第123話 やっぱり君は魔術師団の誰よりも特別なものを持ってる
ディンは近接戦闘が苦手で、器であるユナの身体も小さい。だからこそ基本距離を置いて戦い、敵に近づくのはここぞというタイミングのみだと考えていた。
が、現在のキリは剛力の効果をまとっており、一瞬で間合いを詰めてくる。ディンも剛力がかかっているとはいえ魔人は身体能力が根本的に違う。
対応できるという読みは甘く、まともに戦えないことを肌身で感じていた。かといって、逃げに徹すれば一方的にやられる。
(指輪を奪い取って離脱する。大丈夫。俺ならやれる)
具体的戦略を考える間もなく、キリが襲い掛かってくる。
全力で反発。動きの初動に合わせたつもりだが、ひるむことなくキリは気づくと眼前にいた。
振り下ろされる剣を紙一重でかわすも、立て続けに鋭い刃先がディンを襲う。
わずかでも当たれば肉はえぐれ、足が止まり、次の斬撃で死ぬと確信するほどの剛剣。
右腕を切断した影響でめちゃくちゃな剣技だが、逆に動きが読みづらい。防戦一方でただ避けるだけになる。
死に物狂いで刃の動きを追う。完全に視野が狭まっていた。キリの左逆袈裟斬りをかいくぐったと思ったらキリは前のめりに突っ込み、脳天に衝撃。
「ぐっ……」
頭突きを食らい、視界が揺れる。ふらつく足を軽く蹴られ、ディンはその場でこける。
「はい! チェックメイト!」
やばいと脳が危険信号を発しているのに身体に力が入らない。
揺れる視界の中で歪んだキリの笑みが見える。
「死は儚い。でも、誰にでも与えられる平等な権利さ。その最後を私が締めることができるのは、至上の喜びでもある。特別な人間なら猶更だね」
キリは微笑んだまま剣を振り上げた。
「隙だらけだぞ! 馬鹿野郎!」
聞き覚えのある声が右手側から響いた。そこに立っていたのはシーザだ。魔銃ですでにキリに狙い定めていた。
「食らえ!」
「玩具をもってどうするの?」
キリはせせら笑うも、その殺気に反応し、即座に振り返る。シーザは囮で本命はその逆側にいた。
キリの懐で構えていたのはアイリス・フリップ。
「魔拳!」
増幅魔術により極限まで高めたアイリスの拳が振り返ったキリの腹部に刺さり、キリの巨体が後方に吹き飛んだ。
壁に叩きつけられ、うめいている間にアイリスがディンをゆっくり起き上がらせる。
「ユナちゃん。大丈夫?」
「うん……ありがとう。助かった……でも」
ディンはキリに視線を向ける。この窮地を脱するための魔道具が手元になく、持っているのはキリだ。
アイリスはそれを一瞬で悟る。
「安心して。私が奪い返します」
「いや……でも――」
「はははっ! フリップ家のお嬢様とも戦えるなんて今日はなんと得難い一日! 最高のご褒美だな!」
まるでダメージがなかったかのようにキリは立ち上がり意味なく舌を出す。アイリスはそれを冷静に見ている。
「キリ。私の目を見て答えてください。あなたは私を侮ってるんすね?」
アイリスの真剣な眼差しにキリは視線を合わせて答える。
「どうかな? まあ、可愛い子猫ちゃんみたいな目で見てる節があるのは認めるよ」
「別にいいっす。私は侮られることには慣れてる。魔術師団の立ち位置も魔道具の力がなければ中の下です。どれだけ努力しても馬鹿にされることの方が多い人間なんです」
アイリスはキリから視線を離さず、右手の拳をゆっくり引き構える。
「でも、ユナちゃんの言葉で気づいた。魔道具を持つのも才能の一つだって! 罪悪感を感じる必要なんてない! 外付けの力も含めて、私の力なんです。そして、私は魔道具を扱う才能に関しては誰にも負けてない自負がある」
「話はそれで終わりかな?」
キリは左手に剣を握り、アイリスに向かって突っ込む。
その一歩目でキリは違和感を感じる。気にせず突っ込むも二歩目、三歩目と進むごとに身体の重みが増し自由が利かない。
「んだ、これ……」
自分の身体と思えず、キリは思わず視線を落とす。すぐにアイリスに視線を戻すが、すでに目の前でアイリスが構えていた。
「侮るから足元を救われるんすよ」
剣で突き刺した致命傷の腹部にその拳は再び刺さる。
めり込み、壁に叩きつけられる衝撃音と共にキリの悲鳴が木霊する。
そのタイミングでキリの剛力の効果が消えて、そのままキリは倒れ込む。すぐに立ち上がるが両足はおぼつかない。
アイリスは追撃せず、それを見ていた。
「どういう仕掛けだ?」
キリは自分の身体に起きた異変の原因がわからず、警戒する。魔道具の効果であることは明らかだが、アイリスの身につけている魔道具にそれらしきものはなかった。
ディンも何が起きたか理解できず、遠目でその戦いを見ていた。
魔道具に詳しい人間とてアイリスの仕掛けに気づける者はほとんどいない。
