第126話 時は流れる
ヨルムンガンドは海底で完全に息絶えていた。倒すことのできなかった三大魔獣の一匹が復活したと聞いた時は皆肝を冷やしたが、見事に討伐。
朝にもかかわらず、カビオサの最北にある基地はお祭り騒ぎだ。
といっても、ジョエルにとってはこれで終わりではない。すぐにダンジョンへの応援要請をドンに頼み、主に回復と支援の魔道具を持つ後発部隊を現在編成中だ。
一難去っても、まだ本番はこれからだ。現在、魔術師団の仲間たちはちょうどダンジョンにもぐっている真っ最中であるが、ジョエルにできることは少ない。
今のジョエルは、自分の足で歩くことさえ杖を必要とする。仲間たちの無事を祈ることしかできない。
目の前に広がる海に向かって、ジョエルは目をつぶり、しばらくの間祈りを捧げた。
「祈れば事態が好転するのか?」
目を開く。少し距離を置いたところで三角座りをしている何かがいた。
黒髪と掘りの浅い顔つきはどこか見覚えがある。
かつて相対したことのある魔人だった。
「何かにすがることを否定する気はない。私もすがる者をもっている。ただ形のないモノにすがるというのは何だか得体が知れなくて不気味な気がする。実際どうなんだ?」
「……マゴール。なぜ君が?」
淡々とした口調で返すも鼓動の高鳴りは止まらない。
そして、その魔人はジョエルの動揺を見透かす。
「あれから五十二年経った。君はだいぶ老いたな。もう余命も残りわずかなんだろう。それでもまだ魔族討伐を続けるのはなぜだ?」
「真の平和のため。魔族がいない世界を作る。これは人類共通の目標だ」
「都合の悪い種族は民族浄化していく。それが人類というものだったな」
「それは違う」
ジョエルはマゴールに鋭い視線を送る。
一方のマゴールは海を見たままじっと動かない。
「違わないさ。君も同じだ。私は君を助けたのに、君はそのことを未だ魔術師団に報告していない。都合の悪いことには蓋をする。それが人間だ」
ジョエルは黙り込む。魔人マゴールに助けられたというのは嘘ではない。五十二年前、魔人キリとの戦いで後方支援をしていたジョエルは瀕死の状態になったが、同じ魔人であるマゴールから黙ってポーションを渡された。
「助けられたというより……あれは君なりの実験のように思えたな」
「否定できないな。でも、あの時の約束を君は果たしていない」
――このポーションを飲むなら、私は無害で討伐は必要ないと魔術師団に訴えて欲しい
あの時言われた言葉を思い返す。
「それは難しい要求だった。ロキドスは人を殺し過ぎた。同族とみられる魔人の一体だけ放置するには相応の理由が必要だ。君はどこで何をしているのか謎だったしな」
「私は約束を守り続けたよ。君たちに一切害を与えない。人を殺すことはしないし、人の住処を侵害しない」
「……」
「もっとも今はどうでもいいことさ。それよりも一つ聞かせてくれ。君は最近いつ泣いた?」
あまりに突拍子のない問いにジョエルは訝し気な視線を送る。
「なぜ急にそんなことを?」
「ヨルムンガンドの死をこの眼で確認しても、私はやっぱり泣けなかった。それなりに愛着があると思ったものでも涙は出ることはなかった……君はどう思う?」
「涙を流す行為にそこまで価値があるとは思わない。人間の中にもめったに泣かない人間もいる。なぜそこまでこだわる?」
「泣くことができれば……人間を理解できた証拠だとロキドス様が言ったからだ」
ジョエルは表情を変えず、答える。
「ロキドスは未だに君にとって一番重要な存在なんだな」
「当然だ」
「なら深く考えてみるがいい。ロキドスはもう死んだ。彼のことを思えば、何か感じないか? その存在と一生会うこともなく、会話することもない。寂しさや悲しみ、色々な感情が湧き、何かがこみあげてこないか?」
ジョエルの言葉でマゴールはじっと固まり眼を閉じる。
ジョエルは逡巡する。自分にはこの魔人をどうすることもできない。助けを呼ぶべきか、逃げるべきか。基地までやや距離があり人の気配はない。
選べる選択肢は少なく、結局ジョエルはマゴールが眼を開くまでその場にたたずんでいた。
「ほんの少し……言いたいことがわかった気がする。もっともロキドス様とはまた会えるし、喋ることもできるから、感情が湧くこともないし、こみあげてくるものもないな」
「マゴール……それは一体どういう意味だ?」
それには答えず、気づくとマゴールはジョエルの目の前に立っていた。
その圧力にジョエルは動きを止める。
「時は流れる。ダーリア王国は平和になってずいぶん変わったな。魔族の恐怖から解き放たれ、武器を手に取ることより生活の質を向上させることに意識が向いた。魔族を知らない人間の方が今では多いとは、時の流れは恐ろしい」
マゴールは淡々と話し、無機質な瞳でジョエルをじっと見る。
「魔術師とは人の域を超える者。言ってみれば超人だ。だが、平和になってから、人材はどんどん魔道具師の方に流れた。魔術師を志す母数もぐっと減ったな?」
核心を突くような言葉にジョエルの心拍数はさらに上がる。
それは五十二年前から魔術師団内にずっといるジョエルが誰よりも肌で感じていたことだった。
「……魔王ロキドスが健在だったころのゼゼ魔術師団はゼゼ抜きにしても恐ろしい集団だった。あの頃いた強者たちは全員死に、君も老いた。結果、自然と牙は抜けた。戦力もだいぶ落ちたろ? 平和ボケとはなかなか厄介な病だ」
「君はさっきから何を言って……」
マゴールはそれに答えず、そっとジョエルの胸に手を当てる。
「まだもう少し余命はあるな……ただし、心臓の動きは悪い。毎日回復魔術をかけて維持させてるのか。流石は一級の回復魔術師だ。本来ならすでに死んでてもおかしくはないだろうに」
「まさか……ロキドスは生きているのか?」
「そうだ」
マゴールの瞳には揺らぎがない。ジョエルは言葉に詰まり、固まる。
「最後に話ができて良かった。ありがとうジョエル……君とは友人になれると思った。でも、それは私の勘違いで一方的なものだった。君との約束を守り続けてきたが、私もここで破ろうと思う」
ジョエルの胸に手を当てたままマゴールは詠唱を始める。
その詠唱の結び語を聞いた時、起きることをジョエルは理解していたのにその場から動くことができなかった。
「最後に一つ……お前たちの目的はなんだ?」
マゴールはそれに答えることなく、詠唱を続ける。
そして、最後を結ぶ一言を無機質に告げる。
「魔色零度」
ジョエルの身体にかかっていた状態維持魔術が無力化される。ジョエルはのたうち顔を歪めながら崩れ落ち、やがて動かなくなる。
それをじっと見ながら、マゴールはジョエルの最後の言葉に応じる。
「ゼゼ・ストレチアを一人ぼっちにしたいんだ」
ぼそりとつぶやき、マゴールは背中を向ける。
死は誰にでも訪れる平等な権利。そこに大差はない。
だが、今日世話をしていたペットが死に、友だと思っていた人間が死んだ。
受け取った言葉を思い出す。
感情はすぐに湧いてこないけど、この日をきっと忘れない。そんな感覚がマゴールの中に残った。
「もう少しで……涙を流す意味がわかりそうな気がするよ」
人間を考え続ける魔人、マゴールはゆっくりとその場から立ち去った。
6章完。ここまで読んでいただきありがとうございます。
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7章はロキドス参戦編です。必ず正体明かします。
ではよいお年を。