第13話 私が心血を注いだ渾身の一作です
ゼゼの私室を訪ねていたのは、ジョエルだった。
「お前が説得したのか?」
挨拶を言う間もなく、ぶしつけな問いを投げられるが、お互い付き合いが長く気にする間柄でもない。ソファにゆっくり座ってからジョエルは答える。
「説得というほどではないですがね」
「ふん。まあ、いい。悪いことではないしな。ただ面倒な問題もある」
「戻ってきたとしても以前のように私物化はできませんね」
ジョエルの言葉にゼゼは手に持つカップを口につけず、テーブルに置いた。
「私物化な。それは見解の違いだろう」
「どちらにしろあの魔術はもう禁止の枠に入れるべきかと。結界に関して不便を強いられるのは理解しますが、あまり焦ることもないのでは?」
「ふむ。お前も今年七十になったか?」
「八十近いです」
「まだ若造だな。じゃあお前には理解できん」
思わず苦笑してしまう。人間としてはいつ死んでもおかしくない年になったが、長命種のエルフからすると、若造になるらしい。
「私は感じるんだよ。魔王討伐後から延々と続くきな臭いものをな」
ジョエルにはその意味が理解できなかった。目に見える世界は平和で、小さな争いや問題はまだまだあるが、これほど安心感のある世界は今まで見たことがない。
「まあ、ユナをこれ以上巻き込ませるつもりはない。さっき釘を刺しておいたしな」
「釘とは?」
「三日以内に上級者の枠に入れと言った。あいつには不可能な話だ」
現在、訓練場で実施しているのは対人訓練だ。
対人と対魔族の上級者は別物だ。対魔族用に出力制限は基本ないが、対人は違う。建築物の破壊は場合によって弁償や罪の対象になるので、安易に街中で魔術をぶっ放すことはできず、正確な魔力制御が求められる。
「ユナは魔力量とそれを放出する力だけは最強なんだけどな。制御という意味ではフローティアと共に大きな課題がある」
ユナは対魔部隊では上級者の枠だが、対人では下級者。細かく繊細な魔術の技は極めて下手糞だった。対人の上級者になるには百二十個のカリキュラムをこなす必要があり、常人なら三年かかる。ユナなら二年はかかるとゼゼは試算していた。
「あえて無理難題を押し付けたということですか?」
「そうなるな。それに記憶がないことがどこまで影響があるのか確かめる必要がある」
ジョエルはゼゼの思惑を読み取った。記憶がないことで覚えた魔術や技術がすべて失われているのなら、当然今までと同じ扱いにはできない。
立場として当面、訓練生となる。
「で? ユナの方はどんな感じだったんだ?」。
「先ほど見学したんですが、上級者の方で何か学んでいたようです」
「……どういうことだ?」
ゼゼは首をかしげる。下級者の枠にいるならわかるが、上級者はありえない。
「ちょっと様子を見るか」
ジョエルと共に二階の鍛錬場に向かうと、ユナは上級者の枠に交じっていた。
何やら座って暢気に雑談に講じている。
訓練を開始して半日と経っていない。
与えた課題の難しさに気づき、投げ出した。
客観的にそう判断したゼゼは呆れそうになったが、表情には出さずユナに近づく。
「おい、ユナ。何やっている?」
「あっ! ゼゼ様……休憩がてら助言をもらってたんです」
「助言? まだ下級者にもなってないのに、もうつまずいたのか?」
「今は最後の課題ですけど」
「最後? 嘘をつくな。そんなに早くできるわけがない」
「本当です」
隣で聞いていたフローティアが答える。
「ユナは下級から上級までの課題をすべてこなしました」
「何?」
ゼゼは信じられなかったが、周囲の人間の表情を見ると嘘でないとわかった。皆、恐ろしいものを目撃したような引きつった顔をしていた。
「コツを掴めば案外できるものですね」
当の本人であるユナはのんきに魔力を練り上げ、自在に形を作っている。
ユナ・ロマンピーチという文字を器用に魔力で形作り、ゼゼに見せた。
