところを目撃したかのようで少し引っかかる。
「俺はもともと真人間だ……それに、あれはまだ解決とは言えないよ。フリップ家やドン・ノゲイトは簡単な交渉相手じゃない。ドンはさっき一時の感情に呑まれて同意したが、翻してもおかしくないからな。裏で手をまわす必要がある」
「というと?」
「裏で脅すんだよ。材料は背骨で硬化していた大量の魔獣だ。ドンだけじゃなくフリップ家も知らなかったとは思えない。王族に報告すると暗に脅せば、奴らも無視できないだろ。不可侵領域の背骨に関係者以外の人間を入れたくないだろうからな。間違いなく交渉に使える」
一度の単純な交渉で二人の希望を通せるほど、ドンやフリップ家は甘くない。裏で手をまわす必要があることを理解していた。
「まあ、そういう念押しは必要か……今ふと思ったんだけど……ガーネットはなんで私たちにあそこを見せてくれたんだろう?」
「さあ……」
ガーネットは馬鹿ではない。勇者の孫であるユナと友人になる狙いがあったのは明らかだが、西極の不可侵領域である背骨を魔術師団に見せることは相応のリスクがあることは理解できていたはずだ。
「……ガーネットは何かを変えるきっかけが欲しかったのかもな」
それはディンの憶測だが、大きく外れていない自信はあった。
お嬢様のように着飾っていたガーネットだが、魔石に関して熱をこめて喋っていた時は別人に見えたことを覚えている。
あの隠しきれない熱量を見ると、今回の一件がなくても、ガーネットはいずれ自分で道を切り開いていたのかもしれない。
「ところでなんだけど、誰が脅し役をするんだ?」
「当然、シーザだ。純朴で健気なユナにそんなことできるわけないからな」
シーザは目をぱちぱちさせたまま固まる。
「大貴族のフリップ家とダーリア王国最大のマフィア相手に脅すってさ……間違いなく色々敵を作るよな?」
「そこはやり方次第だ。あまり深く考えるな」
「最近気づいたんだけど、お前って自分は安全圏内で恨まれないポジション確保しつつ、汚れ役を全部私に押し付けてない?」
それはシーザがうすうす感じていたことだが、ディンは遠い目をしてそれに答えない。
「これもガーネットとアイリスのためと思えば安いもんだ。解決の手を手放す気か? がっかりさせるなよ」
「ぐぬぬ……」
シーザはしばらくの間、苦虫を嚙み潰したような顔をしていたが、それを呑み込み表情を元に戻す。
「まあ、ディンが打算抜きで二人のために動いたのも事実だしな……」
「打算はなくはないけどね」
「ん?」
「あの二人を懐に置くことで、最高の兵器を作るための人脈が整った。胸が躍るぜ。この繋がりは今後、必ず生きると俺は踏んでいる」
「……ディン君?」
怖いものを見るシーザの視線に気づき、ディンは愛嬌ある笑顔を見せる。
「冗談、冗談。確かに、色々打算もあるけどさ……ユナだったら二人の悩みにこう答えると思ったから、後押しした面もある」
それはディンの本音だ。これはユナの物語だ。悩んだ時は、ユナだったらどうするかという点を重視するようにしていた。それがきっとユナのためになり、ユナの周りの人のためになり、きっと自分のためにもなる。
ディンはそう考えている。ただ二人とより強い繋がりを持つことはディンの目論見通りでもあった。
「ちなみに兵器って何だよ? なんかあったっけ?」
「元になるのはオートマタ。ガーネットの友人であるゲッキツの孫を引き入れたい」
シーザは首をかしげ、少しの間きょとんとしていた。
「そういや随分熱心に見てたな。私にはただの動く張りぼてにしか見えなかったけど……」
「かもな。だが、俺の読みが正しければ――」
ディンはくるりとその場でまわり、不敵に笑う。
「戦いに革命を起こせるだろう」