その仕掛けはアイリスの眼球にある。カビオサ遠征が決まった日からアイリスは魔道具屋のトンに連絡を取り、対魔人対策用に魔道具を用意してもらっていた。
ディンと来店した前日に受け取ったその魔道具の名は「邪眼」。
眼球に張られた薄く透明な膜がその魔道具の正体だ。
拘束魔術の一種で相手と目が合うことで、その行動を強力に縛ることができる。魔力の高い魔人だと完全に動きを止めることはできないが、それでも動きを鈍らせることは難しくない。
警戒して距離を置くキリに対してアイリスはポケットからあるものを取り出す。
フリップ家には直属の魔道具師がおり、アイリスにも専属の一級魔道具師が複数ついている。
アイリスのための魔道具を日々研究している一級魔道具師渾身の一作。
アイリスの魔術「魔力廻天」を魔道具化さたそれの効力は二百数える程度。
掌に乗る赤い球体一つで家三軒立つほどの研究費が投入された。それは魔道具の効果を著しく上昇させる世界初の魔術薬だ。
両手の拳を突き合わせてその球体を握りつぶすことで効力が発動。
――魔具覚醒
さらにアイリスは己の魔術を唱える。
「魔力廻天」
押し上げられた魔道具の能力がさらに底上げされる。
右手を振りかぶった瞬間、アイリスの周りの空気が歪む。空間が捻じ曲がるような異様な雰囲気にキリは悪寒が走る。
凝縮された魔力がアイリスの右手に集まり、アイリスはそれをキリに向かって突き出す。
「魔拳」
拳から突き出たそれは巨人の拳のような魔力の塊だ。それを眼前で捉えた瞬間、キリの生存本能が働き横っ飛びで逃げた。そして、その判断は正しかった。魔拳は轟音と共にキリの後方の壁面を深々と抉り、巨大なトンネルのような痕跡を残していた。それを見たキリは唖然とし、言葉を失う。
遠目で見ていたディンもその威力に愕然とした。
「マジかよ。魔道具の限界、超えてるじゃん……」
一級魔道具は一流魔術師の魔術と遜色ない力を発揮できるが、ニコラの剛力やフローティアの風魔術など超一級の魔術は再現できないというのが定説だ。
つまり、魔道具は最高の魔術師たちに劣る。が、アイリスはその常識を覆す魔術を持っていた。
「……アイリス。やっぱり君は魔術師団の誰よりも特別なものを持ってる」
誰にも劣ってなどいない。その才能にゼゼ以外の者が気づいていないだけだとディンは確信する。
キリもまたアイリスを見る目が変わる。わずかながら視線が合うことで再びアイリスの邪眼の術中効果がかかる。
動きが鈍った隙にアイリスは躊躇なく突っ込む。手に握るのはアイリスの魔力を注ぐことで伸縮可能な魔大剣。短剣ほどの大きさに調整し、キリの懐に踏み込む。
キリもそれに合わせて剣を振り下ろす。ほぼ同時だったが、取り回しが速い差でアイリスの刃がキリの左腕を捉え、切断する。そのまま止まることなく、キリの腹部に剣を突き刺す。
「ぎゃああああ!」
キリは絶叫し、その場に倒れ込む。ディンは切断されたキリの左腕を引き寄せ。
瞬間移動の指輪を取り戻したところで、「アイリス!」と声をかけるがアイリスは振り返らない。
「ここでとどめを刺すっす!」
あと一歩で倒せる。アイリスが前のめりになった時、地面が波打ち唐突に揺れた。
ディンやアイリスはバランスを崩し、その場で倒れ込む。
土魔術による地面操作。これが意味するのはレンデュラの復活。
振り返ると、まだディンの獄魔印により壁面にへばりついて黒ずみの身体のままだが口と目が修復されており、こちらを見ていた。
「キリ! 遊ばずに真面目に戦え! 援護はしてやる」
キリ、レンデュラ共にすでに瀕死状態だが、魔人の生命は底知れない。そして、ディンはすでに限界が近づいており、一人でまともに立つこともおぼつかない。
「撤退だ!」
百戦錬磨のシーザの叫びでディンとアイリスの目が自然と合う。
あと一押しという気持ちを捨て去り、生き残ることに切り替える。シーザはすでにディンの胸ポケットにおさまっており、アイリスがディンの方に駆け寄る。
「んー帰っちゃうのぉ?」
両腕が切断されて腹部に剣が刺さったままにもかかわらず、笑みを崩さずキリは立ち上がる。悲壮感はまるでなく狩人の瞳をしていた。口を大きく開けて口腔内から出てきたのは液体の入った瓶。
それを噛み切り、そのまま飲み込む。
「この血は効くぜ」
切断された両腕と腹部が信じられない速度で修復していく。魔人はロキドスの血を飲むことで己の身体を回復させることができる。
右腕が一足早く再生し、キリは腹部に刺さった剣を躊躇なく抜く。
「お二人さん! もっと私の相手してよぉ!」
剣を握り、一気に間合いを詰めてくる。
ディンはアイリスの手をつなぐ。二人の前でキリが剣を振りかぶったタイミングでディンたちは姿を消した。