上級者でもここまで細かくスムーズに自分の魔力を制御するのは難しい。
慣れるという次元ではない。昔の経験があったとはいえ、ここまで一気にうまくなるというのは本来ありえない。近年での最速は序列一番のタンタンだが、それでも一週間の月日を要している。
心中、ゼゼは驚きを隠せなかったが、表情には出さない。
「なるほど。嘘ではないらしい……」
眠っている間に才能が目覚めたのか原因は不明だ。が、とにかく魔術の能力に問題がないようだ。ジョエルと顔を見合わせるが、ジョエルも肩をすくめる。
「ユナ。続きは明日だ。改めて紹介しておく人間がいる」
再入団初日は実りあるものとなった。魔術の基礎を習っただけだが、ほぼすべて簡単に習得できたのは、ユナの身体が積み上げたものを覚えていたからだろう。最初は優しい眼差しをしていた面々が、怖いものを見たようなおどろおどろしい表情に変わっていた気がしたが、おそらく見間違いだ。
手に入れた魔術という玩具はディンにとって世界観を変えるような代物で色々と試したい衝動に駆られたが、それをぐっと抑え込んだ。
あくまで借り物であるユナの身体ということを忘れてはいけない。
無理はせず、夕方には家に戻った。
夕食の後、くつろいでいると夜に訪ねてくる人間がいた。
「どうも、こんにちは」
玄関の扉を開けると、そこには見知った人物が立っていた。一級魔道具師のルーンだ。ルーンはユナを眼前に捉え目をぱちぱちさせる。
「ああ、ユナ様! 噂通り目を覚ましたんですね。本当に良かった!」
ユナの前でひざまずき、神を崇めるように涙を流し祈りだした。
ローハイ教の信者であり、修道服をいつも羽織るルーンは、ロマンピーチ家をメシアの血と崇める。
今年二十一才であり、ロマンピーチ家とは幼いころからの付き合いだ。魔道具作りに率先して協力してくれる非常にありがたい存在であるが、たまに集団を引き連れ、邸宅前で祈りを捧げたりと、やや過剰なところがある。好意も度が過ぎると扱いに困るものだ。
「ありがとうございます。すっかり元気です」
「ああ! なんと得難い日! しばらく祈りを捧げさせてください」
「玄関前なのでとりあえず要件を」
一度許すと、いつまでも祈っているので、多少冷たくてもばっさり切る。長い付き合いでわかったルーンへの対処だ。
「ディン様に頼まれていたものです」
「えっ! 完成したんですか?」
「はい! ユナ様もお話を伺っているのですね。私が心血を注いだ渾身の一作です。間違いなく最高級の代物です!」
ルーンは世にほとんどいない時空魔術の素養を持ち、主に空間を扱う魔道具を作るのを得意としている。めったなことで自信を露わにしない一流魔道具師の作品を手に取って確認する。それは一見するとただの銀のブレスレットだった。
「架空収納と名付けました」
その説明はディンの要望に完璧に答えたものだった。
ブレスレットを身につけるだけで、仮空間にあらゆるものを収納し、自在に取り出し可能になるという。容量に限界はあるそうだが、あまりのすばらしさにディンはほくそ笑んだ。
魔術師団でも魔道具の使用は推奨されているので使うことに何も問題はない。
ユナの才能は素晴らしいが、事故にあったことを考慮すると、ユナへの極端な負担を避けるべきだ。そこで補完するものとして考えていたのがディンの持つ魔道具である。
一級魔道具を収納し、出し入れ可能とすることで今までにない次元の戦闘が可能となる。
(これさえあれば、魔術師団のやつらにも一泡吹かせられるな)
ディンの心の中にあった疑問。優秀な魔術師は一級魔道具に対抗できるのか?
その答えの一端が近いうちに判明する。
「これは本当にすごい。やはりルーンさんは天才だ」
「ああ! もったいなき言葉! やはりここでお祈りを捧げさせてください」
「それは自分の家でやってもらえます?」
恍惚の表情を浮かべるルーンをばっさり切った。




